13-8.

 虫人達に貨幣という概念は無く。もっと言えば、お金という概念すら持っていなかった。彼らは全て生

み出した芸術とその技術によって評価され、その能力に応じた物がその度に支給され。それは仕事に必要

な道具であったり、食べ物であったり、その他の消耗品であったりする。

 では虫人達はそういう物を何処から得ているのかと言えば、交易で得たり、生産専門の虫人が作った物

で必要な分を賄っているらしい。

 だから支払おうにもいくらいくらで払うという事は出来ない。交易時も同様だが、基本は物々交換であ

り、相応の物を互いに交換する事で成り立っている。

 貨幣を稼がないで済むのはありがたいが、クワイエル達には交換できるような余分な物は・・・・いや、

一つ大きな物があった。それは野営に使っていた道具一式。これなら今はもう必要ではないし、色んな物

が含まれているから虫人の興味を惹けるかもしれない。

 試しに一式を虫人に見せてみると酷くそれに興味を覚えたらしく、これでは対価として多過ぎるとまで

言い。クワイエル達が他種族やこの大陸の情報を知りたがっていると聞くや、彼が知っている限りの全て

の情報を教えてくれた。

 それは交易相手の他種族の事や、この周辺と知る限りの地理の全て。クワイエル達にとってこれ以上あ

りがたい情報は無く、この道具一式が最後の最後まで大きく助けてくれた事になる。クワイエルなんかよ

りもこの一式の方がよほど役に立った。

 愛着のある一式を手放すのは惜しかったが。大事に持ち運ばれているよりも必要とする虫人に持ってい

られた方が一式の方も居心地が良いのかもしれない。それにそれだけの品だからこそ虫人の作品の対価に

なるというものである。

 商談は無事結ばれ、クワイエル達は虫人に別れを告げると、彼から教わった虫人達の代表者が居るらし

い奥へと向かった。

 そこに居るのは巨大建造物を造った偉大な一人であり、相当の権限を持つ虫人。何でも偉大な虫人の中

から一年交代くらいで一人ずつここに子作りの為に篭り、その一年の間ついでに代表者として治める役目

も担うそうなのだ。だから大事な話がしたいならその虫人に会えばいい。子作り兼休暇中だから機嫌も良

いし、暇も持て余している。今ならゆっくり話を聞いてくれるだろうとの事。

 偉大な虫人というくらいだからめったに人前には出ず。例えそこにいつも居ても簡単に会えないような

姿を想像していたのだが、意外にもそういうのではないようだ。

 確かに彼らは虫人から尊敬されているが、尊敬されるのはあくまでも彼らの作品である。虫人同士で権

威比べをする習慣も無いし、統治者が偉いという考え方も無い。作品が中心であって、それ以外は作品作

りに支障が無い限りはどうでもいいものだと考えている。

 極端といえばそうだが、それだけに解りやすいし、面倒な手続きを踏まないで済む事はクワイエル達に

とってもありがたい。

 気分も楽に長い長い廊下を進んで行くと、やがて教えられた場所に着いた。

 そこは廊下の突き当たりにして一番奥にある一室。虫人によれば場所が解り易いようこの位置に指定さ

れているとの事だ。

 一般に虫人はこの建物内であれば何処に住んでもよく、その点の区別は無いし、部屋の内装や広さにも

違いはない。財産という概念も薄く、虫人にとって自分の物だと言えるのは唯一自分の作品のみであるか

ら住居で争うという事も無い。

 でもだからこそ解り易い場所にちゃんと決めておかないと、偉大な虫人が来ても何処へ行けばいいか解

らなくなるし、探す時にもとても困ってしまう。

 だから偉大な虫人の部屋だけは決めておかないといけないが、この建物内はどこもかしこも似たような

作りで、区別出来るとしたら一番最初か最後の部屋しかないのだ。

 なら一番最初にすれば良いじゃないかと言う意見もあるかもしれないが。偉大な虫人は休憩と子作りの

為に部屋から一年の間ほとんど出る事はないから、出入り口に遠くても支障はない。それに奥の方が人通

りが少なくて静かで過ごし易く、のんびりするには最適である。

 他にも子作りなんて奥の方でこっそりやってもらわないと、隣室の虫人が落ち着かなくてしょうがなく

なる、という事もあるようだ。

 虫人達にも虫人達の事情があるのである。

 早速部屋の入り口に立ってみたが扉は開かない。よく見ると扉には絵のような物が描かれている。そう

いえば虫人が扉に何か描かれている時は入室禁止だと言っていたような気がする。多分お取り込み中なの

だろう。このまま扉の前で待つのもなんなので、クワイエル達は少し戻り、空いていた部屋を見付けて、

そこで暫く休む事にした。

 そういえば虫人に会ってから休んでいない。入室禁止が解けたか一時間毎に確認する役目兼見張りを一

人置いて、クワイエル達は久しぶりに屋内での睡眠を楽しむ事にしたのであった。



 休み始めてから二日は経っているが、一向に入室禁止が解ける様子はない。家庭内で何か揉め事が起こ

っていないかとはらはらしたが、それを確認する事も出来ない。クワイエル達は無事円満解決するように

祈りながら待つ事しか出来なかった。

 そして更に二日、三日過ぎてようやく入室禁止の絵が扉から消えた。その時見張りであったレイプトが

念の為にノックしてみようとすると例の如く手が触れる前に扉が開き、レイプトが一人あたふたしてしま

う、という一幕があったが、クワイエル達は無事偉大なる一人に出会う事が出来たのである。

 しかし彼女は疲れていたので(話に聞くとこの虫人は女性だった。勿論、クワイエル達から見ると何が

どう違うのか解らない)、話を始める前に半日程の休憩時間を挟む事になった。

 その間クワイエル達は世話役らしい虫人に様々な物を勧められ、飲み物などもいただいたが、何とも言

えない味わいで最後まで口にする事が出来ず、じつに気まずい時間を味わっている。

 偉大虫人が回復するまでの時間が予定より短かった為、クワイエル達は何とかその微妙なる時間を耐え

抜く事が出来たが。もし予定通り半日待っていたのだとしたら、耐えられたかどうかは解らない。

 こうしてクワイエル達は早く会ってくれてありがとうという感謝と共に偉大虫人に会い、早速友好関係

を結ぶ為の話し合いを始めた。

 話し合いはあっけなく終わった。何しろクワイエルが。

「私達は貴女方と友好な関係を結びたいと考えています」

 と言うと。

「ではそうしましょう」

 という風に時間にして数秒足らずで決まってしまったからである。

 それではあまりにも早過ぎて何だか勿体無いからとクワイエルが何か付け足そうとしても。

「それには及びません。そもそも私達は創作活動を続けていけさえすれば、後はどうでも良いのです。聞

けば貴方はすでに商談を無事成立させているとか。ならそれ以上の事は我々には必要がなく、その事実が

あるという事だけで貴方達との関係を深める事に何一つ異論はありません」

 という風にきっぱりと切り捨てられてしまい。その後もてきぱきと条約が定められ、結局クワイエルが

無駄話をする暇は無く終わってしまった。珍しくクワイエルは防戦一方、何も出来ずに終わったのである。

 これはおそらく、いや確実に、虫人達にとっても人間達にとってもとても良い事であった。



 虫人達との関係が定まり、クワイエル達がこの地に居る理由はなくなった。これ以上ここに居ても虫人

達の邪魔になるだけだろう。虫人達は客人を嫌う訳ではないが、創作時間を減らされる事には我慢ならな

い。用が済めばさっさと退散するのがお互いの為である。

 そこですぐに旅立つ事を決め、一応初めに会った虫人へ挨拶に行ったが、彼もさっぱりしたもので、別

れの挨拶と言われても不思議そうにクワイエル達の方を眺めるだけで、理解出来ないようだった。

 虫人はあまり他者と一緒に居る事が無く、家族関係すらあってないようなものなので、そういう風習も

無いし、別れるという事に何かを想う事もないようなのだ。

 少し寂しかったが、別に嫌われた訳でも無視された訳でもないので、それ以上考えないようにしている。

考え方や生き方が全く違うのだから、それにどうこう言っても仕方ない。相手に悪意が無いのなら、それ

で良しとしよう。

 クワイエル達はこのまま去り、教えてもらっている虫人の交渉相手を訪ねてみる事に決めた。

 彼らはあまり社交的な種ではないようだが、人間同様に好奇心が旺盛で、他種族なら大抵歓迎してくれ

るだろうとの事。

 それが本当なら彼らから面白い話が聞けるかもしれないし、この大陸の事や安全な道順のようなものを

教えてくれるかもしれない。

 正直こうして漠然と奥を目指すだけではどうにもならないような気がしてきている。最奥を目指すには

ただ漠然と北を目指すのではなく、ある程度見当を付けていかなければならない。その為にはこの先の情

報が必要である。

 しかし今までに遇った種はほぼ例外なく自分の生息域以外には興味を示さず、他種族の情報どころかそ

れ以外の場所に関する情報すら得られた事が少ない。

 でもこれから会うだろう種は好奇心旺盛ときている。そして虫人達と交易を行っているように、幾らか

の行動力を持っている。これは期待できる。彼らからなら多くの情報を得る事が出来るだろう。

 そんな風に思って、クワイエル達は意気揚々と進んだ。

 だが彼らに達する道には困難が待ち構えている。今回は未知なる恐怖ではなく、はっきりとその事を知

らされていた。だからこそ対処もしてきているが、怖い事には変わらない。

 何でもそこへ到るまでの道には、空気の存在しない場所があるらしい。

 つまり真空状態で、そこだけが何も無くぽっかり空いた空間が広がっているそうなのだ。

 真空であるから暖かさが無く冷え込んでいて、地熱も結界に阻まれて届かない。酸素なんかも当然無い

から、そのままでは呼吸する事も出来ない。

 そこを移動する為には呼吸が出来、そして寒さに耐えられるだけの魔術をかけなければならない。よく

解らない力がかかる事も考えられるから、肉体を保護する魔術も念の為にかけておいた方が良いだろう。

 だがそれらは何とかなる。その程度の事ならば問題なく行使出来るだけの魔力を今のクワイエル達は皆

持っているからだ。

 問題はそこに番人が居る事で、そこを抜ける為にはその真空結界に入る前にその種を一人見付けて、協

力してもらわなければならない。その種が居なければ、決して番人はそこを通してくれないようなのだ。

 しかしその種がいつ交易にやってくるのかは解らず、警戒心が強い種であるからもし遇えたとしても交

渉は困難である。

 下手すれば何度も何度も会ってようやく話を聞いてくれるかもしれず、いつ遇えるかも解らない上にそ

ういう状態ではいつまでかかるか見当もつかない。

 クワイエル達は話し合い、一度は諦めて別の場所へ向かった方が良くはないか、という意見も出たのだ

が。しかしそういう結界が他にも張られていないという保証は無いし。今までのように無関心ではなく、

警戒心が強い種が他にも居るとしたら、何も知らずに強力な外敵を排除する結界に踏み入れてしまって全

滅するという事態もありえる。

 例え時間がかかっても、成功する保証がなくても、出来るだけ情報を得る為に行動した方がいい。とい

う結論に達し、半信半疑ながらもその種を目指す事を改めて決めた。

 今までもうっかり死にそうになる事は何度かあったが。奥へ行けば行く程その地に住まう種の魔力が増

していくというこのレムーヴァでは、今までは乗り越えてこれた、という経験は何の役にも立たない。

 自身の魔力が増大し、多少は生きていける自信を持っているクワイエル達であるが。所詮彼らの力は塵

にも満たないもの、いつ抵抗できないような事態に陥ってもおかしくない。

 今回のように事前に対処していなければどうしようもない事態がある、と改めて思い知らされた事で、

彼らはこの大陸が生存する事さえ難しい場所なのだという事を、はっきりと思い出していた。



 クワイエル達は体温を保つ魔術を応用、強化して、彼らの周囲一メートルくらいの空間を固定してしま

っている。

 いや固定というと言葉が違うかもしれない。要するに自分の周囲に結界を張って、そこから何も漏れな

いようにしてしまった、という事である。だから固定というよりは完全に閉ざしてしまったというべきか。

 こうする事で会話には間に何も介さないで済むテレパシーのような魔術を用い、そして数時間毎に結界

内の空気を魔術によって浄化させないと呼吸が苦しくなるという面倒さを得たのだが。いつどこから結界

が始まるかも解らないし、一度入れば二度と出られない可能性もあるので、こうして行くしかない。

 他にもっと良い方法があるのかもしれないが、これくらいしか思いつかなかった。魔力は上がっている

ものの、想像力の方はなかなかそういかない。

 魔術の行使においてむしろ想像力の方が重要である事を考えれば、確かにクワイエル達はまだまだ未熟

である。

 例えば虫人が作っていた作品、あのどれ一つを取っても、クワイエル達には理解して作るどころか、真

似る事さえ難しいだろう。それは虫人達の想像力との間にそれだけ大きな差があるという事で、未知を未

知のまま理解出来ないという事は、確かに仕方ない部分はあるけれども、魔術の力関係においてもはっき

りと大きな差があるという事を意味している。

 自分には理解出来ない。よく使われるだろうこの言葉も、魔術の世界では死活問題である。

 虫人達の芸術、それに触れた時にクワイエル達がどう感じ、今どう考えているかは知らないが。これは

彼らが考えている以上に重要な出会いであり、実は一つのはっきりとした事実を突き付けられていたので

あった。

 しかし例えそれを理解していたとしても、クワイエル達は立ち止まる事も引き返す事もしなかっただろ

う。そして不恰好な魔術を用い、死ぬまで必死で足掻き続けるのだろう。

 それが彼らであり、魔術師というものの生き方そのものでもある。ようするに頑固なのだ。




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