14-8.

 足跡を見付けた。

 大きな足跡、小さな足跡、中くらいの足跡、大きさも長さもばらばらの足跡が、かなりの数見付かって

いる。何かの集団が通り抜けたのだろう。

 こんなに解りやすい痕跡が、しかも簡単に見付かるのは珍しい。多分、自分達を隠そうという意思がな

いのだろう。この大陸の種程の力があれば身を隠す必要もない筈で、今まで罠とかそういうのばかりだっ

た事の方がむしろ不自然なのかもしれない。

 力があればこそ身を隠したがるという心理も解るし、それだけ自分の領域を大事にしているという事な

のだろうが。こうして開けっぴろげに見せてくれる方が、クワイエル達としては安心できる。そういう意

味でクワイエル好みの種だといえた。

 勿論、この種が他種族嫌いではない、という保障はどこにもない。

 自分を隠さないからと言っても、友好的な種であるという事にはならないからだ。

 それでもクワイエル達は素直に足跡を辿っていく事にした。早々に当てができたので気分も何だかよく

なって、歩いていく姿も陽気に見える。

 緊張感がなさ過ぎるような気もするが、まあいつもこんなものだ。どこか抜けているというのか、緊張

していても何となく力は抜いているのが魔術師のあるべき姿である。

「休憩を取りましょう」

 クワイエルの言葉で皆思い思いに身体を休める。

 足跡は果てしなく続いている。木々の奥、そのまた奥までありそうだ。試しに透視の魔術を使ってみた

が、視界の続く限り足跡は続いていた。この分だと一日や二日では達しないかもしれない。

 その上足跡の主達も移動し続けているのだろうから、ひょっとしたら永遠に追い付けず、いつまでもこ

の地を回り続けるような破目になってしまう可能性もある。

 それを思うと恐くなった・・・と言えばそうではなく、そういう事は考えないのが魔術師である。彼ら

は一周歩いてそれからようやく気付いたとしても、その間に過ぎた時間を決して無駄とは思わない。むし

ろその間夢を追えた事を喜び、良い思い出とするような連中だ。

 クワイエル達はそういう意味では魔術師すら超えている。溢れんばかりに満ちる興味に惹かれながら、

それに執着する事はない。上手く操れるようになっている。

 それはこの大陸にいくらでも彼らの興味を惹けるものがある為かもしれない。執着して新しい他の喜び

を逃すくらいなら、今あるものを諦めてそちらを追う方がいい。つまりより貪欲に好奇心を満たす。魔術

師を超えた魔術師、それが彼らだ。

 レムーヴァ政府が彼らを手放したのは、そういう意味でも正解だったのかもしれない。

 クワイエル達は休憩を小まめに取りながら足跡の主を目指す。

 その目に後悔は一切なく。好奇心と喜びに満ちていた。



 一週間程進むと、足跡の主達の速度が明らかに減少している事に気が付いた。進んできた方角は変わっ

ていないから、目的地に近付いたのかもしれない。これ以上、急ぐ必要は無いとでも言うように。

 もしくは他に何らかの理由ができたのだろうか。

 どちらにしろ、クワイエル達にとってはありがたい。これなら追い付けるかもしれない。追い付いたら

追い付いたでまた難しい事になるかもしれないが、追い付けられずに終わるよりはいい。種の事がはっき

りするし、その分だけ気分もいいというものだ。

 警戒を強め、更に足跡を追う。

 次第に唸り声のような音が聴こえてきた。

 それは一つや二つではなく、無数の声が集まって例えようもない不可思議な音色を奏で、圧倒的な魔力

と共にクワイエル達へと叩き付けられる。

 精神を集中して魔力を最大にまで高めなければ、一瞬で打ちのめされて昏倒してしまう程に、それは強

いものだった。日々魔力が増大し続けているクワイエル達をこんな目に遭わせるのだから、想像を遥かに

超えるような力の持ち主達が、この先には居るのだろう。

 付近の木々もゆがみ、怯えるように身を伏せている。しかし折れるような様子は見えないし、草花です

ら飛ばされるような事はない。もしかしたらこの草木一本にすら、クワイエル達の力は及ばないのか。

 それともこの草木達はこの魔力波の暴風の中でも生きられるように進化、もしくは創造されたのか。

 荒れ狂う魔力波は増す一方で衰える事を知らない。とうとうクワイエル達はそれ以上進めなくなり、木

々にしがみ付いてこの状況に耐えるしかなくなっている。

 一時間、二時間待っても一向に治まる気配がないので、彼らは仕方なく一時下がって、この魔力波が治

まるのを待つ事にした。

 クワイエルを見張りとして一人だけ残し、他の者は慎重にこの場から退いていく。ただ下がる事さえ彼

らには困難だった。



 一時間毎に交代を繰り返して魔力波が衰えるのを待っているが、一向にその気配はない。

 むしろ時間を経る度に強まっていくようで、クワイエル達はどんどん下がっていくしかなかった。

 何とか耐えられるようになれれば良いのだが、この魔力波を克服するには相当の時間が必要だろう。永

遠に続く可能性もなくはないのだから、長期戦を覚悟しなければならない。

 そこでゲルに食糧と水を持って来てもらい、彼らも彼らで付近を探してそれらを得、一月や二月はここ

に滞在できる態勢を整えた。

 素直に諦めて他に行った方が楽なのだろうが、どの道いずれはこういう事態になる。力の差を克服しな

ければならない時がある。以前にも強力な魔力波を浴び続ける事で、飛躍的に魔力を高めたのだ。それと

同じ事をまたやらなければならない。そういう時がきたのである。

 こういう事はこれ以後も度々続けていかなければならないのだろう。

 このレムーヴァという大陸が続く限り、クワイエル達もそこに達せるだけの力を持たなければならない。

それがこの大陸の踏破を目指す者の最低限の資格とでもいうべきもの。

 だがそんな彼らの覚悟を嘲笑うように、三日すると突然魔力波が止んだ。減少したのではなく、突然ぴ

たっと止んだのである。まるで風が止む時のように。

 クワイエル達は不思議に思ったが、この機会を利用しない手はない。

 最も魔力の強い、つまり耐久力のある、クワイエル、ハーヴィの二人が組み、何が起こったのか、何が

起こっていたのかを確認に行く。

 他の三名を残したのは用心の為だ。突然止んだのだから、また突然吹き出すかもしれない。無駄な足掻

きかもしれないが、やらないよりはましだろう。クワイエルも多少は考えるようになっている。

 まあ、それを提案したのはハーヴィだったけれど。



 魔力波が暴れ去った後でも、木々は何事もなかったような姿をしている。草花もそうだ。まるで初めか

ら無かったかのように、ここは穏やかに安定している。何も崩れていない。

「やはり何かあるな」

「そうですね」

 二人は短い言葉で意思疎通する事を心がけ、できるだけ目立たないように進んでいく。それにどれだけ

の効果があるかは解らないが、これもやらないよりはましだろう。

 幸い何も起こらず、以前引き返した場所まで来れたが、何も見付からない。同じように穏やかな空間が

広がり、彼らの記憶を困惑させる。

 慎重に魔力波を感知しながら進んでいるが、もう欠片程もそれを感じない。木々や草花、そういった者

達の穏やかな魔力が満ちているだけだ。

 何の前兆も感じないし、特別な事は何も起こらない。これからもこれまでも、この場所は永遠にこのま

まであるような気になる。

「特に問題はないようだが」

「とにかく、進んでみましょう」

「うむ」

 二人は魔力を高め続ける事に集中し、速度を上げた。確証はないが、二人とも暫くの間はあの強力な魔

力波は来ないと感じたのだ。

 魔力が高まっている今、その感覚は参考にならないものではない。それを証明できる何かがあるから、

そう感じるのだ。それをはっきりと言う事はできないが、確かにそう感じている。

 ならそれを信じるのみ。



 微量な魔力を感じた。

 それは意図して放出されたものではなく、身に秘めていたものが持ち主の意思に反して漏れたような、

弱々しい魔力だった。

 似たような魔力は何度も感じた事がある。

 そう、これは息絶える前の、或いは息絶えてすぐの生物から感じる魔力だ。死の一歩手前、死に繋がる

為の最後の魔術。そう言ってもいい。生物が生まれながらにして自然に持っている、自らを死へ迷い無く

導く為の魔術である。

 これを上手く行えなければ、その魂は永遠に地上かその他の訳のわからない空間を漂う事になり、自然

の輪から外されてしまう、という説がある。

 それを確認した者も、証明できた者も、未だ居ないのだが。そうならない保障もない。

 もしかしたら助ける事ができるかもしれないと思い、二人は身の危険を顧みず、更に速度を上げる。も

しここで何者かから攻撃されれば、それを防ぐ事はできなかったろう。

 だが幸いな事に、ここには死に逝く者以外には、誰も居なかったのである。

 そこには槍のような刃に貫かれた死体があった。

 しっかりと大地に釘付けられたその姿は、標本か何かのように見える。溢れるように流れ出る血が、そ

の傷を受けてからそう長い時が経っていない事を示していたが、すでに命が失われている事は誰の目にも

明らかだ。

 せめて槍だけでも抜こうと思ったのだが、ハーヴィが渾身(こんしん)の力を込めて引いてもびくとも

せず、二人がかりでやってみてもぴくりとも動かない。

 特にそういう魔術がかけられているようではないので、おそらく物凄い力で突き立てられたのだろう。

 死体はいわゆる人型をしているが、人とも鬼人とも細々とした違いがあるようだが、傷だらけの上血

塗れなので、よく解らない。もしかしたら人型ですらないのかもしれない。

 死体は生々しい臭いを放っている。

「遅かったか」

「ええ」

「しかし一体なんなのだ、これは」

「争ったのでしょうね」

「こんなになるまでか」

「ええ」

「まるで戦争だな。いや、もっと酷いか」

「いえ、戦争以上に酷い事なんて、ありはしませんよ」

「かもしれんな」

 暫くその死体を観察していたが、そんな事をしていてもどうしようもないので、二人は付近を探ってみ

る事にした。

 もしかしたらこの生命をここまでにした存在が居るかもしれないし、この死体の仲間が居るかもしれな

い。どちらが居ても危険だが、調べてみる必要があった。

 ここまでの力を持ち、その上その種が攻撃的だとしたら、クワイエル達にとっても捨てて置けない。も

し襲い掛かられでもしたら、抵抗できないだろう。

 強者渦巻くこの大陸ではそれも仕方の無い事、とある意味受け容れてはいるが、なるべくそういう事態

を避けたい。

 少しでも情報を集め、備えておく必要があった。

 だが下手に近付けば、やぶへびになりかねない。慎重に慎重を重ねなければ。

 二人は、音、光、風、におい、影など考えられる限りのものを隠す魔術を考え、詠唱し、身を隠した。

相手が相手だからどこまで通じるかは解らないが、これまた何もしないよりはましだろう。

 警戒さえされていなければ、ある程度ごまかせる自信はあった。

 何の根拠も無い自信ではあったが。



 少し進むと他にも生命の痕跡のような魔力を感じ、それが一つや二つではなく、数え切れない数が散ら

ばっている事が解った。

 つまりこの場所で戦争、或いはそれに類する大規模な殺し合いが繰り広げられたという事である。

 前に感じた魔力波は、その戦いの余波だったのかもしれない。

 無理して近付かず、離れた事は賢明だった。もし強引に進んでいたら、戦いに巻き込まれて、クワイエ

ル達の命など簡単に消し飛ばされてしまっていただろう。

 そう思うと震えが走るのを感じたが。とにかく今は、見付からずに済む事だけを祈り続けるしかない。

 二人は警戒しながら、沢山の死体を見た。

 そして何体もの死体を見ている内に、何となくだがその種の事が解ってきた。

 肉体的特徴から分けると、その死体には二種類ある。

 どちらも人型だが、一方は強靭な肉体をさらし、大きな身体を隠そうともしていない。もう一方は人と

ほとんど変わりない体格だが頑丈な鎧に身を包み、複雑な武器を用いている。

 肉体で勝負するか、道具を用いるか、戦闘の姿勢が、その肉体同様、基本的に異なっている。

 顔の形、腕の数は様々で、もしかしたら改造している可能性もあるが、同種では全て大まかには同じ特

徴を見せているので、顔や腕の数は個体差があるのかもしれない。

 もしそうだとしたら、生命の器としては安定していない事になるので、今まで見てきた種よりも新しく

生まれた種なのかもしれない。

 二人は落ちていた武器などの道具を調べてみたが、どれもこれも完全に破壊されているか、死体を貫い

ていた槍のように動かせなくなっているものばかりだった。

 使えないので捨てられた。そう考えるべきなのだろう。

 道具の重さはまちまちだったが、鎧だけは皆驚くほど軽い。小柄な種の方は、それほど腕力があるので

はないのだろう。或いは単純に動きやすいように軽くしているのか。

 確かにどの鎧も全身をがっちりと覆うようにできているので、これに重さがあると、いくら力があって

も長時間行動する事は難しい。

 しかし間接部はとても柔らかく、どういう風にも可動できるようになっている。そのくせ強度自体は変

わらないようなので、鉄が鉄のまま柔らかく伸びるような、そんな奇妙な感覚がした。

「大体、同程度の数が死んでいるな」

「ええ、互角、と見るべきでしょう」

 死んでいる種の数は二人が見た限りでは拮抗(きっこう)している。この一部だけを見て全てを判断す

る訳にはいかないが、ここだけで見る限り、力関係はどちらが優勢とも言えないようだ。

 一方の死体は皆東を向き、もう一方の死体は皆西を向いている事から考えて、いつもは東西に居て、争

う時だけこうして出てくるのだろう。その理由は解らないが、もし戦力が拮抗しているのなら、この種達

も長い時間争い続けてきたのかもしれない。

 人間と同じように。

「どうする。このまま続けるか、それとも」

「一度戻った方が良いでしょう。我々もいつまでも見付からないとは言えませんし」

「そうだな」

 二人は付近を窺(うかが)いながら、慎重に帰途についた。



 無事帰還した二人は、解った事を細かく仲間達に伝えた。

 その後はいつものように相談して今後の事を考えたのだが、こんな事は初めてなので、良い考えが浮か

んでこない。

 両種がお互いだけを敵と考えてくれれば良いのだが、もしどちらの種も自分達以外は全て敵と考え、だ

からこそ争っているのだとしたら、クワイエル達も見付かり次第殺されてしまう事になる。

 クワイエル達にそれを防ぐ事はできない。一度目を付けられれば終わりだろう。

 それを避けるなら、少しでも早く南下してこの地を大きく迂回するべきだ。ここに居たらいずれ見付か

ってしまう。

 でもそうすると大幅に時間を使ってしまうし、南下したから安全という保障もない。その途上で見付か

ってしまえば、その時点で終わりなのは同じだからだ。

 中途半端に奥まできているので、退くも進むもあまり変わらないような気がする。もしかしたらもう全

てが遅いのかもしれない。

 そこで、どちらに行っても危険なら、初めの目的通り真っ直ぐ北へ向かおう、という事になって、一晩

休んでから、再び北上する事を決めた。

 一番危険な選択に思えるが、生存の可能性としてはどれも同じである。好みで選べばいい。

 一夜明け、幸い発見された様子もなく、生きていられている。

 クワイエル達は手早く準備を整え、クワイエルとハーヴィが使ったできるだけ身を隠す魔術を使い、は

ぐれない為に透明化させたロープをそれぞれがしっかりと握り、いざという時の連絡手段も決め、一応準

備万端で出発した。

 見えていれば、まるで子供の家出みたいな間抜けな格好だが、状況は深刻である。

 流石のクワイエルも緊張を隠せず、ハーヴィもまた落ち着いているようにみえて、その呼吸はいつもよ

りも数段速い。

 自然と他の三名にも緊張が伝わり、この連中には珍しく緊迫感漂う現場になった。

「行きます」

 できるだけの事をした今、ゆっくりしようと急ごうと大した違いはないように思えたので、クワイエル

は初めから速度を出して進む。

 一秒でも早くこの物騒な場所から出たい。逃げたい。それが全員に共通する気分だった。臆病者だと笑

われようと、魔術師らしくないと不思議がられようと、彼らも恐いものは恐い。

 その恐さですら楽しむのが魔術師で、現にどこかそういう所が彼らにもあるとしても、普通に恐いのも

また事実。できれば死にたくはない。むしろ生きたい。そしてこの大陸を踏破したい。

 その純粋な願いは、彼らも一人の生命である事を示していた。

 半日程進んだが、異常はない。

 暴力的な魔力波も感じないし、この地に住まう種の痕跡も見付からなかった。

 念の為、敢えて死体が転がっていた辺りを北上しているのが良かったのかもしれない。

 この種が東西からきているのだとしたら、戦場となった場所は大体その真ん中に当たるはずで、どちら

の種からも一番遠い場所と言う事になる。

 遠いからどうだと言われたら何も言えなくなるが。遠ければ遠い程見付け難くはなる筈だ。

 監視でも置かれていない限り、何とかなるだろう。そう思いたい。

 クワイエル達は見張りが居ないかどうかには特に注意し、出来るだけ急いで北上する。

 警戒しながら急ぐ。慎重にしながら誰よりも速く。おかしな行動に思えるが、今はこれが彼らにとって、

最善の行動であり、選択肢だった。

 必死に進む彼らを、無造作に放り捨てられた死体の群れだけが黙って見送っている。

 そして死者の視線を示すように、生々しい臭いが強くまとわりついてくる。

 しかしその事に彼らは気付いていない。身を隠した事で、自分自身もまた自分の事が解り難くなってい

たのだ。

 皮肉な事に。




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