15-5.

 幸いにも壁人達はそれほど急いでいないか、元々足が速くない種だったらしく、何とか追いつく事がで

きた。

 しかしそのせいで息が切れてまともに話ができなくなり、壁人からの不審な目にしばらくの間耐えてい

なければならなかった。

 クワイエルは息が整ってからすぐに話しかけようとしたのだが、不審な目からちょっとした緊張感がで

きて、ちょっと話しかけ辛い雰囲気が出来上がってしまっている。

 最後尾に居る最長の人と話をしたかったのだが、その人の前に回り込もうとする度に他の壁人達の視線

が突き刺さり、何となく怯(ひる)んでしまう。

 ゲルの話から察するとこの最長の人がそれなりの地位にある人だろうから、常に側近が目を光らせてい

るのかもしれない。最長の人には全く気にした様子が見られないのだが、それもまた、余計な事をするな、

と無言で言われているようにも受け取れる。

 付いてきても良いとは言われているが、それ以上の行為を認められた訳ではない。余計な事をしようも

のなら、たらふく怒られてしまうかもしれない。

 壁人達は戦いに行くのだ。つい先程来たような余所者とべらべら話している余裕は無いだろう。

 こういう時、それでも平気に話しかけるのがクワイエルなのだが、空気を読んだのか、それともただ見

ているだけで面白かったのか、動かない。

 仲間達も静かに壁人達の後を付いて行くしかなかった。

 壁人達は無言のまま進んでいる。もしかしたら思念か何かで会話しているのかもしれないが、クワイエ

ル達には何も聴こえない。

 仲間同士で喋り合うのも気が引けたので、結局クワイエル達もずっと黙ったまま付いていく事になった。

 それでも壁人達を見ているだけで楽しく、壁人の方も段々慣れてきたのか諦めたのか、もうこちらを見

る事をしない。

 道は今までと同じように洞窟と暗い広場を繰り返しているが。洞窟の内部は以前通ったのとは逆に、

外に向けて広がるように造られている。

 出発点に一列で戻れるようにとの工夫なのだろうか。

 あまり意味が無いように思えたが、それはそれで防衛に良いし、悪い作りとは言えない。それに彼らが

住む場所を、彼らがどうしようと誰に文句を言われる筋合いはないのだ。

 半日程進んだ頃だろうか。壁人達は歩を止め、何の前触れもなくその場に腰らしき部分を下ろした。そ

うしていると手足が見え難く、正しく大きな一枚の壁であるかのように見える。

 ドミノ倒しでもすれば見事に最後まで倒れてくれる気がした。

 クワイエルなどはそれを思うと実行したくてうずうずしてきたようだが、仲間達の必死の説得によって

何とか抑えている。

 気持ちは解るが、壁人の反感を買ってしまえばばどうなる事か。

 ゲルの話では紳士的な種族のようだが、いつもそうであるとは限らないし、壁人の全員がそうである保

証もない。ここは注意していく必要があるだろう。



 暫く待ったが動く気配がないので、クワイエル達だけで先へ進んでみる事にする。壁人の先頭は随分先

だろうし、最後尾に付いていても離れ過ぎていて何が起こっているのか解らない可能性がある。

 危険だと言われたが、折角行くのならこの先で何が起きているのかを見ておきたい。

 最長の人は横目で先へ行くクワイエル達を見たが、何も言わなかった。好きにしろ、という事なのだろ

うか。それとも今はまだ大丈夫な場所だという事なのだろうか。

 ちょっと不安になったが、好奇心の方が勝る。

 最長の人はその態度に呆れたように黙って見送り、目を閉じた。

 進んでも進んでも壁人達は正しくドミノで、どうしても倒したいという誘惑が離れてくれない。

 これだけの壁が次々に倒れていく様は、物凄く爽快(そうかい)だろうが、それをする訳にはいかない

し、した所で上手く倒れてくれる保証もない。諦めるしかなかった。彼らにもそのくらいの節度はある、  そんな風にして半日くらい進んだ頃、ようやく先頭が見えてきた。

 先頭には若干縦に長い人が居る。横幅も若干広いかもしれない。とにかくちょっとだけ端が出っ張って

いて、その後ろに全ての壁人がきっちりと一列に並んでいる。

 しかしようやく先頭と思った矢先、壁人達が起き上がり、行進を再開してしまった。

 クワイエル達はこれはいかんと慌てて急ぐが、それ程速い行進ではないので、程無く先頭に追い付いた。

「列に加わらないのは仕方ないが、私より前に出ないように」

 すると突然頭に声が響き、先頭の人に睨まれてしまう。

 クワイエル達は素直にその声に従うが、従いつつもちゃっかり話を進める。

 しかし先頭の人は面倒らしく。

「気が散るから下がっていてくれ。そろそろ到着する」

 とだけ言って、それ以上は話をしてくれない。

 クワイエルはそれでもとにかくそれが見えるまでは先頭付近に居たい、という事をお願いし続け。初め

は断固反対していた先頭の人も根負けしたのか、いい加減にしてくれと思ったのか、最後にはしぶしぶ同

意してくれた。

 気のせいか若干目付きが鋭くなったような気がするが、そんなもので負けるようなクワイエルではない。

堂々と先頭の人の隣を歩き続ける。

 そんな事をしていると先頭の人も馬鹿馬鹿しくなってきたのか、目を向けてくる事もなくなった。良い

事ではないが、怒らせるよりはましか。

 仲間達は呆れながらも、相変わらずクワイエルはこういう駆け引きというのか、食い下がりが上手いと

思わずにはいられなかった。

 彼にはなんだかんだ言われても、最後には認めさせてしまう力がある。

 引く時はあっさり引くし、その辺の読みというのか、ぎりぎりの線を見極めるのが上手い。

 確かに強引な所もあるが、その強引さがなければとうに死んでいたかもしれない。

 だがその姿勢を真似したいとは思わなかった。弟子であるエルナでさえそうである。彼女達もクワイエ

ルは魔術師の中でもまた例外の魔術師だと考えているようだ。

 それは彼女達が人間の使う意味での魔術師となって日が浅いからかもしれない。できるならそのまま最

後の一線を保持し、染まりきらないように生きてもらいたい。



 先頭に同道して三日経った頃だろうか。不意に先頭の人が立ち止まり、その特徴的な体色が激しく濃淡

を繰り返し始めた。ゆるい光が点滅しているようにも見え、その点滅が壁人から壁人へ、前から後ろへと

恐るべき速さで順番に伝わっていったかと思うと、また後ろから前へと戻ってきた。

 そして先頭の人に点滅が返ってくると今まで一列だった壁人が横に何人も並び出し、その度にクワイエ

ル達は邪魔だとばかりに端へ端へと押しやられていく。

 ある程度まで横に広がると、今度は一斉に壁人と壁人の間が縮まり、一つの厚い壁になったかのように

くっついて、恐るべき速さで前へ移動し始めた。

 いや走るというよりは、高速で飛んでいる。

 ぐんぐん速度を増し、クワイエル達も慌てて付いて行こうとすると、壁から出てきた長い手に掴まれ、

抱え上げられた。

 運んでくれようというのだろう。

 今までの行進が嘘のように、三日で到達した距離を三時間で飛ぶ驚異的な速さですっ飛んで行く。

 クワイエル達は壁塊に身を任せるしかない。

 もし下手な事をして振り落とされでもしたら、物凄い勢いで飛び出して、物凄い勢いで地面なりに突き

刺さり、粉々に散ってしまう事だろう。

 幸い結界でも張ってくれたのか、風も衝撃も感じられず、物凄い勢いで過ぎ去る景色の中、当たり前の

ようにして居られた。

 しかしおかげでゆっくりと観察する事ができる。と思ったら、クワイエル達が抱えられたのは最後尾付

近らしく、密着している壁人達が邪魔になって前の方がほとんど見えない。

 都合良くは、いかないものだ。



 突然壁が停止した。そこには物凄い音と衝撃があったと思うが、クワイエル達には何も感じられない。

 恐々と前を見てみると、視界の端に巨大な何かが映る。

 そしてその巨大な何かは膨れたのか、歪んだのか、複雑かつ速い伸縮を繰り返し、最後には弾けて爆発

してしまった、ように見えた。

 状況から考えると、壁人達はあの何かに物凄い勢いでぶつかったのだ。単純な攻撃だが、物凄く痛い。

 ぼーっと見ていると、気持ちを察したのか、壁人の誰かが親切に説明してくれた。

 それによると。

 何か知らないけどたまにぶにょぶにょしたのがやってきて、折角過ごしやすいように創ったこの場所を

柔らかくしてしまう。

 初めは説得しようとしたのだが、何をしても反応が無い。理解しているのか、無視しているのか、それ

さえ解らない。

 もしかしたら思考を持たない本能のみの種なのかもしれない。

 害が無ければ放っておくのだが、壁人達は体重が物凄く重く、硬すぎても痛くて困り、柔らかすぎても

沈んでしまう。

 仕方なく問答無用に攻撃し、破裂させる事で解決しているのだとか。

 できれば元から断ちたい所だが、ぶにょの性質を考えれば、何かの拍子に迷子のようにしてやってくる

のだと考えられる。

 それをこちらから攻め込んで全滅させるというのはあまりにも乱暴なので、実戦訓練もかねて来たら攻

撃するが、向こうから来なければ何もしない、という方針にしているらしい。

 そんな話を聞くと黙っていられないのがクワイエルだ。すぐさま手を挙げ、彼らの調査をしたいと申し

出た。

 壁人達も最初はクワイエル達の魔力が過小なのを心配したようだが。まあぶにょぶにょには攻撃の意思

は無いようだし、動きも遅い。壁人達の歩きも遅いが、その何倍も遅い。だから何があっても逃げるのは

簡単だし、壁人としてもわざわざあそこまで行って調べてくれるなら、それはそれでありがたい。

 最後には了承し、最長の人から直々にお願いされる事になった(聞く所によると、別に最長の人も先頭

の人も王とか長ではなくて、普通の壁人なのだそうだ。よく解らないが、たまにバランスが悪い壁人が現

れるらしい)。

 こうしてクワイエル達は新たな目標を得て、ぶにゅぶにゅが来るらしい北東へと足を向けたのである。



 壁人達の土地はぶにょぶにゃが弾けた地点から一時間も歩くと終わった。

 そこからは見た目は何でもない赤茶けたむき出しの地面が続いている。だが実際に入ってみると妙に湿

っぽく、足元も若干ぬるぬるしていた。

 他には所々オアシスのように小さな緑地が点々としている以外、目立つ物はない。

 地面を調べてみると、全体をねっとりとした透明な何かが覆っている。乾かさないようにそうしている

のだろうか。

 でもここまでするくらいなら、魔力で湿地に変えた方が簡単だろう。

 だとしたらわざとこうしている。その理由は何だ・・・。

「解らないな」

 クワイエルはいつものように独り呟き、地面から手を離して立ち上がった。

「進むしかないようだ」

 ハーヴィが同調し、レイプトを先頭にしたいつもの隊形になって進み始める。奥へ行けば、何かは解る

だろう。

 歩く度、地面を覆っている思ったよりも堅いぬるぬるが足元に喰らい付いてくるものの、ちょっと足を

上げるとすぐに離れる。若干歩き難かったが、困るほどではない。

 自分達で何とかできるなら魔術は使わない。失敗時の暴走を恐れる事もあるが、その方が訓練になるか

らだ。それにいざという時の為に魔力を温存させておく事も必要だ。

 ぶにょぶにょの姿はどこにも見当たらない。

 想像では、あのようなぶにゃぶみょがそこかしこにいて、ぶにぶにと地面を蠢(うごめ)いている筈だ

ったのだが、そうではないらしい。

 隠れているのだろうか。

 本能だけで生きているとしても、防衛本能は馬鹿にならない。それを遂行する為に、古来生物はあらゆ

る手段を生み出し、生き延びてきた。

 本能こそが進化の原動力で、変化とはそこから発している。油断ならない。

 慎重に、ゆっくりと進む。

 まずは点在する緑地の一つを目指す事にした。何かあるとすれば、多分あそこだろう。

 緑地に近付くに従い、湿度というか地面のぬめり具合が増していく。

 今でははっきりと靴底を取られる。足を上げればすぐ離れるのは変わらないが、それまでに必要な力が

増して、まるでそういう訓練でもしているかのような気になってくる。

 しばらくは自分で自分を鼓舞しながら進んでいたが、それにも限界がきた。

 そこで靴底に粘着しない膜(まく)のような物を生み出して、何とか歩けるようにしてみた。

 この地には魔術を防ぐような結界は張られていなく、地面のぬめぬめにもそういう効果はないようで、

楽に歩けるようになった。

 緑地の中心には沼のような物があり、それに付着するようにして草木が生えているようだ。

 草木の表面はぬめぬめで覆われてなく、手で触れば草木の質感を味わう事ができる。

 ただ何だか奇妙なやわらかさがあるので、あまり触れたくない。

 ぶにょのせいでこんな不気味な触り心地になるのだとしたら、確かに遠慮してもらいたいものだ。クワ

イエル達は壁人達の気持ちがようく解った。

 でもここはぶにょぶみゃの地なので、彼らがここをどうしていようと文句を言う筋合いは無い。黙って

手を離し、調査を進める。

 一番気になったのは緑地の中心にある沼である。

 沼を中心に緑地ができているのだから、何か秘密があるとすればここだろう。

 全員で行くのは危険なので、クワイエル以外は緑地外に引き、彼一人だけで向かう事にした。

 沼に近付くとぬるぬるに湿気が増していく。更に近付くと沼というよりゼリー状の何かの集まりである

事が解ってきた。

 水面が黒く、それが草木の陰になっていたから解らなかったが。近づいてみるとどろりとしているとい

うのか、全く波打っていない。固体と液体の中間のような姿で、でっぷりとその場に居座っている。

 沼の大きさもそれほどではなく、対岸まで大体50mくらいか。その中心で何かがぶくぶくと揺れている。

ゼリーの発生口でもあるのかもしれない。

 そこまで行ってみたかったが、流石に足を入れるのは怖い。そこで食料を取り出し、それを一つ投げて

みる事にした。

 慎重に逃げる態勢を整えてから投げ込むと、食料はその中心部に届き、ゆっくりと沼の中へと飲み込ま

れた。

 一分、二分と待ってみたが、浮かび上がってくる気配はない。

 二個、三個と投げたが、結果はどれも同じ。のっぺりと沈んで消えていく。

 しかしそんな事をしつこく十も二十も繰り返した頃、沼の中心が急激に盛り上がったかと思うと、その

中から例のぶにょぶみょが噴出され、クワイエル達の頭上を越えて30mくらい向こうへ飛んでいった。

 ぶみょはしばらく蠢(うごめ)いた後、ゆっくりと大地に染み入るようにして小さな沼へと姿を変え、

初めは透明のようだった体色は次第に黒ずんでいく。これが沼発生の原因だろう。

 しかしこのぶみょは壁人が弾けさせたでかぶにょに比べて明らかに小さい。

 解らない。まだ何も解決していない。

 そこでクワイエル達は一度壁人の土地まで戻り、その境界からぬめぬめを観察してみる事にした。



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