15-3.

 風が少しだけ緩やかになったのを確認し、クワイエル達はゆっくりと前に進んだ。小さな球体の光も心

なしか和らいで、少しだけ力を失ったような、まるで眠る前であるかのような感じがする。

 しかし消えたわけではなく、気を抜けば風に心をかき消されてしまいそうだ。

 気を張って魔力を高め、ゆっくりゆっくりと近付いて行く。

 近付けば近付くほど風の勢いが増す。やはりあの球体から発せられているのだろう。どういう仕組みな

のかは解らないし、どういう意味があるのかも解らないが、ともかくこの球体が原因なのだ。

 球体の中で何かが息衝いている。

 やわらかな光を放つ球体の中で、眠る赤子のように浮いては揺れている。呼吸しているかのように、ゆ

ったりと上下しながら、何かを数えているかのように、正確に揺れ動く。

 丸くずんぐりした体。手足は二本ずつ。丸みを帯びた体は生きたぬいぐるみのようにも見える。毛は生

えていなく、白く透明にも見える色で、わずかに先が透けて見える。その胸にはぽっかりと大きな穴が空

いていて、風はそこから流れ出ているようだ。

 規則正しい上下運動とは別に、風は不規則に吹き荒れる。心と体は別物だと言わんばかりに、無関係に

吹いている。だからその動きと風を見ていると、何だか騙されたような気持ちになってくる。

「あれが、この地の主でしょうか」

 クワイエルの問いに、ほぼ全員が頷いた。この状況で否定する者は居ないだろう。

 彼自身もそう考えているようで、当たり前のように頷き返した。別にわざわざ聞かなくても良かったの

だが、何となく何かを言いたくなったのかもしれない。

 そういう所が彼にはある。

「先行します」

 それまで先頭にあったレイプトを追い越し、クワイエルが一人前に出た。こつを掴んだのか、あまり苦

しそうではない。この不規則な風の変化にも柔軟に対応できている。器用というよりは、多分重なる部分

が多いのだろう。

 気分屋という点ではクワイエルも負けていない。

 他のメンバーは心をかき消されないようにするだけで精一杯だ。

 それでもハーヴィだけは少し余裕があるのか、彼もまた少しずつ球体に近付いていく。もしクワイエル

に何かあったら手助けするつもりなのだろう。どう考えてもまともに戦う事は無理だが、今の彼らなら逃

げる事くらいはできるかもしれない。

 あくまでも、かもしれない、という可能性でしかないが。無いよりはましだ。

 他の三名は無理せず二人を見守っている。

 その間も風は千変万化。まるで風そのものがクワイエルになってしまったかのように、全く手に取る事

ができない。捉えた、と思ったそばから抜けていく。それが小さな絶望を生み、その絶望が重なって心を

折る。

 エルナ、ユルグ、レイプトの三名はそれを何とかいなすだけで精一杯だった。おそらくこの三名は未だ

変人の一歩手前で踏み止まっているのだろう。できればそのまま踏み止まっていてもらいたい。

 そんな期待を嘲笑(あざわら)うかのように、クワイエルはとうとう球体にまで達してしまった。

 もうこの風でさえ彼を止める事はできない。せめてこの風が精神ではなく肉体を攻めるものであったな

ら、もう少し何とかなったのかもしれないが・・・、残念な事だ。

「ふうむ」

 クワイエルは球体を中心に円を描くように移動しながらじっくりと観察を初めた。刺激を与えないよう

にする為か呼吸さえ静かにしている。

 ハーヴィはそれを確認するとそれ以上進むのを止め、何が起きても大丈夫なように魔力を高め始める。

 クワイエルは暫く観察を続けていたようだが、おもむろに腕を上げると、その球体を突き始めた。

 光の粒子がクワイエルの指先に付着し、うっすらと光を放っては消えていく。

 その光は非常に柔らかく、中のぬいぐるみ生物を優しく包み込みながら、何者も拒まない。しかしぬい

ぐるみ生物の胸穴から吹き荒ぶ風は一層強まり、侵入者に警戒しているようにも見える。クワイエルも耐

えられなくなり、数歩後退して体勢を整えた。

 するとすぐに風は触る前にまで治まり、ゆったりしたものに変化してきた。まるで煩わしいものから開

放された事を喜ぶかのように。

 やはりこの風はこの種族の心をそのまま現しているのだろう。不快に思えば強まり、安らげば穏やかに

なる。些細な変化でも大きく作用し、落ち着きはないが、その分感情豊かであるとも言える。

 ちょっかいを出さない方が良さそうだ。

 しかし止せば良いのにこの困った魔術師はもう一度挑戦しようとする。というよりもしてしまった。

 当然風が強まり、慌てて下がる。しかし慣れてきたのか、前程下がらなくても平気だった。

 それを知ったクワイエルは妙な笑顔を浮かべ、何度も何度も同じ事を繰り返し始める。

 いい加減ぬいぐるみ生物がぶち切れてしまう、という可能性もあるのに、都合の悪い事は考えていない

ようである。

 この男はいつもこうだ。多分、死んでからもこうなのだろう。

 ハーヴィ達も諦めているのか何も言わなかった。もう好きにしろとでも言うように、静かに見守ってい

る。もしかしたら呆れ果てているのかもしれない。

 そうこうしている内にぬいぐるみ生物も刺激に鈍感になってきたのか、球体状に輝いている光に触れて

もほとんど風の勢いが変化しなくなり、クワイエルは待っていたと言わんばかり、おもむろに腕を伸ばし

入れ、その手で胸穴にふたしてしまった。

 そしてもう片方の手を使い、反対側にもふたをする。

 完全にふさがれたぬいぐるみ生物は次第にぷるぷると全身を震わせるようになり、その震えは次第に大

きくなって、しまいにはじたばた暴れるような激しい動きに変わり、クワイエルの手を振りほどいた。

「こ、殺す気かッ!!!」

 しっかり見開いた目は顔と思っていた部分全てを覆う大きな一つ目で、今までのぬいぐるみらしいかわ

いさはどこへやら、不気味さを増した顔にエルナとユルグは危うく悲鳴をあげる所だった。

 その目の瞬きが何とも言えず現実的で生々しく、ハーヴィですら直視するのを避けていたようだが、ク

ワイエルは平然と現実を受け入れ。

「おはようございます」

 と、間の抜けた挨拶を述べた。



 ぬいぐるみ生物改め一つ目は状況を理解していないようで、叫んでみたもののその後どうするのか決め

かねているのか、何もせずじっと生々しい目でクワイエルを見詰めている。

 あれだけ吹き荒れていた風も光状の球体もいつの間にか消えていて、良く見ると一つ目の胸穴も閉じて

いる。多分片方が開けばもう片方は閉じるのだろう。どういう理屈か、どういう意味があるのかは解らな

いままだが、冷静に状況を整理してみると、そういう事になる、ような気がする。

 それとも気分次第で閉じたり開いたりするのか。

 意図してやっているのか、無意識なのか、それすら解らない事は多少クワイエル達を困惑させる。それ

にその目が怖い。なんでここだけこうも生々しいのか。血管一筋一筋まで浮き出て見える。あまりにも現

実的で、見ていて気持ちの良いものではなかった。

 これは威嚇(いかく)なのだろうか。

 クワイエルはにらめっこでもするかのように、じっと見詰め続けている。

 結構な時間が経っていると思うが、お互いに微動だにしないし、瞬きすらしていない。それでも目が痛

くならないのは、風さえなくなればこの場所が非常に穏やかで、若干湿度が高い為だろう。

 風が吹き荒れている間は気付けなかったが、この付近だけ湿度が高く、空気がねっとりと湿り気を帯び

ているようにも感じる。

 気温はそう高いものではないから平気だが、激しい運動をすると余計な暑さを感じるかもしれない。

 それでも何分も目を開けていられるものではないのか、とうとう互いにぱちりぱちりと瞬きし始めた。

「いつまで見てんじゃい!」

 一つ目の瞳が歪み、完全に態度が変わる。どうやらクワイエルの親愛の情だか何だかは全く通じなかっ

たようだ。

「申し訳ありません。良い瞳をされていたもので」

「ほう、この目の良さが解るとは・・・」

 腰を低くしたクワイエルを見、一つ目は機嫌を直したようだ。あまり難しく考えるタイプではないらし

く、思考よりもその場の雰囲気を重視している。

 目は口ほどに物を言うというが、この一つ目もそれは同じで、クワイエル達よりも表情の種類が豊富で、

驚くほど生の感情が伝わってくる。だからこそ気持ち悪いというのか、近寄り難い気持ちになるのだろう。

 とはいえ、それはクワイエル達の基準でしかない。一つ目にとってはこのくらいがきっと丁度良いのだ。

「ええ、それはもう。貴方の気持ちがずんと伝わってきます」

「ほむほむ、あんた、解ってるねえ」

 一つ目は明らかに機嫌を直し、誰が見ても解る笑顔目になっている。でもそれがまた気持ち悪く、クワ

イエルはよく我慢していられるものだ、と同じ魔術師である仲間達ですら思っていた。

 そんな事を考えている内にもクワイエルと一つ目はどんどん話を進める。

「なるほど、なるほど、苦労してるんだなあ」

 一つ目は思っていたよりも人懐こい種で、おしゃべり好きでもあるようだ。聞かなくてもほいほい話し

てくれる。

「よろしい、力になろう」

 話もとんとん拍子に進み、一つ目は協力し合う事を約束した。様々な質問にも答えてくれている。

 どうも一つ目は胸穴や風や光に自分では気付いていないらしい。自分のいびきや寝言、歯ぎしりが解ら

ないように、一つ目にもそれらが解らないようだ。

 一つ目は初めて知らされた事実に驚いていた。その事から解るように、一つ目はずっと一人で暮らして

きた。だからおしゃべりにも飢えていたのだろう。

 一つ目はとにかく良く喋る。そのくせ口のような器官はどこにも見当たらない。

 ある程度魔力が高く、魔術に精通している者なら、ほとんどの器官を魔術で代用できる。だからそうい

うものを発達させる必要がなくなり、退化させてしまったのかもしれない。

 耳のようなものも無いし、とにかく生々しい大きな目だけがある。

 何故目だけが残ったのだろう。必要があるからこそ残り、進化していくのだとすれば、ここからも興味

深い答えを導き出せそうである。

 そんなこんなでクワイエル達と一つ目は友好条約のようなものを結んだ。これ以後一つ目は他の土地に

も現れるようになって、人々はその生々しい瞳に驚き、大いに気持ち悪がり、いつしか妖怪通り目という

噂話を生み出す事になったというが、定かではない。

 クワイエル達はその後一月余りを一つ目と共に暮らし、風を利用して精神を鍛えた。



 一つ目は色んな話をしてくれたが、それは一つ目の居る場所に限られていた。彼もその他の種と同じく、

自分の居場所から外に出ないようだ。

 これだけ他者に興味がある種でも、基本的にそれは変わらないらしい。

 そういえば今までもクワイエル達を真っ向から拒否した種は少なかったように思う。あまり繋がる事を

好まない種でも、ある程度は譲歩してくれたり、さりげなく協力してくれた。他者と自分から関わろうと

する事は少なくても、排除するとかいう思想も少ないように思う。

 フレースヴェルグなどの例もあるが、あれも単純に自分を成長させるというのか、フレースヴェルグと

して生きているだけで、おそらく自分以外全てを滅ぼそうというような思想はなかった筈だ。

 意識せずにそうするからこそ厄介ともいえるが、基本的に友好的な種が多い。これは不思議な事である。

 排他的ではないが、自分から近付こうとは考えない。ただそのきっかけを待っているのかもしれない。

 多くの人間と同じように。

 それとも他者はどうでも良く、だからこそ積極的に接しないが、来れば拒みもしないのか。逆に興味が

無いからこそ、受け容れてくれていると考えられない事もない。

 すでに完成されている種だからこそ、鷹揚(おうよう)でいられる、という考えもある。

 そして完成しているからこそ他を知る、他から刺激を得る必要が無く。気持ちが外に向かわないのか。

 生物が当たり前のようによりよく進化する事を求めているのだとしても、それが無限の欲求でなければ

ならないという理由はない。ある程度行き着く所へ行ったなら、それ以上は求めない。それが進化の行き

着く所と考えても、それほど不自然ではなさそうだ。。

 人間が未完成だからこそこんなにも求めているのであって、それが満たされれば自ずと消える。

 満たされているからこそ他者に寛容(かんよう)になるし、完成しているからこそ何がきても動じる事

無く、気にせず受け容れられる。協力してやろうとも考える。

 ハールバルズが損得関係なく彼らに協力してくれたのもその延長にあると言える。

 この大陸はすでに完成しているのではないだろうか。

 何故今更クワイエル達を呼んだのだろう。

 全てがある程度個々に完成、完結し、お互いに干渉しないように生きているのであれば、今更それを繋

ぐ役割を外から来た者に課す必要は無い。

 クワイエル達に協力的な種は、この大陸がクワイエル達を呼んだのだ、と言う。それに対して今までも

多く考え、ある程度の答えを出してきたように思うが、腑に落ちない事はまだまだ多い。

 もしその答えを見出して完全になれたなら、この大陸の種のように完全になれるのだろうか。

 だとしたらどんな形でだろう。

 数多の疑問が浮かんでは答えなく沈んでいく。

 一つ目に別れを告げ、更に北を目指す。未だ果ては見えない。それがどこにあるのかすらも。




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