16-1.

 一つ目の次は二つ目、二つ目の次は三つ目、三つ目の次は四つ目という風に出てくる事も予想していたのだ

が。残念ながらそうはならなかった。

 一つ目はあれ一体だけで、他に目立つような物も見当たらない。小さな原っぱを過ぎると大きな原っぱに出

たが、そこには一つ目やそれに類するものは無かった。ただ草が好きなように生え、広がっている。

 見通しが良いから、魔術で隠れていない限り、居ればすぐに解るはずだ。

 念の為、足元を踏みしめながら注意深く進んで行く。

 そうして中央の辺りまで進んでみたが、何かが起こりそうな様子は無い。静かに風が吹き、草がそれに沿っ

て揺れている。のんびりした光景で、一つ目のようにごろりと横になって寝てしまいたくなる。

 丁度いい具合に日も落ちてきた。まだ朱に染まるような時刻ではないが、後数時間もすれば朱に包まれるだ

ろう。

 太陽は気だるそうに沈んでいく。昇る事で力を使い果たし、後は転がるように落ちるしかない。それは楽に

見えて、力尽きた太陽には重労働なのかもしれない。

「今日はこの辺りで休みましょうか」

 無理して急いでも仕方ない。休める時にゆっくり休むのは大事だ。

 流石に一つ目の側では緊張して眠りがほんの少しくらいは浅かったような気がするので、ここでそれを取り

戻しておかなければならない、という気もする事であるし。



 交代で睡眠をとり、体力を回復させた。

 この付近は不思議と夜でもあたたかく、この草達がかもし出す雰囲気で心が休まる。

 気分の問題かもしれないし、何らかの魔術が働いているのかは解らないが。のどかな気持ちに浸る事ができ

たのは確かだ。

 しかしそれは気の緩みとも言えるし、油断ならない。

 一晩ゆっくり眠れたからといって、ここが安全な場所だと思い込むのは危険である。

 クワイエルは起きると早速調査を開始した。

 まずは草から。

 色は緑というより、もう少し枯れたように黄色がかっている落ち着いた色で、以前見た自己主張の激しい草

花達とは根本的に違う。

 自分を主張するのではなく、ただあるがままに存在している。自然に、そして一番相応しい姿で。

 葉先もやわらかく、手で払った程度では怪我しないだろう。布を払うように手応えが無い。

 一番特徴的なのはその匂いだろう。懐かしい、彼らの知っている陽だまりの匂いがする。太陽をいっぱいに

浴び、健康的に育った緑の匂い。それはつまり生命の香り。全てを育む土と光が合わさった匂いだ。

 その懐かしさがあるから、心が安らぐのかもしれない。

 でもだからこその危険も感じる。罠ではないのかと。

 よくも悪くも彼らは随分疑り深くなった。本当は五感で受け取るままを信じたいのだが、今までの経験がそ

れを許さない。だからこそ生き延びてこられたのだが、だからこそ悲しい。生きるという事が全てを疑わなけ

ればならない事だとしたら、それは酷く寂しい事だ。

 これからもずっとそうしていなければならないのだとしたら、多少疲れを感じる。

 だがへこたれてはいられない。とにかく調べられるだけ調べようとその日一日を草の調査に費やした。

 無論、それはクワイエルが主で、他の仲間達はそれぞれに必要な事をやっている。それは道楽者を養いつつ

も呆れている、ちょっと疲労のたまった家族のように見えた。



 草を丹念に調べたが、解った事は増えていない。

 彼らの力が上がっていたとしても、この大陸の基準からすれば大差ないのだ。背丈が一kmもある巨人から見

れば、一cmのものが二cmになったとしても変わらないのと同じ。結局彼らの力は通じない。だから解らない。

 悲しいが、それが現実だ。

 無駄ではないが、成果はいつも些細(ささい)なもの。その些細な違いで命が助かる事があるとしても、そ

れだけの事だ。

 草は諦めて、原っぱを丁寧に円を描きながら内から外へと調査していく。

 足元に注意しつつ、ゆっくりと。

 しかし何も見付からない。あの一つ目やその前の模型の謎が解るかもしれない、と期待したのだが。どうや

ら謎のまま終わりそうだ。

 このまま居ても仕方ないので、奥へ進む事にする。



 原っぱを抜けると、似たような原っぱに太い木が何十本と立っている場所が現れた。草の質感や手触りは先

程と変わらない。ただ色が若干くすんでいるというのか、更に年老いたような気がする。

 こちらの方から草が発生し、南下していったのだろうか。という事はこの先に水源でもあるのか、それとも

・・・・。

 川はいつの間にか見えなくなっていたが、地下水脈が通っているという可能性は残されている。

 まあ、緑があれば水がある、という固定観念自体がこの大陸に当たらないのかもしれないが。

 とにかく太木を調べてみよう。

 色合いは茶から灰色から黒から様々な色が交じり合っている複雑なもの。質感もクワイエル達が良く見知っ

ている木に似ている。草といいこの木といい、実にこの大陸らしくないというのか、他大陸の物に似ている。

 もしかしたら他大陸から移殖したのかもしれない。

 今までは自分の好みに応じて住む場所を創り変える種ばかりだったが。そのままにしている種がいないとは

言えないし。他大陸のものを好む種がいないとも言えない。

 レムーヴァだから全てが異文化的だとは限らないし、クワイエル達に良く似た姿や考えの種が居ても不思議

はない。

 もしそういう種なら友好を深める事ができるのではないか。

 仲良くなった種族は多いが、鬼人くらい生活を共にしている種族は居ない。ここでようやく二種族目の友人

となってくれる種と出会えるかもしれない。

 クワイエル達は期待に望みを寄せた。

 期待して大木に近付いていくとふと違和感を感じた。なんと言うのだろう。こう純粋なものに何かが少し混

じっているような。

 念の為に魔力を調べてみる。異常は感じられない。違和感もいつの間にか消えていた。

 勘違いだろうか。

 もう一度調べてみる。何も感じ取れない。クワイエル達の限界を超えるようなものであるなら、違和感も感

じ取れなかったはずだ。一体何なのだろう。

「俺が触れてみましょう」

 制止する間も無くレイプトが掌を伸ばし、太木にぺたりと着けた。そうやって肌を通して何事かを感じ取ろ

うというのだろう。

「・・・・何も感じませんね。少なくとも、今は何も無いようです」

 その後数分待ってみたが何も起こらない。レイプト自身にも太木にも変化は見られなかった。

「これで安心できたが。無茶な事をするな。何が起こるか解らないのだぞ」

 ハーヴィが諭すとレイプトは素直に謝った。考えてやった事ではなく、発作的にやってしまった事らしい。

太木に触れてから気付いたそうだから、気の緩みというのか、この場にもある懐かしい雰囲気に呑まれてしま

ったのかもしれない。

 普段冷静に行動しているレイプトが珍しい事だ。

 確かに熱い所もあるし、行動的だが、知らない物に無遠慮に触れたりする事はなかったのに、一体どうした

というのだろう。

 何がどうというより、その事が一番変だ。

 クワイエルとハーヴィはこの場所に胡散臭いものを感じ始めていた。



 話し合った結果、急ぎこの場所を離れる事にした。

 だが境界に近付くにつれ、レイプトの様子に変化が現れ始めた。初めは少し気分が悪い程度だったようなの

だが、段々と立っていられないくらい酷くなり、とうとう動けなくなってしまった。

 仕方なくその場で野営をして休ませたが、一向に治る気配がない。

 この場所に留まるのが心配だったので、レイプトを担いで行こうともしたのだが、不思議な事にまるで地面

に貼り付けられてしまったかのように動かせなくなった。力を入れてもびくともせず、魔術も通じない。

 危険を感じるが、レイプトを放って行く訳にいかない。

 とにかく調べてみよう。

 外見に異常は見えない。魔力もおそらく正常。それなのに表情はとても辛そうで、熱は出ていないのに高熱

に侵されているように見える。

 初めははっきりしていた意識も少しずつ薄れ、独りでぶつぶつ何やら呟きながら昏睡状態に陥ってしまった。

クワイエル達の言葉も一切届いていないようだ。

 一体どうしたのだろう。

 二日、三日と経ったが回復の兆しはなかった。ぶつぶつと独り言を述べる時間が長くなり、何となくレイプ

トでなくなっていくような気がする。

 今の彼は見た事の無い表情をしている。

 飲まず食わず寝たままだから身体も痩せ細っていくし、このままでは命に関わる。

 しかし不安と共に迎えた四日目。レイプトは今までの事が嘘のようにすっくと起き上がると、何かを取り戻

すかのように食料をがつがつと口に放り込んだ。それはもう見境無しで、下手すれば衣服や武器に到るまで食

べてしまいそうな勢いだ。

 クワイエル達が運べば運んだだけ食べ、みるみる顔に肉が付き、健康的な赤みを増していく。

 ただ表情だけは戻らず、妙に青白く熱っぽいままだった。

 心配だが、当人は平然としており、動きもむしろ以前より機敏になっている。

 そしてやたら太木に触れる事を勧めるようになり、逆に自分が太木に触れる事を極端に嫌うようになった。

 胡散臭いので誰も太木に触れようとしなかったが、それでもしつこく勧め、しまいには強引に触れさせよう

と試みるようになり、言動からもレイプトらしさが薄れてきた。

 ここに到ってさすがにおかしいと思い、ロープと魔術で動きを縛る事にした。

 レイプトは悔しそうに体を揺らしていたが、しばらくすると諦めたのか大人しくなり、今度は逆にぴくりと

も動かなくなった。だが心配したハーヴィが近寄ると、また襲い掛かろうとする。執拗に太木に触れさせよう

とするその姿ははっきりと気持ち悪かった。

 これはもう明らかにレイプトではない。

 誰かに操られているのか、こんな風に変えられてしまったのかは解らないが、レイプトでない事ははっきり

している。

 近付くと目を剥いて襲い掛かってくるし、喋っている言葉も理解できない。何か悪いものに憑かれたとでも

考えるしかなかった。

 途方にくれるしかなかったが、太木に触れるのを恐れていた事を思い出し、彼の掌を無理矢理太木に押し付

けてみた。

 すると彼にまとわりついていた異常な雰囲気がすっと消えた。まるで全ての悪意を太木に吸い取られてしま

ったのかのように。

「この木に封じられていた何者かがレイプトに憑いていた、という事でしょうか」

 今までの事を考えると、太木に居た何者かがレイプトに取り憑き、今それが再びこの太木に戻った、とする

のが一番しっくりくるような気がする。

「ともかく、起きるのを待とう」

 レイプトは半日程経ってから目を覚ました。

 レイプトは自分の体の支配力を完全に失っていたが、意識は残っていたらしく、その間に起きた事は全て記

憶していた。

 操っていた者の心も少しだが流れ込んできたらしい。その思想は単純極まりなく、太木に誰かを触れさせる

事しか考えていなかった。そうする事で大木にある意識とその肉体にある意識を交換するのだとか。

 交換させられた肉体は徐々に大木に変わっていく。そうして繁殖していくという訳だ。

 それなら太木に触れないようにし、もし触れても肉体を完全に奪われる前にもう一度触れ直せばいい。解っ

てみればそれほど危険ではないのかもしれない。

 ただ、レイプトが意識せずに太木に触れた、という点が気になる。あの木にはまだ他に知らない力があるの

かもしれない。



 レイプトの肉体はかなり疲労していた。しばらく引き離されていた代償か、まだ上手く身体を操れないらし

い。もう少し休ませる必要があるだろう。

 すぐにでも太木と離れたい所だが、仕方ない。

 クワイエル達は早く治るよう、そしてこれ以上何事も起こらないよう心から祈った。

 祈りが通じたのか、回復するまでの三日の間、何事も起こらなかった。

 そこで開き直ってゆっくり休ませようとしたのだが、レイプトはすぐにここを出るよう望んだ。

 クワイエル達はもう少し休んでいるように言ったのだが、これ以上は申し訳なくて逆に体調を悪くしてしま

う、と言うので速度を落として北上を再開している。

 そして何とか大木地帯を抜ける事ができた。

 クワイエル達はほっとしつつ、今後はもっと慎重に行動する事を心に誓ったのであった。




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