15-2.

 ひょっこり産まれたのは、小さな筍。

 巨大筍のヒビから小さな筍がぽんと出てきた。

 大きさは埋まっていた筍を一回り大きくした程度だろうか。それが地面に横たわったまま、ゆらりゆら

りと動いて止まる。

 風があるようではないし、多分自分の意志で動いているのだろう。或いは何かの力が働いているのか。

 小さな筍、これをチイノコと呼ぼう、が何の前触れもなく産まれ、見張りだったユルグに起こされて、

それからずっと観察を続けているが、どうも思っていたようなものと違う。

 チイノコは欠片のようなもので、中から本体が出てくるかとも思っていたが、巨大筍からはそれ以上何

か出てくる様子はない。ヒビを大きく開けたまま、大きく佇んでいる。

 あれだけ大きな筍からこんな小さなチイノコが産まれる。何となく物凄く勿体ないというのか、効率が

悪いというのか、肩透かしを食らった格好だ。しかし小さいから弱いとは限らない。

 しばらく黙って見守っていたが、特に何が起こるようでもないので、腰をすえて待とうと野営の準備を

始めた。

 先に進んだ方が早いような気もするが、やっぱりそれは怖い。この先のチイノコはやたら大きく成長し

ているという可能性もあるのだから。

 二日経った。

 チイノコは揺れ幅が少しずつ大きくなり、止まってから動くまでの時間も短くなっている。

 クワイエル達はチイノコの意図を察していた。

 彼、もしくは彼女、もしくはそれ以外の何か、は起き上がろうとしているのだ。横たわった体を揺らし

て、その反動で起き上がろうとしている。

 動物が地面に立って始めて生きる権利を得られるように、チイノコも起き上がる事で生きる権利を得る

のだろう。厳しいが、自然とはそういうものである。多分。

「がんばれ、もう少しだッ」

 クワイエル達はいつの頃からか、必死にチイノコを応援するようになっていた。生まれる前からずっと

見ていたから、情が湧いてしまったのかもしれない。

 それが良いのか悪いのか。もしかしたら起き上がった早々チイノコに食われてしまうという可能性もあ

るのだが、とにかく応援した。これはもう応援したいのだから仕方がない。

 そしてその時は訪れる。

 コツを掴んだのかチイノコは上手くぎりぎりまで反動をつけ、そこから勢い良く一息に起き上がった。

 クワイエル達は思わず拍手する。自然に湧き上がる感情のままに手を叩いた。

 それに気付いたチイノコはくるりと反転し、その仕草は気恥ずかしそうに前面を隠したようにも見えた。

 感動のまま暫く観察していると、今度はゆっくりとチイノコの皮がむけ始める。

 チイノコが体を揺らす度、一枚ずつめくれていく。がばっと一気にはがれるのではなく、少しずつ花開

くようにむけていく。

 そして最後の一枚がむけた時、閃光を発したかと思うと、そこには大きな大きな筍、これをデイノコと

呼ぼう、があった。

 どうしても筍からは逃れられないらしい。これは期待外れでもあり、期待通りでもあった。



 デイノコは巨大筍程大きくない。チイノコと比べるから大きく見えるが、あっても3mくらいだろう。

 抜け殻になった巨大筍と比べるとはっきり小さい。

 デイノコは暫くクワイエル達を見詰めるようにじっとした後、ふっと転がってどこかへ行ってしまった。

 クワイエル達も何となく追うに忍びなくて、黙って見送る。

 生命が独り立ちする時、別れが必ず必要になるものだ。できれば会話してみたかったが仕方ない。意図

せずとはいえ親の立場になった彼らには、見送る事しかできなかったのである。

 しかしこれで敵意を持たずに済みそうな種だとはっきりしたので、彼らは安心し、改めて奥へ向けて出

発した。



 しばらく進むと、抜け殻になり枯れ始めていた巨大筍といくつも出会った。しかしチイノコにもデイノ

コにも出会う事はなかった。

 多分デイノコに成長すると、皆行くべき所へ行ってしまうのだろう。そこがどこで、何の為に行くのか

は解らないが、そうに違いない。

 デイノコの行く末が気になるが、今更追い付けないし、彼らが行った所で何ができるとも思えない。涙

を呑んで諦めるしかなかった。

「あの子が立派に育つ事を祈って」

 しばらく目をつむり祈りを捧げた後、北上を再開する。筍に負けていられない。彼らも彼らでやるべき

事をやらなければ。例えその先に何が待っているとしても。



 筍らしき物を見なくなってから三日経つ。赤茶けた地面を踏みしめながら進んで行くが、変化は無い。

 試しに穴を掘ってみても、何も見付けられなかった。土の下には土。地層の積み重ねがあるだけだ。

 更に二日進むと、少しずつ風が強まってくるのを感じた。

 穏やかな環境が続いていたので最初は新鮮だったが、次第に痛みを感じる程強いものになり、今では歩

くのも困難になっている。

 肉体が強化されていてさえこれなのだから、強化する前、一年前ならここに居る事すらできなかったか

もしれない。

 空気の幕を張って防ごうとしたのだが全く用をなさず。風は全てを通り抜け、心まで染み透る。

 それが物理的な現象なのか、精神的な幻想なのかの区別すらつかなくなってくる。

 これは危険だと判断し、クワイエルは珍しく引き返す事を決断した。今までは多少無理があっても進ん

できたのだが、彼もそれなりに学んでいるらしい。

 あくまでもそれなりだろうが。

 耐えられるだろう辺りまで引き返して対策を練る。しかし何も浮かんでこない。

 それでも吹いている風を注意深く調べていると、この風は物理的なものでなく、魔術で創られた幻覚の

ようなものである事が判明した。

 彼らもハールバルズから様々な知識を与えられたおかげで、以前よりも解る事が増えている。

 とはいえ、解った事はそこまで。何の目的でこの風が創られたか、そしてこの風に耐え切れなくなった

時、最終的にどんな状態になるのか、までは見当もつかない。

 結局解らないんじゃないか、と言われれば正しくそうである。多少進歩したとはいえ、絶対的な力の差

がある以上、解らないものは解らない。

 悲しいが、訓練を積んだ程度で乗り越えられるようなものではない。

 壁というよりはその先が無いのである。

 あるべき道が無い。進むべき道が無い。そこには永遠に達する事ができない。そういう絶望的なものが

はっきりと横たわっている。



 話し合った末、少しずつこの魔術に体を慣らしていく、という答え何だかよく解らないいつも通りの結

論に達した。

 もし無理そうなら迂回する。新鮮味はないが、他にどうしようもない。選択肢はそう簡単に増えるもの

ではないのだろう。

 ただし彼らも何もせずに居た訳ではない。何とかできないかと新しい魔術を考えて試してみたり、でき

る限りの事はやっている。

 しかしそれも微々たる成果しか挙げられず、結果としては体を慣らす、以上の事はできなかった。

 努力だけではどうにもならない事がある。この大陸では特に多い。悔しくても、どうにかしたくても、

どうにもならない事はどうにもできない。

 それはハールバルズからもようく言い聞かせられた事だ。

 彼女が言うには、クワイエル達の力はどうしようもなく小さい。いくら鍛えても、強化しても、力を貸

しても、それは埋まらない。この先に住まう種に正面から向かえば、一撃の下に叩き潰されるだけ。

 例えそれが相手にしてみれば攻撃的な動作ではなくとも。身を震わせただけで終わりかもしれないし、

立ち上がった衝撃で消し飛ばされてしまうかもしれない。それは誰にもどうにもできず、弱く生まれてき

た方が悪い、とでも言うしかない答えである。

 だからそれを理解し、その上で全てを考える事、今まで以上にそれを意識する事、をまず徹底させられ

た。どうにもならない力というものを、何度も何度も味あわせられた。魂に刻み付けられたのだ。

 受け容れるしかなかった。全てを。例えそれがどんなに認めたくないものであっても、どんなに無力感

を抱くものであっても、とにかく全てを受け容れる。それだけがレムーヴァを進む資格。彼らに唯一与え

られる資格。

 だがこの風が精神的なものであるなら、彼らにも可能性が生まれる。全ての魂はほぼ等しく在り。圧倒

的な力を持つ種でさえ、思考の次元とでもいうべきものはほとんど変わらない。差はあるが、全く違った

ものではない。

 全ての種は、食べ、休み、遊ぶ、それらを繰り返し生きている。

 これまで出会ったどの種も変わらなかった。だからこそ解りあえる可能性があると考えたし、共に生き

ていけるかもしれないという希望を抱いた。

 だからこの風も乗り越えられる。

 気持ちだけは捨ててはならない。



 数日努力していると、何となくコツを掴んできたというのか、解る事が増えてきた。

 この風はそれを感じる者によって受け取り方が違う。印象というのか、受ける風の強弱などが違うのだ。

冷たいと思う人も居れば、同じ時に柔らかいと感じる人もいる。痛いと思う人もいれば、寂しいと思う人

もいる。人の数だけ違う思いを与えられる。

 初めはその人の心が、つまりその時の気分に左右されるのではと考えていたのだが、どうもそれは違う

ようだ。

 気持ちに関係なく、風は様々な感情を与えてくる。だから気持ちを無理に塗り替えられるような気がし

て、不快で、辛いのだ。

 この風自体はそんなに強いものではないのかもしれない。しかしその浸透力というのか、強制力という

のかが酷く強い。抗えないから苦しい。心がもたらされる感情に付いていけなくなる。

 楽しいはずなのに悲しい。しんどいはずなのに嬉しい。勝手に心をいじられ、自分の感情を否定され、

耐えられなくなる。

 これはもうどうにもならないのではないか、というような気がしたが。人間不思議なもので、こんな妙

なものにも慣れてしまうらしい。

 次第に自分の勝手にならない心の動きすら楽しむ余裕が出てきて、もう一歩、もう一歩と行ける範囲が

広がってきた。

 何の事はない。思い通りにならない心の動き、感情。それはいつもそうなのである。常に自分で自分の

心を塗り替えている。それを他人にされるのは不快でも、すでに体験している事なら、慣れる事は不可能

でないのだ。



 一日一日確実に進んでいる。ハールバルズの所で一年も修行したのだ。今更多少の時間を使ったとして、

何とも思わない。一生をかけて踏破できればいいくらいのもので、焦る心は置いてきた。

 そんな風に忘れていれば、いつの間にか着いているし。逆に今か今かと考えている内は、ずっと辿り着

けないような気がする。

 意識しないと始まらないが、それに囚われていてはどうしようもない。

 そんな風に考えている。

 クワイエル達は日々談笑しながら、自分の心に吹く風を楽しみ、苦痛さえ呑み込む。

 辛くないといえば嘘になるし、強がりだと言われればそうかもしれない。でも実際に耐えてこうしてい

られるのだから問題はなかった。

 ただしゲルだけはどうもこの風が苦手らしく、初めに少しだけ出た後、すぐにペンダントに引っ込んで

出てこなくなった。

 もしかしたらこの風は音と関係があるのかもしれない。振動、心の波と。

 空気ではなく心を震わすものであれ、確かにそれは風だろう。そして風ならば、音に強く影響する。ゲ

ルは音そのものの生命なのだから、一番影響を受けやすい。

「音・・・・か」

 どうやら一つ見えてきた。正解かは解らないが、何らかの関係はある。そして一つが見えればそこから

想像を広げて行ける。形を捉える事さえできれば、そのものを掴む事もできる。

 大事なのはイメージだ。強く頭に描いたそれが、全てを解く材料になる。理解への始まりである。



 その魔術が何をしたいのか、或いは何をしているのか、を掴めれば対処しやすくなる。

 輪郭は掴んだ。後はそれがどこに向かっているかだ。

 これが何らかの罠であれば、そこには意味がある。しかしこの風が例えば誰かの息吹だったとしたら、

クワイエル達が考えるような意味はない。それを起こそうと思っているのではなく、結果的に起こるもの

に意味など求めても無駄だからだ。

 まずは意味を考える。そこから始まる。

 この風が罠だとしたら、心を揺さぶり、砕く事で無力化させよう、という狙いがあるのだろう。

 でもそれならそれで徐々に強くなるというのはおかしい。一息に仕留める方が罠の役目を果たせる筈。

 だったら引き返せという警告か。そうかもしれない。それならまだ納得できる。でもそれならそれで、

徐々に強めるという意味が解らない。わざわざそんな事をしなくても、初めから入れないような強いもの

にしておけばいい。

 侵入者に出来る限り危害を加えたくない、というのなら確かに解る。でもそうだとしても、ここまで長

い距離に魔術をかける意味が解らない。

 となるとこれは自然発生的な現象ではないのか。

 呼吸のように、その生命が生きていく上で必要な行動をした結果起きる現象。だからこの風を起こす事

自体に意味は無く、結果として起こっているに過ぎない。

 魔術は魔術でも、生命活動に近い、つまりより純粋な始まりのものに近い魔術。

 クワイエルはそう結論した。他の皆も大体似たような考えを出している。

 ではどうするか。

 どうもしない。

 進むだけだ。

 そして考える。何故こんな現象が起きるのだろう。どういう状態にあるのか。

 迷っているのだろうか。不安定な心のまま生きているのだろうか。始終訳のわからない妄想に付きまと

われ、疲れているのだろうか。まるで彼らと同じように。

 もしクワイエル達の力がもっとずっと強く。ほんの少しの想いが外界に影響を与えてしまうまでに強か

ったとしたら、どうなっていただろう。人はそんな中でも共に生きていけたのだろうか。

 そうとは思えない。

 だとしたらこの種は一体なのか。

 一方向からこの風がきているようだから、それを発生させている生命が一体であるという可能性は強い。

しかし沢山の生命が集まって生活しているという可能性もあれば。この風を生み出す生命は一体でも、他

に生命が居るという可能性はある。

 結局行って見なければ解らない。だからこそ彼らは今ここに居る。

 魔術師にとって知る事は何にも勝る喜びなのだから。



 そこに達するまでに一月の時間を要した。

 風はもう疾風と呼べる程に速く、心の中を吹き荒らしている。

 一瞬一瞬に感情が塗り替えられていく。頭の回転が速い種なのか、それともころころころころ心変わり

する種なのか、よく解らないがどんどん不安定になっている。

 慣れてもこれは辛い。

 しかし耐えられる。この一月、精神面の訓練を積み、クワイエル達は一回り成長している。

 そこにはゆったりと輝く小さな丸い物体が浮かんでいた。

 風はそこから発せられているようだ。

「・・・・・・」

 一際(ひときわ)強くなる。

 クワイエルも流石(さすが)に悦びのまま飛び出して行けない。それ程に強く。急激に増した風は荒れ

狂う暴風となって心そのものまでかき消してしまおうとする。

 拒否されているのか。

 それとも自分自身を否定しているのか。

 迷い。疑い。

 クワイエル達はその心が鎮まるのを待った。

 誰でも独りで居たい時がある。




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