12-3.

 クワイエル達は数日の間、巨犀の群れの尾行を続けてみたが、特に目立った変化は無く。同じように止

まっては捕食し、暫くするとまた同じように移動する、を繰り返すだけだった。

 多分、巨犀達はこの森を虫を求めながらぐるぐると回っているのだろう。虫が少なくなっては移動し、

少なくなっては移動し、そうしてゆっくりゆっくり移動している間に、初めの方の場所はまた虫が増えて

いる。そうして一周する頃にはまた豊富な食料が待っている、という訳だ。

 巨犀がどのくらいのペースで一周するかは解らないし、その範囲も距離も解らないが、とにかく回って

いるのは確かだと思える。

 そう考えると巨犀達は相当広大な範囲を回っているのか、それとも何かしらの魔術を使って、虫の量を

調整しているのか。いや、そもそもこの虫は本当に虫なのかどうか。ひょっとしたら虫のような全く別の、

例えば作物であったり、果物であったりする可能性も否定できない。

 クワイエルからすれば悪趣味極まりないとしても、巨犀達の中ではそれが最上の形であり、満足できる

姿、食欲をそそられる姿であるのだろう。

 尾行し続けた一番の収穫は、巨犀達に敵意が無いと云う事がはっきりした事だろうか。

 これだけ後ろをちょろちょろ付いて行っているのに、まるでありふれた物でも見るような寛容(かんよ

う)さ、或いは冷徹さで、全く何もしてこなかったと云う事は、無視されているのかもしれないが、とに

かく敵意は無いと云う事なのだろう、多分。

 巨犀達は、何に干渉する事も無く、自分の時間でゆったりと永遠に過ごして行くのかもしれない。だと

したら、こちらも余計な干渉をせずに、このまま何もせずに放っておくのが一番良い。もし何かしようも

のなら、憤怒の形相で手痛い鉄槌を食らわされる可能性もあるのだから、大人しく引き下がっておくのが

無難である。

 もし通行許可なり、滞在許可なりを得られたとしても、極力この場所には人の手を加えない事を決める。

巨犀達がこの森一帯を、言ってみれば大きな生きる為の装置として利用しているのだから、その一端を変

えてしまうだけでも、全体のバランスを崩してしまいかねない。それが高度な物であればあるほど、些細

な事で大きな間違いが起きやすくなるものである。

 勿論、人が何をしようとも、その度に巨犀の力で修復してしまうのかもしれないが。わざわざこちらか

ら不快の種を投げつけるような事はしなくていい。

 クワイエルは仲間達との会議の結果、ここも一切手を加えない事を定めた。そういう一切は彼らに任さ

れているので、彼らに決定権がある。それに人の手がここまで伸びるのには、まだまだ時間がかかるだろ

うから、焦る必要もなかった。

「では、交渉してみます」

 方針が決まれば行動は早い。クワイエルは早速巨犀と交渉してみる事にした。

 翻訳する魔術を使い、後は近付いて話しかければ良いだけなので、度胸だけは誰にも負けない変人魔術

師にとって、それを行うのは至極簡単な事である。

 クワイエルは巨犀が移動を止めるのを待ち、彼一人でゆっくりと側へ近付くと、おそるおそる話しかけ

てみた。

「あのう、もしもし」

「・・・・・・」

 しかし巨犀は何も返事をしてくれず、ちらとこちらを一瞥(いちべつ)しただけで、後は何事も無かっ

たように捕食を続けている。

 クワイエルは暫く考えたが、その沈黙を都合よく肯定的に受け止める事にし、相手が聞く姿勢に入った

証拠だと考え、返事を求めず話を続けた。

「私達は大陸の南端から来た者です。突然現れておいて失礼かと思いますが、ここを通行する許可をいた

だけませんでしょうか。勿論この森に勝手に手を入れたりはしませんし、ご迷惑になるような事があれば、

言っていただければすぐに対処させていただきます」

 まるでどこかの訪問販売か店員のような話し振りだが、本人は至って真剣である。真剣に言っているか

らこそかえっておかしいのかもしれないが、真剣なのだから仕方がない。

 巨犀は暫く沈黙を続けていたが、何となく真面目に話をしているのだと云う事が解ったのか、はたまた

気が向いたのか、何となく面倒くさそうに見える目のまま、こんな事を言う。

「南端にいるのなら、ずっと南端に居ればいいものを。なんでまたこんな所まで来るのか。お前達はそん

なに飢えているのかね。南端には食料が無いのかね。それとも私達のように大陸中をずうっと食事しなが

ら回り続けるつもりかね。何がどうなのかは知らないが、なんとまあおかしな事をしているね」

 そんな事を言われれば、クワイエルも困ってしまう。特に意味や必要がある訳ではなく、単に好奇心か

らだと取って付けたように説明してみたが。

「お前達は面白半分でそんな事をして、そんな理由で我々の手を煩わせようというのかね。確かにここを

誰が通ろうと通るまいと私達にとってはどうでも良い事だが、お前達がそうであるなら、私達もまたお前

達が目障りだという理由で、それを止めさせても良い訳か。なるほど、だからお前達の流儀に従ってわざ

わざ許可を取っているのかもしれないが、それもそれでまったくおかしな事だとは思わないかね」

 見た目の印象とは違い、おしゃべりな種であるらしい。しかも言ってる事はまったくもって尤もな事ば

かりだから。

「仰る通り、まったくもって、おかしな話です」

 クワイエルの方も真面目くさって同意するしかなかった。と言うよりも、今更ながら自分達のおかしさ

に気付かされ、考えさせられたのである。今までよく考えもせずに好奇心というおかしな衝動に従ってき

たが、改めてそれが何なのかを考えると、確かにおかしな事で、まったくとんでもない事であった。

 好奇心なんて一人で我慢していれば済む話だし。そうして我慢していても、死ぬ訳ではないのだ。こん

な馬鹿でかい大陸を調査しなくても、誰も困らないだろうし、自分達も多分困らない。むしろ損な事をす

るからこそ今もこんなに困っているのであって、まったく自分から困り事に首を突っ込んで、それで困っ

た困った言いながら、益々困りたがっているのだから、これはどう考えてもおかしい。

 確かにおかしい、どうしようもなくおかしい。本人が考えてもおかしく思う。

 だが所詮、クワイエルはクワイエル。

「おかしいのはおかしいとして。まあでも、そんなおかしいのが居ても面白いのではないでしょうか」

 結局はそれはそれとして、通行許可をくれ、という話に戻してしまい、まったく折れる様子がない。反

省なんて小指の爪先程もしていないだろう。いや、一つとしてしていないのかもしれない。

「そうか、そんなに言うなら行くがいい。元々我らが止める理由などないのだ。だが、つだけ言っておく。

この先に行くのなら、ただではすまないと思え。それを覚悟して、好きに進むがいい。さあ、もう我らに

関わらず、勝手に進め」

 取り合えず疑問をぶつけてすっきりしたのか、呆れて興味を失ったのかは知らないが、巨犀の方が折れ

てくれたようだ。いや、巨犀が言っているように、初めからどうでも良かったのかもしれない。

「ありがとうございます」

 クワイエルは巨犀の態度など我関せず。礼を言い、仲間達の許へと戻ったのだった。



 (ある意味)見事に交渉を成功させたクワイエル達は、その場から直接北へ進路を変えた。一度戻ろう

かとも考えたのだが、どこをどう行こうと未知なのは同じ、地形を目印にしてもどこまで当てになるのか

は解らないのだから、もうこのまま行ってしまえと、開き直ってしまったようである。

 実際、この大陸はバラバラな物をちぐはぐにくっ付けたような地形になっていて、地形を見て先を察し

たりする地理学とでもいうような物は全く役に立たない。

 見聞きした場所を地図に記しているが、それもどこまで正確かと言われれば疑問が浮ぶ。何しろ正確に

測量していないし、地図製作には疎いので、大雑把にしか記入されていない。大体の場所関係は解るが、

地図としてはあまり役には立たないだろう。

 人の中には測量士も居るし、今も測量を続けている筈だが、せいぜい街と道の周辺が終わっているくら

いだろうか。測量をして正確な地図を作る事は、危険の多いこの大陸では、時間がかかる上に非常に困難

な事で。今クワイエル達が居る場所に到達するまでには、まだまだ長い長い時間がかかるだろう。

 そんな物が完成するまで待っている時間はないし、それを待つ事はクワイエルの仕事ではない。それに

元々クワイエルの為に作られた仕事のようなものなのだから、彼の好きに進めば良いのだ。

 勿論、それで彼らの運命がどうなろうと、誰も責任を取ってはくれない。半分人間の世界と縁が切れて

いるようなもので、考えてみれば、巨犀が疑問を持った以上に、不思議な存在なのかもしれない。

 環境に変化無く、同じような森が続いている。当然虫達が多く、クワイエルも心中穏やかではいられな

い。しかし一日、二日と進むにつれて目立って虫の数が減り、いつしか目に付く事もなくなっていた。

おそらく巨犀の支配圏を抜けたのだろう。

 だが暫くすると、また虫の数が増えてきた。種類も多分同じで、鳴声もそっくり。同じ種類ならもう慣

れただろうというような訳にもいかず、クワイエルの心は再び揺り動かされたが、何とか我慢し、旅を続

けている。

 誰も何も言わないのだから、クワイエルだけが大げさに叫んだり、喚いたりする訳にはいかない。変人

と言っても、いや変人だからこそ誇り高い部分があり、負けず嫌いなのである。大陸の踏破を目指す以上、

虫に一々負けてはいられない。

 それに側には弟子のエルナもいる。エルナが平気である以上、クワイエルも平気でなければならない。

これは師の尊厳をかけた戦いでもあった。

 このように苦手とは言っても思考力を奪う程ではないので、当然気付くべき疑問にも気付いている。

 それはつまり、何故また虫が増えたのか、という事だ。

 この虫達は巨犀が食料とする為、飼われている虫達だ。なら巨犀の勢力圏を離れた今、また増え始め

た意味が解らない。

 巨犀の順路が途中で変更され、その結果取り残された虫が増えてしまった、という可能性もあるが。そ

れならそれで、何故順路を変更する必要があったのかが問題である。

 巨犀も警告していたし、よほどの危険が待っているに違いない。

 何があっても良いように、対処できる心構えだけでもしておかなければ。

 心構えだけというのが虚しいが、この大陸で最弱の部類である彼らには、そのくらいしかやれる事がな

かったのである。



 心構えをしてから、二日経った頃。眠っていたクワイエルは、突然身体を揺り動かされ、無理矢理起さ

れた。目を開けると、眼前には槍のような物が突き付けられており、驚いてその穂先から根元へ視線を辿

らせて行くと、そこにはあの巨犀が居た。

 その姿といい、雰囲気といい、明らかに巨犀である。それ以外の何者でもない。たまたま似ている種と

いう可能性もあるが、そう考えるにはあまりにも似すぎている。

 少し違うとすれば、身体の色だろうか。こちらの巨犀は黒ずんでいて、角が荒々しい。前の巨犀の角が

真っ直ぐに生えていたのに比べ、こちらは曲がったり、途中で裂けて割れてしまっていたり、一番酷いの

は根本から折れてしまっているのまだ居た。

 そして一番違うのが、その背に何者かを乗せている事である。

 その何者かは、長い毛に全身を覆われており、丁度毛皮をすっぽり被ってしまったような姿をしている。

手と足は二本ずつ、身長は鬼人より少し低いくらいか、遠目から見たら人と見間違うかもしれない。

 槍の持ち主は勿論その毛人であり、身振りで立ち上がるようクワイエルに告げている。

 クワイエルは慎重に観察を続けながら、ゆっくりと立ち上がった。それから改めて周囲を見回してみる

と、毛人に囲まれ、もう逃げ出せない事が理解できた。

 巨犀の背には全て毛人が乗っていて、全部で十名は居るだろうか。ぐるりと囲み、それぞれに槍を突き

付け、毛むくじゃらの表情でこちらを見据えている、ように見える。

 いつでも動けるよう天幕を張らずに眠っていたので、仲間達全員がクワイエルと同じ情況にある事も良

く解った。

 こいつらが巨犀の警告の理由なのだろう。この毛人達に遭っても知らないぞ、と言っていたのだ。

 見張りは全く役に立たなかったらしい。クワイエル自身も揺り動かされるまで気付かなかったのだから、

多分見張りも知らぬ間にこうされていたのだろう。これはもう力の差と言うしかない。

 後は毛人達に逆らわず、促(うなが)されるまま付いていくしかなかった。

 問答無用に殺されなかっただけ、運が良かったと思うしかない。




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