12-9.

 途切れなく木々が続き、頭上から差し込む光が常に明るくクワイエルを照らしている。どれだけ進んだ

のか、どれだけの時間が経ったのか、何も判断できない事が重苦しい想いとなって彼の心を固めていく。

 だがその度にクワイエルはその重くなってきた心を砕き、進み続けた。しんどい作業ではあったが、決

してへこたれる事はない。もうそれは越えられないモノではないのである。

 一人で進む事にも疲労を感じない。クワイエルの背中にはいつも仲間達がいる。目に見えない絆が、彼

を常に後押ししてくれる。背中から暖かい力強さを感じ、もう小さな石など何とも思わなくなっていた。

そんな重みなど吹き飛ばしてしまえる。

 それからも解るように、クワイエルの魔力は目に見えて高まっていた。自らの意志でこの地にかけられ

ていた魔術を屈服させた事によって、彼の魔力が著(いちじる)しく増したのだろう。

 強い魔力に触れ、そしてその魔術を越える。確かにそれは魔力が高まるのに充分な理由だ。クワイエル

は殻を破るようにして、また一つの段階を越えたのである。

 そういう意味では良い試練だったと言えなくもない。この程度の障害を突破出来ないようでは、これ以

上奥へ行く資格は無いだろうから。

 それはこちらの勝手な思い込みだとしても、そう考えて間違いではないような気がする。現実にこの魔

術を突破できなければ、クワイエル達はここで石となってしまうしかないのだから、彼らにとっては試練

である。

 しかしそうなると少し不安が浮かんでくる。この先もこのような事があるとして、そしてそれを幸運に

も突破出来たとして、一体どこまで彼らの力は増していくのだろうか。もしフィヨルスヴィスのような力

を身に付けてしまったら、いやそこまでは無理としても、同族を遥かに超える力を手に入れたとしたら、

今のままで居られるとは思えない。

 そこまで力が開いてしまうと、もう同族ではなく異人と呼ばれる方が相応しくなり、共に住む事生きる

事が難しくなるのではないか。

 そうなると、クワイエル達も他種族として、いやこの大陸の本当の意味での新たなる種として、人とは

別の生き方をしなくてはならなくなるのかもしれない。

 もしかしたら、この大陸の全ての種も元は一つであり、それが力の開き、そしてそれにそれぞれ適応し

た姿に変わってしまった事で、生活を共にする事が出来なくなり、今のように個別に分かれる事になって

しまったのではないだろうか。

 そしてだからこそお互いに干渉しなくなったのではないか。

 望む望まぬに関わらず強大な魔力を手にしてしまい、その強大な魔力を操る為、耐える為にそれに相応

しい姿になるしかなかったのであれば、クワイエル達もいつまでも今のままで居られるとは限らない。む

しろこれだけ魔力が増大しているのだから、すでに変化が始まっているとしてもおかしくない。

 それがどういう姿なのかは解らないが、すでに知らない所で変化は始まっているのではないか。

 クワイエル達は魔力云々だけではなく、身体自体もはっきりと強化されているように思える。この大陸

に来る前の身体では、こんな奥地まで来れなかっただろう。やはり何処か違ってきている。それが何かは

解らないが、確かに何かが変化している。

 今更何を悠長な事を考えているのかと怒られそうな気もするが、クワイエルは今更ながらそれを実感し

たのである。今までも何となくそうかなとは思っていたが、今のように現実的に考えた事はなかった。だ

からこそその変化も表面に現れなかったのかもしれない。全ての魔力が心と密接な関係があるのだとすれ

ば、新しき変化も心に従うと考えてもおかしくはない。

 今それを意識し、受け入れた事で、変化の仕方が変わり始めるかもしれない。何も変わらない可能性も

あるけれど、そうなる可能性は生まれてしまった。

 そのうち腕や足が何本か増え、身長も倍くらいになるかもしれない。尻尾が伸びるかもしれないし、角

が出てくる可能性もある。

 不安を感じない訳ではないが、しかしそう考えてみると、何となく楽しみでもあった。

 例えばクワイエルが鬼人の姿になったとしても、それはそれで良い事ではないだろうか。いざとなれば、

魔術で元の姿に変えるなり化けるなりすれば良い事なのだから、むしろ楽しみに思っておく方が良いとク

ワイエルは考えたのである。

 今までも人は様々に進化してきて今の身体になったのだから、これからも進化しないとはいえない。今

が進化の最高の状態、最終的な状態であるとは、誰にも言えないのだ。



 そんな妄想を繰り返しながら歩いているが、いつまで経っても果てが見えない。同じような情景が続き、

相変わらず明るく照らされ、変化はない。だからこそ妄想の中で変化というものを考えたのかどうか。ク

ワイエルは今、変化に飢えている。

 食べ物や飲み物に飢えない前に、変化の飢えを満たして欲しい所だ。

 ここを抜けるには何が足りないのだろう。普通に進むだけでは無理なのだろうか。

 力が足りないと言う事なのか。ここを突破するには、まだまだその魔力と身体を強化する必要があるの

だと。

 もしそうだとしたら、むしろ喜ばしい事だ。

 すでに心の石の重さは疲労を覚える程ではなくなり、この地を進む事にそれほど困難を感じなくなって

いる。

 あれだけ重く感じていた心も身体も今ではいつも通りの感覚に戻り、若干の違和感を感じているに過ぎ

なくなっていた。この地にかけられた魔術を破ってから、驚く程の速度で魔力が高まっている。乗り越え

て増したのは解るが、驚く事に今も増し続けているのだ。

 まるで今まで抑えつけていた何かが失せてしまったかのように、果てしなく力が上昇していく。

 確かにクワイエルは殻を破り、今までの場所から一つ抜け出したようだ。

 このままの勢いなら、もう少しでこの地にかけられた魔術そのものを解く事すら出来るようになるかも

しれない。

 力が足りないというのであれば、この地を抜ける時は、そう遠くない。

 今のクワイエルを抑えられる程の力は、もうこの地にはないのだ。

 クワイエルはこの地を抜けられない理由が、そうである事を祈った。



 突然、目の前が開けた。森が消え、広大な草原が出現したのである。

 それは何の脈絡も予兆もなく現れ、クワイエルも暫くは呆然と眺め見るしかなかった。そうして目では

っきりと確かめられるまでは、とても信じられなかったのだ。

 だがこの大陸ではこのような事は珍しくない。驚いたのも、きっと変化に飢えていた為だろう。

 花や木は一本も無く、代わりに抜けるような青空が濃く天に在る。光もさんさんと降り注ぎ、全身をく

まなく照らしている。明るさは変わらないが、まあ一つくらいは良しとしよう。

 変化があったと言う事は、この地を突破したと考えていいのだろうか。

 いや、まだそう考えるのは危険だろう。この地の空や草原も余りにも作り物めいていて、自然にあるも

のとは明らかに違っている。まだ何かの魔術の中に居ると考える方が自然である。

 ここはまだ何者かの支配域で、完全にその者に管理されている。だからこそ他種族であるクワイエルか

ら見れば、どうしようもない違和感を感じる。そう考える方が自然だ。

 例の石化する魔術は消えたようだが(感じないくらいに自分の力が強まっているという事かもしれない

が)、別のもっと強い力を感じる。石化の時と同様、それは即効性のある魔術ではなく、今すぐにどうな

るという訳ではなさそうだったが、それだけに危険である。

「マン、イス、ラド  ・・・ 我が身を、保ち、続けよ」

 念の為に変化を抑制する魔術をかけておく。どれだけ意味があるか、通用するのかは解らないが、何も

しないよりはましだ。

「とにかく、進むしかないか」

 クワイエルは決意を新たに、再び前進し始める。

 進めば進む程に景色がより強く、濃くなっていく。おかしな表現かもしれないが、それぞれの存在とい

うのか、草の一本一本に至るまでがどんどんくっきりとしてくる。

 まるで一つ一つの存在が強まるかのように、それら一つ一つの物がはっきりとし、鮮やかに色濃く目に

映るのである。

 自己主張しているというよりは、居るだけで存在感があるような、もっと根本からくる力強さを感じ、

その力によって自分というものが圧倒され、打ち消されそうになる。

 互いに存在感の強さを競ってでもいるかのように、或いは自分以外の全てを打ち消そうとでも言うかの

ように、それは圧迫感を覚えるくらいにまで強まり、進む度に益々強くなっていく。

 今では草木の端を見るだけで、まるで山でも見ているかのような気持ちになる。あまりにも強く、あま

りにも大きい。

 こちらも負けないように魔力を高めて進むが、一歩進む毎に、まるで自分が壁にでも入り込もうとして

いるかのような感覚が強くなり、ほとんど進めなくなってきた。

 身体を動かす度に何かに引っかかり、何かが邪魔になり、それが際限なく強まっていく。

 無理矢理進むが、次第にその歩は遅くなり、とうとう完全に動けなくなってしまった。

 全く身動きが取れない。草、空気、空、それらがそれぞれに余りにも強くなり過ぎて、入り込む余地が

無くなってしまっている。

 例えるなら水圧か気圧が何十倍にも高まっているとでも言えば良いのか。ありとあらゆる場所から圧迫

されて、指一本進める事も出来ない。

 森の魔術が心の石化であったとすれば、こちらは存在からの圧迫とでも言った所か。内からではなく外

からの力によって、動けなくされている。

 魔術を唱えようとしたが、口も動かず、呼吸音さえ出ていかない。息苦しく、もし後一歩進めたとして

も、耐えられる限界を超えてしまうだろう。

 その上余りにもくっきりする全ての存在が気持ち悪く、居るだけで吐き気がこみ上げてくる。何の遠慮

会釈(えんりょえしゃく)なく自分の存在だけを押し付けられる事は、何て気持ちが悪いのだろう。

 そこに他人の居る余地は無く、気持ち悪いまでに自分自身で埋まってしまっている。しかもそれが全て

の空間にぎっしり詰まっているのだから堪らない。これに耐えられるのはよほど自己の強い者か、全く他

者を感じない者だけだろう。

 乗り越えるか無視するか、どちらかしか方法は無い。

 だがクワイエルはこれら全てを圧倒する程の力も、これら全てを無視するだけの心も、どちらも持ち合

わせていなかった。

 心の石化に打ち克った彼でさえも、この魔術の前には手も足も出ない。この草原に入るまではあれだけ

自信に満ちていた心も、今はもう全ての存在にすり潰されて消えてしまいそうである。

 このままクワイエルが諦めてしまうと、おそらく彼の全てはここにいる全ての存在に押し潰され、この

世界から完全に消されてしまうだろう。

 甘かった。あの森を抜けられた程度で安心していた自分は、余りにも愚かであった。

 今度の魔術は余りにも強大だ。しかし諦める訳にはいかない。必ず突破の糸口はある筈。心を強く持つ

限り、決して道は消えない。

 諦めなければ開かれる。そしてその気持ちが内なる力を目覚めさせる。

 それがこの旅で理解した事。

 この困難も越えなければならない。クワイエルこそが道を拓かなければならない。その為に彼は独りこ

こへ来たのだ。




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