17-4.
最早、摩擦道とは呼べなくなってきている。 トランポリンの上で遊んででもいるかのように綺麗に宙を跳ね、その勢いで更に上に昇る。浮遊落下の魔術をかけ て何とかやり過ごしているが、これではもう歩いているのか飛んでいるのか解らない。 しかし幸か不幸かその反発によって進行速度はぐんと上がり、あっという間に抜ける事ができた。 その先にはまた針地帯が広がっていて、あらゆるものが尖がっている。それを見ていると心まで尖がってくるよう な気になるが、気のせいだろう。 ここも迂回するしかないのかと恨めしそうに眺めていると、中に、といっても結構奥の方だが、動く姿が見えた。 それは期待した通りの針人間ではなく、象が丸々と膨らんだような姿をしている。 針の上を平気で歩き、ばりばりと咀嚼(そしゃく)しているように見える。ここに居てもすぐそばに居るように思 えるくらいの音と勢いで食らっているせいかこちらに気付く様子もなく、そのままどこかへ行ってしまった。 声をかければ良かったのかもしれないが、そんな暇も無かった。 いや、その勢いに圧倒されて何も言えなかった、と言うべきか。 「また通りかかるかもしれませんし、しばらくここに泊まりましょう」 まだ摩擦路の上なので不安はあったが、これも訓練になるかもしれないと考えたのか、皆賛同の意を示した。 特にハーヴィが積極的で、この機会に摩擦と針に対抗する魔術を生み出そうとしているようだ。もしかしたら何か 思い付いたのかも知れない。
三日程経ったが、例の動物を見かける事はなかった。もしかしたら広範囲を一人で移動しているのかもしれない。 でもそれならそれで、そんな低い確率の中で発見できたのはまさに運命。やる気が出る。 ハーヴィの研究も上手くいき、たった三日で摩擦の影響をほぼ無くしてしまう魔術を生み出した。 理屈は簡単だ。反発力を別のものに変換すればいい。魔術そのものは理解できないが、力の生じ方は単純なのだ。 その力を操る事は難しい事ではない。 ハーヴィの魔力が通じるかだけが心配だったが、それほど強大な魔力で用いられていなかったのか、反発力そのも のは自然に発生するものであるのか、割合簡単に成功している。 この反発地帯は侵入者への罠ではなく。必要または興味を満たす為に創られた場所なのだろう。 そういう魔術は単純で変化させやすいものが多い。 後は針をどうにかすれば良いのだが、こちらが難航している。 針は何を上に置いても容赦なく貫いてしまう。考えられる限りの物を試してみたが、どれも効果は無かった。 上に乗るのは無理と判断し、いつぞや使った空間の隙間を縫っていく魔術も使ってみたが、これも通じなかった。 空間の隙間まで貫通するように、針は触れるもの全てを貫き通す。 お手上げだ。魔術も物質も関係なく、全てを貫き通してしまう。これに対抗するにはそれ以上の魔力をぶつけるし かないが、それは不可能だ。諦めるしかない。 ハーヴィは酷く落胆(らくたん)したが、こればかりはどうしようもない。彼らは常に無力である。 「迂回するしかなさそうですね」 その後一月程粘った後、クワイエルが最終的な結論を下した。 あの生物にもお目にかかれないし、もうこれ以上できる事はない。反発を何とかできただけでも良しとするべきだ ろう。
東に進路を変え、境界線をゆっくりと進んでいく。 一週間程歩いているが、相変わらず動物の気配を感じ取れない。会えたのはやはり奇跡的な偶然であったらしい。 だからこそ運命を感じるのだが、運命の女神は二度は微笑んでくれないようだ。 針地帯が途切れた所で再び北上を開始する。 西が針地帯、境界は摩擦路、東は通常の森。こんなちぐはぐな光景にも慣れた。面白いのは確かだが、それ以上の 興味をそそられる事は無い。新鮮な刺激ではなくなっている。 もしかしたら疲労で鈍感になっているのかもしれない。 口数も少なく、全員が精神的に少し参っているようにも見える。 「一度、休憩しましょう」 空気を読んだのか、それとも自分が疲れたからなのか、クワイエルが早めに休憩を提案した。それも数時間とか言 うのではなく、三日も休むらしい。 仲間達は少し驚いたというか、困ったような表情を見せたが、彼らも一つの限界にきている事を理解していたのだ ろう。素直に応じている。 最近は特に大きな事も起こらず、淡々と、それでいて疲労する事が多かった。エネルギーの素となる好奇心をそそ られる出来事も少なかったし、心身共に疲労している。 なんであれ面白みを見付けるのが魔術師だといっても、たまにはこうして滅入る時もあるのだろう。多分。 彼らは野営の準備をし、それから思い思いの時間を過ごす事にした。
休憩の間、特筆するような事は何も起きなかった。ハーヴィは瞑想し、レイプトはそれに倣(なら)い。エルナと ユルグはおしゃべりをし、クワイエルは余人には理解できない何かをしている。そういういつも通りである事が、今 の彼らには必要だったのだろう。 クワイエルだけは疲れ気味くらいで丁度良いような気もするが、彼一人だけを恒久的に疲労させる方法は無い。諦 めるしかなかった。 気分一新したおかげか、口数は増え、進む速度も上がっている。相変わらず変化の希薄な景色だが、それぞれに小 さな楽しみを見付けながら進んでいく。 そうして三日程進んだが、相変わらず変化は薄い。若干針の数が増えたような気もするが、確信は持てない。 今は気にせずに進む。 更に三日進むとはっきりと変化が解ってきた。明らかに針の数が増えている。密度が見るからに違う。 数で考えると倍くらいはあるかもしれない。もしうっかり踏み入れていたら、体に倍の穴が空いていただろう。そ れはそれで試してみたいような気もするが、さすがに実践する者はいなかった。クワイエルも大人になったものである。 そして彼は針の密度の変化から一つの仮説を立てた。 増えたのではなく、これが本来の姿。今まで見ていた景色は例の生物に食されたせいで針の数が少なかったのだろう。 という事は、あの生物はこの場所に近い内に(さっきの場所よりは近い内にという意味で)必ず現れる。 クワイエルにしては説得力があるような気もしたので、彼らはこの辺りを拠点とし、そこから南北の針の密集度を 集計してみる事にした。 拠点から南北に片道一日くらいの距離で調べてみると、北へ行けば行くほど密集度が増している事が解った。 あの生物がどういうルートを通っているのかは解らないが、針の密集度が高ければ高い程遭遇するまでの時間が短 くなるのは間違いない。とにかく北側の一番深く茂っているだろう場所で待ってみる事にした。 期間は一月。さすがに何年も待つ訳にはいかないから、このくらいが限度だろう。 その間は魔術の研究をするが、今度は疲れないように自由時間も多く取るつもりである。
例の生物、丸々膨らんだ象のような丸象は、半月くらい経ってようやく現れた。 そして物凄い勢いで針を食べ、半分くらいに減った所でさっさとどこかへ行ってしまった。その動きと食べる速度 は思っていたよりも数段速く、勢いに圧倒されたまま見送るしかなかった。 丸象は食べた分だけ膨らんだが、すぐにその膨らみは減少していた。食べる速度だけではなく、消化、吸収、消費 も恐ろしく速いのかもしれない。だから常に食べ続けていなければならず、一箇所に留まる事無く動き続けている。 もし話しかけていても忙しくて答えてくれなかっただろう。 クワイエル達はそう心を慰める事にした。 あの丸象に乗せてもらえたらこの付近の地理を把握する事もできるだろうし、何より楽しそうだったが、それも叶 わぬ夢であるようだ。 針をどうにかする方法も解らないし、これ以上この場所にこだわるのは止めよう。 一月は待つ予定だったから、半分で済んで良かったと思う事にし、クワイエル達は北上を再開した。 摩擦路も慣れてきたのと魔術である程度自由に操れるようになっているので、地面を歩くよりも速く進めるように なっている。上手く上空高く飛び跳ねれば大陸の果てまで見通せるかもしれないと考えたが、境界の付近より先は霧 に遮(さえぎ)られて視界が閉ざされてしまう。 こうして見上げている限りは何でもない空が広がっているだけなのに、いざ遠くを見ようとすると霧が発生する。 もしかしたら大陸全体にそういう魔術がかけられているのかもしれない。 境界付近でそうなるという事は、通常の森と考えているあの森がその魔術を発生させているのか。 深奥を隠す為に。 理由は解らないが、どこの土地に行ってもそうされていた。今ではそれが当然のように思えているが、よくよく考 えてみるとおかしな話である。先を見通されたとして、誰に不都合があるというのだろう。 レムーヴァという大陸は考えれば考えるだけ謎が増える厄介な場所である。
そんな事を考えている内に針地帯を抜け、その後数日経つと摩擦路も完全に消えてしまった。 久しぶりの普通の(と思っていた)地面に違和感を覚える。何だか物足りなく、土の地面はひどく歩き難く思えた。 数日すれば慣れたが、普通とか当たり前というものはこのようにころころ変わってしまうものらしい。人の考えの 基準、それに類するものはなんて儚く、変わりやすいものなのだろう。 だがこの考えも変化の乏しい、というよりもゆるやかな、他大陸に戻って一月も経つと消え。そちらの環境が当た り前に思い、考え方もまたそれに相応しいものに変わっていくのだろう。 不思議なものだ。 通常の森と呼んでいる地帯は一週間ほど続き、その間に食料や水を見付ける事ができた。この通常森地帯は他大陸 の森に近く、クワイエル達に馴染みのある物が見付かりやすい。 だがこの場所には今までも他種族の痕跡は全く無かった。どの種も自分にあったように土地を創り変えている。つ まり自然なはずのこの森がこの大陸の種にとってはひどく居心地の悪い場所だという事になる。 その事は他種族達がこの場所で自然に生まれた存在ではない事を意味する。 この大陸の大地に宿る膨大な魔力が自然の理を乱してしまったのか。それとも何者かがその意図を持ってそうした のか。 解らないが、彼らの持つ魔力量はやはり異常である。他大陸の種とあまりにも違いすぎる。 その意味、理由とは一体・・・・。 深奥に行く事でその謎に触れる事ができるのだろうか。それとも・・・・。 「結局、行くしかないという事だ」 クワイエルは独りそんな事を考えて過ごした。
いつもの如く、変化は突然に訪れる。 今回現れたのは滝壺とでも言うべきか。円形に陥没した地面に並々と水が注がれ続けている。水量は全く衰えない が、水位は上がらない。水がどこかで循環しているのだろうか。 「これほどの滝を上から眺めるのは初めてかもしれませんね」 レイプトが感嘆する。 テレパシーで伝えているからいいが、もし音声で伝えようとしたらとんでもない大声で話さなければならなかった だろう。いつぞやの川と違い、ここは容赦なく轟音が垂れ流されている。 このまま見ていても仕方ないので泡を創って入り、そのまま滝下まで落ちてみる事にした。 浮遊落下の魔術を使えば見事な眺めを満喫しながら落ちていける。 ゆっくりと落ちていく間に距離を目算してみたが、数kmはゆうにありそうだ。それでも小型に思えるのは彼らの感 覚が麻痺しているせいだろう。 泡は水面まで何事も無く降り、水面で弾かれ、そのまま何度も何度も水面を跳び跳ねた。まるで先程の摩擦路のよ うで、懐かしくも笑ってしまう。 そのまま数分も飛び跳ねていたが、さすがにこのままではいけないと思い、ハーヴィが摩擦路の時の魔術を応用し て水面の反発力を抑える魔術を試みる。 魔術は抵抗も受けず行使され、泡は反発力を失った水面で震えるように小刻みに揺れ始めた。 今度は酔って少し気持ち悪くなってきたので、軽い石のようなものを創り出して水面に浮かべ、その上に立ってみ る事にした。 石板は何の抵抗もなく浮かび、滝によって生じる波でゆるゆると揺れている。乗っている分なら何とかいけそうだ。 クワイエル達は少し落ち着く事ができた。 |