14-7.

 ユルグは独りで行く事を志願した。

 仲間達はあんな事があったのだからと、せめて二人で行く事を勧め、エルナも一緒に行こうと言ってく

れたのだが、ユルグはどうしても独りで行く必要性を感じていた。

 一つには草などには負けないという想い。

 二つにはこの程度の事くらい独りで乗り越えられなくてどうするという気概。

 ユルグがそう決断する事に、何の不足もなかった。これは自分が乗り越えなければならない壁であって、

例え仲間に支えてもらっても、決して手を貸してもらってはならない。

 独りで這い上がる必要があった。そうしなければ前へ進めない。自分の心の弱さを受け容れているから

こそ、壁を一つ一つきちんと一人で乗り越えていかなければならなかった。

「相変わらず、気味の悪い草だ」

 密集し、協調性の無い姿で視界を覆い尽くす草達。ただそれが在るというだけで不快な気持ちにさせる。

この草達が仕掛けている罠を知った今なら尚更だ。

 できれば焼き尽くしてやりたい、と思う。でもそんな事をすればどうなるか解らないし、この草達には

恐るべき力がある。復讐に囚われてそれをしても、結局何にもならない。乗り越えるという事は、そうい

う意味ではない筈だ。

 ではどういう意味なのだろう。

 ユルグは悩む。

 実は彼女にも何かはっきりした考えがあった訳ではない。思考よりももっと深くて単純な本能の言葉に

従っただけだった。

 乗り越えなければならない事は解るが、その方法までは解らないし、何故そうしなければならないのか

も解らない。それが考えるよりも先に飛び込んできた感情だからだ。

「もう一度罠にかかる、という事ではないと思うが・・・」

 一枚の葉を手に取り、なぞるように眺め見る。魔術で体全体に防護膜を張っているから、ちょっとやそ

っとで傷付く事はないだろう。触るくらいなら平気である。

 その意図を隠す為か、草自体には形以外に特に変わった点は見られない。金属のように硬くはないし、

肌を切りやすい形状をしているといっても、刃のように鋭い訳でもない。

 だから気をつけてさえいれば、例え防護膜がなくても、草の術中にはまるような事はないだろう。

 表面をなぞり、それを確かめる。

 この葉で自分の皮膚を傷付ければ、また同じような夢を見るのだろう。だがそれは一度体験した事で、

すでに乗り越えたといえる事だ。もう一度それができる保証は無いとしても、それを二度できたとして何

が変わる訳でもない。無意味とは言わないが、どうという事はない。

「答えはもっと根本的な事である筈だ」

 ユルグは内なる思考に没頭する。



 初めはハーヴィやクワイエルならどうするだろうとばかり考えていた。どちらも彼女にとっては師であ

り、弟子が師の考え方から手掛かりを得ようとするのは自然な思い付きである。

 しかしすぐにそれではだめな事に気付いた。

 乗り越えるも乗り越えないも、そうする必要があるもないも、全ては個人の問題だ。そこにはその人そ

れぞれの道があり、答えがある訳で、他人に頼っている限り、決して啓く事はできない。

 大事なのは自分で考える事。誰かの考えでも力でもなく、自分で考え、自分なりの、自分だけの答えを

見付ける事。それがつまり乗り越えるという事だと思い直したのである。

 草の悪夢のおかげで、好む好まないに関わらず、自分の弱い部分を知る事ができた。一体何に対して負

い目を感じているのか、抱いている不安の理由は何なのか、それを教えられた。

 だからそれ自体には感謝している。草を許せない心はあるし、物凄く悔しいが、そのおかげで自分とよ

り正面から向き合えるようになった事は確かだと思っている。

「ありがとう」

 ユルグは素直に礼を言った。

 腹を立てている事は変わらないし、この草達は友を侮辱した最も憎むべき敵だ、という認識にも変わら

ない。でも、だからこそ礼を言う。それは彼女の決意の表れであり、言ってみれば前向きな憎しみの姿勢

だった。

 そこに何となくクワイエル臭が漂うのは、気のせいだ。

 どちらにしても今の彼女はそうする事で力を得た。決意という力、断固たる意志を燃やし、戦うだけの

力を得る事ができたのである。

 そんな風にして半日程考えると、ユルグは答えが初めから出ていた事に気付いた。いや、気付いていた

事を初めて認める事ができた、と言うべきかもしれない。

 誰でも認めたくないものがある。でもそれから逃げている限り、一生それに付き纏(まと)われる。逃

げれば逃げるほど、不思議な事に、それは自分を追いかけてくる。

 逃れられる唯一の方法は、結局それと向き合う事だけ。

 ユルグが今この草達を憎んでいるのも、自分の弱さから目を背けたいという心があったからだと思った。

それと向き合わなければならないと理解し、そして頭では向き合っているように思っていても、結局はこ

の草のせいにして逃げていた。

 ユルグはそんな身勝手な自分という心を受け容れたのである。

 彼女は友を侮辱されたと想う事で、自分に対しての怒りを草へ転嫁(てんか)させていたのだ。

 それは間違っていた。今のユルグは素直にそう思う。そんな事を望んでいる訳ではない、自分は間違っ

ていたのだと。

「結局、この内側が全てか」

 ユルグはその人から見れば逞しくも大きな腕で自分の胸をドンと叩き、暫くその姿勢のまま、何事かを

考え続けた。

 その答えは最後まで出なかったようだが、彼女の顔にはもう曇りなく、笑みがほころび、柔らかな光で

照らされたように、穏やかな目をしている。

「よし、やろう」

 そしてユルグはもう一度草を調べ始めた。

 そこにはもう怒りは込められていない。憎しみもない。草に対する不快感は消えていなかったが、そこ

に特別な感情を絡ませる事を止めた。草達も他意があってやった訳ではない。魔力を得る為、つまり食事

をする為に、当たり前の事をしただけである。

 ユルグ達が他の生命を喰らうのと同じ。彼女達だって、その為に魔術やら罠やら何やら色んな物を使う。

捕えられた動物や、実や葉を取られた植からにしてみると、ユルグ達に対しよっぽど大きな恨みを抱いて

いる筈である。

 そしてその動物や植物達も、彼らが喰らった生命から同じように想われているのだろう。

 皆同じ。同じ方法で生きる同じ生命。形や姿は違っても、本質的には同じ物。

 全ては鏡だとユルグは考える。ある意味で、全ての物には等しく自分が居て、その自分に対して怒った

り喜んだりしている。

 だから全てを受け容れろとは言わないけれど、一方的に恨み憎むのも間違っている。そんな風に結論を

出したのである。

「でも侮辱された事を忘れた訳ではないからな」

 勿論、草達の全てを許した訳ではない。そこにどんな理由があっても、例えそれが一方的で不条理で身

勝手な想いであっても、絶対に許せないもの、譲れないものはある。

 それが心。不確かで不完全な、生命の心というものだ。



 日が暮れた(常に薄暗いので感覚的なものだったが)ので、皆ぽつりぽつりと分かれた場所へと戻って

きた。

 予想通りというべきか、さすがというべきか、クワイエルの帰りが一番遅い。多分熱中して全てを忘れ

ていたのだろう。むしろ帰って来ただけ運が良かったのかもしれない。下手をするとそのまま熱中して全

てを忘れ、永遠に出会えなかったという可能性もある。

 冗談のようでも、それが冗談にならないのがクワイエルである。

 そして皆が集まり、それぞれに一日の結果を報告し、話し合ったのだが。結局は何も解らないというの

が結論だった。

 この草に傷付けられると悪夢を見させられ、死へと導かれる。それ以外の事は解らない。しかもそれさ

え、ただの推測でしかないといえばそうだ。

 死体の類がどこにも見当たらないのは何故だ、という当然の疑問も出てくるし。得られている情報が少

ないのだから、答えよりも疑問の方が湧き出てくるのが当たり前。そして疑問も答えを探す材料にはなる

のかもしれないが、それだけでは答えは出ない。

 疑問だけを述べているだけでは、いつまでたっても進展しない。

 そのまま考えていても仕方ないので、その日はゆっくり休む事にして、一人を見張りに立て、皆そのま

まその場で眠っている。

 どちらかといえば不貞寝に近い。

 明けて朝。幸いな事に夜襲われるような事はなかった。悪夢も見なかったし、身体に異常も見当たらな

い。普通の目覚め、いつもの朝だ。

 そこからもこの草が、あくまでも草に徹している事が解る。それだけの力があるなら、自分から動いて

も良いと思うのだが、この草達はただじっと獲物が来るのを待っている。

 確かに何も知らなければ、この罠にかかってしまうだろう。でもそれならそれで疑問が浮かぶ。

 この罠は強力だ。かかれば対象は眠るように死ぬ。暴れもしなければ、気付かないまま死にもする。で

もクワイエル達は皆それを乗り越えた。彼らの力が増していると言っても、この奥地に居る種より強くな

っているとは思えない。この地に来るような種なら、簡単に乗り越えられるのではないだろうか。

 そう考えると、この場所には沢山訪れる者が居るから、その全てが罠にかかる必要はない。或いは、こ

こを訪れる何者かはこういう罠には弱い、という推測が浮かんでくる。

 それならただ待っているだけなのにも納得がいく。それだけで充分に獲物を得られる理由があるのなら、

わざわざ狩りに行こうと考える者は少ないだろう。

 それともそんなに沢山の獲物は要らないのだろうか。月に一度、或いは年に数度でもあれば充分生きら

れる。だからこの程度の罠でいい。

 しかし本当にそうなのだろうか。

 疑問は疑問を呼ぶだけで、何一つ答えが出ないまま、いつまでも頭の中を回り続けている。このままど

れだけ考えたとしても、今までと同じように、多分何一つ前進できる事はないのだろう。

 いくら尤もらしい事を推測できたとしても、そしてそれがもしあっていたとしても、答えを見るまでは

何もはっきりさせる事はできない。

 答えを見る事が必要だった。明らかな答えを見付けない限り、疑問は何一つ晴れはしない。

 個別に広範囲を動く事は余りにも離れ過ぎて危険なので、皆揃って奥地まで調査を進める事に決めた。

 この草原の果てに着くまでに何も見付けられなくても、そのまま出て行くつもりだった。解けない疑

問は解けないままでもいい。この大陸はそういう姿勢でいなければ、とても踏破する事はできない。

 クワイエルでさえそう考える事からも、この大陸の広さと不思議さが察せられる。



 クワイエル達は慎重に進んでいる。今更何かが突然現れるような事はないと思うが、草が密集している

ので見通しが悪く、どこに何が隠れているか解らないから、危険という意味でも、調査という意味でも、

慎重に進む必要があった。

 透視の魔術を使ったりしているが、それも万能ではない。見えるからと言って、全てに気付ける訳でも

ない。魔術を使っても、種の能力を超える事は難しい。

 それでも全員で助け合えるので独りで調査していた時より気持ちは楽で、あまり不安を感じずに進む事

ができた。

 草も毒のある植物と同じように、知ってさえいれば防げるし、対処していれば害は無いと言ってもいい。

 ただしこれから草が新たな動きをしないとは言えないし、この大陸の生物は何をしてくるか解らない所

があるから、安心しているのは危険だ。

 クワイエルも最初は草を採取しておこうかと考えていたのだが、触れたり刺激を与えたりする事は極力

避けるべきだと思い直し、その心を止めている。

 彼が自分自身の好奇心と調査欲を我慢している事を考えても、今の状況が決して楽なものではない事が

解る。危険度は下がったが、それでも危険である事には変わりないのだ。

 彼らはいつものように休憩と探索を繰り返し、北へ北へと進む。

 思い出したようにゲルに頼んで調べてもらったりもするが、彼女もまた前と同じく気にかけるようなも

のを感じ取れない。よほど上手く隠されているのか、それともかけられている魔術自体はそれほど強いも

のではないのか。

 相手が警戒していなければ小さな魔力でも通じるだろうし。考えていたように、この魔術の対象として

想定している相手が、それほど強力な存在ではないのかもしれない。

 ただどちらにしても、この草にかけられている魔術が高度なものである事は確かだろう。

 こうして同じ光景が続き、何事もなく三日が過ぎた。

 これだけ調べて何も解らないのだから、今の段階でクワイエル達に解る事は無いのだろう。

 寂しいが、こだわっていても仕方がない。調査自体は諦め、通常速度で北を目指すよう変更する。

 しかしそうして更に一日程進んだ頃だろうか、草の中に今までになかった違和感を感じた。

 それを最初に感じたのはレイプトである。常に先頭に立つ彼の感覚は研ぎ澄まされ、今ではハーヴィさ

え上回る。おそらく鬼人全ての中でも群を抜いている。

 このパーティでの役割上、自然にそういう点が成長したのだろう。

 考えてみれば、肉体から魔力まで全員が強化されているが、その強化具合というのか、強化されている

箇所というのかは一人一人違い、個性がある。

 クワイエルは観察眼というのか対象を想像し理解する力が増しているし。ハーヴィは魔術の使い方と応

用が上手く、魔力が誰よりも安定している。レイプトは前述したように感覚が研ぎ澄まされているし。一

番魔力が高まっているのは意外にもエルナだ。ユルグはといえば色んな意味で耐久力が増し、受け止める

力が強く、気力も充実している。

 その他にも細々とした違いはあるが、それぞれの行動に応じた成長を遂げている事は間違いない。

 クワイエルは興味の塊。大きな魔術を使うのは大抵ハーヴィだし、瞑想を欠かさない。レイプトは常に

先頭に立つ。エルナは少しでもクワイエルの力になろうと、魔力の向上の為日々努力している。ユルグは

どちらかといえば受身な立場でいるが、それだけにいつも正面から向き合ってきた。

 そのそれぞれの姿勢が、それに応じた箇所の強化を促している。そう考えればこれは当然の成長、進化

といえるのかもしれない。人はその行動によって、身に付くものが変わっていくものなのだから。

 一番鋭い感覚を持っているレイプトが逸早く違和感に気付き、透視の魔術を使ってその箇所を調べる。

 するとそこに大きな何かが横たわっているのが見えた。

「調べてきます」

 念の為、レイプト一人が先行してその何かを調べに行く。誰もそれに反対しない。遠くから見るだけで

は解る事は限られているから、どうしても近付いて調べる必要があるし。何より彼を信じているからだ。

 レイプトが草を掻き分け、間に滑り込むようにして進むと、すぐに対象を発見する事ができた。

 それは薄暗い塊である。

 そう表現するしかない。もう随分長い時が流れたのか、それとも初めからそうなのか、形ははっきりし

ているものの、細部が良く解らない。

 枯れているような、干からびているような、そんな塊が一つだけ転がっている。

 大きさは2mくらいだろうか、レイプトよりも一回りか二回り小さい。でも結構な大きさだ。

 色は黒ずんでいる、というよりは脱色したものを汚したような感じだろうか。この草達が作る薄暗さの

ように、はっきりしない。

 触ってみるとぼろぼろと崩れた。燃えカスのように脆い。

 周囲を何度も見回し、調べてみたが、特に異常はない。とっくに喰らい終えた後という事だろう。

 危険は無いと見て、レイプトはクワイエル達を呼んだ。



 皆で調べ協議した結果、これは灰のような物だ、という考えに落ち着く。

 それが厳密に灰かどうかは知らないが、そういうものに似ている。抜け殻のように全てが失われ、生命

というものが一片も残っていない。死体よりも死んでいる。そんな感じだ。

「これがなれの果てという訳か」

 ハーヴィが溜息を吐くようにもらす。

 自分達も一歩間違えればこうなっていたのかと思うと、今更ながら恐怖心が湧いてくる。夢だと思って

いた事が突然現実に現れたような気分だ。

 この残骸にはもう興味は無いのか、草達がそれを避けるようにして、その残骸がある場所の空間だけが

空いている。

 無残。そういう言葉が相応しい。

「恐ろしい限りだが、これで解った事が一つある。ここにはこの灰となった何かが度々訪れているという

事だ。そしてそれだけの獲物でこの広大な草原を養っている」

 ハーヴィの言葉に皆頷く。

 そうなればやる事は一つ。

「この何者かを探しましょう」

 クワイエルの言葉に皆がもう一度頷いた。

 草が行っている事がはっきりした今、次にやる事はこの獲物となっている何者かを探す事である。いや、

別に探さなくても良いのだが、興味としては当然そういう方向に進む。

 そしてそういう方向に進むのなら、それを断らないのが魔術師という存在。普段は捻くれた魔術師も、

自分の好奇心に対してだけはとても素直だ。

 クワイエル達は残骸を残し、それを目印にして周囲を調べてみる事にした。

 残骸には可哀想だが、触れると崩れてしまうので埋葬する訳にもいかないし、その残骸にそういう風習

があるのかどうかも解らない。そのままにしておくしかなかった。



 残骸を中心に三日探してみたが、同じような残骸も、残骸となる前の種も見付からない。やはりここに

は余り多くは踏み入れないのだろう。こんな陰気な場所、見付けて入ろうと考えるのは魔術師くらいであ

る。他種族にもそんな変わり者は少ないに違いない。そう思っていたい。

 このまま続けていても仕方が無いので、また北へ北へ移動していく事にする。あるかどうかも解らない

物を探すよりは、進んだ方が良いからだ。クワイエルも随分物分りが良くなった。

 そうして更に一週間進んだが、結局何も見付からないまま草原は終りを見せた。

 その先も草木が生い茂っているようだが、妙な草はもう居ない。クワイエル達が見知った自然の姿がそ

こに在る。

 ただしここにも他種族が居るのだろうから、このどこかに特異な点がある筈。油断せず、慎重に進まな

ければならない。

 見知った場所に着いたという安心感、それを狙った魔術が仕掛けられているという可能性もある。

 今まで実に様々な魔術と種を見てきた事を考えると、何を見ても油断できない。常に気を張り、何が起

こっても耐えられる姿勢でいる必要があった。

 でもそういうのばかりでは疲れるので、境界の辺りはまだ安全だろうと考え、ここでゆっくり休む事に

する。いい加減というよりは、図太いのだろう。




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