13-5.

 森が続いて行く。

 緑一色といった風景を柔らかく風が撫でている。静寂の中を全てが優しくゆっくりと進行していくよう

であたたかくもあり、安らぐような気がする。

 だがそこには何となく違和感が漂い、あまりにも静か過ぎる為、どこか不気味で落ち着かない気持ちも

浮かんでくる。ただの森ではない事がはっきりしている以上、簡単に気を許すのは危険だ。

 この森に何があるかは解らないが、植物に何らかの関わりがある事は確かだろう。ここは植物の為にあ

る森であり、それ以外の存在は許されないような雰囲気が在る。

 まだ危険な事は起きていないし、そういう気配もしないのだが、だからこそかえって危険という事があ

りうる。

 フレースヴェルグの森、戦闘花、心を石化する森、今までにも森と植物には手痛い目に遭わされている。

今回もそうならないとは言えない。

「今日はここで休みましょう」

 クワイエルの提案に皆が頷いた。

 まだ日は落ちていないが、疲労を覚えたらなるべく早めに休憩を取るようにしている。探索速度は落ち

てしまうが、疲れを覚えたまま無理して進む事は避けたい。

 ただでさえこの大陸の種の力はクワイエル達よりも遥かに大きいのだから、体力を温存し、常に全力を

出せる状態を維持しておきたい。それが儚い抵抗にしかならないとしても、そういう努力を怠らない事は

大事だろう。

 幸いこの森にきてからもう三日過ぎているが、特に大きな変化や危険は起こっていない。

 他種族の存在もはっきりとは感じられない為に、それはそれで残念な気はするが、安全に進める事の方

が大事である。少々の危険があっても他種族と会える方を選ぶのが魔術師というものだとしても、命を無

駄にしようとまでは思わない。

 ここで死んでしまったら、今後出会えるだろう他種族との出会いを失う事になる。そちらの方が魔術師

にとっては耐え難い事である。

 彼らは珍しく分別を見せ。ハーヴィを筆頭、クワイエルを最下位に、皆が相応の落ち着きを見せている。

やはりハーヴィは頼りになる。腐っても鯛、魔術師でもハーヴィといった所か。

「私が見張りに立とう」

 ハーヴィが率先して見張りを買って出、他の者はすぐ眠りにつく事にした。いつ何が起こるか解らない

状況では、限られた時間の中で少しでも多く眠る事が重要である。いつでも休める場所に居ては忘れてし

まうが、人種族だけではなく生命全体を通して、ただ眠るという事だけでもなかなかに危険な事だ。

 眠りという無防備さには不思議ささえ漂う。

 生命はその存続の為にあらゆる手段を尽くして進化を遂げてきたが、この眠りという無防備さからは逃

れられないらしい。生命存続という点に関して言えば、これが一番に解決すべき問題であると思うのだが、

この大いなる枷を外す手段は今になっても見出せていない。

 おそらく遥かな太古、更なる行動力を手に入れる為の代償として支払ったものなのだろうが。もしかし

たらその代償は、それから得られるものを差し引いても、遥かに大きなものであったのかもしれない。

 ハーヴィは瞑想しながら周囲を見張っている。

 別に退屈だからそうしているのではなく。目で見るよりも、こうして精神を研ぎ澄ませ、魔力を高める

方が周囲の事を感知しやすいからだ。魔術師、神官、魔術に携わる者である程度の力ある者は、魔力で五

感全てを補える。いや、肉体で感じるよりも、遥かに多くの事を感じ取れる。

 彼らにとっては魔力、魔術こそが目であり耳であり鼻であり口である。もしかしたら全ての感覚もまた

魔力と魔術に行き着くのではと考えられるくらい、それは万能な力だ。

 だとすれば生命という者は、だた生きているだけで様々な魔術を、しかも絶え間なく行使し続けている

事になる。ただ生きているというだけでそれが行えるのだとしたら、確かに大きな事である。

 この自分でさえよく理解出来ない心の動きもまた魔術なのかもしれず。もしそうだとしたら、人の営み

や心を完全には理解し難いのにも納得出来る。それが魔術なら、我々にそれを理解する事など永遠に不可

能なのかもしれない。

 ハーヴィがこのような事を考えている訳ではなく、彼は無心となって存在しているのみであるが。その

姿を見る度に考えさせられる事がある。

 何故魔力という精神的な力が、これ程までに万能で強大であるのか。

 何故肉体でさえ補える程に、それは全てに勝るのか。

 全てがそこに内包されている。行き着くとすれば、やはり精神にこそ全ての秘密を解く鍵があるのだと

思わずにはいられない。

 ハーヴィのように瞑想し、自分と向かい合い続ければ、いつの日かそれが解るのだろうか。

 外の全てを知りたいが為に、己が内を見続ける。何とも不思議な関係だが、やはりそれこそが真理なの

かもしれない。全てはこの内に在る。

「・・・・・む」

 ハーヴィの目が開き、思わず言葉が漏れた。何かを感じたのだろう、前方に意識を集中させている。

 その視線の先には暗闇があるばかりだが。よく見るとそこに何かしら濃いものが灯っている。周囲の暗

闇より尚暗い、尚濃い何かが在り、そこには闇がぽうっと灯っている。

 ハーヴィは魅入られたかのようにそれから目が離せずにいる。体を動かせないのだ。

 体中が細かく震えているのは、金縛りにあっている為か。それともその動きこそ濃い暗闇から受けてい

る何かだからか。

「ぐ、う、う、う」

 ハーヴィが言葉ならぬ声を漏らす。

 ルーンを唱えようとしたのかもしれないが、これでは用を為さない。

 暗闇はそれから数分程、まるでハーヴィを観察するようにじっと漂っていたが、そのままふうっと何処

かへ消えてしまった。

「ふうっ、ふうっ、ふうっ」

 ハーヴィが強張っていた表情と全身に込めていた力を緩める。

 息は荒く、まるで全力で走り続けた後であるかのようだ。全身に疲労感が漂い。体力と意志を削り取ら

れてしまったかのように感じている。

「一体、何なのだ」

 直接目にし、それに触れたハーヴィでさえ、理解出来ない現象であった。おそらく魔術の類だろうが、

もしかしたらそういう種という可能性もある。

 ただ解る事は、あれがまた来たらハーヴィ達にはどうしようもないという事だ。対抗手段も、理解する

手段もない。ただあれの好きなようにされ、こちらは何も出来ずに金縛りのままでいるしかないだろう。

 今までと違い、敵意があるかどうかすら解らない。

 何も解らない。それが今の正直な気持ち。

「これは厄介な場所に紛れ込んでしまったか」

 ハーヴィは珍しく弱気な言葉を口にしていた。



 一夜明け(あんな事があっても平気で寝ているのには脱帽する)、皆で昨日の事を話し合った。

 話し合ったと言ってもハーヴィが出会っただけで、他の者達が見張りに立っていた時は出なかったので、

自然とハーヴィが一人で喋り続ける事になる。

 そして一通り喋り尽くした後に皆で考えてみたのだが。出会っているハーヴィ自身が解らないのに、そ

の解らない話を聞いて何かが解る筈が無い。結局はよく解らないという結論に達し、とにかく今日もここ

で野営をして、同じ現象が起こるかどうか試してみよう、という事になった。

 そこで今日はクワイエルが一番に見張る事を決め、その時を待っている。

 体をゆっくりと休めながら思い思いの時を過ごしていると、日が暮れるのも早い。たまにはこうして一

日中のんびりしているのも悪くないものだ。ずっと移動してきている事もあるし、良い休みになったと言

えばそうなのかもしれない。

 日が落ち、夜が訪れる。

 クワイエルはこの時を楽しみにしていた。

 どれだけ楽しみにしていたかと言えば、一日中昼寝ばかりをしてこの時に備えていた程だ。そんなに眠

ってしまったら、夜寝る時に困る気がするのだが、そこまでは考えていない。

 いや、夜になれば眠いも眠くないもなく、夜だから眠れると考えていたのかもしれない。そしてそれは

嘘ではない。人は昼寝をしても夜はまた眠くなるという不思議な生物なのだから。

 静かなる時の中、独り待っていると、突然それは訪れた。

 金縛り。確かに金縛りである。この全身への意思疎通が途切れてしまったかのような、頭だけが起き、

他の部分は眠ってしまっているかのような奇妙な感覚。正しく金縛りと言っていい。

 そして前方には周囲よりも尚暗い何かがぼうっと灯っている。

 ハーヴィの言った通りだ。何一つ差異はなく、昨日のハーヴィをそのまま今日クワイエルが体験してい

るかのような気がしてくる。

 しかし抵抗する意志がなく、そのままそれを受け容れていた為だろうか、ハーヴィが感じたような息苦

しさと疲労感は感じなかった。むしろ心地よくさえある。自分の全てが静寂に包まれていくかのように、

夜そのものになるような不思議な感覚。

 暗闇が近付き、ゆっくりとクワイエルの周囲を回り始める。

 これはハーヴィからは聞いていない行動だ。それとも金縛りにあっていた為に気付かなかったのだろう

か。いや、ハーヴィという冷静さを考えればそれはない。これは今日始めて取った行動なのだろう。

 暗闇が二度、三度とクワイエルを回る。

 視線も金縛りで固定されているからはっきりとは解らないが、多分回っている。何かを調べているのか、

それともそういう事をするのが好きなのか。

 よく解らないので、解らないままに待った。

 抵抗しなければ特に何もないという事は、逆らわなければ危害を加えないという意思表示とも取れる。

もしかしたら悪戯のようなものなのか。こうして誰かを驚かせて楽しんでいるという風にも考えられる。

 そうして更に何度か回った後、暗闇はぼうっと何処かへ消えてしまった。それ以後は何も起きず交代の

時間を迎え。次の朝話を聞いてみても、クワイエル以外は暗闇を見ていない。

 人間の世界ならただの幽霊話で終わる所だが、この大陸は違う。何かに出会ったという事は、確かに何

かがそこに居たのだろう。

 気になった彼らは、この付近を調べてみる事にした。

 もしかしたら何かが見付かるかもしれない。



 数日調査してみたが、新しい発見は無い。

 木々、草花、相変わらずそういった緑だけがあり、全てが静寂に満ち、それ以外は何も無い。そういう

空間を作り出す為にこの場所があるようであり、そういう空間のみが広がっている。

 これは他種族が居ると考えるのに充分な材料だが、そうと考えてもあの暗闇が種であると断定する材料

にはならない。

 暗闇はあれからも夜の大体同じ時間に現れ、同じように去っていく。今の所見張りの周囲を回る以上の

事はしていない。出来ればこちらから接触したい所なのだが、金縛りである以上、叶わぬ夢である。

 金縛りをどうにか出来ないかと色々試してもみたが、抵抗しようとすればするだけ余計に苦しい思いを

するだけだった。

 やはりあの金縛りは抵抗すればする程苦しめられるものらしい。逆に精神を集中させて落ち着けば、苦

しみはすぐに解ける。どれだけ抵抗しても苦しいだけで、とても破れそうにない。

 それを知った今はもう諦め、抵抗せずに身を任せているのだが、だからこそ余計に不気味でもある。

 一体何をしているのだろう。ただ観察したいだけなのか。それともああする事で何かをしているのか。

 今のままでは何も解らない。

 範囲を広げながら何か発見出来る事を祈って調査を続けるしかないようだ。

 こんな事が一週間くらい続いた後だったろうか、暗闇の姿に変化が起こっている。

 具体的にいうなら、暗闇の姿が何となく人型に変わりつつあるのだ。

 今までのようにぼんやりとはっきりしないものではなく、それは懸命に何かの形を取ろうとしているよ

うに思える。そして時を経るに従い、その形はよりはっきりしたものになっていき、どうやらクワイエル

達の姿を真似ているらしい事が察せられた。

 それというのも、前日暗闇と会った者の姿と、次の日の暗闇の姿がどことなく似ているからである。

 鬼人と人という二種族が居る為に迷っているようにも見えたが、その内思い切ったのか、二種の合成種

という風な形を取り始め、細かな部分まで濃くはっきりとした姿になり、最後にはとうとうその影が話し

かけてきた。

 初めて話を聞いたのはエルナだったが、その後は誰が会っても話しかけてきて、それに金縛りのまま思

考で答えるような形をとっている。

 話がしたいのなら金縛りを解けば良いと思うのだが、その影の話に寄れば、クワイエル達を金縛り状態

にしないと出会う事が出来ないらしい。

 それは生物に備わっているある感覚をより鋭く利用しなければ影の姿を捉えられないから、らしいのだ

が。そんな事を言われても、クワイエル達にはさっぱり解らない。これはそういうものだと受け容れるし

かなさそうだ。

 こうしておかしな形で話をしている内に、影の目的や彼らが何者なのかが少しずつ解ってきた。

 影は一人(と数えていいのかどうか解らないが)ではなく、複数居て、共に暮らしている。彼らの役目

というか生活は、この森を保全し静寂を護る事にある。

 だからこうして何者かが来ると、それを調べる為に現れるらしい。

 そして調べた後、この森の静寂を護るのに害なのかさほどでもないのかを判断し、それによって対処を

変えるそうだ。

 クワイエル達は無害とは言わないが、有害とまでもいかず。害がない訳ではないが、排除する程の深刻

な害では無いという事で、迷った結果放って置く事に決めたらしい。

 とはいえ本当に放って置くと何をするか解らないので、毎日丹念に調べ、その言葉や思考を少しずつ理

解し、こうしてその成果である形をとって忠告する為に現れたようだ。

 彼らには強大な魔力が備わっているが、それでもその身を変化させるには多くの時間と膨大な魔力を必

要とするようで。それは彼らが元々はっきりとした形を持たない種であるからだそうだが、これも詳しい

事はよく解らない。

 他にも様々な話を聞いたが理解出来る事は少なく。残念ながら彼らはクワイエルの探していた種ではな

いとの事。

 しかし彼らもそれらしき種を見かけた事があるそうで、クワイエル達はその影達と友好協定のようなも

のをいつものように結ぶと、教えられた方角へと再び出発したのであった。




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