12-6.

 クワイエル達は巨犀を眼差しを強くして見据えながらも、決して彼らに対して何かをしようとはしなか

った。

 痺れを切らせたらしい毛人が催促(さいそく)したり、巨犀の狩り方を親切丁寧に教えてくれたりした

が、それに礼を言っても決して実行しようとはしない。

「お前達は償わないというのか。この罰を全うしないというのか」

 クワイエル達の心にようやく確信を持てたのか、毛人が呆れたように、惑うかのように呟(つぶや)く。

その声に含まれるのは侮蔑ではなく、純粋な驚きに満ちている。

 毛人もクワイエル達が自分達の無力さを知っている事は充分理解している。その上で与えられた罰を実

行しない。それは自殺行為でしかない事も。

「ガングレリを狩れば、お前達の罪は許される。そして我らと共に生きる道も生まれるだろう。お前達は

それを望み、ここへ来たのではないのか」

 クワイエル達は黙ったまま、巨犀の方を見ている。その目は強いが穏やかで、もう全てを受け容れる覚

悟が備わっているように思えた。

 毛人は理解出来ないという風に言葉を続ける。

 いや、説得しているのかもしれない。この毛人はクワイエル達を救おうとさえ考えている。その言葉の

端々には紛れも無い善意が見え、今ではそれを隠そうともしない。それはつまり、その言葉が本心からの

言葉であって、そこにある素直な心を表している事を意味する。

「何故だ。お前達だって欲すれば狩るのだろう。必要があれば、いや、必要が無くても狩るのだろう。ガ

ングレリは孤高の主、決して他者と深く交わらない。お前達の友でもないだろうに、何故それをしない」

 クワイエル達が巨犀への恐怖からそれをしない、とは考えない所に、毛人からの友愛を感じる。何が毛

人をそうさせたのかは知らないが、長く近くに居た事で、クワイエル達に対し、ただ罪人や余所者という

のではない、不思議な友情をも抱いてしまったようだ。

 だがそれでもクワイエル達は動かない。毛人の心を感じ、確かにありがたいと思い、実際に礼を口にし

ても、決して巨犀を狩ろうとはしない。そこには確固たる決意があり、誰にもどうしようもない事である

かのように思えた。

 毛人との力の差が歴然である以上、それは死を意味するのだが、まるで迷いがないのである。

 仕方ない。そういう諦めにも似た気持ちがあるのだろう。確かに巨犀とは友人という訳でも、深い繋が

りがある訳でもない。自分達の罪を購(あがな)う事を優先させたとしても、不思議はない。

 実際、クワイエル達も、もしも巨犀と会っていなければ、狩る事を迷わなかったかもしれない。

 しかし少しでも関わった、そして言葉を交わした、そうした事が今の運命を決定付けてしまっていた。

ほんの少しの関りであっても、もう巨犀を他人とは思えないのである。

 だから、それはすでに決まった事であるから、今更どうしようもない。例え無意味だと言われても、巨

犀を害する事は出来ないのである。

 誰に強制された訳でもない。言い訳すればハールや神官長は許してくれただろう。鬼人や他の種族達も

仕方ないと言ってくれたかもしれない。だがそういう事ではないのだ。そういう事ではない。これはクワ

イエル達自身の誇り、責任のようなものである。

 それが実際はどうなのかとか、そういう事こそ無意味だった。理由がはっきりしていようとしていまい

と、クワイエル達にとってそれは絶対であり、命を賭してでもしてはならない事なのである。

 だがクワイエル達に事情があるように、毛人にも事情がある。

「お前達が罰を受けないというのであれば、私も責任を果たさなければならない」

 毛人が最後通告のようにもらしたその言葉も、クワイエル達は黙って聞くだけだ。

 毛人もまた、決断を下さなければならない。

「良いだろう。そうまでして望むのであれば、私が新たな罰を下す」

 クワイエル達は迫っているのを感じた。恐怖を越えたどす黒くも暖かい不可思議な気持ち、それが心に

満ちていくのを。それは純粋なものではなく、あらゆる心が交じり合い変化する中で最終的に残った感情。

決してその奥を見通す事は出来ないが、確かにそれは心に存在している。

 重苦しい沈黙が訪れた。皮膚は驚くほど乾いているのに、何故か全身が汗でぐっしょりと濡れているよ

うな感覚がする。握った掌に、ぞっとする程の暖かさを感じた。

「何処へなりと行くがいい。お前達を追放する。それが新たな罰だ」

 クワイエル達が驚きの目で見詰めると。

「必要の無い命を奪う事は、私達にとっても大きな罪である。お前達の命を奪おうとも、私達には何の意

味も無い。だから行くがいい。もう二度と我らに近付くな」

 毛人はそれだけを言い、無言で去っていった。それは余りにも俊敏で、ハーヴィですら目に捉えられな

い。毛人は消えてしまったのだ。まるで初めから居なかったかのように。

「助かった・・・・、ようですね」

 クワイエルがとぼけた顔と目で呟き、皆力が抜けたようにその場に座り込む。

 嬉しいのか、悲しいのか、それは解らなかった。



 毛人達との関わりは断たれた。しかしクワイエル達は助かった。これもまた一つの選択であれば、これ

以上何も言う事はない。

 ただ、クワイエル達が思っていたよりも、毛人達は好意を抱いてくれていたらしい事が解り、重苦しい

何かが心に満ちた。

 毛人の好意を最悪の形で裏切ってしまった罪悪感が、重く圧し掛かる。

「・・・・・・」

 クワイエルは名残惜しそうに毛人の去っただろう方角を見ている。彼としては、何とかならないか、何

とかならないか、そんな風に情けなくてもすがりたいような気持ちがあったのだろう。

 新たな出会い、新たな出来事、新たな繋がり、そういう一切のものが今消えてしまった事を思うと、割

り切れない気持ちが強くなる。

 クワイエル達は巨犀と毛人を比べ、巨犀を取った格好になるのだが。巨犀の方はと言えば、おそらくど

うとも思っていない。クワイエル達がどんな想いで選択しようとも、巨犀には何ら関わりのない事。人と

巨犀の関係は相変わらずの平行線。これからも繋がる事はないだろう。

 クワイエル達はそれを選択したのだ。

 少し虚しさを感じる。自分達のやった事に誇れない訳ではないが、確かに空虚な気持ちもある。

 それは恥ずかしい気持ちかもしれないが、どうしても晴れなかった。

 だから、これで良いのだ、これで良いのだ、と何度も自分に言い聞かせ、無理矢理進み始める。今はた

だ、進もう。

 毛人達の生息域は広い、そこに入らないように北上するには、東西どちらかへ大きく迂回しなければな

らないだろう。

 東は森が深く続いているから、どちらかといえば西を回って行く方が早いような気がする。それに今ま

での経験からすると、この大陸は西側に目立った変化のある地形が多い。

 今までがそうだったからこれからもそうだとは言い切れないが、当てがある訳でも、行く道が決まって

いる訳でもないのだから、好きに進めばいい。



 クワイエル達はハーヴィを先頭にしたいつもの隊列を組み、慎重に歩を進めて行く。

 進んでも進んでも似たような森が続いている。地図作りをしながら進んでいるが、魔術を使っていても

よく解らなくなりそうだった。

 木々や草花にも大きな変化は見られない。地形の変化も乏しく、何となくはっきりしないような、もど

かしさがある。

 毛人の領域が広いとしても、西の果てまで続いている訳がないし、そろそろ変化があっても良いような

ものなのだが。

 まだ毛人、或いは巨犀の領域に居るのだろうか。それともここは主がいない場所なのだろうか。そうだ

とすれば元々こういう地形であった可能性がある。誰も手を加えていない土地、長い年月をかけてこのば

らばらな地形を少しでも繋げようと自然に周囲に順応していった土地、などがあっても不思議ではない。

 このレムーヴァが広ければ広い程、そういう可能性はあっていい。

 いやむしろあるべきだ。

 しかしそれもクワイエル達の考えの一つに過ぎない。それが事実であるかは解らないし、事実であった

として、だからどうだというのだろう。

 結局は何も解らないのと同じで、相変わらず毛人との間に空いた溝を想いながら、どこかすっきりしな

い気持ちのまま進んでいる。

 このはっきりしない景色の連続、今まで進んできた、変化が当然であった地形から考えると信じられな

いくらい変化のない森の道。それらがまるで彼ら自身の心を表しているかのようだ。

 今までとは違う終り。毛人との間に起こったそれが、どんな種であれ友好を結べる可能性はある、とい

うクワイエルの信念に、いくらかの影を差してしまったのかもしれない。

 底抜けに明るく、楽天的でしかなかった彼らの心に、何とも収まりのつかない気持ちが重く残る。

 簡単ではないのだ、レムーヴァは。

 いや、全ての事は単純ではいられないのか。




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