14-3.

 一夜を快適に過ごす事が出来た。この場所は何かしらの魔術、設備が整っているのだろう。クワイエル

達から見ればただのむき出しの地面でも、そこには数多くの何かが備え付けてある。

 冷暖房、防音、そして中に居る者を護るべき何か、そういうものがクワイエル達を優しく包んでくれ、

一晩中護ってくれていた。そうでもなければ慣れない場所、余りにも音の溢れているこの場所で、無事に

過ごせるとは思えない。

 不慣れな感覚というものは、どうしても生命を不安にさせ、安定を崩してしまうものなのだ。

 起きて食事をし、暫く休んでいると、快い音が聴こえてゲルと思われる音人が現れた。今日は一体何を

してくれるのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。

「今日は一通り案内します。付いてきて」

 ゲルは来た時と同じく前触れなく移動していく(単にクワイエル達がそれを察する事が出来ないだけな

のかもしれないが)。クワイエル達は慌てて付いて行ったが、ゲルはちゃんと少し先で待っていてくれ、

見失う事はなかった。

「行くよ、行くよ」

 でも近付くとすぐに移動していくので、慌しさは消えない。音長もそうだったが、ちょっとした悪戯な

のだろうか。それとも音人は皆そういうリズムで動くものなのだろうか。

 そう思えば、街中から聴こえてくる音達も、基本的にテンポが速いように感じる。それは慌しいという

よりは、基準がクワイエル達のものよりも遥かに速い事から来る戸惑いというのか、ずれというのか、そ

ういうものであるのだろう。

 ゲルも別に急いでいる風ではないし、単に元気一杯張り切って案内してくれているだけに感じる。そこ

に悪戯心があると思うのは、勘繰り過ぎというものかもしれない。

 まあどちらにしてもクワイエル達は大急ぎで行かなければならないから、なかなか疲れる行程になった。

 彼女がまず案内してくれた場所は、大通りというのか、広い道路。この道を進めば何かにぶつかる事も、

迷う事もなく進めるそうだ。

 そうは言われても勿論何も見えないのだが、ゲルは時間をかけて丁寧にその見分け方、いや聴分け方を

教えてくれる。

 何度か耳を澄まし、広く音を探っていると、そこに何となく大きな広がりがあるのが解ってきた。注意

深く聴けば、確かにそれが解る。この道は基本的に一本道で、一方通行。だからその流れる方向さえ掴め

ば、不意にぶつかる危険性は低い。

 クワイエル達を背後から追い抜いて行く事も考えられるが、そこは音人の方が上手く避けてくれる。

 だから気を付けるべき事は、その道がどちらに向かって流れているかを察する事で、暫くそれを聴分け

る為の訓練を行った。おかげでクワイエル達は皆大体それを掴めるようになり、この街で起こりうる危険

を随分回避する事が出来るようになっている。

 次に向かったのは、人間で言えば図書館に当たる場所だろうか。ここには遥か昔からの様々な記録が残

されていて、望めば誰でも聴く事が出来るらしい。

 と言っても、クワイエル達には音人達の言語を理解出来ないので、代わりに図書館でいう司書役の音人

に教わる事になる。

 何でも常時複数の歴史に詳しい音人が居て、誰の質問にも答えてくれるそうだ。

 この場所を覚えておいて、何か困った事があれば調べにくると良いとゲルは教えてくれた。ゲルが居れ

ば教えてあげられるが、彼女がいつも側に居られる訳ではないし、彼女も彼女なりに忙しくて、いつでも

来てはあげられないらしい。

 後は日暮れまで道を認識する訓練を行い、必要と思われる場所の地理とそこへ行く為の大雑把な道順を

教わって、例のむき出しの場所に戻ったのだった。

 今日はこの町で生活する為の極々基本的な知識講座といった所か。

 幸いゲルがどこからかクワイエル達でも食べられそうな食糧と水を持ってきてくれたので、この日も腹

を満たしてゆったりと休む事が出来ている。



 一夜明けると、ゲルとは別の音人が来て、音長の許へと案内された。

 どうやら音長が前に会った時に言っていた、細かな条約などを決めるつもりらしい。それはクワイエル

達にとっても願ってもない事であったので、喜んで付いて行く。

 三日目となると多少はこの街にも慣れてきたのか、以前よりも安心して歩けるようになり、音の区別も

大雑把だけれど出来るようになってきている。

 よくよく聴いてみると、それぞれの音には解りやすい違いがある。勿論解り難い違いもあるけれど、そ

れはもう潔(いさぎよ)く無視する事にした。解る事だけをより解りやすくする。解らない事は解らない

まま解るまで放っておく。それが当面の方針である。

 クワイエル達にもそう時間がある訳ではないが、別に無い訳でもない。望むならここでずっと過ごすと

いう手もあるし、行くも止まるも全ては彼らに任されているのだから、その辺は好きにできる。勿論、魔

術師の好奇心がいつまでも一つ所で満足していられるとは思えないが。

 案内音人に付いて行くと、以前と同じ音人達が集まる場所に連れて行かれた。

 そして中に入り、奥へ奥へと進んで行く。どうやら前に音長と会った場所とは違う部屋に行くようだ。

そこがどんな場所なのか、どう違うのかは解らないが、前とははっきり進む方角が違っている。

 そして案内されるままに行くと。

「やあ、よく来たね。我々は君達を歓迎するよ」

 音長の声がし、一斉に周囲から無数の音が奏でられた。

 何名居るのかは解らないが、この音から察するに一人や二人ではないだろう。多分十名は居る。かなり

賑やかだ。でもその音は決してうるさくはなく、むしろ快いものだった。純粋に彼らが歓迎してくれてい

る事が解る。

 物騒な結界を張っていても、排他的という訳ではなく、客人を拒む風でもない。案外他種族と会う事に

喜びを見出すタイプかもしれない。

「お招き、ありがとうございます」

 何だかおかしな言葉であるような気がしたが、クワイエル達はそう言って深々と頭を下げた。他に何か

やり方があるのかもしれないが、音人達は挨拶の仕方やそう言った事をまだ教えてくれていないし、クワ

イエル達も聞いていない。今の所これが精一杯の感謝と好意を表す方法だった。

 今後は礼儀作法などその辺の事も詳しく教わっておいた方が良いだろう。

「ささ、ずずいっと進みたまえ」

 どうやら音長が進行を務めるらしい。それだけ偉い人という事なのか、そういう役目の人なのか。良く

解らないが、一度でも面識のある相手が居てくれるという事はとても心強かった。

「よろしくお願い致します」

「うんむ」

 こうして音人達との会談が始まったのである。



 会談は終始和やかに進んだ。

 どちらも声を荒げる事なく、お互いにお互いを理解しようと考え、時には時間をかけてゆっくりと話し

合い、一つ一つを定めていった。

 その間に色々な事が解ってきたが、一度に書くのは面倒なので必要になるまで置いておく。

 簡単に話の内容をまとめると、クワイエル達は自由に(あの結界を越えられるだけの力があるなら)こ

の街に出入りしてよく、望む物があれば出来る限り音人側が提供する。お互いに関する事もこれからゆっ

くりと教えあう事にも賛成で、非常に協力的な関係を結ぶ事ができた。

 そしてお互いを理解する為にも、クワイエル達が望むのであれば、彼らの旅にゲルが同行してくれる事

になった。何でもクワイエル達の事でゲルの成人式がほったらかしになってしまっているので、その責任

を取る意味も込めて、クワイエル達との交渉など一切の事を彼女に任せ、それを一人前になる為の儀式兼

訓練とする事に決めたのだそうだ。

 一番気心の知れている間柄だろうから、彼女が一番この仕事に相応しいだろう、という理由もある。

 ゲルとしても成人式と就職を兼ねるこの措置には非常に満足し、行く気満々であるそうだ。

 勿論クワイエル達としても断る理由がなく。ゲルの存在はとてもありがたいので、喜んで承諾している。

 ただゲルとは時間の感覚というのか、速度の基準が余りにも違うので、常に一緒に居ては色々不都合も

あるだろうという事で、音人達がどこに居てもゲルを召喚出来る魔術を創り、それをいつでも発動できる

よう変わった石にその魔術を込めてくれ、更にそれを持ち運びしやすいようにペンダントに加工してくれ

ていた。

 どこまでも面倒見のいい音達である。

 音人達はクワイエルにそれを渡そうとしたのだが、クワイエルの思う所あって、それをエルナに身に着

けてもらう事にした。

 プレゼントというにはちょっとおかしいが、お守り代わりとして弟子でもある彼女に渡したかったのだ

ろう。

 エルナはこの気持ちを非常に喜び、これ以後肌身離さず身に付けていく事になる。

 そして数日ゆっくりした後、クワイエル達は再び北へ向けて出発した。もう少し居ても良かったのだが、

ゲルが一日でも早く出発したいらしく、その気持ちはメンバー全員も良く理解できたので、こういう運び

になったのである。

 親しい人の好奇心を邪魔できる魔術師は少ない。



 ゲルの案内で真空結界を出ても暫くは道に迷う事がなかった。

 ペンダントから飛び出したゲルは喜びを抑えきれないらしく、クワイエル達が止める暇もない内に飛び

出して周囲を見て回って来てくれ、今までよりも遥かに安心して進む事ができるようになった。

 別行動を取る事も、基本的な全てが異なる種族同士が付き合っていくには、良い方法かもしれない。

 そう考えれば、何もどちらかに合わす必要はなかったのだ。お互いにお互いを尊重し合う事さえ出来れ

ば、仲良くはやれる。どうしても縮められない距離はあるのかもしれないが、間に何があっても共存する

道はいつもある。

 今まで彼らがそうしてきたように。

 今まで出来ていたのだから、今互いに見知って出来なくなるという道理はない。下らない私情に拘らな

ければ、大抵の事は上手くやれるものである。

「うーん、この辺には何も無いわね」

 ゲルも随分クワイエル達の言葉に慣れ、初めのような堅苦しさが消えている。もしかしたら初めからそ

ういう接し方をしていたのかもしれないが、態度が変わったと認識した事で初めて伝わるという事もある。

 やはり言い方というのか、言葉というものは大事であるようだ。その使い方で随分印象が変わる。

 ゲルは主に偵察役というのか、周囲を簡単に調べて危険を察知したり、他種族の気配を見付ければ、そ

れを教えてくれる役目を進んで実行してくれている。

 頼むまでもなく、自然に彼女が自分の役割として行ってくれている事はとてもありがたい。彼女もまた

しっかりこのパーティの一員になっているという事なのだろう。

 そしてゲルにとっては喜ぶべき事に、基本的に別行動を取っている為、クワイエルの影響を余り受けな

くて済んだ。つまりクワイエル化を最低限に抑えられるという事で、そういう意味でもとても良い関係で

あると思えた。

 ここでゲルまで彼に毒されては、音人達にも余計な影響を与えかねない。ある意味この事が音人達をも

救ったという事になる。

「あっちに水があったわ。それに良さそうな野草が生えていたし、多分貴方達が食べても大丈夫だと思う。

間違っていても多分死にはしないわよ。別に変なものは感じないから」

 ゲル自身は音の発するエネルギーを食べているらしく、草花が風にそよぐ音、水が清らかに流れる音、

などから発せられるエネルギーは特に美味であるらしい。

 後はクワイエル達の言葉も面白い味で、慣れると結構癖になるとの事。これは喜んで良いのか悲しんで

良いのか解らない。

 ともかくゲルのおかげで食糧と水の調達も楽になり、少し先の事も解るので、必要以上に警戒せずに済

むようになって、移動速度も格段に増した。

 勿論警戒を解いて油断すると何があるか解らないので、いつ何があっても良いようにはしているが、心

にのしかかっていた不安が和らいで、全ての行動に少しだけ余裕が生まれてきている。

「この辺で休憩するのが良いわね。じゃあ、また明日来るね」

 そう言うとゲルはペンダントから音人の街へ戻っていった。

 話を聞くと、別にクワイエル達が呼ばなくても、彼女自身がその気になれば出入りは難しくないらしい。

それはクワイエル達に何かあった時に救援に迎えるよう考えて創られている為で、その気持ちもとてもあ

りがたかった。

 ただそのせいでいつ出てきてもおかしくないので、エルナはその事を常に覚えておき、注意しておく必

要がある。

 まあ、女の子同士であるし、今の所大きな問題は出ていない。その辺はゲルの方も気をつけているのだ

ろう。多分。

 この点でもエルナに持たせた事は良かった。これがもしクワイエルがそのまま持っていたとしたら、い

つか色々な意味で、大変な事になっていたかもしれない。その事を想像すると恐ろしいので、これ以上は

想像しないでおく。

 ゲルが同行して何度目かの夜を迎えたが、今の所どちらも上手くやっている。



 その後も暫くは何事もなく進んでいたのだが、ある日急にゲルが現れなくなり、心配になったエルナが

ペンダントから問いかけてみると、張り切りすぎたのかゲルの体調が崩れていて、暫く来られなくなって

しまったらしい。

 大きな心配はなく、多分慣れないせいでちょっと無理がかかってしまった程度だろうと思われるが、数

日はゆっくり休ませたいと医者は言っているそうだ。

 音人と接して日が浅いせいか気が付いてやれなかったが。考えてみれば、ゲルは今までに一日中街の外

に出ていた事はなかったし、危険があるかもしれない中を注意して進み続ける事は、彼女自身が思ってい

た以上のストレスを与えてもおかしくはない。

 クワイエル達が楽になった分、ゲルに負担がかかっていたのだ。彼女がクワイエル達の緊張や恐怖心を

肩代わりしてくれていたから、楽になった。それは当然考えなければならない事で、クワイエル達は余り

にも思いやりがなかったと言うしかない。

 彼らはゲルの気持ちに甘え過ぎていた。これは大いに反省しなければならない。

 そこでこれからは余計な負担をかけないで済むよう、考えて行動する事を決意したのである。それが解

るまでが遅かったが、理解出来た事は無駄ではない。遅くとも、手遅れではない。まだ取り戻せる。

 クワイエル達は取り戻せる事に感謝し、ゲルを心配させないで済むよう、注意深く進んだ。

 幸いゲルは責任感が強い子で、体調が崩れるまでにこの森の切れ目までを調べてくれていたので、それ

を過ぎるまでは不安を少なくしたまま進んで行ける。

 しかしその事がまた彼女に余計な無理をさせたのだろうと考えられ、クワイエル達をもう一度反省させ

た。彼らには確かにゲルを便利な存在として使っていたような所があった。それでも彼女は期待に応えよ

うと努力した。その事がまたゲルの体調悪化に影響した事は言うまでもない。

 彼らはせめて療養中のゲルに心配かけまいと、順調に進んでいる事をペンダントを通して毎日ゲルに伝

える。彼らが何事もなく進んで行く事が、彼女を元気付ける事に繋がると思ったからだ。

 幸いゲルの体調は順調に快復していて、日常生活には支障がなくなっている。

 そしてその頃には、クワイエル達も森の切れ目に到達していた。



 森を出た先は奇妙な光景だった。

 一面が機械の大地で出来ている。どんな機械なのかは解らないが、その質感以外はほとんど大地と変わ

らない。平らで凹凸も少なく、歩き心地も大体同じ。まるで大地がそのまま機械化したかのようである。

 ゲルからそういった事も聞いていたので、そんなには驚かなかったが。もし何の予備知識もなくこれを

見ていたら、クワイエルなどは腰を抜かしていたかもしれない。勿論、嬉し過ぎて、という意味で。

 そうならなかったのは幸いだが、果たしてこの先には何があるのだろう。期待通り機械人でも出てくる

のだろうか。それとも布人の時のように、機械技術に優れた種族が居るのだろうか。

 この先に何があるとしても、ゲルが不在な分、慎重に行く必要があるだろう。話をするとゲルはすぐに

でも来たがったが、クワイエル達の方でそれは止めた。

 ここはクワイエル達の力だけでも出来るという事を、彼女に見せておかなければならない。そしてその

上で彼女に改めて力を借りる。おぶさるのではなく、共に歩くのだ。ゲルにはクワイエル達のお守ではな

い同じ仲間だという事を理解し、納得してもらわなければならない。

 彼女がクワイエル達を信じてくれたなら、これ以上無理させないで済むだろう。

 それはクワイエル達にとっても、とても大事な事だった。

 それにいくら魔力が高いと言っても相手は成人前、一応成人している彼らが頼ってばかりでは、音人達

と対等な関係は築けないだろう。人間も鬼人も自立しているという事を、示さなければならなかった。

 魔術師にも多少の意地はある。勿論、それに拘って無理するつもりはないが。クワイエル達も音人達の

好意に応えたかったのである。




BACKEXITNEXT