14-4.

 軽い音が乾いた風に良く響く。土埃などで濁る事のない音は、まるで楽器の上を奏でながら歩いている

ような気にさせ、少しだけ快く感じた。

 ただ地面が硬いので、すぐに足腰に負担がきて、思うように進めない。そこで魔術によって重力を少し

和らげ、伝わる振動を弱めて、身体への負担を少なくさせる事にした。

 このくらいの魔術は今の彼らなら難しくない。

 しかしその魔術は歩く度に急速に弱まり、数歩歩くと完全に消滅してしまった。この地面には魔力を打

ち消すか吸収する魔術がかけられているのだろうか。

 だとすればクワイエル達自身にとっても、この地面は危険だ。もしその魔術がクワイエル達の肉体にも

及ぶのだとしたら、魔力、つまり生命力を吸い取られて、ミイラのように干からびてしまう事になる。

 これに対抗する魔術を考えてみたが、当然これを創った種はクワイエル達よりも魔力が遥かに上なのだ

から、無理に抗おうとしても、返り討ちにあうだけかもしれない。下手に地面にかけられた魔術に何かし

ようものなら、何が起こるか解らない。止めておいた方が良いだろう。

 力の差が歴然である以上、この地面をどうにか出来ると考える方が間違っている。

 そこでとにかく地面から離れれば良いのだと考え、空気を固形化して足裏にくっつけてみた。ここの大

気からは特に異常が感じられないから、その空気の上に乗り、地面との間に隙間が出来れば、後は普通に

歩けると思ったのだ。

 しかしこれは甘い考えで、数歩歩くと空気を固形化していた魔術は失われ、足は虚しく空を滑る。多少

地面から離れたぐらいでは無駄らしい。

「困ったな」

 素直な気持ちを呟いてみたところで問題が解決する訳もなく。クワイエル達は仕方なく境界まで戻り、

対策を練る事にした。



 二日程考えたが、良い考えが浮かばない。

 何しろ魔術が全く通用しないのだから、どうしようもない。何をしても地面に吸い取られてしまう。

 空を飛べれば良いのだが、自然の摂理に反するような事をする為には、膨大な魔力を必要とする。フィ

ヨルスヴィズくらいの力があれば何とでもなるが、クワイエル達にはとても無理な話だった。

 どうにかして地面から足を離せられれば、機械地面からの影響を少なくする事はできるのだろうが、良

い方法は見つからない。

 靴底を厚くするか、木か何かくっ付ければどうかとも考えたが、地面に触れるのは同じ。多分、意味が

無い。それで解決する問題なら、今も靴をはいているのだから、初めから問題にならなかっただろう。

 後はゲルに相談してみるしかないが、簡単に頼りたくない。結局最後はゲル頼みという事になるとして

も、クワイエル達だけで出来る限りの事はしたい。ゲルに頼るのは、あくまでも最後の手段である。

 結果、最終的に出た結論は、暫く機械地面の上で過ごしてみる、という無茶苦茶なものだった。

 発案者であるクワイエルの言い分はこうだ。

「確かに魔術は消されてしまいましたが、それは魔術であったからかもしれません。魔術を構成していな

い魔力には反応せず、普通に歩く分なら何も問題無い可能性があります」

 確かにその可能性が無い訳ではないだろうが、そうといっても危険過ぎる。もし普通に歩いたりするだ

けで影響があったとしたら、やはりミイラになってしまう。

 エルナがそう述べると。

「大丈夫です。この端のぎりぎりに居れば、いつでもこちらへ戻って来れますから」

 何が大丈夫なのかは解らないが。確かに異常を感じればすぐに逃げる事はできる。それにクワイエルは

頑固な男だ。はっきりそれが無理と証明されない限り、一度言い出した事を簡単に撤回したりはしないだ

ろう。彼に何を言っても、可能性があるのなら試すべきです、これは必要な事なのです、などといつもの

生真面目で厄介な表情で切り返されるだけだ。

 それでも暫く言い争いのような事を続けていたが、仲間達もいい加減やっていられなくなったのか、少

し不機嫌な顔ではあったものの、了承する事にしたようだ。そこまで言うなら勝手にすればいい、という

ような気持ちだったに違いない。

 こうしてクワイエルの機械地面生活が始まった。



 実験開始から三日程経つが、別段異常は感じられない。クワイエルはいつもと同じく行動し、同じよう

に生きている。呼吸がし辛くなったり、疲労感が増したりもしていないようだ。魔術さえ使わなければ、

影響が無いようである。

 魔術があっという間に消されてしまった事を考えれば、三日も居れたのだから大丈夫だろう。確証はな

いが、今日明日で死ぬ事はない。

 この間にゲルの体調も良くなっていたので、良い機会だという事でクワイエルの奇行を説明し、理解を

得る事に努力してもいる。きちんと説明しておかないと、これから一々吃驚させてしまったら、余計な心

労をかける事になる。こういう事はやはりちゃんとしておいた方がいい。

 ゲルは初めはさっぱり理解できなかったようだが、三日間クワイエルという人間を観察したおかげで、

彼がどういう存在なのかを薄々察する事が出来たようである。

「変わり者、頑固者、ようするに変人ね」

 出した結論はさらっとしたもので、逆に気持ちいいくらいだ。

 勿論クワイエルに聴こえるように言ってもらったが、クワイエルの方は全く気にしていない。何を今更

当たり前の事を、とでも言うような顔で居る。その態度がさっぱりし過ぎて憎めないのが救いなのか、だ

からこそ性質が悪いのか。相変わらず困った男だ。

 しかしこの変人観察のおかげで、クワイエル一行とゲルとの間に、より親密な空気が生まれた事も確か

だ。クワイエルのいつもの、しかし妙な行動が、不思議な親近感というのか、呆れからくる脱力感という

のか、をもたらし。それが気張っていたゲルの心に程好い風穴をあけて、丁度良くすっきりさせてくれた

のだろう。

 変人にはその場を妙に和ませてしまう力がある。悔しいが認めなければならない。

 実験生活が何となく実を結んだので、覚悟を決めて全員で進んでみる。

 安全が完全に保証されたとは言えないが、何かあってもゲルが助けてくれるそうで、心強い。彼女も余

計な力が抜けたのか、良い音をさせている。初めから頼るのを前提に行動するのは負担をかけすぎるが、

いざという時に頼るという風であれば、かえって元気付ける事ができるものだ。

 責任感に押し潰されそうな程でなければ、頼られるのは素直に嬉しい。

 それにここから先の全ての種は、おそらくクワイエル達よりも遥かに強い力を持っている。それに対抗

できる可能性があるのはゲルだけで、その力に絶対に頼らない、という事は不可能だ。

 だから頼るのはいい。ただその頻度というのか、姿勢が問題である。最後に頼るのはいいが、初めから

頼るのはいけない。何事も程度の問題である。

 ゲルもそれを理解してくれようとしているのか。今までのように率先して自分から出てくる事が減り、

普段はペンダントごしに会話したりするだけで、呼ばれるまでは待っていてくれるようになった。

 彼女もこうして団体生活と個々の役割というものを少しずつ学んでいくのだろう。パーティでは自分一

人で全てをやる必要はない。例えそれが一人で出来るのだとしても、一人でやる必要はない。分担すれば

よく、誰もが皆を頼ればいい。それがチームワークというものだ。

 何処までも同じ景色が続いている。

 この地は変化に乏しい。段差もなく、平らな地面だけが何処までも広がっている。

 時折その地面から何やら音がするような気がしたが、それが何なのかは解らない。

 ゲルの分析によると、いびきでもかいているような、あくびでもしているような、感じだそうだが。ク

ワイエル達にはよく解らない。

 機械というよりは生物のように感じる、という意味なのだろうか。詳しく聞きたかったが、ゲルもはっ

きりとは解らないようなので、とにかく進む事にした。進んでいれば何か解るだろう。多分。

 そう思って周囲を警戒しつつ随分進んだが、景色は変わらない。

 つまらない、と言ってしまうと不謹慎だが、盛り上がりに欠けるのは確かだ。ゲルが退屈そうにする時

間も増え、クワイエル達にも焦りの色が浮かぶ。

 それでも我慢して進んだが、やはり変化は見えない。

 まるで変わらない事だけが美徳とでも言うかのように、何もかも一緒だ。

 多分この足元の地面を切り取って、百m先の地面と入れ換えたとしても、ぴったりそこに収まるのだろ

う。そう思えるくらいに、同じ景色が続いている。

 この一帯が一度に全部まとめて同じ物に創り変えられてしまった、という事なのだろうか。

 何を考えてこうしたのかは解らないが、何かその種なりの理由があったのだろう。それとも何となくや

ってみただけなのだろうか。或いは芸術の問題か。

 何も解らないし、手掛かりになるようなものも無い。先に進むしかできる事はない。

 足腰への負担を考慮し、クワイエル達は諦めて少しずつゆっくり行く事にした。

 ゲルが退屈するのには申し訳ないが、探索とは大体そんなものである。よく誤解されているが、新発見

が無ければ、冒険もそんなに楽しいものではない。



 一週間経つが、相変わらず変化はない。

 それでもクワイエル達の身体に異常が出ず、無事に過ごせている事はありがたい。ゲルのおかげで食糧

調達も楽になったので、焦る必要もない。使い走りのような役目しか出来ない事に、ゲルは不満そうだっ

たが、文句を言いつつもちゃんと役目を果たしてくれている。

 ただし、無制限にそれを得られる訳ではないので、今までと同じように節約し、大事にする必要はある。

生活態度というのか、そういうのは以前と変わらない。

 多分、これからも変わらないのだろう。

 この機械地面が何処まで続くのかは解らないが、このまま何も起こらずに抜けてしまう、という可能性

もある。少し物足りないが、それはそれで良いのかもしれない。謎が謎として残るのは魔術師として辛い

が、無事に通り抜けられる事は何よりも得難く、ありがたい事である。

 今日もまた一日が何事もなく終わり、見張りを立ててゆっくりと身体を休ませる。

 体温を維持する魔術なども使えないのは辛いが。機械地面は何もしなくても程好く温かく、ごろ寝して

もそこそこ快適である。地面が硬過ぎて体が痛くなるのが辛かったが、残っていた毛布などを上手く使っ

て何とか凌(しの)いでいる。

 野営道具一式をあげてしまっているので、そこは我慢するしかない。まさかこんな所で使い道が出ると

は思わなかったが、今更返してと言うのも気恥ずかしいし、戻るには遠い。

 これも訓練と腹を括って耐える事にする。

 いつもと同じように日が落ち、ゆったりと時間が流れる深夜。しかしそれは前触れなく起こった。

 地面が割れ、クワイエル一行は開いた穴に吸い込まれてしまったのである。

 その時の見張りはレイプトだったのだが、彼にもどうしようもなかった。何しろ魔術の一切が使えない

のだから、例え見張りがハーヴィやクワイエルでも同じ事だったろう。

 抗う事など出来ず、すやすやと熟睡したまま、クワイエル達は吸い込まれていく。



 落ちていく。周囲があっという間に上に消えていく。これはつまり落ちているという事。だがレイプト

にはそれよりも気になる事があった。何故ハーヴィ達は目を覚まさないのだろう。

 それが些細な変化なら解る。しかし今は皆一度に落ちている。こんな大きな変化が起きているのに、何

故誰も目を覚まさないのだろう。皆寝ていても、ある程度は周囲を警戒している筈なのに。

 理由として考えられるのは、魔術か何かで眠らされているのかもしれない、というもの。

 だがそれならレイプトだけが起きているのはおかしい。別に彼一人だけ起こしておく意味はない筈だ。

 という事は、これは見た目程大きな変化ではないのか。

 そう気付いてみると、足裏の感覚が地面を踏んでいた時のままである事に気付く。

 そう、これは落ちているのではなく、下がっている。クワイエル達が眠っていた地面一帯が、そのまま

地下に下がっているのだ。

 地面に手を当ててみると、その降下が驚くほど静かに行われている事が解る。遅くはなく、むしろその

速度は速いのだが、ほとんど振動を感じない。感覚としてはむしろ周囲の地面の方が隆起していると思え

るくらいで、クワイエル達が目覚めないのも無理はないのかもしれない。

 地下に行けば大地から発する魔力が強まる筈だが、それも感じない。感じ取れる魔力量も地上の時のま

まだ。状態を維持したまま、静かに速く下がっている。

 レイプトがそれを悟り、再び辺りを見回した時には、いつの間にか地面は停止していた。

 目の前には一本の道が見える。他にもあるのかもしれないが、明かりで照らされているのはそこだけで、

他は静かな暗闇に満ちている。

 そしてその明るい道が、まるでレイプトを誘うように点滅を繰り返している。

 ハービィ、クワイエル、ユルグ、エルナ、の順に話しかけ、最後にはペンダントからゲルを呼んでみた

りもしたが、誰も反応しなかった。まるで時が止まっているかのように、皆動かない。何も伝わらない。

 レイプトは恐ろしくなってきたが、一つの決断を迫られている事にも気付く。

 即ち、このまま仲間達の側で見守り続けるか、それとも示されている道を進むか。

 今行動できるのは彼一人だ。だから彼自身が独りで考え、独りで決断しなければならない。

 今までハーヴィとクワイエルに任せきりだった彼にとって、これは少なくない恐怖であり、初めてこの

旅の重みを背負ったようにも感じられた。

 しかし彼もハーヴィに見出された男。その心は強い。パーティ内の役割としてそれをしなかったが、レ

イプトには決断力も行動力も備わっている。

「行こう」

 決意するように呟き、躊躇(ちゅうちょ)無く明るい道へと足を踏み出す。

「魔術師に聞かなければ、魔術の事は解らない」

 クワイエルに以前聞いた。危険に入らなければ得るものも得られない、という意味の諺を呟いた頃には、

迷いはもう消えていた。



 道は飽きる事無く伸びていく。進めば進むほど奥へ奥へと明かりが灯り、どこまで進んでも決して終わ

りに辿り着けないような気がしてくる。

 後ろを振り返ると、今までに来た道の明かりは全て消えていた。それでも真っ直ぐ来たのだから、真っ

直ぐ帰れば戻れるのかもしれない。でも本当に真っ直ぐ進んで来たという保証はないし、もしそうであっ

たとしても、真っ直ぐ歩けば真っ直ぐ帰れるとは限らない。

 ここの地面は完全に静かに動く事が出来る。一度暗闇に入ってしまえば、訳の解らない場所に移動させ

られ、それこそもう二度とハーヴィ達と会えなくなるような気がした。

「主導権はあちらにある」

 レイプトは考える。

 こんな時、ハーヴィならどうするだろう。ハーヴィならどう考えるだろう。

 今までの旅で様々な事を学び、様々な場面での思考法を学んできた。今こそそれを活かす時。これは危

機ではなく、今までの成果を見せる良い機会である。

 腹を括ると心も落ち着いたのか、頭が滑らかに回る。

 まず疑問として浮かんでくるのは、何故レイプトなのか、という事。

 これは多分、たまたま彼が起きていた時間だったからだろう。他に何か理由があったとしても、彼には

見当も付かない。悩むだけ無駄である。今は解る範囲で考えればいい。そうすれば解る事、解らない事が

はっきりする。

 次に考えたのは、こうして一人だけ呼んだのは何故か、という事。

 魔力は明らかに向こうの方が上。例え仲間全員起きていたとしても、今のレイプトと同じく、明かりに

導かれるまま進むしかなかったろう。だったら何故一人だけなのか。

 もしかしたら想定外だったのかもしれない。例えばその状態を続けさせるような魔術をかけたが、レイ

プトが一人起きていたおかげで、彼だけは起きている状態を維持するしかなくなった。そこで計画を変え、

一人だけ呼び寄せる事にした。

 もしそうなら今の状況はとても危険という事になる。

 不安が過ぎる。しかし進むしかない。仲間達の許には戻れないし、他に出来る事も無い。ここで立ち止

まったとしても、それこそ無意味だろう。

 それに今も身体に異変を感じないという事を考えれば、危害を与える気がない、という意味にもとれる。

「よし、行こう」

 結局進むしかないのだ。与えられた選択肢は一つ。他には何も無い。

 答えは出た。

 レイプトはそれ以上考える事を止め。今度はこの状況を魔術師らしく楽しもうと考えた。今の状況は言

ってみれば自分一人だけが特別待遇なのだ。そう思うと、何となく嬉しくならないでもない。

 険しかった表情は和らぎ、少し間が抜けてはいるが、穏やかといえるものに変わっている。その表情は

何処かクワイエルに似ていて、その思考法も初めはハーヴィだったのだが、何だか最後の方は思いっきり

クワイエルになっていた事に、レイプト自身は気付いていない。

 このように病というものは本人の気付かない所で進行していく。

 それにはっきりと気付いた時はもう遅い。何故なら、病状が解りやすい程に出たという事はすでにそれ

に完全に侵されている、事を意味するのだから。

 だが彼も最初のうちはハーヴィ流でいけていたのだから、まだ救いはあるかもしれない。

 諦めなければ、望みはある。

 彼がなるべく早く気付く事を祈ろう。

 道は果てしなく続いている。まるでその事を気付かせる為の時間を与えてくれているかのように。

 だがレイプトはあくまでも楽しみながら進んでいた。それが本当は何を示していたのかを、考えもしな

いままに。




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