17-2.

 熱さ。初めに感じたのはそれだった。周囲から熱気が燃え上がってくるようで非常に熱い。暑いではなく熱

く、結界越しにも火傷しそうだ。以前感じた熱を再び今感じている。

 燃えているのだ。全てが。

 視界にある全てのものが熱を帯びて赤く光り、熱波を噴出しているように見える。

 だが地面がそうであったように、熱は閉じ込められ、そう見えるだけで実際に熱くはない。

 熱さの原因は外にあった。

 呼吸である。

 赤光人とでも言うべき他種族が息を吸い、吐く度に内に閉じ込めたはずの熱波が放出され、それらがこの耐

えようも無い温度を生み出している。

 自分が生み出したものは自分には気にならない道理。自分の発する臭いが気にならないのと同じ理屈か、彼

らは平気そうにしているが、こちらとしてはたまったものではない。

 さすがのクワイエルも遠くからテレパシーを用いて話すしかなかった。近付いて観察したいが、この熱の前

には人の好奇心など無力でしかなかった。

 しかし話を聞いていくと、元々この地は豊かな水に溢れ、緑に溢れた場所であったらしい。

 それがこんな事になった原因は魔術の暴走にある。本来は適量の熱を保つ魔術だったはずが、全てを熱に変

えてしまう術に変貌させ。ついには彼ら自身さえ熱の塊に化してしまった。

 そのまま完全な熱量となって消えていく所を、何とか表面を覆ってそれぞれの形のまま保つ事には成功した

のだが、口の事をうっかり忘れてこうなってしまったという。

 改めて魔術をかけ直せれば良いのだが、暴走した魔術は今も働いており、それを抑えるので手一杯で余裕が

無い。

 今ではもう諦め、この新しい体に順応する事を考えているそうだ。

「全ては温泉の誘惑に屈してしまったのが原因なのだ」

 始まりは火という現象を知ってしまった時に遡(さかのぼ)る。

 それまで彼らは水に棲み、水と共に生きてきた。あるのは湖と雨、滝と時折上がる水柱、そして土。平和な

楽園であったという。

 それがある時上空から恐ろしい何かの塊が落ちてきて、僅かな間それに灯っていた炎に皆すっかり魅了され

てしまった。

 彼らは炎を研究し、すぐに自ら生み出せるようになった。研究の過程で、炎から発せられる熱によって水に

面白い変化が生じる事も理解した。

 沸騰した湯、そしてそれから生み出される湯気、それらは赤光人にとって新鮮で、何より甘美なものであっ

たのだ。

 自分の住まう湖をお湯に変え、温水の中で生活する事が大流行し。次第に温度を上げ、より炎に近く熱くな

るよう競うようにもなっていった。

 しかし彼らの肉体は急激な環境の変化に耐えられず、それが病という形で現れるようになった。

 彼らの長はそれを知ってすぐに火と熱を用いる事を禁じたのだが。彼らにとって熱と火は麻薬に等しいもの

で、ほとんどは病に冒されながらも熱を求める事を止めなかったそうだ。

 こうなれば選ぶ道はただ二つ。病を享受し、滅び去るか。それとも水ではなく火に対応した肉体に作り変え

るか。

 彼らは結局後者を選び、魔術の研究に勤しむ事になったのである。

 そして長い年月をかけて魔術は完成した。

 喜んだ彼らはまず水を全て火に変えようとした。そうしなければ肉体を作り変えた後で生きるのに困るから

である。だが肉体を変える魔術にばかり注意を払っていたせいか、そっちの魔術はずさんなものであった。

 結果、魔術は暴走し、水どころかそこにある全ての物を火に変えてしまったのである。

 その瞬間に彼らの多くは命を落とし、運良く生き延びれた少数の者も慌てていたせいか、肉体を変化させる

魔術の方まで暴走させてしまい、彼ら自身もまた火そのものになってしまったのである。

 彼らは自ら溢れ出る熱を抑える事ができず、その熱と火は記憶や人格まで燃やし尽くしてしまうかと思われ

た。このまま放っておけば、この空間そのものが彼らと共に溶けてしまうだろう。

 そこで考えられたのが、熱そのものを壁に変えてしまう魔術である。

 熱そのものを壁に変えてしまうのだから、どれだけ燃え盛っても、どれだけ熱量が増大しようとも、それに

応じて壁が強化される。理論的には内から無限の炎が燃え盛ったとしても外にはもれないという事になる。

 こうしてようやく彼らは自己を保つ事ができ、新たな生を歩み始める事ができたという訳だ。

 クワイエル達が通ってきたマグマ地帯も暴走の余波のようなものらしい。

 久しぶりに話す相手ができて気を好くしたのか、赤光人は自分達が研究した魔術を伝授してやろうと申し出

てくれた。

 こうして赤光人とクワイエル達の奇妙な共同生活が始まったのである。

 まずうっかり焼き尽くしてしまわないよう、赤光人達が離れた場所に住居を創ってくれた。

 次に境界線を引き、その向こうには立ち入らない事にした。

 クワイエル達の魔術が向上し、耐熱性が上がれば、その分だけ線を赤光人の住居へ近付けられる。最終的に

はその線を消すのが目標だ。

 成果が目に見えて解る方がやる気も上がるし、研究もしやすい。

 準備が終われば早速訓練に入る。

 手の空いている赤光人が代わる代わるに教えてくれたが、その全てを一人で習得するのは困難であるので、

クワイエル達は分担して習得する事にした。

 中には彼らにとっては無意味なものや、彼らの力ではとても真似できない、真似しても意味がないような魔

術も多かったが、一応それらも教えてもらった。

 覚えていれば何かに活かせるかもしれないし、今よりも魔力が増せば、使えるようになるかもしれないからだ。

 こうしてみるみると時間は過ぎ去って行った。



 クワイエル達は一月程この場所に滞在し、みっちりと魔術を学んだ。赤光人の魔術はハールの魔術と共通し

た部分があり、こつを掴むのは難しくなかったようだ。境界線も少しずつ近付き、最終的に初めの三分の二く

らいにまで縮まったが、現状ではこの辺が限界であるようだ。

 教えてもらえる事は大体教わり、できる事はやった。そろそろ潮時だろう。

 赤光人にその事を伝えると残念そうにしていた。彼らも彼らで楽しかったそうだ。久しぶりに他種族と会話

できたし、よければまたいつか会いにきて欲しいとの事。

 面倒見がいいというか、人懐っこい種族であるようだ。同盟も簡単に結んでくれたし、何かあればいつでも

協力しようとも言ってくれている。

 問題があるとすれば、彼らの土地が北を塞ぐように広がっている事か。

 魔術が暴走した範囲は広く、とても進めそうにない。

 諦めて東に進路を変える。

 決めるとすぐに出発した。長居すると未練が残るからだ。

 別れはいつもさっぱりしている方がいい。



 赤光地帯は三週間は続いただろうか。

 しかしそれも終わる時は呆気なく、何の前触れもなくあっさりと終わった。

 その先には森が広がっている。

 これもいつもの森と言っていいだろう。この大陸本来の森とクワイエル達が考えている例の森だ。木々にも

他大陸と似ているものがあり、花や草にも懐かしさがある。

 心休まる景色だ。

「食料と水を探しておきましょう」

 水は豊富にあるのでついでだが、食料の方が少々心許なくなってきている。圧縮したり乾燥させたりと様々

な術を用いて長期保存、携帯に便利なようにしているが、無限に持ち運べる訳ではない。

 それに体が強化されるに従い、食欲も旺盛(おうせい)になっている。肉体が安定していないせいで、効率

よくエネルギーを摂取する事ができないのかもしれない。

 進化、これがそう呼べるとすればだが、というものはやはり一朝一夕ではいかないようだ。

 変化は一瞬でも、心と体が順応するまでには長い時間がかかる。

 そしてそれを待てない者は滅んでいくのだろう。

 人が思う程良いものではない。

 周辺を探索すると小動物や木の実などが割合豊富にある事が解った。

 永い年月あまり変化してこなかったか、それがゆっくりであった為、住む生物にも余裕が生まれ繁栄したの

だろう。どれも生き生きと生命力に溢れている。

 川や湖も見付かったので水も忘れず補充しておく。次にどこで手に入るか解らないから、持てるだけ持って

いた方がいい。どれほど魔力が増し、魔術に秀でたとしても、食料を得る事は難しい。それは生命を創造する

事に繋がるからだ。

 飛行と生命そのものに関する魔術は難しく、特に生命に関するものは最も難しい。それができるのは創造神

かそれに近い者達だけである。強大な力を持つ、あのフィヨルスヴィスでさえできるかどうか。

 クワイエル達にはとても計り知れない世界である。



 水と食料の確保に一週間を費やした後、北上を再開した。別に北に当てがある訳ではない。南からきたのだ

から北が最奥だろうという当初からの考えを実行しているだけである。

 最北に到ってからの事は決めていない。そのまま地図を埋めるべく調査を続けてもいいし、始まりの街、ギ

ルギストに戻ってもいい。

 とにかく今は北の果てを目指す事だけを考えている。

「行きましょう」

 クワイエルの言葉に皆頷き、レイプト、クワイエル、ユルグ、エルナ、ハーヴィの順に並ぶ。

 気休めのようなものだが、気休めも積み重なればばかにならない。全ては一から始まるのだから、それを笑

えば何も成せない。

  不思議な事に強大な存在を知って思い知らされたのは、一というちっぽけなものの大切さと、一と零の間

にある無限に及ぶ差であった。

 自分達がちっぽけであると自覚するからこそ、その大切さが解ったのかもしれない。

 一歩一歩前へ進む。



 穏やかな森は一月ほど続いた。その間に東西どちらかに行けば変化があり、他種族に会えたのかもしれない

が、今は迷わず北上を続ける。

 そして出くわしたのが眼前に広がる大きな川。

 視界の全てを埋めるくらい広く大きな川だが、不思議な事に水音がしない。先頭のレイプトが上手く止めて

いなければ、クワイエルが川に落ち、下流に流され、とんでもない事になっていただろう。

 水温も感じられなかった。まるで空気の中に手を入れたかのようだ。

 手を水中に入れたままかき混ぜてみたが、まるで抵抗を感じない。まさに空気の川と言える。

 だがクワイエルが頭を丸ごと川に入れてみると、息ができず、確かにそこにある事が感じられる。

 すくい上げる事もできるし、飲む事もできた。しかし味はしない。

 そこに確かにあるのに、全く存在感がない。

 おかしな川である。

 水は深く澄んでいてどこまでも見通せそうだが。流れが速く、その上水面に絶えず波紋が生じているので底

に何があるのかは解らない。

 クワイエルが言うには水中にも波紋のようなものがあって少し先に何があるのかさえ解らなかったそうだ。

 何かを隠しているのか、それとも結果としてそうなっただけなのかは解らない。

 ともあれ、人体に害はなさそうなので、今夜はここで野営する事にした。

 多分、前に水で厄介な目に遭った事は忘れてしまっていたのだろう。



 危なげなく一夜が明けた。どこにも異常は見えない。視覚以外は何も伝わってこない川が、呆れる程流れ続

けているだけだ。

 楽しみにしていたクワイエルが水を飲んだ事による異常も無かった。残念だが、本当に無害であるらしい。

面白くないが、諦めるしかないだろう。

 それでも飲料水として補充するのは止めておいた。例え本当に無害だったとしても、そこにどんな魔術がか

かっているのか解らないのだから他の水と混ぜない方がいいし、持ち運ぶべきではない。

 それからあれこれと調べてみたが、解った事と言えば、手ですくったりして水を川から切り離すと波紋が消

えるという事。そして川にかけられている魔術が水以外には何の影響も及ぼさないらしい、という事か。

 調べれば調べる程興味深くなるが、これだけ解ってもどうしようもない。

 何よりこの不可思議な川を渡らなければならない、という難題が残っている。

 さて、どうしよう。




BACKEXITNEXT