14-6.

 草原を進む。

 機械地面と違って土の地面は柔らかく、とても歩き易い。でもこの草原はどこも草が隙間無くびっしり

生えているので、うっかりしていると足をとられそうになる。

 草はとても丈夫で、引っ張っても捻っても千切れない。ざらざらとした質感で、側面に指を当てれば簡

単に皮膚が切れてしまいそうだった。注意深く進まなければ、日が落ちる前に全身傷だらけという事にも

なりかねない。

 色は緑、黄色、赤、紅葉の季節のように実に様々な色があり、それだけを見ればとても綺麗だ。根はど

うなっているのだろうかと思い、一つ抜いてみようとしたが、力を込めて引いてもびくともしない。よほ

どしっかりと根付いてるのだろう。

 とにかく強靭で、丈夫な草だった。

 そして何よりも、薄気味悪い。

 丈夫なのや、色彩豊かなのはいい。それだけならむしろ良い要素だと言えるのかもしれない。しかし決

定的に受け容れられないのは、その形と密度だ。

 細長かったり太かったり、途中でねじれていたかと思えばその先で三つに分裂していたり、とにかく協

調性が無く、複雑に絡み合ったそれらは、まるで様々な生物がぐしゃぐしゃに重なり合い、潰し合って埋

もれているかのように見える。

 複雑に入り組んだ遺骸のようにも見える。

 どこがどうそれを連想させるのかは解らない。一つ一つはそれ程奇妙だとも思わないのに、それらがこ

の場所で密集して生えている姿が酷く薄気味悪く、長く眺めていたいとは思えない光景である。

「休憩にしましょう」

 草を倒し、座れるだけの場所を確保し、軽く地面に横になっても、全く落ち着けない。今にもそこから

枯れた手が伸びてきそうだ。

 クワイエル達はそれがずっと何故かを考えていたのだが、ふとこの場所が妙に薄暗い事に気付く。

 日の光が当たらない訳でも、ずっと明るさが変わらない訳でもない。太陽が昇っては沈み、その影響で

確かに明るさは変化していくのだが、それなのにいつも薄暗い。夜ですら薄暗いような気がする。ここに

来てからの事を思い出して考えてみると、その全てが薄暗い光の中に在った事に気付いたのだ。

 そしてその原因も察せられる。

 薄暗いのはこの草のせいだ。この草達がその複雑に絡み合った姿で微妙に降り注ぐ光を調節し、周囲を

絶えず薄暗い景色の中に居させている。

 草の丈は高いものでもせいぜいクワイエル達の腰くらいまでしかないのだが、それら一つ一つの反射光

が密接に影響し合う事で、この不思議な薄暗さを作り出す。

 ある意味芸術と言えなくもないが、あまりの気味悪さにそういう言葉は使いたくない。

 勿論、これらはクワイエル達の勝手な推測に過ぎないのだが。ここには草しか生えていないのだから、

そうとでも考えなければ説明が付かない。原因はこの草にある。そう考えるのが妥当だろう。

「うーん、解らない。この草には、そんなにおかしな所はないと思うけど・・・」

 草をゲルに調べてもらうと、彼女はそんな事を言った。彼女がそういうのだから、この草はあくまでも

草なのだろう。

 という事はつまり、この草自身が自分が育ちやすい環境を整える為、わざわざこうして絡み合って薄暗

い景色を作り出している。それをどう思うかは見る方の勝手だが、別に気味悪がらせる為にやっている訳

ではない。という事だろうか。

 魔術で創った訳ではなく、自然にそうなった。確かにこの大陸であれば、偶然に草だらけの異常と思え

る環境を創り出したとしても、おかしくはない。

 この大陸には不思議な植物も多い。それら全てが魔術で創られたものだけではないと考る事は、そんな

に無理な事でもなさそうだ。

「だが、何かの魔術の影響でこうなったという可能性もまた、消えてはいない」

 ハーヴィの言葉に皆頷く。

 そう、これだけでは答えを出すには早過ぎる。もう少し調査をしてみる必要があるだろう。例えそれで

何も解らなかったとしても、やるだけの事はやらなければ気が済まない。

 そこで皆別れて、それぞれに調査してみる事にした。

 ゲルだけはペンダントに引っ込み、呼ばれるのを待つ。



 押し倒して作った草間に屈(かが)み、ユルグは懸命に手掛かりを探している。

 何でもいい。この地の謎を解明する材料になるものであれば、何でも良かった。何でも良いから手掛か

りを見付けなければならない。そうしなければ・・・私は・・・。

「つッ」

 指先から血が滴り落ちている。切ってしまったのだろう。この草が危険だという事を忘れていた。いや、

例えそれを覚えていたとしても、同じ事をしていたかもしれない。これだけ気持ちが焦っていたら、誰だ

ってそうなる。

「私は何をやっている」

 一つの映像が、強く彼女の心を揺らす。

 それはレイプト。

 彼は変わった。今までのようにハーヴィに背負われているのではなく、独り立っている。ユルグとレイ

プトは長く一緒に育ってきたのだ。彼の変化は誰よりも解る。

 これでこのパーティに貢献(こうけん)できていないのは、彼女独りという事になった。

 別にレイプトという同じ場所に居た仲間に安心していた訳ではない。その立場に甘えていた訳でもない。

彼女も彼女なりに必死にやってきた。少しでも役に立とう、認められたいと一所懸命にやってきた。

 それなのに今レイプトだけが巣立って行く。ユルグは取り残され、彼の背中を見ながら、何も出来ずに

居る。独りだけ荷物のまま、同じ道を進んで行かなければならない。

 これはユルグにとって酷く心苦しく、辛い事だった。そしてこのどうしようもない事実が、彼女をゆっ

くりと締め上げるように追い込んでいく。

 誰が急がせている訳でもない。誰が責めている訳でもない。でも彼女がその心に感じる焦りは、どうし

ようもなく彼女を責め立てる。

「落ち着け。私はそうじゃない。そんなひ弱な存在ではない筈だ」

 魔力を傷口に集中させると、すぐに塞がった。この程度の傷はもう傷と言えない。痛みは感じても、す

ぐに治せる。すぐに治せるなら、それは傷ではない。

 そしてこの迷いも、傷ではない。

「こんなもの、傷ではない」

 ユルグは何とか冷静さを取り戻し、焦る気持ちを抑えて一つ一つの草を丹念に調べようとした。

 だがその数は余りにも多く。焦りもいつまでも抑えておけるものではない。次第に苛立ちが増し、吠え

ながら暴れまわりたいくらい、気持ちが鬱屈(うっくつ)してくるのが解った。

「私は、こんなに弱かったのか・・・」

 追い込まれて初めて気付ける事がある。今まで平気なふりをし、必死に繕(つくろ)ってきたが、この

事実だけはどうしようもない。自分はお荷物なのだ。

 それは大陸の調査に出てからではなく、もしかしたら生まれた時からそうだったのかもしれない。

 彼女は族長の娘として、常にその生まれを意識して生きる事を強いられてきた。嫌だろうと不満に思お

うと、どうする事も出来ない。彼女はユルグである以前に、族長の娘だったのだ。

 彼女はそれを受け容れた。抗う事など思いもしなかった。むしろ誇りだと考えていたのだ。自分に与え

られた、生まれながらに与えられた、誇らしい役目なのだと。

 だがそんな心も、この大陸でクワイエル達と生活し、共に進み、様々な種族に遇っていくと、何だった

のかが解らなくなってくる。

 族長の娘。だから何なのだ。そんなものが何の役に立つ。その事で今まで一度でも助かったのか。今ま

で一度でも良い事があったのか。ただ自分にプレッシャーを与えていただけではないのか。

 だとすれば、そんなものにすがっていたユルグは、何と滑稽(こっけい)な存在なのだろう。

 小さく生まれた疑問。今まで考えた事もしなかった疑問。

 レイプトが巣立った今、彼女はそれらに抗えなくなっている。こうしてうずくまり、レイプトを羨(う

らや)み、取り残された寂しさを味わいながら、何も出来ずに過ごす。無力なままで。

 一体何だったのだろう。ユルグが今まで過ごしてきた時間は、一体何だったのだろう。

 自分は一体何をしてきたのか。レイプトと同じ経験をしてきて、何故自分だけが取り残される。

 疑問が具体的になってくると、もう駄目だった。ユルグは静かに心奥から蝕(むしば)まれていく。

 心から助けが欲しい。でもそれを誇りが拒絶する。族長の娘という何の役にも立たない誇りが、今そう

する事を邪魔している。助けを呼ぶ事を、恥と考えさせる。

 声が出ない。

「結局、私は何も出来ないのか」

 ユルグは自分自身を情けなく思い、何も見えなくなっていた。今はただ、焦りながらこの場所を調べ続

けるしかない。何か手掛かりを得て、仲間の為に役立てる事を願いながら。

「哀しい。哀しいな、私は」

 その気持ちは彼女自身から見ても、酷く不恰好で、救いようのないものだと思えた。

 結局、自分には何も無いのだと、はっきりと言われているような気がしたのだ。

「誇り高き族長の娘が、聞いて呆れる」

 涙さえ流せない自分が、今は酷く惨めだった。

 一体これは、何の為の、誰の為の強さなのだろう。



「ユルグ、ユルグ」

 優しく揺り動かされ、目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。

 顔を上げると、そこにはエルナの姿があった。いつも通り、優しい顔だ。今はただ、奇妙なくらいに。

「疲れているみたいね」

「ううん、そうじゃないんだ。でも、そうかもしれない」

「無理しないで」

「ありがとう」

 二人は並んで座り、それからゆっくりと話をした。

 エルナはいつまでもユルグが帰ってこないのを心配して、一人探しに来てくれたそうだ。他の皆へはゲ

ルに頼んで連絡してもらっているから、心配しなくてもいいとの事。

 それを聞いて安心したのか、ユルグは自分が思っていた以上に重く抱えていた悩みを、彼女に相談する

事を決めた。

 エルナとユルグは女同士という事もあって、このメンバーで出発してからずっと仲良くやってきている。

同性にしか解らない事があるし、やっぱり異性相手よりも安心できる所がある。長く旅をしてきたので、

今では姉妹のように心を許せる関係になっていた。

 それは仲間同士の信頼とはまた別で、同じものを理解しあえる大事な友達だったのだ。

 だからユルグは心の奥底までを全て話し、どうしたら良いかを聞いた。

 するとエルナはこう言う。

「忘れてしまえばいいのよ」

「忘れる」

「ええ、そう。何も考えず、全てを受け容れて、そして安らかに諦めてしまえば良いの。そうすればきっ

と、あなたは楽になる」

「そう、かな」

「そうよ」

 エルナは誰よりも優しい笑顔をしている。惹き込まれそうになり、彼女の言う事を信じれば、それだけ

で幸せになれるような気がした。

 でも何かが違う。こんな笑顔はエルナらしくない。彼女の笑顔はもっとあたたかくて、共有できる笑顔

の筈だ。こんな一方的な笑顔ではない。

 それに彼女がこんな事を言うだろうか。それともこんな気持ちでいなければ、クワイエルとは付き合っ

ていられないという事なのか。

 そう考えれば、確かにそう思えない事もない。

 クワイエルと師弟関係になるという事だけで、エルナがどれだけ多くの苦労をしているかは何となく察

せられる。彼は旅の仲間として一緒に居るだけでも振り回される事が多い。魔術師として尊敬すべき点は

多いけれど、平気で付いていけているハーヴィとエルナは凄いと思う。

 でもだからこそ、この言葉、このエルナは違うような気がする。

 彼女はもっと気高く、クワイエルへの気持ちも優しく深いものである筈だ。彼女の心は労(いたわ)り

に満ちている。決して優しく突き放しはしない。

「何だか、らしくない」

「何が」

「今日のエルナはおかしいと思う」

「気のせいよ。あなたが疲れているから」

「そうかな」

「そうよ」

 そう言われてみるとそんな気がしてくる。エルナの言う事は何でも信じたいような・・・。

 今日の自分も何だかおかしい。気持ちが高ぶるのも、こんな所でいつの間にか眠ってしまった事も、今

の自分も、全てがおかしい。だからエルナがまるで違う人のように見えるのかもしれない。

 確かに、そうかもしれない。

「もう少し休んで。そうすれば、元気になると思う」

「そうだね。そうかもしれない」

 でも違和感が消えない。納得できない事が多い。今日はやっぱり変だ。

 ユルグはどうしても今のエルナを受け容れられない。認めたくない。

 ふと教えを、思い出す。

 ハーヴィは自分の直感を信じ、疎かにするなと教えてくれた。どんな心から生まれたものであれ、それ

が起こるのには必ずそれだけの理由がある。特に魔力が高くなれば、それに応じて感応力も高まる。生命

力が増せば増すほど、自分の存在というものが濃くなり、その分だけ他と強く深く繋がる事になるからだ。

 だから例えそれに理由が見えなくても、ただそれを感じるというだけでそれは重要なのである。そして

感じ取るという事も、魔術を行使するにおいて、大事な事なのだ。

 ハーヴィはそう教えてくれた。

 ユルグも今までの旅で、それが事実である事を悟っている。直感とは妄想ではない。そこに無いもので

はない。外れる事もあるが、現実に在る、生命が生きる為に備わっている能力の一つなのである。

「私の心がおかしいと言っている」

「どうしたの、ユルグ。やっぱりあなた変よ」

「変なのはエルナの方だ!」

 ユルグは精神を集中して魔力を高め、想像の中で魔術を編んだ。

 いや、それはもっと単純なものだったのかもしれない。

 祈り、願い、自分を取り巻く全てのものに、ただ生命そのものの声を叫ぶ。

「マン、エオル! ・・・ ルーンよ!!」

 その全てを尽くした想いはユルグの全身から隙間無く噴き出し、全ての物を塗り替え、そしてかき消し

ていく。森、エルナ、その全てを覆っていた力は消え、唯一つ、ユルグを狙う禍々しい草の姿だけが露(あ

らわ)になる。

 そしてユルグは夢から覚めた。



 酷く身体が冷えている。体温を保つ魔術をかけている筈だが、全く効果が出ていない。骨の隅々までが

冷えきり、動かせるようになるまで多くの時間を必要とした。

 まるで自分の遺骸を動かそうとでもするかのようだ。ユルグはまるで自分が死人であるかのような錯覚

を覚えた。

 自分は今、どこで何をしているのだろう。

 身体を馴染ませながらゆっくりと起き上がり、周囲を見回す。何が変わったようには見えない。眠る前

のままの姿で、全ては変わらずそこに在る。

 だが今は、それこそが危険だった。こいつらは何かを隠している。いや、自分がそれに気付けないだけ

なのか。

「戻った方が良いな」

 ユルグは今度は身体を傷付けないよう、慎重に集合場所へと移動する。

 あの夢を見たのは指先を切ってからだ。そしてあの暗い思いに囚われそうになったのも。

 自分の中にそうなる原因が無かったとは言わない。レイプトに置いて行かれたという思い、皆の足手ま

といでしかないという思い、結局自分はこの旅で何の役割をこなしてきたのかという疑問、それらは今も

ユルグの心にある。

 だが、本当の彼女はそんなものに囚われたりはしない。乗り越えてみせる。悲しみも悩みも、全て乗り

越えてみせる。

 それが彼女の本当の誇り、いや喜びなのだ。族長の娘だとか、誇り高き鬼人の一族だとか、そういうも

のは初めから関係ない。彼女は彼女であり、それを深い所で理解している。

 それとも、それこそが傲慢な考え。彼女が抱く弱みだったのだろうか。

「そうかもしれない。だが、私の友を侮辱する奴は許さない!」

 ユルグは吠え、気力を増すと、その勢いを借りて草を圧倒するように進んだ。

 エルナをそれに利用されたという事実が、何よりも彼女を猛らせる。

 そして誓う。もう二度と、友を侮辱させはしないと。

 確かに自分には恐さがある。悩みもある。弱さもある。でもそれが何だというのだ。そんなものはあっ

て当たり前だ。その全てを受け入れ、己が力とすればいい。その為の魔術である。

「魔術師はしぶといんだ」

 ユルグは困った人だが、尊敬すべき魔術師の姿を思った。

 彼に比べれば、こんな草なんてどうという事もない。

 一捻(ひとひね)りにしてやる。



 全員が集まり、それぞれに起きた事を話し合うと、クワイエルとレイプトがユルグと似たような体験を

していた事が解った。

 草で身体を傷付けられると、その後酷く重苦しい気分になって、いつの間にか夢を見る。その夢は人に

よって様々だが、どれも親しい人が気力を失わせようとしてくる事は共通していた。そして目覚めた後、

身体が芯から冷えていた事も。

 この草はおそらく傷付けた対象の心の弱い部分に干渉して絶望を抱かせ、強め、生きる気力を失わせる

事で魔力を低下させる。そして弱らせてから、ゆっくりと魔力を吸収するのだろう。

 そして得た魔力を使って繁栄し、今のように大きく複雑に成長し、力を増す。

 ゲルでも悟れない所を考えると、よほど巧妙な魔術が編まれているのか。何か秘密があるのか。

 この草一本一本に意志があるのかは知らない。しかし協力して薄暗い状況を作り出している事からも解

るように、組織的に行動している事は確かだ。この草原そのものが一個の巨大な罠とも言えるし、巨大な

一つの生命体だとも言える。

 もしかしたら根は一つに繋がっているのかもしれない。

 とするとここは草達の胃腸の中といった所だろうか。

 こんな場所は早々に抜け出したい所だが、こういう種が居ると解れば、それはそれで放っておけないの

が魔術師の哀しい性(さが)。

 傷付けないように注意すれば良いのだからという事になって、結局調査を続行する事に決まった。

 懲りないというよりは、初めからそういう心の無い人達なのかもしれない。




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