14-10.

 待つのに飽きたクワイエルは勝手に進んでみる事にした。

 しかしどこへ行けば良いのかが解らない。

 四方は壁に囲まれている。その壁の一つが開き、屈強種はその奥へ消えた。後は同じように壁が閉じ、

今に至る。

 試しに開いた壁の側まで近付いてみたが、何も起こらない。コツコツと叩いてみても、これまた何も起

こらない。

「もしもーし。もしもーし」

 返事も無いようだ。

 壁に張り付くようにして手掛かりがないかと探してみるが、そんなものはどこにもなかった。継ぎ目な

くぴったりと繋がった壁を見ていると、開いていた事が嘘に思えてくる。

 あれは幻覚か錯覚で、本当は別の方法で向こう側へ行ったのではないかと。

 このように何の成果も得られなかったが、クワイエルは興味の対象さえあれば、時を忘れてそれに集中

する事ができる。誰も居ない、文句も言われないのなら丁度いいと思って、壁やら床やら穴やらを思う存

分に調べ始めた。

 壁を叩いても声をかけても何も起こらなかったのだから、少々調べようと何をしようと、怒りはしない

だろう、といういつもの楽観的かつ都合のいい考えである。

 魔術師はいつどこに居ても魔術師であるらしい。

 それともクワイエルは変わり者揃いの魔術師の中でも、飛び抜けて変わり者なのだろうか。

 この大陸の種と比べても遜色ない変人ぶりを見ていると、それが正しい考えであるような気がしてくる。

 ともかく、当てもなく探し始めてから、暫くの時間が流れた。



 前触れなく壁が開いた時、丁度クワイエルは穴に頭を突っ込んで、階下を眺めていた所だった。そこに

も屈強種が多く居て、それぞれに行動している。見ているだけで面白い。

 屈強種達もじっと自分達を眺めているクワイエルを咎(とが)めるでもなく、無視している。都合が良

かった。

 彼らが無視できるのは、一々視線なんか気にしていたら、こんな場所には居られないからだろう。他者

の視線を迷惑に思うという考え自体、彼らには存在しないのかもしれない。

 そんな事に夢中になっていたので、壁が開いて案内の屈強種が現れ、背後から不思議そうに彼を眺めて

いるのにも全く気付かなかった。

 屈強種は暫く観察していたようだが、やがて害がない事を悟ったのかつかつかと近寄り、おもむろにむ

んずと掴むと、クワイエルを引き摺り上げ、来た時と同じように肩に担いで壁の向こうへと進んで行く。

 クワイエルは驚いたが、声を上げるような事はしない。むしろ勝手に運んでくれるので、楽なものだと

さえ思っていた。

 もしその心を屈強種が知れば、腹を立てて放り出したかもしれないが、幸いな事に心は読まれなかった

ようで、何事もなく過ぎている。

 そして壁を通り抜けて一分も進んだか進まなかったくらいの場所でクワイエルは降ろされ、ある方向を

向かされた。

 ぼんやりした頭でそちらを眺めると、そこには他より一回りも二回りも大きな屈強種が居た。

 鍛えているのか、何か意味があるのか、しきりに身体を動かしている。その度に身に感じる魔力波が強

まり、魔術で強化されていて尚痛みのようなものを感じる。

 もしこの魔術がかけられていなければ、一瞬でクワイエルの五体は粉微塵に吹き飛ばされていたかもし

れない。その存在そのものを砕く程、その魔力波は強かった。

「!!!、!!!!!!」

 案内の屈強種が何事かを述べると、大屈強種は動きを止めてこちらへ向き、手を振った。

 屈強種が黙って帰った所を見ると、下がれ、という意味なのだろう。

 なるほどなるほどとクワイエルが感心していると、大屈強種は無造作に近づいてきて、品定めでもする

ように眺めた後、言葉を発した。

「お前は何者だ。どこから来た。どうやら東の者ではなさそうだが」

 察するに誤解はすでに解けているらしい。確かに良く見れば、クワイエルが鎧種と違う事は簡単に解る。

背格好は似ていても、似ているのはそれだけだ。屈強種程の魔力がなくとも、簡単に判別できるだろう。

 だがそれでもここへ連れて来たという事は、鎧種と何らかの関係があるかもしれないと警戒されている

可能性がある。言葉を慎重に選ぶべきだった。

「我々は遥か南から来た者で、この大陸を調査しております。お察しの通り、東の方達とも、貴方達とも、

特に関係はありません」

「ほお、調査とな。では巡礼者ではないのか」

 大屈強種は不思議そうに問うてくる。クワイエルはごくまともに答えたつもりだったが、彼らからする

と意外な答えであったらしい。顔の作りが全く違っても、こいつおかしな奴だ、と考えている事は、何と

なく察せられる。おかしいのはお互い様だとクワイエルは思ったが、それは伏せておいた。

 今はそんな事よりも気にかかる事がある。

 巡礼者。これはどういう意味なのだろう。

「巡礼者。それはどういう意味なのですか」

「知らないのか」

「はい、まったく」

「そうか、ならそれでいい。知らないという事は、間違いあるまい」

 大屈強種はそれ以後、クワイエルから全く興味を失ったように無視し、来た時と同じく独りで身体を動

かし始めた。

 クワイエルは魔力を高めながら襲い来る魔力波に耐えていたが、いつの間にか背後に案内してくれた屈

強種が居て、三度担がれて運ばれ、最後には最初に居た牢に入れられてしまった。

 クワイエルは担がれながら色々聞いてみたが、何一つ答えてくれない。

 もしかしたら聴こえていないのかもしれないと思い、言語を思念にかえて直接彼の思考に送ってみたり

もしたが、全て無駄だった。結界でも張っているのか、魔術自体が屈強種に届いていないようだ。

 クワイエル程度の魔術では歯が立たない。普段から魔力を防いでいるのか、思念波も全て途中で打ち消

されてしまっている。

 全ては無駄だと悟らせる為だろう。その光景が感覚的に良く見えるようにされていた。

 これではもうどうしようもない。流石のクワイエルも諦め、黙って大人しくしているしかなくなってし

まった。



 牢に戻ってきたが、状況は不明のままだ。

 命を奪われなかったのはありがたいが。仲間の行方も、これからどうなるかも解らない。この場所に仲

間達も囚われているのだとしたら、同じようにあの大屈強種の許へ連れて行かれるのだろうか。

 それを確認しようにも牢内は完全に閉ざされていて、方法が無い。

 腹も減らないし、眠くもないが、それだけに何をして良いかが解らなくなる。むしろ他の悩みがないだ

け目の前にある問題が際立ち、心を揺さぶられる。結局また手持ち無沙汰に戻ったのである。

 仕方ないのでまだかかったままの屈強種の魔術を研究してみる事にした。

 この魔術の構成自体は単純であるようだ。クワイエル達の使うものとほとんど変わりはない。ただそこ

に使われている魔力が半端なものではなく、クワイエル達の数十倍、下手すれば数百倍もの力が込められ

ている。

 大き過ぎて正確には量れないが、そのくらいの強さはありそうだ。

 それから後も(他にする事がないので)ずっと調べていたが、結局解ったのはそれくらいで、圧倒的な

魔力差がある以上、クワイエル達には抵抗もできなければ、解き明かす事もできないという事実を確認で

きただけに終わった。

 もう数段階は魔力を強化しなければ、これ以上先へは進めないのだろう。いつかの巨人と同じく、ここ

が先へ進む為の試練なのかもしれない。

 これから当たり前のようにあの大屈強種のような存在が出てくるのだとしたら、今のままの魔力では簡

単に打ち消されてしまう。

「厄介な事になったな」

 クワイエルは溜息でももらすようにそう呟いたが、その顔はむしろ楽しそうで、どちらかといえば笑っ

ていた。



 ハーヴィが目覚めた時、そこには何もないこじんまりした空間が広がっていた。丁度クワイエルが居た

牢とそっくり同じであるが、ハーヴィには解らない。

 身体を確かめてみるが、痛みも何も感じない。

 記憶を思い返してみると、覚えている事と言えば、鎧種に捕まってそのまま何処かへ連れて行かれた、

という事だけだった。その速度は余りにも速く、不覚にもハーヴィは耐え切れずに気を失ってしまったら

しい。景色などもよく覚えていない。或いは何か魔術をかけられていたのか。

 試しに周囲の魔力を感じ取ってみたが、何も感じ取れない。結局、ここが閉じた空間である事を思い知

らされただけだった。

 ハーヴィは牢に入れられたのだろうと察した。それ以外にこの場所を閉ざす意味はない。

 そして暫くすると、腹も減らなければ疲れもしない事に気付く。とりあえず命の心配はないと知り、同

じく捕らえられているだろう仲間達の身にも危険はないと思ってほっとしたが、これでは永遠に閉じ込め

られても解らないような気がして、少し不安を覚えてもいる。

 一体仲間達は何処に居るのだろう。それとも皆はまだあの場所に居て、さらわれたのは自分一人だけな

のだろうか。

 確かにそういう可能性はある。早くここを脱出して皆のもとに帰りたいが、ハーヴィの力では強引に出

る事はできそうにない。

 その事は嫌なくらいによく理解できた。そしてそれが理解できた以上、無謀な真似はできない。ここは

力を温存し、蓄え、例え何もする事ができないとしても、いざという時の為に備えておく事の方が、まだ

可能性はあるだろうと考えたのである。

 ハーヴィは冷静だ。こういう場合は下手に動かない。いや、動けない。だからそれが長所でもあるが、

短所でもある。

 考えた結果、瞑想して魔力を高める事に決めた。

 この空間の時間が止まっているのだとしたら、それも無意味な事なのかもしれなかったが。



 突然目の前が開く。光が差し、初めて全ての時間が動き始めたかのような不思議な感覚を覚えた。

 目の前にはハーヴィよりも小柄な何者かが居る。よく見ると、鎧種の中身だと解った。

 あの戦場跡で見た遺体とそっくりそのままの姿だ。細部は違うのだろうが、よく解らない。

 鎧種はどうやら付いてくるように言っているらしい。何度か手招きするような身振りをした後、さっさ

と一人で歩き始める。まるでハーヴィが囚人ではないかのように、それはあまりにも警戒心のない姿で、

思わず自分の置かれている状況を勘違いしそうになった。

 しかしよく考えてみれば、それはここから出られないという絶対の自信であり、ハーヴィに勝ち目がな

い事がはっきりしているからだろう。

 でなければ鎧種が鎧をまとわずに来る訳がないし、今歩いているこの場所もこんなに静かではないだろ

う。警戒する必要がないからこそ、鎧種は無警戒なのだ。

 試しに魔術を構成してみようとしたが、不可視の力がそれを阻むのを感じた。封じられているというよ

りは、がっちりと押え付けられている。魔力が外へ出て行かない。

 つまり魔術を体外にて行使する事ができない。

 では体内ではどうか。

 これは簡単に成功した。だがそれがどうだというのだろう。

 例えば内臓を活発にしたりして、治癒力を高めたり解毒作用を促したりはできる。内側の筋力を増す事

も可能だ。

 でもだからどうなる。そんなものは何の役にも立たない。

 いっそ殴りかかってみようかとも考えたが、こうして生身をさらしている以上、いや、違う。彼らもハ

ーヴィ達がそうしているように、衣服を着ている。それは薄くて身体にぴったりと張り付いていて、とて

も強度があるようには思えなかったが、その素材は今までに見た事がないものだ。油断できない。

 魔力が体内に閉じ込められるのだとしたら、それを感じられないだけで、この衣服にも強力な魔術がか

かっているのかもしれない。

 堂々と背中を見せ、その上ハーヴィに拘束具さえつけていない。これらから考えれば、よほど自信があ

り、そうあるだけの根拠があるように思う。

 それにもし鎧種を、例えば気雑させる事ができたとしても、それでどうなるだろう。この場所にはまだ

多くの鎧種が居るだろうし、自分がどこに居るか、どんな状況にあるのかさえ解っていないハーヴィでは、

結局鎧種の敵意を買うだけで、何も良い事はない。

 何をどう考えたとしても、余計な事をしないのが賢明であると考えられた。

 そう考えられる以上、動けないのがハーヴィだ。

 だから腹を括(くく)った。どうせ勝ち目がないのなら、自分の行く末を素直に見てみるのも一興なの

ではないかと。

 もしそれで命を失うのだとしても、それはそれで仕方がない。それにハーヴィを殺そうと思えばいつで

もできたはず。それをしていないという事は、相手に殺す意思がない、という事かもしれない。

 ハーヴィは精神を集中させ、あらゆる事態に備えた。



 細長い通路を歩かされているが、ハーヴィの体格でも狭く感じる事はない。広大という程ではないが、

狭くはない。むしろ広いといえるだろう。

 小柄な鎧種と比べると違和感があるが、多分鎧を着た時を考えて設計されているのだろう。ハーヴィが

見た所、鎧を着ても四人は横に並べる。これだけの広さがあれば、通路としては充分だと思えた。

 ただし、天井は低めだ。横の長さの半分もないかもしれない。そう、横が細いのではなくて、縦が細く

なっているのだ。

 これは多分実用を重視して自然とこうなったもので、彼らが合理的な考えを持つ種である事を示してい

るように思える。設計は単純なもので、華美さがない。

 例えその人自身を見なくとも、知らなくとも、生きる環境を見ていると何となく解る事はある。勿論、

それだけでは解らない事も多いが。

 しかし何と言う長さだろう。歩き始めてから何時間も変わり映えのしない景色を歩いているような気が

する。景色に変化がない事とあいまって、疲労感が強い。鎧種達はどうなのだろうかと思うが、平然と一

定の速度と歩幅を保ったまま淡々と歩いている姿を後ろから見ていると、そういう精神的疲労そのものを

感じない種なのかもしれない、と思ったりもする。

 ただ使えればよく、そこに美観や風情など余計なものを必要としない。余計な事も話さないし、余計な

動きもしない。その歩き方を数時間(体感時間だから正確ではないが)も見ていると、おぼろげながら彼

らの考え方が解ったような気がした。

 それがそういう風に思わされているだけだという可能性もあるが、そんな事をした所で彼らに得な事は

何一つ無い。それともこれは何かの実験で、ハーヴィを調べる為に、わざとさせている事なのだろうか。

 通路は常に真っ直ぐで、曲がったような記憶はない。防衛の為にそういう錯覚を起こさせる作りをして

いると考えられない事もない。

 いや、止めよう。

 解らない事にいつまでも拘っていてもしかたがないので、ハーヴィは頭がおかしくなる前に、それらを

考える事を止めた。

 鬼人の集落に居た時の彼からは考えられない事だが、クワイエルと付き合ってきてしまったせいで、(多

分)良い意味で力を抜く事を学んだのだろう。不思議な事に、ハーヴィはクワイエルを尊敬してさえいる。

あの飄々(ひょうひょう)として掴み所のない所が、大物であるという。

 それは計り知れないからこそ大きな人物だという解釈だが。クワイエルに関して言うなら、初めから計

れるようなものが何一つ無い、という方が当たっているような気もする。ハーヴィは基本的に生真面目で、

その上に優しさもあって良い人物ではあるが、そうであるが為に変なものに騙されやすいという欠点があ

るのだろう。

 それでもそうであるからこそクワイエルと長く付き合えてこれた訳で、人間と鬼人の仲を良好にする為

には、勘違いしてくれていて良かったのかもしれない。

 もしもう少しハーヴィが捻くれていたとしたら、クワイエルと反発しあい、今のような関係は築けなか

った筈だ。

 そうなってしまえば、他大陸から勝手に移住してきた人間達は初めの第一歩の段階でつまづく事になっ

て、発展どころか、ほうほうの体で逃げ出す破目になっていただろう。

 もしそうなら、このレムーヴァという大陸はクワイエルなどという変人に関わらずにすみ、多くの種族

達も静かに変わらずに過ごせていたのかもしれない。

 果たしてこの出会いは幸運だったのか、それとも不運だったのか、未だ誰にも判別する事はできない。



 流石のハーヴィもいい加減どこまで歩くのか聞いてみようとした矢先、まるでそれを待っていたかのよ

うに鎧種が振り返り。

「こっちだ」

 と前触れ無く直角に右折した。

 ハーヴィが出かけた言葉を飲み込みながら慌てて追うと、少し先に扉を外した枠組みのようなものがあ

るのが見えた。

 初めはわざわざ取り外したのかと思ったのだが、近くで見てもそういう痕跡は何もない。多分初めから

こういう作りなのだろう。扉はないが、ここがこの部屋と廊下との区切りである、という事をはっきりと

主張している。

 確かに扉なんか付けない方が出入りには便利だが、それで良いのだろうか。

 彼らには個人的なものはないのか。それさえ合理的ではないとして、捨ててしまったのか。

 だとすると、ちょっと困った事になる。理に適わない事ばかりしているハーヴィ達としては、そんな相

手に自分達の目的をどう説明していいのか解らない。

 そもそもこの大陸を調査するという事自体が、とても非合理的で他者からは理解出来ない考えである。

それをどう合理的に説明するのか。さすがのハーヴィも頭を悩ませるしかない。

 言葉は当たり前のように通じているようだから、その点の心配はないが、どうしたものか。

 いや、言葉が通じているという事はハーヴィ達をとうに調べているという事で、すでに言うべき事はな

いのか。例えば記憶を読み取ったりして、ハーヴィに関する全ての知識を得ている。でもそれを理解でき

ないから呼び出した。そう考えるのが妥当ではないだろうか。

 つまり、どうなるにしても、どうにもならない、という事である。

「うーむ」

 ハーヴィは困り、どうしたものかと悩んだ。しかし答えは相変わらず何一つとして浮かんでこない。

 そして何も解決できないままに、その場所へ入る。

 そこは広々とした一室で、区切りのない部屋だった。

 家具の類も見えず、隅には例の鎧が置かれ、奥には先導してくれた鎧種と似たような背格好をした誰か

が一人だけ居る。

「ようこそ」

 幸いにも、かけられた声には敵意が込められていないように思えた。




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