12-10.

 祈るように魔力を高める。自分の限度を越える力に打ち克つには、ルーンに祈り、ルーンの力を借りて

それを打ち破るしかない。それはただ念じると言うのではなく、心からの、全てを賭した命の願いである。

「う・・・あ・・・あ・・・」

 圧倒的な存在感に押し潰され、もう声もほとんど出ていないが、必死にルーンへと呼びかけた。その心

こそが意志であり、その意志こそが願い、祈りである。その声に意味があるかどうか、意味の通った言葉

になっているか、は関係ない。声を発するという事自体が、その意志表示が、それを呼び、それを生むの

である。

 目を閉じ、聴覚、嗅覚、触覚、今では無意味となったそれらの感覚も閉ざし、全てをその為だけに使い

ながら祈り上げる。自分の意志すら超え、ただ祈る事そのものに自分を化してしまうかのように、まるで

自分は祈る為だけにそこに存在しているかのように、か細い声で願い続けた。

 詠唱であり、ルーンであり、命の歌。そう形容するしかないものがクワイエルに満ち、クワイエルから

発される。

 次第に魔力が増幅し始めた。体が熱く、生命力がはちきれんばかりに溢れる。まるでクワイエルの内側

に新たな自分が誕生するかのように、今までには感じ取れなかった力を感じ、生命というものの強大さを

改めて知った。

 それは外部より与えられた力だが、確かに内部から生まれた力であった。ルーンは全てに備わり、全て

がまたルーンである。これはその事を実感して初めて理解できる体験であり、クワイエルは震えるような

喜びを覚える。

「フェオ、ウル、ソーン、オス・・・・」

「・・・・ニイド、イス、ゲル、エオ・・・・」

「・・・・テュール、ベオク、エフ、マン・・・・」

「・・・・ダエグ、オダル」

 喜びに満ち溢れたまま、その喜びに応じるようにして全てのルーンを一つずつ読み上げていくと、一つ

唱える度にそのルーンが自分に宿り、力を生んでいくのがはっきりと解った。全てを圧迫され、命そのも

のの存亡の危機に達している今だからこそ、クワイエルという存在を形作っていたルーン達が彼の生とい

う願いに呼応していく。

 まるで体内からルーンが呼びかけるように、そしてそれに応えるように、クワイエルから本来あるべき

力、あった筈の力が溢れ出し、この草原の力を押し返し始め、クワイエルという存在を強め始めた。

 その存在は圧倒的であり、もう誰もクワイエルという存在を圧迫する事は出来なくなっていた。この地

の基準に、クワイエルもまた達したのだ。

 再び目を開けた時、そこにはクワイエルの知る世界があった。

 圧迫感はない。草は草、木は木、花は花。クワイエルが知るあるべき姿であり、クワイエルの知る世界

の住人に戻っている。

 この地の魔術が解けた訳ではないが、クワイエルが力を増す事で、全ての生命が持つ存在力とでもいう

ようなものが、彼の望む基準に達したのである。

「ルーンの導かれるままに」

 クワイエルは確かめるように2、3歩踏み出すと、再び前進を始めた。その地の全ては彼に平伏すよう

にその存在を認め、行く手を遮るモノはもうどこにも居ない。



 作り物の空にある光だけが弱まる事なく益々強まっていく。

 大地の全てはクワイエルを受け入れたが、空だけは変わらない。空から差す光がこの地に満ち溢れ、ク

ワイエルを押し潰そうと輝きを増す。その光線一本一本に刺すような力を感じ、体を通り抜ける度、存在

そのものに穴を空けられるような不思議な痛みを感じる。

 今の力なら耐えられない事はないのだが、平気という訳でもない。無限に溢れ出るように感じる魔力が

損なった部分を絶えず補ってくれているから支障はないとしても、存在を引き裂かれるような理解の出来

ない痛みが絶えず襲い、連続した苦痛が精神を侵していく。

 肉体としては耐えられるが、精神は狂いそうな痛みに悲鳴を上げる。

「フェオ、ウル、ソーン・・・・」

 クワイエルは再びルーンを一つ一つ歌い上げながら、その痛みに耐え続けた。出来ればこの魔術を少し

でも早く打ち破りたい所だが、いくら魔力が高まっているとはいえ、そこまでの力はない。今のクワイエ

ルに出来る事は耐え続ける事だけ。

 光は再現なく強くなるように思えて、しかしクワイエルの全てを消す程には高まらない。まるでその限

界のぎりぎりの所で苛(さいな)まれ続けるような、後一歩で消されるという恐怖を味わい続けさせられ

るような、底意地の悪い意図が見えるような気もする。

 魔力同士の争いは基本的に我慢比べのようなものだが、この魔術は必要以上にその事を強いてくる。侵

入者を拒む結界というよりは、拷問と呼ぶべきものだった。

 必死に耐え続け、地獄のような道のりを進んで行く。

 すると次第に空に大きな球体が存在しているのが見えてきた。

 その球体は自ら光を発しているというよりは光そのものといった姿で、降り注ぐ無数のどの光線よりも

はっきりと強く、くっきりと存在を浮かび上がらせている。

 今のクワイエルでもそう思えるくらいなのだから、相当な存在感を誇っているのだろう。

 降り注ぐ光線は眩しいが、光の球体そのものには眩しさを感じない。他の何よりも輝いているが、その

光自体には普通の光があるような性質が備わっていないようだ。ただ強い存在感だけがあり、その存在感

そのものが光となっているかのようにも思える。

 そして光の球体からはクワイエルに向けて絶えず光線が放射されていた。クワイエルに放射される光は

他よりも多く、強い。明らかに敵意のようなものを持ち、この光でクワイエルという存在をこの地から消

そうとしている。

 おそらくこの球体がこの地の主だろう。

 クワイエルは存在の痛みに耐えながら、球体へと近付いて行った。



 球体が蠢(うごめ)いている。近くで見たそれは光の球ではなく、何かの生物が丸まっているような姿

をしていた。無数の足、触角、目、色んなものが蠢き、そうする事で光を放射する。

 動かす事で存在を強め、その強めた分を光として放つかのように。

 クワイエルの知る生物の中で例えるなら、一番近いのは蜘蛛だろうか。光り輝く蜘蛛が身を丸め、光を

放っている。

 ある程度まで近付くと別に結界が張られていて、それを抜けると無数に放射されている光線の眩しさが

消え、蜘蛛の姿もよく見えるようになった。

 その結界自体を抜けるのは簡単だったから、侵入者を拒むモノではなく、単に光を制限する結界なのだ

ろう。側で見ると蜘蛛自身が光を放っている訳でも帯びている訳でもなく、薄い光の膜のような物に覆わ

れ、輝いているのはその膜である事も解った。もしかしたら、この蜘蛛も光に対してそんなに強くはない

のかもしれない。

 蜘蛛は宙に浮いていたのだが、クワイエルが結界内に侵入したのに気付いたのか丸めていた身を開き、

地上へとすっと落下して、クワイエルの目の前へと着地した。

 その動きからは全く重さというものが感じられず、見上げなければ見えないような高さから落下してい

るのにも関わらず、まったく振動を立てていない。重さや振動を消す魔術を使っているのかもしれないが、

元々重さを持たない生物だと考える方がしっくりくるような気がする。

「これはこれは久しぶりの客だ。わざわざこんな所に何しにきたのかね。そんな華奢な体で、よくここま

でこれたものだ」

 蜘蛛がその体同様に高く軽い声で話しかけてくる。どうやって話しかけているのか解らないが、不快を

覚える声だった。この地にかけられた魔術同様、その声にも遠慮がない。

 だが勝手に入り込んだのはクワイエルの方であるし、相手の態度がどうであろうと、そこに文句を言う

のは初めから筋違いというものである。

「私は大陸の南端から来た者です。私はこの大陸にある全てを見、全ての種族と友好な関係を築く為に旅

をしています。貴方にも出来れば我々と友好関係を結んでいただきたく思います。それが無理でしたら、

せめてこの地の通行を許可していただけないでしょうか」

 クワイエルは気にした風もなくいつものように話しかける。

「友好? なんとまあ、おかしな事を考える奴も居たものだ。そんなおかしな奴に会うのは、私も初めて

の事。お前はそんな調子で今までやってきたのかね」

 蜘蛛は半分愉快そうに、もう半分は小馬鹿にするように問う。

「はい、こんな調子でずっとやってきました。これからもそうするつもりです」

「ほほう、まったくもっておかしな奴だ。おかしな奴だ」

 蜘蛛は笑っているのか細かく体を揺すっている。魔術を解いているのか、今は光の膜が消えているから

良いが、もし膜が張られたままだったなら、嫌になる程の光が放射されていた事だろう。

「友好というのはよく解らないが。そんなにお前はここを通りたいのか」

「はい、是非」

「そうか。まあ、ここを乗っ取りに来た訳でもなさそうだし、そう言う事なら好きにすればいい。ただし

手助けはしない。行きたいなら自分で行け、途中でくたばれば私の餌だ。ここを抜けられないようなら、

この先に行くだけ無駄だしな」

 言うだけ言うと、蜘蛛は再び身を丸めて宙に浮かび、光を放ち始めた。

 この蜘蛛も基本的には他の種に興味を示さないらしい。何をしたいのかは解らないが、多分光を放つ事

以外には興味がないのだろう。

「ありがとうございます」

 クワイエルは礼を述べると、更に歩を進めた。これ以上ここに居る意味は無い。仲間達の事は気になる

が、蜘蛛にどれだけ願っても、この地の魔術を解いてはくれないだろう。

 行きたければ行けばいい、ただしその途上でくたばれば私の餌だ。

 蜘蛛の言葉が頭を回る。仲間を助けに戻るべきか。それとも乗り越える事をを期待してこの地で待つか、

或いはこのまま先に進むか。

 クワイエルは迷いながら進んで行く。進んでいるのだから迷っていないのじゃないか、と言われても、

迷っているのだから仕方がない。本当はゆっくり考えたい所だが、蜘蛛の側に居たくなかったのである。

彼もやはりこの蜘蛛は不快だったらしい。

 だから取り合えず進んでいたが、考えれば考える程仲間達の事が心配になってくる。

「やはり戻るべきだ」

 結局迷いに負け、いきなり向きを反転し、相変わらず浮いている蜘蛛の横をそそくさと通り抜け、仲間

達の許へ引き返す。

 幸いにも蜘蛛はクワイエルに対して何も反応せず、敵意が無いのを知った為か、来る時は夥(おびただ)

しく浴びせられていた光線も減り、来る時よりは楽に草原を抜ける事が出来ている。

 蜘蛛から離れれば離れる程全ての存在感も薄れていき、余力が生まれてくる。今の力を使えば仲間達を

助ける良い方法が見付かるかもしれない。

 祈りによって高まった魔力は安定しつつあり、消える所かはっきりとした存在となってクワイエルに定

着しているようだ。もしかしたらこの地の魔術が魔力にも及び、祈りによって一時的に高められたはずの

力までもが、はっきりとした存在となって残ってしまったのかもしれない。

 もしこの想像が正しければ、同じ方法で仲間達の魔力も飛躍的に高める事が出来る。

「確かに試練だったな」

 クワイエルは一人呟き、仲間達の居る変わりなき森林へと戻ったのであった。




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