16-7.

 無事、頂上に達した。

 下と同じく土畳で綺麗に覆われている。凹凸はなく、一枚の真っ直ぐな岩壁をそのまま乗せたような印象を受

ける。

 試しに何度か踏んでみたがびくともしない。突然抜け落ちる心配はなさそうだ。

 土畳は視界の果てまで伸びている。これを調査しているといつ戻れるか解らないので、まず下にいるハーヴィ

に遠話の魔術で経過報告する。

 詠唱し終えてから一人先走ってしまったかと後悔したが、ユルグを見ても不快を感じている様子はない。ほっと

しつつそんな細かい事まで気にしてしまう自分の小ささがおかしくなった。

 ユルグが側にいなければ、そして話し相手が師となるハーヴィでなければ、ふきだしていただろう。懸命に堪え、

会話に集中する。

「無事到着しました。ここも見る限り下と変わりありません。一度指示を仰ぎたく連絡いたしました」

「そのまま待っているのも良いが、いい機会だから二人で先行してみてはどうだ。それも良い経験になると思うの

だが」

「・・・・そうですね。・・・・・・どうしましょうか」

 ユルグが力強く頷き返す。喜んでいるようにも見える。

 彼も嬉しくなって、了承した旨、返信した。

「うむ、気をつけてな。何かあればすぐ引き返すのだ」

「はい」

 魔術ごしに聞こえるハーヴィの声が彼らを鼓舞する。特に何をしていなくとも、彼の声には相手を安心させ、

元気付ける力がある。信頼と言い換えてもいい。

「ゆっくり進もう。まずは俺が先に行きます」

 ユルグはもう一度はっきりと頷いた。しかしその顔は緊張の色が濃い。

 すぐ後ろにハーヴィらが居るとはいえ、二人だけで進むのは初めての経験だ。レイプトは以前独りである種と会

話し、問題を解決させた事があったが。あの時は使命感と自分しかいない状況に必死で、余計な事を考える

暇がなかったからできたのだ。

 同じ事をもう一度やれと言われても、多分できない。

 でも今は二人。きっとできる筈だ。クワイエル、ハーヴィに及ばなくとも、同じ経験、同じ訓練を積んできた。自

分達も成長しているはずなのだ。

 レイプトも力強くユルグへ頷き返し、ゆっくりと進み始めた。それはいつもと少しも違わない速度。長い旅の間に

自然と染み付いた、彼らにとって一番良い速さ。これはハーヴィ班、レイプト班の距離を自然に一定に保た

せる事にもなった。



 方角は北。真っ直ぐに二日程進んだが、相変わらず終わりが見えない。何の為にこんな巨大な物があるのか

見当も付かないし、少しずつ不安になってくる。

 今更ながらハーヴィ、クワイエルという存在の大きさを思う。何があってもどうにかしてくれる。もし二人が駄目な

らそれまでだ。そういうさっぱりした諦めという覚悟を持てていたのは、彼ら以外の三人にとって少なくない支え

になっていた。

 自分達はまだまだ何も知らない、何もできない。結局頼っている。そういう事を実感する。

 もしかしたらそれを自覚させる為に先行させたのだろうか。

 この二人はいずれ鬼人族を背負って立つ事になるだろう。ユルグは当然として、レイプトもこの旅に同道した事

で、鬼人社会での立場は重いものになった。

 ハーヴィが最も信頼し、側に置きたいと考えた者、という事になるからだ。

 その後継者と目されるのは自然の流れ。

 ユルグも次の族長に望まれるだろう。ハーヴィを推す声もあるだろうが、彼はおそらく承知しない。二人はそこま

で気付いていないが、この旅はある種の試練であった。鬼人全てに認められる為の、第二の成人の儀。

 ハーヴィは死ぬ覚悟はしているが、死ぬ為に旅をしている訳ではない。だからこそ二人を連れて来たのであり、

彼にとってそれは必ず連れて帰るという決意の証でもあった。

 クワイエルとエルナの関係とはまた別の強い結び付きが鬼人メンバーの中にはある。

 レイプトは多少不安を感じていたが、ユルグを一目見ると吹き飛んだ。そしてその不安だったものは使命感へ

と姿を変える。

 守るのだ、という使命感。それを彼女が知れば良くは思わないとしても、やはりレイプトは男として女を守り、頼

られる存在で居たい。

 それは族長の娘に対するものではなく、もう少し個人的な想いである。

 彼が進むと数歩距離を置いてユルグが追付いてくる。あまり離れ過ぎても危険だが、少し近過ぎるように思った

ので、もう二、三歩下がらせておいた。こうしておけば、もしレイプトが罠にかかったとしても、巻き添えにならなく

て済むだろう。

 全てを判断するのは自分だ。先に出た以上、今までのように同等の関係ではない。彼が隊長として導かなけ

ればならない。

「・・・・・いつもの通りだ。いつもの通りやればいい。焦る必要は無い。そうだろ、レイプト」

 そう自分に言い聞かせ、気が逸ると背後のユルグを見て気持ちを落ち着けた。逆に支えられているような気が

するが、今はまだそれでいい。

 周囲を見回す余裕を取り戻し、それを自分で確認できてから再び歩き出す。

 速度は少し緩やかになっただろうか。いや、対して変わらないのかもしれない。印象の違いだけで。

 ユルグの顔に緊張の色が見えるが、不安や焦りの色は無いようだ。彼女は強い。

 そんな風にして何度見た時だろう。口が不意に動いた。

「そろそろ交代しましょう」

 レイプトは何の事か一瞬解らなかったが、よくよく考えてみると順番を交代しようと決めていた事を思い出す。

 ユルグは彼が言い出すまで待つつもりだったのだろうが、いい加減待ちきれなくなったのだろう。そのせいか、

彼女は少し恥ずかしそうに見えた。

「はい」

 レイプトも何だか恥ずかしくなって、いつもより素っ気無く答えてしまう。

 交代し、更に三日ほど進んだが、何も起こらないし、目立つような何かも見付けられない。

 この間に起こった事といえば、交代期間を一日おきと定めた事くらいだろうか。

 ハーヴィ達が後ろから追いついてくる様子もない。何も変わらず、まるで同じ時間が永遠に流れていくように感

じる。

 そう思うとまた不安になってくるが、結界が張られているような気配もなければ、何者かの存在、特異な魔力も

感じない。それに時間がループしていると考えるには、土畳の表面が変化し過ぎている。風が吹く度に面白いよう

に姿を変える土埃達は確かな時間を刻んでいた。

 試しにはっきりと解る目印を置いてみたが、その場所に戻ってくる様子はない。同じ場所を何度もループしてい

る訳でもなさそうだ。

 ここは単純に広いと考えるべきだろう。

 寝る前には必ず遠話を使ってハーヴィに報告している。向こうにも今の所、報告するような事は起きていないよ

うだ。

 ここは何もない場所なのだろうか。

 それともこの地の主とは距離、時間の基準が違う為にそう思えるのか。

 例えば我々の十年を一日と感じる種が居た場合、会うまでも会ってからもなかなか厄介な事になる。

 クワイエル達の肉体が強化されているといっても、寿命まで延びるかと言えば疑問だ。

 それとも、魔力こそ生命力なのだから、それが増した彼らはその力と同じく規格外の寿命を身に付けたのか。

 でももしそうだとしても、有限である事は変わらないし、まともに会話が成立しない事も変わらない。その場合

はもう気にせず進ませてもらうしかないだろう。彼らからすれば一瞬の事だから、おそらく何も言わない。

 だがそれがもし逆の場合なら、とレイプトは考える。

 彼らの一日を十年とする種が居た場合はどうなるのか。

 以前もクワイエル辺りが似たような事を考えていたような気がするが、この場合はつまりレイプト達の方が十年

分の一遅いという事になる。こういう場合はどうなるのだろう。

 このように彼らは良く解らない事を考えながら進んだ。要するに思考的に暇だったのである。

 そしてこれはクワイエル化が進んでいるという事でもある。手遅れになる前に何とかしなければならない。



 土畳の階層は一月もの間続いた。その間何も起きず、延々と歩き続けるだけで終わっている。

 物足りないが、彼らは感謝すべきだろう。

 長く共に過ごしたおかげでレイプトとユルグの仲にあったわだかまりのようなものも完全に消え、信頼が深まっ

ている。

 ハーヴィはこの結果に大いに満足し、合流した後も二人を一組にして使う事が多くなった。その為の訓練と思え

ば、有意義な時間だった。

 誰かと過ごす時間というものは、誰にとっても貴重で必要不可欠なものである。



 巨大な長方体はその後三度出現し、端まで行くのにそれぞれ同じくらいの時間がかかっている。

 謎は何も解けなかったが、無事に抜けられただけでも幸運と思わなければならない。

 名残惜しいが、このまま通り過ぎる事にする。

 土畳の次は丸石だらけの地形が現れた。

 一つ一つは人間の大人が両手で抱えられるくらいの大きさだろうか。そのくらいの楕円形の丸石が積み重なり、

大地を形成している。

 それは地上ではなく、地下に向かって伸びていて、地面には隙間が無数に空いている。うっかり滑り落ちるよう

な大きさではないが、足をとられないよう注意した方がいい。

 クワイエルは皆にそう呼びかけて独り進み、予想通り足をとられてひっくり返った。

「やはり、危険だ」

 そしてそんな事を言いながら丸石を叩いたり揺すったりして安定性を確かめ、最後に丸石の上で何度も飛び跳ね

てから、安心したように仲間達の居る境界付近まで戻ってきた。

「通行に問題はないようですが、何しろ表面が綺麗につるりとしているので、滑らないよう気をつけた方がいいで

しょう」

 その言葉に皆頷く。

 慣れたものだ。

 それからはレイプトを先頭にしたいつもの隊列に戻って慎重に進む。

 そして十分も経った頃だろうか。突然足下から物凄い魔力を感じたかと思うと、すぐ側の丸石の隙間から赤い球

が飛び出した。

「危ないッ!」

 レイプトが慌てて下がりながら皆を制止したから被害はなかったが、一瞬でも反応が遅れていたらまともにぶち

当たっていただろう。

 赤球は勢いのまま空の彼方へ消えていく。

 しかし放たれたのは一球だけではない。嫌な気配がしたかと思うと、地下から隙間を通っていくつもの赤球が撃

ち出され、その数は増えていく一方で止まらない。

 幸いクワイエル達の認識能力を超える速度ではないから、集中していれば避ける事も難しくない。だがこのまま

増えていくようなら、すぐに限界がくるだろう。

「引き返しましょう」

 クワイエルの言葉に頷き、それぞれに後退する。こういう場合は隊列とか何とか細かい事を言っていられない。

とにかくこの場所から少しでも早く去る事が重要だった。

 幸いな事にその場所から一分も駆けると赤球は治まった。

 これは特定の場所を護る為の防衛システムなのだろうか。それとも手動で誰かがこの下から撃ち出しているのか。

 解らないが、この地下、隙間の奥の奥に何者かが、或いは何かが在る事は間違いなさそうだ。

「危なかったですが、少し面白かった。それにあれはとても綺麗でした」

 クワイエルがいつものようにすっとぼけた事を言っているが、確かに危険さえ除けば、無数の丸石の隙間からい

くつもの赤球が不規則に飛び出してくる様は、美しい眺めなのかもしれない。

 ただそれを撃たれている当人が言うのは、やはりおかしい。

 それともこれは仲間達を和ませる為の冗談なのだろうか。

 彼が宿す真剣そのものの表情はその答えを強く否定していたが、せめてそうである事を祈っておきたい。



 推測するに、この無数の隙間は発射口のようなもので、この丸石のつるつるした表面を赤球が滑りながら加速し、

それぞれの穴から不規則に、或いは意図的に撃ち出されている。

 どこから撃ってくるのか見当も付かない。

 あっちから撃ち出せるのだから、こっちからも撃てるのではないか、と考え。試しに似たような赤球(淡い光球

のようなもので、殺傷能力は無い)を隙間に向けて撃ってみたが、隙間内を縦横無尽に駆け抜けたものの、あらぬ

方向に空の彼方まですっ飛んで行ってしまった。

 何度撃っても上に飛んで行くので、多分下から上にいくように作られているのだろう。或いはある一定の範囲ま

でしか入れないようになっているのか。

 小人化して隙間から侵入してみる、という案も出たのだが。上記の通りなら途中で立ち往生する破目になるし、

隙間内には逃げ場がない。侵入するのは諦めた方が良さそうだ。

 安全な場所を探しながら騙(だま)し騙し進んで行くしかない。

 できれば話し合いたいが、方法が解らない。問答無用に撃ちかかって来た事を考えても相当警戒されている。交

渉は難しいだろう。

 相手が落ち着くまで様子を見てもいいが、この一帯は全て隙間が空いていて、いつどこから赤球が飛び出してく

るか解らない。

 今は安全だとしても、これからはどうだろう。これだけ穴が空いているのだから、相手は地下全体を移動できる

と考えるべきである。のんびりしていたら狙い撃ちにされてしまう。

「なるべく早く移動するべきですが、といってどう動けばいいものか」

「うむ、確かにな」

 クワイエルとハーヴィも良案が浮かばない。

 透視の魔術を使えばどうかという案が出たのでやってみたが、ある程度まで達するとそれ以上見えなくなる。こ

れではどうしようもない。

 とはいえいつまでもじっとしている訳にはいかないし。相手の出方を見ながら、半分運頼みで進んで行くしかな

い、という事になった。

 あまり賛成できない答えだが、仕方ない。他に方法は無さそうだ。

 一度境界まで戻るという選択肢もあったが、赤球も初めはまばらに撃ってくるので、警戒してすぐに逃げるよう

にすればいけるだろう。少し危険だが、可能性があるなら行ってみたい。それが彼らを高める事にも繋がるはずだ。

 最善を尽くせば乗り越えられない壁ではない。

 丸石にかけられている魔術を参考にし、クワイエル達の身体をつるつると滑り抜けるような魔術を編み出し。赤

球がいつきても逸早く察知できるよう、結界を張る。

 これで被害を最小限に抑えられるはずだ。

 クワイエル達は適度に緊張感を保ちつつ、それに呑まれないよう進んだ。




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