16-10.

 開いた目に映るのは閉じた前と同じ景色。

 いや、景色というようなものではない。黒い空間が広がっているだけだ。

 新たな感覚で見ても変わらない。何も無い。何も起こらない。そういう現象であるかのように続くだけ。

 まるで、飽きる事さえ許さない、とでも告げるように。

 クワイエルは解らなくなってきていた。引き出しは全て開けた。これ以上何を見たいというのか。

 彼が困ってしまうという状況を確認したいだけなのか。

 確かに観察者というのはそういうものである。変化を見たい訳ではない。観察対象を最後まで見続けるだけだ。

面白いとか、詰まらないとか、初めからそういう気持ちで行うものではないだろう。

 勿論、若干の興味はあるとしても。

 となるとこれはクワイエルが朽ち果ててしまうまで続くのかもしれない。

 でもそれなら何故場所を変えさせたのだろう。この瑞々しい暗闇に、何故彼を招待したのか。

 そこに淡い期待を抱くのは、幻想でしかないのか。

 半ば絶望し、半ば期待を新たにしながら、クワイエルは進み続ける。他に方法が無いからだ。立ち止まって考

えるだけなんて性に合わない。だからこそ、彼はこの大陸に飛び出した。

 幸い、目を使わずに見るという感覚に慣れてきた。魔力を感じ取るという行為を続けてきた事も、それを助け

てくれた。まるでその為に経験を積んできたかのように。

 偶然だとしても、その事に感謝しよう。

 そしてふと気付く。この感覚を研ぎ澄ます事が、現状を打破する唯一の方法ではないかと。

 クワイエルには一つの確信に満ちた答えが浮かんでいた。

 希望的なものでしかないが、夢や願望とははっきりと違う。現実と繋がった、しっかりしたものである。

 賭けてみても、良いかもしれない。



 立ち止まって精神集中するよりも、歩きながら肌に触れるものを感じている方が良いだろうと考え、足は止め

ていない。

 しっかりした目的意識がある事で、同じ行為も苦痛ではなかった。むしろ歩けば歩くだけ気分が晴れやかにな

る。現金なものだ。苦悩など、ちょっとした希望で消し飛んでしまう。

 感覚は鋭さを増し、感じ取れるものは多く、濃くなっていった。今では土と土の隙間にいる微生物でさえ感じ

取れるような気がする。極小の魔力も見逃さない。

 これだけできるという事は、元々望めばできていた事だったのかもしれない。だが彼はそれをせず、怠ってき

た。この地に在るモノは全てが未知であり、だからこそ感じ取れる以上のものを感じ取らなければならなかった

のに、それを怠ってきた。

 言い訳するつもりはない。そのつけは洞窟に入ってから今までの時間で充分支払わされた。

 不徳の到りという奴である。

 今までの時間を取り戻すべく集中する。

 続けていると様々な何かが自分に向けて送られてきているのが解ってきた。初めは判別さえ難しかったが、そ

の内一つ一つにどういう心が宿っているのかまで理解できるようになった。

 それは人でいう所の失望の情が多かったのだが、徐々に懐疑的なものに変わり、ついには希望の含まれたもの

が現れ始める。

 それらの気持ちの流れを整理していくと、やがて一つの文章として理解できるようになった。

 そう、この地の種は多分ずっと早い段階から、彼らに対して言葉を送っていたのである。それはクワイエル達

が考えるものとは全く別種の言葉。いや言葉という形すら当てはまらないもの。

 その声はどこからでも聞こえてきた。

 声達は今や喜びに満ちている。彼らもきっと様々に考え、悩み、工夫したのだろう。クワイエルが行ってきた

のと同じように。

 クワイエルは笑いがこみ上げてくるのを感じた。

 素直にそれが湧いてくる。

 彼らの言葉に感化されたのではない。ごく普通におかしくてしょうがなかったのだ。

 考えてみれば当然の事。初めから考えるべき事だった。何故忘れていたのだろう、彼らと自分とは違う種族、

言葉の形すら違う可能性が高いという事に、何故気付かなかったのか。

 彼らはこれだけの事をしてくれていたというのに。

 謝罪したいが、どうしていいか解らない。

 ならとにかく試してみよう。今できる事、全てを。

 魔術師らしく。自分らしく。



 言葉を塊にするようにイメージし、魔術を組み上げる要領で練り上げていく。

 そうしてできた意識塊を四方に飛ばしてみた。

 上手く出ているか解らない。上手く形になっているかも解らない。とにかく気持ちをぶつける要領で心の言葉

を今ここに居るだろう全ての他種族に送る。

 初めは自分でも拙(つたな)く思えたが、何度もやっている内に何となく形になってきたような気がした。

 ただあまり無遠慮にぶつけると失礼になる気がするので、なるべくやわらかい気持ちでゆっくり飛ばしておい

た。上手くいっていなくとも、多分そこに込められた心を汲んでくれるだろう。

 人任せにするようで申し訳ないが、力が足りないのだから仕方ない。胸を借りるつもりで開き直り、相手の理

解力に期待する。

 魔術師らしく、堂々と。

「まったく、なってないね」

 しばらく繰り返していると、そんな声が聴こえてきたような気がした。勿論ここでいう声とはテレパシーのよ

うなものの事である。

「だが、気付きはしたようだ。その点は評価しよう」

「いや、それにしたって遅過ぎる。評価まではいかないな」

「厳しすぎやしないか」

「甘いよりはいい」

 そんな声も聴こえてくる。

 自分で意識して試みるようになると、受信する準備が整い、受け取れるものが飛躍的に増すものだ。

「申し訳ありません。無用な時間を使わせてしまいまして」

「まったくだ、君らはほんと、なっていない」

「うむ、他の者達は未だ気付く予兆さえないしな」

「困ったものだ。まあ、仕方の無い事かもしれんが」

 言われて今更ながら気付き、クワイエルは遠話の魔術を用いてハーヴィらに教える事を申し出た。それは問題

なく受理され、親切な多種族の一人が今もさまよっているレイプトにも伝えてやろうと言ってくれた。

 ハーヴィは一言、二言伝えるだけで理解してくれた。レイプトも無事である事を教えると、ほっとしたようだ

った。

 彼らも早速テレパシーを練習し始めたようだが、なかなか上手くいかない。クワイエルもコツを掴むまでは雲

を掴むような話に思えた。意識して使わなかった感覚を、意識して用いるというのは難しい。

 クワイエルが割りと簡単にできたのは、ここがそういう空間になっているかららしい。あまりにも理解力が少

ないので、気を利かせて創ってくれたのだそうだ。

 レイプトにも同種の空間を創ってやったそうだが、彼はこういう事が苦手なのか、経験が足りないのか、クワ

イエルのようには上手くできていない。

 心配だが、折角だから一人でできるまでそこで練習しておくように伝えてもらった。他の仲間達には急ぎここ

へ来るよう伝える。するとそれを聞いていた誰かが、ハーヴィ達を移動させてやろうと申し出でてくれた。

 仲間達が来る間に彼自身は他種族に説明したり、交渉しておく事にする。



 一通り話が着いた後でレイプトも呼んでもらった。一人であの空間に居る事自体、良い訓練になるのだが。い

つまでも独りで居させるのはかわいそうだ。

 この地の種は古き言葉でとどろかすものを意味する、フリストと言うらしい。個体数は少なくなく、このだだ

っ広い洞窟全体に隙間無く居るそうだ。

 そう思うと少し圧迫感を感じてしまうが、気のせいだろう。彼らは無用に自己顕示しないし、その必要も無い。

自己顕示欲とは弱者の遠吠えのようなものであり、強者には必要ない感情である。彼らならむしろもっと抑えた

いと望むだろう。

 クワイエル達はしばらくの間、新たな感覚を啓く為の訓練に励んだ。

 その間暇にさせてしまうと悪いので、クワイエルが積極的に交渉を持ち出し、フリスト達を飽きさせないよう

にしている。

 大きなお世話かもしれないが、乗ってくれた所を見ると面倒見がいいか、本当に暇だったのかもしれない。

 その過程で様々な事を聞いたが、探索に役立つ情報は得られなかった。フリスト達には他種族の知識が少ない。

 それは今回の不慣れさを見ても解る事だ。彼らほどの力がありながら非常に回りくどい方法だったのは、クワ

イエル達を成長させようという親心からではなく、単純にどうして良いか解らなかったからである。

 そう思うと少し微笑ましくなるが、それこそ不遜な態度だろう。

 実際、クワイエル達にそんな余裕は無い。

 フリスト達は完全にテレパシーで会話するのだが、それはクワイエル達にしてみれば終始魔力の奔流にさらさ

れているのと同じ事。しかもその魔力には言葉という意思が宿っているので、それがクワイエル達の身体を通過

する度に少なからず影響を受けてしまう。

 慣れてくると上手くさばくというか、必要ない言葉を適度に無視できるようになってきたが、まだ辛い。。

 そこに余り大きな感情が込められていなかったからいいが、もし怒りや憎しみといった強い感情が込められ

ていたとしたら、クワイエル達は発狂させられていたかもしれない。

 直に心に響くテレパシーという方法には、感化されやすいという危険な面がある。だからこそ弱者である人は

その機能を退化させたのだろう。

 それをフリストという悪意も敵意も無い種から学べた事は幸運である。運命というものがあるなら、まさしく

それはクワイエル達に味方してくれている。

 何者かの意志をそこに感じても不思議は無い。

 しかしそれはつまり、よく解らないまま流されている、という事でもある。例え味方してくれていても、はっ

きりしない事には不安を覚える。それは魔術師も同じだ。



 クワイエル達は結局一月もの間お邪魔して、歩いたり話したりするのと同じように使えるまでになった。完全

にものにしたとまでは言えないが、それに近い状態にある。

 ただ、そこに込められた感情に左右されない術を学べなかった事は不安だ。フリスト達には必要の無い事だか

ら、学ぼうにも学べるものが無かったのだ。

 クワイエル達で試行錯誤して練習を積んでいるが、彼ら程度の力で行ったものなど何の足しにもならない。

 そこでフリストにお願いして、どうにかそういう状況を作り出してもらった。

 どれだけ効果があるのか解らないが、自分達だけでやるよりは遥かにましだろう。

 この訓練は同時に魔力への耐久力をも増させている。

 感情の爆発と魔力の流れとは近い関係にあるので、それに耐えられるという事は即ち魔力の増加に繋がる。

 交渉の方も上手くいっている。フリスト達は今までの種と同じように、自分達の邪魔さえしなければ好きにし

ていい、と言ってくれた。地上には興味も無いのか、住居などを建てていいとまで言ってくれている。

 家を建てていいとまで言ってくれる種は珍しい。今まで会った中では鬼人達が応じてくれたくらいか。

 折角だから建ててみよう。

 出口まではフリストが送ってくれた(いい加減に帰れと追い出されたような気もするが)ので、楽だった。

 この大陸に何かを造るのはハールの塔北西にあるイアール港以来になるのか。

 他にもあったかもしれないが、憶えていない。

 いっそ街でも造ってみるか、という思いが過ぎる。しかしさすがにそれは張り切り過ぎでフリストにも迷惑に

なるだろうとハーヴィが止め、代わりに宿舎のようなものを一軒建てる事に決まった。

 そしてできたのは長方形を二つ重ねたような簡単な建物。だが修飾には気を遣っている。

 具体的に言えば、鬼人と人の土地にあった物を真似て創っている。今のクワイエル達ならそれくらい造作もな

い事。レイプトの作った物が少し不器用な形になったくらいで、概ね上手くいっている。

 不器用な形もそれはそれで味がある。芸術家揃いの虫人が見れば、評価してくれるかもしれない。

 川原のような場所に家が一軒建っているという不思議な光景になってしまったが、これはこれで面白い。ユル

グとエルナは飾り付けがとても楽しそうだったし、いい息抜きになった。

 できれば誰かに連絡を入れておきたい所だが、ここまで遠くなると遠話の魔術が通じない。他大陸なら良いが、

ここは土地の魔力が強過ぎるし、何者かが干渉しないとも限らない。余計な事はしない方がいいだろう。

 クワイエル達の足跡は残っているから、数年後か数十年後かその内誰かがやってくるはずだ。建物に腐食しな

いよう魔術をかけておいたので、このままの姿を保っているだろう。ならそれで充分だ。

 ギルギストや鬼人の集落がとても懐かしくなってしまったが、後ろ髪を切り離すようにして北上を再開する。

 珍しく感傷にひたる出発となってしまったが、たまにはこういうのもいい。例えそこへ戻れなくとも、いやだ

からこそ思い出すという行為は必要である。そうする事でまた一歩前へ進める。心の整理ができる。

 未だ果ては見えず。どこにあるのか検討もつかないが。歩き続けてさえいれば、いつかはたどり着く。例え間

に合わなくなったとしても、急ぐ理由は無い。

 テレパシーで会話するようになった事で、普段から前よりも多くの事を感じ取れるようになった気がする。

 彼らにはこの大陸がまた違ったものに見えている事だろう。そしてそれはこの大陸の種にもう一歩近付いたと

いう事でもある。

 それがどういう意味を持つのか、未だ彼らは知らずに居る。幸せな事に。




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