17-3.

 話し合った結果、近辺の木を伐って筏(いかだ)を作り、それで川を渡ってみる事になった。

 川に潜ってみようか、という案も出たのだが。さすがに何も解らないままで波紋の渦に入るのは危険すぎる。

 確かに一度顔を入れているのだが、体全体を、それも長時間入れ続ける事になると話は違ってくる。

 魔術師も馬鹿ではない。それなりには考えている。

 筏作りは側に木々があったのもあって割合簡単に完成している。

 強度も魔術でしっかり固定してあるのから充分だろう。

 短時間で作れたので、そのまま航川に出る。

 筏の大きさは約5m四方、全員で乗っても余裕がある。海と違って波が強くないから、頑張れば逆立ちくらいできる

だろうし、宙返りだって可能かもしれない。勿論そんな事はしないとしても、試してみたい欲求には駆られる。

 航川は順調だ。

 ゆっくりと上下に揺られ、着実に前へ進んでいく。対岸はみるみる近くなり、このまま行けば一時間とかからず渡れ

てしまうと思えた。

 しかし、順調なのはそこまでだった。

 突然川面が割れ、クワイエル達は筏ごと川に呑まれてしまったのである。

 普通なら慌てふためき、混乱したまま落ちていく所だが。彼らも様々な経験を積んできた。むしろこういう事態をこ

そ待っていた。

 だから冷静に固定させる魔術を川水に使い、水圧で潰されるのを避ける事ができた。

 そのまま落ちるに任せながら周囲の水を固定し続け、川底にまで達す。

 四方が波紋で渦巻いている景色を見るのは壮観だったが、さて、どうしよう。

 考えた末、固定した水を掘るように道を拓き、対岸まで進んでみる事にした。

 幸い、他に異変が起こるようでもない。運が良ければ無事対岸までたどり着けるかもしれない。

 結論から言えば、上手くいった。

 道作りは対岸に達するまで順調に進み、岸を登るのにも苦労は無かった。他に罠もなく、川が割れた事だけが異常で

ある。

 川が割れて対象を飲み込む。それだけの事だったとすれば、これは罠というものではなく、上にあるものをただ飲み

込む仕掛けでしかなかった可能性がある。

 例えば、食事でもするように。

 そう考えるとぞっとしたが、そこまで深く考える必要も無いのかもしれないと思い直し、まだ日は高いがこの対岸で

野営する事にした。

 少し考えを整理したいという事もあったが、もう少しこの川を調べてみたいという気持ちがあったからと言った方が

正確だろう。

 もしかしたら日に何度かある自然現象のようなものかもしれないし、このまま放って進むのはちょっと勿体無いよう

な気がしたのだ。

 貧乏性にも似た好奇心である。



 数日川辺にて調査という名の待機を続けたが、何も解らなかった。

 川が割れる事もなければ、それ以上の何かが起こる訳でもない。まるで何事もなかったかのように一日が過ぎ、二日

が過ぎ、三日が過ぎていった。

 何度か川中を確認しても見たのだが、相変わらず波紋が渦巻いている外は見るべきものがない。いや見る事ができない。

 川が割れたのが防衛装置のようなものなら、筏でもう一度渡ってみるのが一番手っ取り早いが、危険過ぎる。止めて

おいた方が良いだろう。

 後ろ髪引かれる思いを振り切り、先へ進む事に決めた。

 先に進んでこの謎が解明する保証はないのだが。力弱き彼らでは向こうから歩み寄ってくれる事を待つしかないので

ある。もどかしいが、どうしようもない。

 それにもしかしたら、この先また似たような川が見付かるかもしれない。ここレムーヴァの川はああいうものだとい

う考え方もある。それは強引過ぎる結論であるような気もするが、そうでない理由はどこにもない。

 だから、今は希望を持って進もう。

 今までもそうしてきたように。

 対岸の奥も森が広がっていた。川が区切りという訳ではないようだ。

 それから更なる変化が起こるまでに、三日という時間を必要とした。

 突然目の前が開けたかと思うと、針で覆われている地面が現れた。いや、それだけではない。木のような針、草のよ

うな針、花のような針まであり。自然の全てを針と取り替えてしまったかのような、奇妙な光景が広がっている。

 慎重に進んでいなければ、うっかりそのまま突き刺さってしまっていただろう。

 地面が見えない程、というよりは地面もまた針に変わってしまったかのようで、まさに足の踏み場もない状態だ。

 試しに針に触れてみると非常に硬く、ちょっと叩いた程度ではびくともしない。力を入れて曲げようとしてみたが、

腕力が一番あるだろうレイプトが渾身の力を込めても、針はぴくりとも動かなかった。

 質感は金属よりも石に近い。ざらりとして摩擦があり、こすり合わせたら火を起こせそうだ。表面は細かなぶつぶつ

で覆われている。

 鋭さも相当なものだ。木を軽く貫通し、鉄をも見事に貫いた。力を入れなくてもすっと通せる。

 鉄塊でも作って靴代わりにしてしまえば簡単に進めるのではないか、という淡い期待は脆くも消えた。

 熱にも耐性があるようで、いくら熱しても変化は見えない。熱してすぐ触れても全く熱を感じないのは、熱を遮断す

る魔術でもかけられているのだろうか。それともこの物質はそういうものなのだろうか。

 よく解らないが、クワイエル達にどうにかできる物ではないという事ははっきりした。破壊するのも無理なら、破壊

されないのも無理である。まともにぶつかれば壊されるのはこちらの方だ。

 もしかしたらと空気をブロック状に固めて置いてみたが、これも容易く貫通した。物質的ではなく、魔術的な鋭さか

もしれない。

「これは困りました」

 さすがにこれでは通りようがない。

 間を縫って進む手もあるのだが、これが魔術だとすると、クワイエル達の用いる魔術自体を貫通する可能性もある。

理屈ではなく、もしそういう魔術がかけられていたとしたら、そうなる。単純な力勝負で弱者が強者に敵う道理は無い。

 残念だが迂回するしかない。

 ただ非常に興味深いので、針の見える境界から離れないように進む事にする。そうしていれば、その先に何があって

も、何が居ても、知る事ができる可能性は残る。そしてもしこの地の主と会う事ができれば、何か突破口が開けるかも

しれない。

 そのくらいの希望はいつも持っていたい。



 針地帯は延々と一週間の間続いた。思ったよりも広いが、個性は埋没している。形だけは自然界にあるだろうほぼ全

てのものを表現できているが、針自体はどれも同じ。色も姿も皆等しく、面白みがない。

 もし誰かがその針のどれかを別の針と入れ替えたとしても、全く気付かないどころか、興味も示さないだろう。それ

ほどに没個性的な光景だった。

「ずうっと見ていれば、愛着が湧いてくるのかもしれませんが」

 そのずうっとは一週間では足らないようだ。

 辛うじてクワイエルだけが興味を保っている程度で、他のメンバーはあまり注意を払わなくなっている。警戒はして

いるが、その一つ一つに対しての特別な興味は失っている。

 針地帯との境界は平らに金属が埋め込まれたような奇妙な姿をしていた。材質は針と同じかもしれない。手触りと見

た目はそっくりである。

 針を出す前の姿ともとれる。

 この地形は摩擦がしっかりしているから歩きやすく、ありがたい。段差がなくつるりと伸びているので、こける心配

もなかった。

 針地帯を抜けられたようなので、後はその境界に沿うようにして北上を再開する。

 つるりとした地面は他大陸で見た舗装された道を思い出す。土をならした程度の道が多いが、中には石などでしっか

り補強された道があり、そこを馬車などがひっきりなしに行き来していたものだ。

 驚くほど大きな道のはずなのに、そのせいで忙しなく小さく見えたものだ。

 レムーヴァの広大さを思うと尚更そう感じる。

 だがこの大陸のように広過ぎるのもどうかと思う。

 一体誰が何を考えてこんな作りかけのような、思いつきで創ったような地形を広範囲に置き捨てていったのか。人が

芸術を愛でるように、広大な大地と強大な力を与え、それをどう創り変えるのかをどこかで鑑賞でもしているのだろうか。

 確かに今までの事を思えば、全ての土地が個性そのものであり、そこに住まう種の生き方そのものでもあった。

 それを見ているだけで楽しかったのは、クワイエル達も変わらない。

 面白い。そう思う。

 これは生物の進化そのものを丸まるどっぷりと楽しめる方法と言えなくもない。

 強大以上に極大で、圧倒的な力を持つ神々の遊び。そう受け取れば、それで説明が付くような気もする。

 それを言えばクワイエル達もまたそうだろう。彼らもその遊びの中の一つに過ぎない。

 しかしそう考えたとしても、何故この大陸だけが別格なのだろう。この大陸だけが規格外であり、あまりにも特殊過

ぎると思える。

 何か理由があるのだろうか。それともたまたまなのだろうか。

 解らない。解らないまま進んでいる。

「そろそろ休みましょうか」

 クワイエルの提案に皆頷いた。

 このパーティでは彼が休憩、起床、就寝などの時間をほぼ全て決めている。その時間は固定されておらず、気分で決

めているようだ。

 それでも大抵は皆がそろそろかなと思った頃にくるので、反対する事もないし、そういう能力に対して信頼すらして

いる。

 もしかしたら、案外そういう気を読めるというのか、元々は時間に気を遣う生活を送っていたのかもしれない。

 謎の多い男だが、割といいとこのお坊ちゃんという事実が判明したし、案外しっかりした教育を受け、きちんとしつ

けられて育てられたのかもしれない。

 それがこうなってしまったのは誰にとっても遺憾の至りだろうが、思い通りにいかないのが人の常だとしたら、それ

はそれでこの事を雄弁に証明している。

 そして今それがこういった形で役立っているのだとすれば、彼も過去に感謝するべきなのだろう。

 例え置き捨ててきたものだとしても。



 一夜明け、再びクワイエル達は歩き始めた。

 歩くといってももう常人とは比べ物にならない速度で、はっきりと人間離れしている。

 地形は似たような摩擦路が続いている。もうこの大陸全土がこれであっても違和感がない程度には見慣れてきた景色だ。

 しかし全く同じではない。具体的に言えば、摩擦力に変化が感じられる。

 とはいえ北上すれば強くなるというようでもない。まばらになっているというのか、その場所によって摩擦力が違う。

微妙にではなく、はっきりと違う。雪の上と地面の上を歩く程にそれは違っていた。

「もしかしたら、安定していないのかもしれません」

 ここが創りかけ、或いは思い付きで創った地形であれば、その仮説に説得力が出てくる。

 失敗して安定を失ったから、思い通りのものが創れなかったから放置した、という可能性もあるだろう。

 今まで見てきた場所の中にもそういうものがあったのかもしれない。

 その場所に意味、理由を見出せなかったのも、初めからそんなものは無かったからかもしれない。

 そんな事を考えている間に、まばらな摩擦力にも慣れてきた。適応力もかなり増している。身体がこの場所に馴染ん

でいくのが解るのは気持ちの良いものだった。

 これが進化だろうか。

 そうだとしたら、それは最終的に彼らに何をもたらすのだろう。

 解らないが、それを悟らせる為にこの大陸があるような気もしている。



 摩擦路は延々と続き、終わりを見せない。

 ただし少しずつ安定しているというのか、まばらな箇所はまだ多くあるが、全体的に摩擦力が強まり、その強弱の差

が薄れてきている。

 何度も試して上達したのか。それともこの地全体にかけられているだろう魔術の大本というのか、行使した場所がこ

の先にあるのかもしれない。

 もしそうなら他種族が居るかもしれない。望んで作り変え、望み通りになった場所だとしたら、そこに住むのが自然

と思えるからだ。

 意を新たにし、期待して進む。

 しかしそんな調子で進んでいると、少し困った事になってきた。摩擦力が強くなり過ぎたのか、反発するようになっ

てきたのだ。

 踏み下ろした足がその数倍の力で弾かれ、普通に歩いているだけでも飛び跳ねているような格好になり、バランスを

崩してこけてしまえばまた弾かれ・・・という具合で一騒ぎになってしまった。

 適応力が増していたおかげで手遅れになる前に慣れる事ができたが。もう少しで飛び跳ね死という訳の解らない終わ

り方で一生を終えてしまう所だった。

 上手く使えば、いつか使った飛び跳ねて進む魔術のように物凄い速度で走っていけるのかもしれないが。速度が上が

れば上がるだけ失敗してこけたりぶつかったりした時の被害は大きくなるし、制御するのも難しくなる。

 楽しそうだが、自重しておく事にしよう。




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