12-7.

 森が依然(いぜん)続いている。この南に砂漠地帯があるとは想像も出来ないくらい、豊かな森が広が

っている。まったくこの大陸はおかしな場所だ。異なる環境が隣り合わせながら、それぞれがそれぞれで

独立している世界。面白いが、考えれば考える程不自然で不思議である。

 今は全てが森、どこをどこまで進んでも限りなく広がっているような、そんな深い森。

 あの荒涼とした地形と、森に包まれたこの景色、一体どちらが本当のレムーヴァなのか。或いはどちら

でもないのか、どちらでもあるのか。

 何度問うても、答えを見出せない。

 一体どれがレムーヴァなのか。そんな事は考えるだけ無駄なのかもしれない。解る事といえば、今クワ

イエル達がこの大陸に、いやこの森に振り回されているという事だろうか。

「少し休みましょう」

 彼らは今日何度目かの休憩を取る。別にいつもよりも余裕をもって進もうというのではない。地形が変

わらず、時間と精神の感覚が上手くかみ合わないのである。だからもう随分進んだと思っても、まだ一時

間程度しか経っていなかったり。逆に半日も歩いたかと思えば、まだ二時間も経っていなかったりする。

 太陽は木の葉の影に隠れてはっきりと見えないから、時間の感覚は周囲の明るさだけが頼りになる。だ

がその明るさというのが難点で、どうも掴み辛い。明るさの変化を上手く感じ取れないのである。

 何故かは解らないが、明るさが変化しているようには思えない。まるで時間が止まったかのように、同

じような明るさで森を照らしている。ひょっとしたら、他種族の領域に踏み入れてしまったのか。

 しかし何も確証になるものが無く。単にクワイエル達が疲れているから、またはあまりにも変化の激し

い地形を越えてきた為に感覚がおかしくなってしまっている、とも考えられるので、予断は禁物だ。

 時間の感覚が狂い、時間によって疲労を推し量る事が出来ないのは奇妙で厄介な事である。自分がどれ

だけ疲れているのか、どれだけ疲れているべきなのかが解らない。考えてみればおかしな話だが、笑い事

ではないのである。

 焚き火のはぜる音を聞きながら、皆腰を下ろし、とにかく気を落ち着けようと身体を休ませる。とにか

く疲れている事は確かなのだ。

 休めながら浮かぶ事は、巨犀と毛人。どうしても心に引っかかるものがあり、何か考えるとすぐに浮か

んでくる。納得したくない気持ちが、相変わらず晴れていない。

「そろそろ行きましょうか」

 それでも再び歩き出す。

 進まなければ先は見えない。いつまで続くのか解らないが、解らないからこそ進む必要があるのだ。

 森は変わらない。頭上から差す木漏れ日も、相変わらず同じ。このまま永遠に紛れ込んでしまうような

気持ちがする。



 これ以上否定する理由は見付からない。確かにおかしい。それははっきりしている。明るさが全く変わ

らないのだ。いつからかは知らないが、進んでも休んでも明るさが変わらない。常に周囲を照らされ、森

が闇に曇る事がない。

 頭上から差す木漏れ日は決して減じる事無く、同じ強さでクワイエル達を照らしている。少なくとも彼

らが肉眼で見通せる限りの場所は何処も光に包まれている。そしてそれがいくら進んでも変わらない。

 昼も夜も無い。ここは常に明るいのだ。

 とすればこれは作られた明かり。決して損なわれも増しもせず、一定にこの地を照らし続ける魔術の光。

 クワイエル達は新たな地に踏み入れていたのだ。

「上を探ってみます」

 レイプトが側に生えていた木を登る。鬼人と比べると細い木で、頼りなく思えたが、中身はしっかり詰

まっているらしく、掴んでも引っ張ってもびくともしない。するすると順調に登っていく。。

 しかし丁度枝葉が頭上を覆う、地上から2、3m上の場所に達すると、レイプトは止まってしまった。

いや、一応手足を動かしているようなのだが、まったく進んでいない。ひょっとしたら自分では登ってい

るつもりなのかもしれないが、クワイエル達から見ると同じ場所でもがいているように見える。

 暫く見ていたが全く事態が変わらないので、ハーヴィがレイプトの下までいき、帰ってくるように告げ

た。もしかしたらそこに貼り付けられてしまったのではとも心配したが、レイプトは不思議そうな顔はし

つつも、問題なく降りてきた。

 彼に言わせると、自分では止まっているような感覚はなくて、何処までも登っている気持ちだったらし

い。ただ登っても登っても先が見えず、不思議に思っている所へハーヴィの声が聴こえ、これはやはりお

かしいと思い、素直に戻ってきたそうだ。

 もしかしたらあの荒野の時のように、空間が繋がっているのかもしれない。ごく短い距離でループして

いれば、同じ場所でいつまでももがいているように見えるのにも納得できる。でもすぐに下に降りれたと

いう事は、上だけが繋がっているのか、それとも登っているような錯覚を起こさせる魔術でもかかってい

るのか。

 クワイエルはそんな風に暫く考えていたが。

「ともかく、一休みしましょう」

 いつものように脈絡なくそういって、野営の準備に取り掛かった。

 多分、腰を落ち着けてゆっくり考えたいという事なのだろう。

 仲間達も慣れたもので、すぐにそれに応じている。



 じっくり考えようと、ゆっくり考えようと、目の前で起こっている現実が変わる訳ではない。まるで光

を被せられたかのようにこの地一帯が光に包まれている事は確かで、昼夜という意識もここでは不可解な

想いしかもたらさない。

 ただその事さえ解っていれば、どうという事はなく。昼夜を自分で定め、休憩や睡眠をいつも通り取っ

ていれば、生活する事に困難はない。暗いならともかく、明るいのだから、まだましと言えた。

 皆で話し合った結果、慌てて何をする事もないだろうという結論に達し。大雑把に規定した時間感覚で

生活する事にし、進路を北へと向けた。

 新しい変化が起こっている以上、毛人や巨犀の支配地を抜けたのだろうし、後は北上すればいい。

 上以外の方向もループしているのではないか、という不安はあるが、今の所は大丈夫なようだ。明るさ

だけは一定だが、それ以外は順調に変化している。

 クワイエル達は警戒したままゆっくりと進む。焦る必要も、無理に急ぐ必要もない。進む方角さえ間違

えなければ、その内ここを抜けられるだろう。方角を知る魔術を使いながら、慎重に地図を埋めて行く。

 頭上は全て枝葉で覆われて見えないが、低い場所はある程度見通せる。この地の木は枝が高く、草さえ

茂っていなければ、どこまでも見通せるのかもしれない。そう思うとこの草を全て刈り取ってやりたい衝

動に駆られるが、そんな便利な魔術は知らなかった。

 それに余計な事をすれば、この地の主が怒る。今の所何の接触もない事を思えば、大人しくしている限

り黙って通してくれるつもりなのかもしれないし、余計な事は控えたい。

 同じような景色が続く為、距離の感覚も掴みづらいが。とにかく前進しているのだから進んでいる筈だ。

そう思って歩き続けるしかない。

 ただし、まったく空が見えないというのは予想以上にきつく、常に何かを押し付けられているかのよう

な気がして落ち着かない。まるで上に誰かに乗られているような気がする。そしてあの枝葉の隙間からじ

っとこちらを見られているかのような。

 緑に囲まれているというよりは、緑に閉じ込められてしまっているかのような、奇妙な息苦しさを感じ

る。この森は心を落ち着かなくさせる。考えてみると、明るさ以外にも違和感が無数にあるのだ。

 素材そのものは確かに木であり草であるのだが、その配置というのか、組み立て方が一々おかしい。ど

こがどうという事もなく、確かに森らしい森なのだが、何かが少しずつ狂っている。これは自然の法則で

はなく、別の法則によって作られているような気がする。

 そしてその少しずつの狂いが積み重なり、堪え難い気持ち悪さとなってこみ上げてくるのである。清浄

な筈の空気でさえ、肺を重くさせていく。

 森ではあるが、何もかもが違う。

 クワイエル達の顔は歪み、まるで別世界に取り込まれてしまったかのように、常に細かな違和感に襲わ

れて精神を消耗させられる。

 仕方なく休憩を増やしながら進んでいるが、違和感のせいで落ち着けず、疲れが少しも取れない。常に

昼、常に森、常に何かに圧し掛かられている。

 無変化という強固さと退屈さの中で、心が押し潰されてしまいそうになっていた。

 これは望んで作られた世界なのだろうか。それとも侵入者に対する罠なのだろうか。時間と距離、全て

の尺度が失われ、自分の中からさえも変化が消えて、心が石になっていく。

 本当にこの先には出口があるのだろうか。本当に何処かへ通じているのだろうか。ここは一体どこなの

だろう。たどって来た道筋は現実にあったものなのか。今この場所を知らせてくれる魔術も、果たして本

当の事を教えてくれているのだろうか。自分は今何処へ居て、何をしているのか。

 様々な考えが窮屈になり、したくもないのに絶望する。知らない間に勝手に希望を持ち、幻滅し、また

希望を持ち、幻滅し、それを繰り返しながら心をすり減らす。誰もそんな事は望んでいないというのに。

 そんな事を何日続けただろう。とうとうクワイエル達は座ったまま動けなくなってしまった。

 身体的な疲労は大きくない。確かに疲れているが、特別に辛いものではない。しかしこの重く圧し掛か

るような、深奥からくる息苦しさに耐えられない。

 このままでは駄目になってしまう。いや、もう駄目になっている。このまま座り続ければ完全に石にな

ってしまうだろう。だが立ち上がる気力がない。とにかく休まなければ力が出ない。しかしこのまま休ん

でいては無気力に襲われ、石になる。

 頭の中を絶望的な考えが何度も通り過ぎては返し、通り過ぎては返し、心が固まっていく。

 そうだ、この森は肉ではない、心を石に変えてしまう。少しずつ少しずつ重みを増し、外から内からゆ

っくりと硬く硬く固め。気付いた時にはごっそりと重い石をいくつも心の中に抱き、その重みで立ち上が

れなくなっている。

 そして全ての力を失くし、完全に石になるのだ。

 意図された事なのかは解らない。しかしクワイエル達にとって、これは死へ導く罠であった。




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