14-9.

 クワイエル達はようやく自分達におきていた異変に気付く。

 つまり、いつの間にかまとわりついていた臭気が、彼らの居場所をはっきりと示していた事に。

 慌てて両手で振り払おうとしたが、効果は無い。まるで物質としては存在していないかのように、確か

にそこにあるのに触れる事ができない。

 お互いの居場所を見失わずに済む事になったが、これでは身を隠す魔術を使った意味がなくなる。幸い

まだ気付かれていないようだが、こんな目立つ姿で進んでいたら、嫌でも気付いてしまうだろう。

 この異常な臭気の塊を目にしたら、誰も見過ごしできない。この地に居る二種族が争っているのだとし

たら尚更だ。

 クワイエル達は振り払うのを諦めて必死に走る事にしたが、今までも相当な速さで移動していたので、

そんなに変わる訳ではない。むしろ気持ちが焦っている分、遅くなっているかもしれない。

 しかし何なのだろうこの臭気は。何故クワイエル達に群がり集まるのか。

 これは罠か。それとも、本当に怨念なのだろうか。

「・・・・・・・」

 クワイエルもハーヴィも何も言う事ができない。推測ならいくらでもできるが、今はそのような不確か

な事を述べて遊んでいる場合ではなかった。

「マン、ウル ・・・ 我に、力を」

 試しに魔力を増幅して放ってみたが、臭気には全く効果が無い。それどころか、まるで魔力を喰らうか

のように、魔術を吸収してしまう。もしかしたら臭気はクワイエル達を追っているのではなく、彼らが行

使している魔術に対して反応しているのかもしれない。

 そういえば行使している魔術の効果が弱まり・・・、いや消えているものもあるような気がする。

 急ぐ頭では冷静に考える事ができないが、そんな気がするという事は、多分そういう事なのだろう。窮

地にある時、人は不思議と勘が働く時がある。

 勿論、これも不確かな推測でしかないが。

「仕方ない、全て切りましょう」

 クワイエルは即座に判断し、全ての魔術を消した。たちまちクワイエルの姿があらわになったが、今の

状況では同じ事だ。

 ハーヴィ達もクワイエルにならって魔術を全て消す。

 するとあれだけまとわりついていた臭気がその途端に薄くなり、数秒すると消えてしまった。

 ほっとしたが、これでは普通に走り回っているのと同じ。もし誰かがこの付近に居たなら、すぐに気付

かれてしまう状況に変わりない。

 だがそこはクワイエルも少しだけ考えていた。すぐに筋力増強の魔術を全員にかけ、肉体を強化させて

強引に速度を上げたのである。

 当然、例の臭気が再びまとわり付いてくるが、もう姿を現しているので関係ない。どの道覚られてしま

うのだから、開き直って速度を上げる事だけを考えようとしたのだ。

 こうしてみるみる速度を上げ、クワイエル達は矢のように突き進んで行ったが。勿論、それで押し切れ

る程この大陸は甘くなかった。



 勝負?は一瞬で決まった。

 どこからともなく屈強の肉体をさらけ出した種と、がちがちに鎧で身を固めた種が現れ、クワイエル達

をさらってしまったのだ。

 抵抗などできはしない。気が付くと彼らの手中に居たといった方が正確だろう。自分がさらわれた事に

さえ、さらわれた後に気付いた。

 こう書けば間抜けに聞こえるが、それだけ力に差があるという事である。しかも相手は一人や二人では

ない。どちらも何十という数が現れ、クワイエル達を襲った。抵抗しろという方が無理なのだ。

 両者は前と同じように戦いを始めたのか、遠ざかる彼方からあの膨大な魔力波が迫るのを感じる。

 クワイエルはせめてあの戦いに誰も巻き込まれない事だけを祈り、後は運を天に任せる事にした。

「そうする外に、どうしろというんだ」

 腹立ち紛れに放ったその言葉は、誰かに届いたのだろうか。



 危害を加えられる事はなく、思ったよりも丁重な扱いを受け、狭い部屋にクワイエルは入れられた。他

には誰も居ない、彼一人である。一人部屋なのかもしれない。

 耳を澄ましてみたが、何も聴こえない。精神を研ぎ澄ましてみたが、何も感じない。おそらくここはそ

ういう風に閉ざされている部屋なのだろう。

 つまりは牢。

 クワイエルはさらったのは屈強の肉体の方だった筈。それなら多分あの場所から西に運ばれたのだろう。

こちらの種の遺体は皆東を向いていた筈だ。

 でもそんな事が解った所で、どうなるものでもない。

「何か、何か手はないか・・・」

 彼は珍しく焦っていた。仲間の安否すら解らない状況に対し、そして結局は自分の判断のおかげでそう

なった事に対し、不安と不満を覚え、それ以上に自分自身に対して怒りを抱いているのだろう。

 クワイエルはそれで自暴自棄な行動、例えば拳を振り上げて側の壁を何も考えず殴り続けるとか、そう

いう事はしなかったが。明らかにその顔にはそれに似た感情が溢れていた。むしろそうした行動に出る事

ができない事が、彼の苛立ちを増させていたと言えるのかもしれない。

 性分というのはしょうがないものだが。それだけに腹が立つ時もある。

 彼だって一人の人間だ。それがこうして不安な状況に追いやられ、その上何も解らないのだから、いつ

もとは違った反応を示して当然だろ・・・・。

「一の一は珊瑚の尻尾。二の二は後光の真髄。三の三は身に付く後塵。四の四は消え逝く山葵」

 ・・・いや、クワイエルはどこまでもクワイエルだったようだ。

 焦っている自分を恥じたのか、魔術師に伝わるらしい唄のようなものを謡(うた)いながら、心を落ち

着かせ始めている。切り替えが速いというべきか、だからこそ魔術師だと言うべきか。

 確かに焦るだけ無駄であるし、仲間の事を考えても、今焦って力を使うよりは温存していざという時に

備える方が良いに決まっている。そしてそれが良いに決まっているのであれば、それをやらない法はない。

 単純に考えれば、その分だけ切り替えを早くできる。複雑に抽象的に、混沌とした思考の中で無造作に

悩んでいるから、人はいつまでも無意味に時間を浪費していくのだ。

 そんな事を考えていたのかは知らないが、クワイエルは一般的に最重要と考えられている執着と後悔と

いう無駄な感情を前向きに捨ててしまった。

 そして呟きから次第に瞑想へと移行し、その力を高め始めたのだった。

 一度決まれば、もう迷う事はない。

 彼は紛れもない変人だが、それだけにおかしな状況には強かったようだ。



 どれくらいの時間が流れただろう。この部屋には時を感じさせるものが一切ないので、それを知る事が

できない。まるで時が止まってしまったように静かで、何も起こらない。まさに閉ざされた場所。

 そういえば腹も減らないし、喉もかわかない。疲れもしなければ、トイレに行きたくもならない。もし

かしたらそういった全ても魔術で閉ざされてしまっているのだろうか。まるで肉体を流れる筈の時間を止

められてしまったかのように。

「これは一つの考えだ」

 ふと思い付いた考えだったが、そう的外れなものでもないような気がした。そうする事で様々な面倒を

省略する事ができるし、確かに閉じ込めるには一番良い方法だろう。いつまでも死にはしないし、腐りも

しない。

 自殺はできるかもしれないが、それを試すような気にはなれなかった。少なくともこうして生かしてい

るという事は、今はまだ殺す気が無いという事だ。それならまだ仲間達と助かる道を見付けられるかもし

れない。

 あの種が何を考え、何の為にさらったのかは解らないが、クワイエル達とは直接的には関係はなく、憎

み合っている訳ではない。話し合えば方法が見付かるかもしれない。

 勿論、それはただの希望だったが。そうならないという理由も無い。ならそう思っておいた方が気楽に

なれるし、精神的健康を保てる。そしてそれは、こういう事態において、一番大事な事だろう。

 こうしてクワイエルは更に長い長い時間を過ごした、ように思えた。



 不意に暖かい光が彼を差す。それは眩しい程ではなかったが、はっきりと明るさを感じられる程の強さ

を備えており、明らかに今まで室内で浴びていた光とは違った。そしてその光を浴びた時、クワイエルは

自分の肉体が再び動き始めたかのような、不思議な感覚を味わっている。

「・・・・・・」

 目の前にはいつの間にか扉が現れ、それが開いていて、扉の外には屈強の種が一人立ち、大きな腕で外

に出るように示しているのが見える。こういう身振りは種族問わず共通なのだろうかと場違いな疑問を抱

きつつ、クワイエルは素直に立ち上がり、部屋を出た。

 外には広い空間が広がっているようだったが、そのほとんど全てを同じような小部屋が埋めていて、ど

うも窮屈な感じがした。

 それは屈強の種が大きかったからかもしれない。彼らと見比べると、どうしても狭く感じる。つまり、

この牢は彼らを入れる為のものではなく、クワイエル達と同じくらいの背丈の存在、鎧種を入れる為のも

のなのだろう。

 そう考えると新たな疑問が導き出されてくる。

「鎧種の仲間だと思われているのかもしれないな」

 思わず口に出したクワイエルを屈強種が睨む。黙って歩けという事なのだろう。彼の気持ちが理解でき

る事は嬉しかったが、この状況では喜んでいる訳にもいかない。しかし意思疎通ができそうだと解った事

は収穫だった。

 そして思うのは。

 一体どれだけの時間が流れたのかという事。

 もしかしたら一瞬かもしれないし、永遠かもしれない。例えどちらであったとしても、あの部屋にいた

ら区別できないだろう。時間を止められるという事は、そういう事である。

 少し不安になったが、同じように捕らえられた仲間が居たのなら、同じように同じだけの時間をあの部

屋で過ごしている筈で、片方だけがその時間に取り残されるという事はないだろう。必ず再会する事がで

きる筈だ。

 もし鎧種にさらわれてしまった仲間が居るのなら、それもどうなるかは解らなくなるが。今それを考え

ても仕方ない。できる事を懸命にやるしかないだろう。

 クワイエルは仲間達の無事を祈りながら、屈強種の後を付いて進んだ。



 牢のあった空間を出ると、そこには更に広い空間が広がっていた。ただし天井は低い。クワイエルの身

長から見ると充分高いが、屈強種と比べるとどうしても窮屈に見える。その代わりに奥行きが広い。どこ

までも続くかのような空間が広がり、果てが見えない。

 そしてその中を数多くの屈強種達が思い思いに過ごしている。個人的なものは尊重されないのか、気に

しないのか、ここがそういう場所なだけなのか、どこにも仕切りはなく、部屋という物は存在していない

ようだ。その空間の一部分が居場所として与えられている。そしてその事に不満を抱いている様子もない、

ように感じる。

 不思議な作りだが、その疑問は程無く晴れた。

 この建物は数多くの階層に分かれていて、屈強種達は上下に開けられた穴を跳び上がったり、跳び下り

たりして移動している。天井が低かったのは移動しやすいようにと、階層数を増やす為なのだろう。どの

階も屈強種達で埋まっていて、彼ら全てを生活させるには、確かに数え切れないくらいの場所が必要だろ

うと思われた。

 何故数が必要か。勿論、戦いに勝つ為だ。

 いつもそうなのかは解らないが、あの一戦を見る限り、一度の戦いで多くの命を失っている。それでも

戦い続けていく為には、戦闘員の数を増やすしかない。まるでその為に生命を産むかのように。

 そう考えると少し悲しくなったが、よく考えてみるとクワイエル達も大差ない。結局力の大きさが違う

だけで、この種と同じ事を同じようにやっている。何も変わらない。

 悲しいと言えば、それが一番悲しい事だろう。

 だが考え方や行動に似た所があるという事は、それだけ近いという事で、分かり合える可能性が高まる

という事を意味する。だからこそ不安にもなるが、だからこそ希望を見出せる、と言う訳だ。

 クワイエルは持ち始めていた希望を強くした。どちらとも見える場合には、良い意味にとっておけばい

い。その状況から逃げられないのなら、その方がましだろう

 何度も階層を移動したが、屈強種が荷物でも担ぐようにして運んでくれたので支障なかった。その厳(い

か)つい肉体からは想像もできない程敏捷性、柔軟性に優れているらしく、跳躍や着地時の衝撃も全く伝

わってこなかった。

 まるで綿がふわりと着地するかのように、重さというものを感じさせない。

 建物の作りはどこも同じで、仕切りの無い大部屋が一つだけの階がそのまま何層も重なっているだけで

あるようだ。その代わりに上下層に移動できる穴は部屋の周囲から中心部にいたるまで多く開けてあり、

緊急時の集団移動にも耐えられるようになっている。

 仕切りがないのも移動時の便を重視した為と考えられる。

 ここは兵の詰め所のような場所だと考えれば良いのか、それともこれが彼らの普通の暮らしなのか。

 クワイエルは益々興味が湧いてきているのか、目を輝かせ、屈強種に注意されない程度にそこら中を観

察し続けている。

 もしもっと友好的な立場でここにきていたとしたら、今頃クワイエルを連れている屈強種は質問攻めに

あって、閉口していただろう。だからこういう立場で護送できた事は、屈強種にとっては幸いだった。

 何十という階を上がり、ひたすら歩き続けて行くと、今までとは違う雰囲気の場所に辿り着いた。

 ここは無数の壁で仕切られているのか、極々近い場所しか見えない。つまりは酷く狭い。出入りする為

の穴も一つしかなく、空気まで硬くなっているように感じる。気のせいか屈強種の態度も緊張したものに

変わっているように見えた。

 クワイエルも次第に気持ちが重苦しくなってくるのを感じ、この先に今までとは桁違いの魔力を持つ者

が居る事が察せられた。この不安は決して抗えない存在に対した時のそれだ。

 この力は先を行く屈強種の比ではない。ただ居るだけで戦闘時に感じたのと同程度の魔力波を感じる。

圧力として感じられる程に強く、それでもおそらく抑えているのだと考えれば、自然とその力を推測する

事ができる。

 この力は、あのフィヨルスヴィズにも匹敵、いや凌駕するものかもしれない。

 これだけの力をこの階層に来るまで感じなかったのだとしたら、この場所には結界のようなものが張ら

れているのだろう。この厖大(ぼうだい)な魔力波は、屈強種達にとっても毒なのか。それとも外(ほか)

に理由があるのだろうか。

「フンディン、シニル、イアリ」

 屈強種がクワイエルに手をかざす。するとクワイエルが感じていた魔力波が急激に弱まり、体の全てに

力が満ちていくのを感じた。まるで子供が屈強の戦士に成長したかのように、劇的な変化が生じている。

 だが肉体自体には変化は見られない。力強い匂いというのか、性質としては真逆だが、あの死体から彷

徨(さまよ)い出てきた臭気に近いものが見える以外は。まさかこれが彼らの魔術の形態なのだろうか。

 理論上、魔術はそれを想像できる限り、どんなものでも現実にする事ができる。だからその形も様々な

筈だが、種によって形などに傾向がある事が多い。特に誰かに教えを受けている場合、その師と共通する

事は珍しくなく。ここレムーヴァでもそれが音であったり、その他の感じ取れないものであったり、実に

その形は様々だが、同種内では共通している事が多かった。

 例えばクワイエル達が使う場合は、光のようなものとして現れる事が多い。それが彼らの抱く、魔術の

一般的というべきか、描きやすい姿なのだろう。

 魔術は想像を現実にするという事なのだから、それが影響するのは自然だ。

 でもそうなるとまた一つ疑問が浮かんでくる。

 クワイエル達が捕まる原因となったあの臭気は、確か一種類だった。それはつまり、一種類の魔術しか

なかったという事だ。

 だがあの場所には二つの種が、正確には死体が、居る。それなのに何故、一種類の魔術しか発動しなか

ったのだろう。どちらの死体からもそれが発せられたようだったのに、何故それが同種の魔術なのか。

 考えられる答えは三つ。

 たまたまどちらか一方の種の魔術しか発動しなかった。もしくは一方の魔術しかかけられていなかった。

 どちらも元は同じ種である。

 彼らの思い描く想像の形が同じというくらいに近い。

 どれが答えか、四つ目の答えがあるのかも解らないが。もしどちらも同じ所から発している種だとした

ら、少し面白い事になりそうだ。

 不謹慎というか、場違いかもしれないが、クワイエルはその仮定に酷く興味をそそられた。そして突き

詰めて考えていく。

 同じ場所で争っている。そして個体差が激しく安定していない。これらを考えると、屈強種はより強く

なる為に自らの肉体を改造したのではないだろうか。

 元々は鎧種と同じ程度の背格好の種が、何らかの理由で、同じ目的の為に、一方は武具を進化させ、一

方は肉体改造を進めた。そう考えると、ただの領土争いではなく、もっと信条的なそういうもので争って

いるのかもしれない。

「もしそうなら、和解させるのは不可能かもしれないな」

 クワイエルは更なる情報を欲した。



 屈強種のおかげでこの場に満ちる魔力波にも動じなくなり、疲れもどこかに消えてしまった。

 これ程の魔術を使う事ができたらもっと探索が楽になるのにと思うと、溜息を吐きたい気持ちにさせら

れるが、クワイエルは気持ちが沈む前にその無駄な考えを捨てている。

 役に立たないものはさっさと捨てる。合理的な、冷たくもある精神も、こういう時には役に立つ。いつ

までも感情に縛られているだけが、人間ではないだろう。

 人はその感情に囚われるのではなく、乗り越える為に生きている。その証拠に、そういう気持ちに囚わ

れると心がすぐに病んでしまう。その耐久力の無さが、逆にそれに囚われる事の必要性を否定していると

いえないだろうか。

 その必要がないからこそ、一々囚われる必要がないからこそ、それに対する耐久力がないのだ。多分。

 クワイエルはそのような事を考えながら、変化を楽しんでいた。

 つまりは暇なのである。

 何故なら、彼は穴の側で一人待たされているからだ。

 多分報告の為なのだろう、屈強種はクワイエルが考えている間にさっさと行ってしまった。

 それからまだ数分しか経っていない筈だが、それが数時間のようにも感じられる。肉体的には強化され

ても、精神的な感覚はそのままなようで、ただ待っているのは暇過ぎる。

 それだけその事に集中しているという事かもしれないが、その集中力もまたちょっとした無駄だった。

 ハーヴィに倣って瞑想でもできればいいのだが、屈強種がいつ返ってくるか解らないので、ぼーっとし

ている訳にもいかない。

 緊張感があるのに手持ち無沙汰、クワイエルとしてもこれはなかなかに厄介な状態だった。




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