15-8.

 波紋が立たないので、知らず知らず乱暴というか、雑な歩き方になっていたようだ。気が付くと足元が

やけに濡れている。水辺を歩いているのだから当然なのだが、波紋が立たないという事は水面が揺れない

という事。それなのに膝の辺りまで濡れている。これはおかしい。

 立ち止まって観察していると、水が服の表面を上がってきているのが解った。中には染み込まない。冷

たさを感じなかったはずだ。

 慌てて指先で払うと簡単に剥がれ落ちた。液体というよりはさらさらとしたゼリー状と言う感じで、指

先に水滴は付着しない。

 多少不気味だったが害は無さそうなのでそのまま進む。

 前向きに考えるのを止めた。

 互いに注意し合いながら進み、一日がかりで何とか水溜りを抜ける。

 気になるので念の為に水をガラス瓶に採取しておく。水はさらさらと滑るように瓶内に流れ落ち、すっ

ぽり収まった。

 少し気の毒に思ったが、何となく持っていかなければならないような気がしたのだ。



 水溜りを抜けた先には草原が広がっていた。

 前に見た草だらけという感じではない。地面を覆ってはいるが、隙間から土が見えるし、クワイエル達

が当たり前に見ていた物に近い姿をしている。

 ただ良く見ると草の一本一本が個性的な形をしていて、その強度というか柔らかさはそれぞれに違う。

一種類の草が占領しているのではなく、多数の草が調和しつつ互いの生をそれぞれに営んでいるようだ。

 交じり合いながらも波立つものはなく、とても安定している。

 そして興味深い事に、通ってきた水溜りが小川のようになってこの草原の両端を南北に貫いているのが

見えた。

 あの水がこの草を育てているのだろうか。

 それにしては水量が少ないように感じるが、クワイエル達の常識が通用する場所ではない。これで充分

かもしれないし、そもそも水自体を必要としないという可能性もある。

 草だから草。そういう決め付けはこの大陸では危険な行為だ。

 クワイエル達は気を引き締め、他に何か怪しい点はないか探してみた。

 半日程ばらばらに探してみたが、手がかりになるようなものは見当たらない。草と小川、目立つのはそ

れくらいで、虫や小動物の姿も見えない。

 日が暮れてきたので今日はこの場で休み、早々に眠る事にする。



 一夜明けたが状況に変化はない。

 もしかしたら細かな変化はあるのかもしれないが、クワイエル達に感じ取れるものはなかった。

 魔術で調べても特異な魔力は感じない。気になる事といえば草に魔力が集まり過ぎているように思える

点だが、草もまた生命、それ自身が強い魔力を持っていて不思議無い。

 彼らがこの地の主という可能性もある。

 そうなると踏みしめている時点で大変危険だ。なるべくよけて進んではいるが、どうしてもよけきれず

に踏んでしまう草が出る。

 今の所何も起きていないが、大丈夫という保証はない。

 そろそろ怒り狂って何かを仕掛けてくるかもしれない。

 心配になってきたので、以前用いた隙間をすり抜けて進む魔術を用い、慎重に行く事にした。何か気に

なるのなら、備えておくのが賢明というもの。

 クワイエルにそんな言葉は似合わないが、このパーティにはハーヴィが居る。彼一人で充分似合うよう

にしてくれる筈だ。

 半日と経たない内に草原を抜け、今度は背の低い植物が生えている場所に出た。

 丈は丁度膝くらい。小さな木、森のミニチュアという感じで面白い。

 規則正しく並ぶその姿は、何者かの手が加わっているように思える。とはいえ、偶然そう生えたという

可能性も捨てきれない。

 規則正しく並んだ方が栄養を摂取しやすいだろうし(土から養分を吸い取るとしたらの話だが)、光も

浴び易い筈だ。理に適うのが自然の姿なら、こうなっていてもおかしくない、ような気もする。

 小木からは草と似たような魔力を感じる。その強さではなく、質がそっくりだ。あの草がこの小木に生

長するのだろうか。

「これも避けて通りましょう。丁度避けやすいですし」

 クワイエルはそういうと魔術を解き、規則正しく空いている隙間をするすると進み始めた。魔術に頼ら

なくても進む事ができるくらいの広さがある。

 残りのメンバーも彼に続く。地面は相変わらずしっかりしていて、足が沈む事はない。良く見ると足跡

さえない。どこも硬く、乾いている。

 こんな硬い地面からどうやって生えるのだろうと根元を見ていると、何だか違和感がある。

 根元にそっと手を伸ばして握り、ゆっくりと持ち上げてみると、土との接触面には何もない。根らしき

ものは生えていなくて、切り取ったようにつるりとしている。

 これらの植物は地面から生えていたのではなく、その上に乗っかっていたのだ。

 少し不気味になって戻すと、小木は以前と同じようにその場にぴったりくっ付いた。

 粘着力という程のものではないが、磁石のように地面と小木は簡単にくっ付く。理屈は解らないが、と

もかくそうなっている。

 もしかしたら先ほどの草達も同じようになっているのかもしれない。

 不思議だったが、そうなっているのだから仕方ない。これはこういうものなのだろう。

 そこにけちを付けても堂々巡りの思考の迷路に迷い込むだけだろうと思い、素直に受け容れる事にした。

 クワイエル達は暫く観察を続けた後、特に何も起きないのを確認して再び奥へと進む。

 この流れでいくと、次はもっと大きな木が生えているのか。

 それとも敢えて予想を外してくるのか。

 考えている内にわくわくしてきた。宝物を見付けた時の子供の心境に似ている、かもしれない。



 結論から言うと、予想通りであり、予想を外された。

 ややこしい言い方だが、どういう意味かというと、確かに先ほどの小木がそのまま育ったような木が生

えていて、いや乗っかっていたのだが(これは確認済み)、そこに予期せぬ者が居たのである。

 それは円形の薄っぺらい体に腕が二本生えた生物?で、地面から少しだけ浮いて移動し、植物の手入れ?

をしている。一人二人ではなく何十人と居て、それぞれが忙しなく動き回り、その度に木の移動、交換が

繰り返され、景色も変わっていく。

 木にもそれぞれに特徴があるから、めまぐるしく変わる景色で目が回りそうになる。ずっと見ていると

倒れてしまうかもしれない。

「あのう・・・」

 いつも通りクワイエルが話しかけてみるが、返答はない。思念会話の魔術を使ってみたが、これまた返

答がない。

 何の反応もないという事は、はっきりと無視されているのだろう。

 円形達はクワイエル達に何の興味も示さず、黙々と自分の仕事を進めている。それは職人気質で非常に

立派に思えるが、こうもあからさまに無視されると寂しくなる。

 まあ答えてくれないものは仕方ない。勝手に来て仕事の邪魔をされれば誰でも怒るだろうし、ここは彼

らの仕事が終わるまで気長に待つ事にした。

 一昼夜経ったが何の変化もない。彼らは一日中ぶっ続けで仕事している。一日が48時間とか、クワイエ

ル達とは時間の決まりが違うのだろうか。

 二日や三日で一日なら良いが、もし何十年で一日というサイクルで行なわれていたとしたら、諦めるし

かなくなる。

 しかし諦めて進もうにも、円形達が飛び交う中を通り抜けるのは危険だ。

 仕方ないので数日待ち、それでも変化がなければ迂回して進む事にした。

 交流できないのは残念だが、生きていられるだけましだろう。



 一週間のんびりと観察を続けたが、特に変化はない。何度木と木を交換しても、結局この場所は何も変

わっていない気がする。

 もしかしたら、この場所を変えない為に変えているのだろうか。

 色々と興味深いが、ここに居てもこれ以上解る事は無い。

 クワイエル達は迂回する事を決め、東へと進路を変えた。

 東へ進むと三時間程度で端にあった小川に着いた。小川の幅も1、2mしかなく、模型のように見える。

 もし本当に模型だとしたら、あの円形もただの作業機械なのかもしれない。意志は無く、与えられた役

目をこなすだけの存在。

 そうだとしたら、意図して無視された訳ではないと解ってほっとできるのだが・・・。

 小川の幅程度なら今のクワイエル達にとって問題なく跳べる距離で、無事渡る事ができた。対岸の先に

は森が広がっている。しかも何かを隠すように木が密集して生えていて、通り抜ける事もできそうにない。

 そこで空間をすり抜ける魔術を使ってみたが、この木々そのものが魔術を吸い取る結界にでもなってい

るようで、勢い良く走り込んだクワイエルは密集する木々にまともにぶつかってしまった。

 幸い打ち所が悪くて昏倒(こんとう)するような事はなかったようだが、暫くの間横になって休ませな

ければならなくなり、そうこうしている内に日が落ちて夜になってしまった。

 仕方ないので今夜はここで野宿する事に決め、クワイエルをゆっくり休ませてやった。



 一夜明けると雨が降っていた。身を護る膜のようなもので全身を覆っているから濡れる心配は要らない

が、それにしても珍しい。

 この大陸も南端の方は力の強くない種ばかりで、天候などは自然のままにされている場合がほとんどだ

ったが。北上するに従い、天候も一定にされている事が多くなり、今では固定されているのが当然だと思

うようになっていた。

 だから雨が降ってきた事に新鮮な驚きを覚える。

 ただすぐに、これは本当に自然の雨か、という疑問が湧いてきて、そちらの方へ気を取られてしまった。

 彼らが調べた限り、これは天然の雨であるようだ。天候を固定せずそのままにしているらしい。という

事はあまり環境にはこだわらない種という事か。

 いや、あれが模型だとしたら、こうして雨が降る様を見て楽しんでいる、という可能性もある。

 何にせよ、未だ想像の域を出ない。

 クワイエルが回復したので、このまま小川に沿って北上する。端っこを進んで行けば通り抜けられるか

もしれない。

 もし通れなければ水溜りまで引き返し、そこから東か西に進路を向ける。初めからそうする方が確実と

思うが、念の為行ってみよう。



 上手く木々と円形の群れの横を通り抜ける事ができた。

 東側は木のカーテンが続いているが、北上できるなら気にする必要はない。

 木々のある景色も数時間で終わり。今度は今までとは倍以上広い空間に、大きな家が一件だけ建てられ

ていく姿が見えてきた。

 あの円形が今度はブロック状の何かを運びながら、一件の家を建てている。

 色は赤茶色という感じか、レンガに似ているが質感は別物だ。試しに触れてみたいが、ここでも円形は

忙しなく動き回っていて、その間をくぐり抜けて行くような芸当はできそうにない。

 仕方なく北上を続ける。

 小川はゆるやかに曲がりながら端を縫うように流れていく。そして今進んでいる道もその横をずっと続

いていく。これはこうして外から鑑賞する為の通路なのだろうか。

 小川といえば、流れている水はあの水溜りの水と同じなのか。

 ふと思い立ち、木のカーテンの枝を一本折り(魔術以外には反応しないらしい)、小川に突っ込んでみ

た。そのまま待つと、水が表面を覆うように登ってくるのが解った。

 用済みの枝を小川の中に投げ捨てると、枝は水の中に沈み、押し潰されるように水底の下にもぐってし

まった。

 これは新たな発見だ。この水は対象の表面を覆い尽くした後、それを水底の下まで沈める。

 何の為に、それは解らない。しかし情報が増えたのは嬉しい。この水には極力触れないようにしよう。

 しかしそういう性質があるのなら、小川の水は何故小川の姿を保っていられるのだろう。

 触れた物を覆うように登ってくるのなら、この縁から溢れ出し、地面全部覆おうとしてもおかしくはな

い筈だ。でもこの水は小川として掘られた溝を出ようとせず、大人しく流れている。

 わざわざそういう魔術をかけているのか。

 だとしたらこの水がは重要なものなのかもしれない。

 罠とも考えられるが。登ってくる水は簡単に剥がせるし、水底はしっかりしている。こんなものが罠と

言えるのか。それともこの程度で充分な相手を想定して作ってあるという事か。

 しかしそうだとしても、小川の向こうには木のカーテンがある。その上でわざわざこんなものを作る必

要があるとは思えない。

 解らない。解らないまま疑問だけが増えていく。

 もしかしたらこちら側に居る者、つまり円形など、を外へ出させない為か。とも考えてみたが、それで

全ての疑問が解ける訳ではない。

 真実を知るには決定的な何かが足りない。そんな気がする。



 今までの倍以上の時間をかけ、ようやく大庭を通り抜ける事ができた。家の北側も無数の円形でびっし

り埋まっている。ここも通り抜けられそうにない。

 できれば家に行ってみたかったのだが、無理そうだ。

 魔術を試そうかとも考えたが、下手な事をしてもし敵と認識されてしまったら、そこで終わってしまう。

あの円形の動きに付いていける自信はないし、そもそも数が多過ぎる。

 大庭の次は採掘場のような場所があった。

 小さな山がいくつかあり、そこからレンガのような物を円形が次々に切り出しては南へ運んで行く。こ

こまでやるなら初めから魔術で家を作れば良いと思うのだが、円形に作らせるのが楽しいのかもしれない。

 或いは他にそうできない理由でもあるのか。

 益々興味が湧いてくる。しかし円形に話しかけても無視されるし、試しに水に話しかけてみても同じく

無視される。どうにもならない。

 寂しいが、いつもいつも相手してくれると考えるのは厚かましい考え方だ。自分達など力関係から考え

ても、無視されて当然なのだ。

 少し虚しくなってきたが、そう考える事もまたおこがましい。

 クワイエルは物欲しそうに横目で作業を覗き見ながら、北上を続ける。



 採掘場を過ぎると、小さな原っぱの中心に誰かが寝転がっているのが見えた。

 おそるおそる近付いてみると、背格好はクワイエルくらいで、顔には縦に長い大きな一つ目だけが開い

ている。鼻も口もなく、頭というよりはそれ全体で一つの目という感じだ。

 その目が閉じたり開いたり伸びたり縮んだり、忙しなく動く。その忙しなさはあの円形に似ていた。そ

の上、人間とは全く違った動きをするので少し気味が悪い。

 しかしクワイエルは(ようやく会話できそうな相手に出会えて嬉しかったのだろう)目を輝かせたまま、

いつもの物怖じしない態度でつかつかと近寄り。

「あのう、よろしいでしょうか」

 などと訪問販売員のように無遠慮に声をかける。

 あまりにも無防備な行動だったが、それは一つ目の種があまりにも無防備に寝転がっていたからだろう。

その姿は何一つ警戒しておらず、誰も敵として考えていないように見えた。

 だがその予想に反して一つ目は素早く起き上がると、頭を大きく膨らませ、目を四つに開いたかと思う

と頭からぱくりとクワイエルを食べてしまったのである。

 仲間達はあまりの事に声も出ず、何もしないまま黙ってそれを見ているしかなかった。

 それくらい素早い動きだったのだ。

 そしてそれが終わった後、一つ目は膨れた頭のまま以前と同じように寝転び、同じように目を忙しなく

動かし始める。

 まるで何事もなかったかのように。




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