17-5.

 しばらくすると慣れたのか、石板に安定して乗っていられるようになった。

 それでもうっかりすると端から転げ落ちたり、石板そのものをひっくり返ってしまいかねないので慎重に行動している。

 その内、五人で上手く釣り合いを取れる位置関係を掴めたので、その位置で各自休憩を取る事にした。

 クワイエルが水面に手を触れてみると、しっかりとした手応えが返ってきた。少し力を入れると痛いくらいの反発力が返

ってくる。摩擦路同様、加えた力に応じて反発力が生まれるようだ。

 水中が気になるが、水面に生じるさざなみのせいで見通す事はできない。

 せめて音でも聴こえないかと耳を近づけてみたが、滝の音でかき消されるのか、音波まで遮断しているのか、よく聴こえ

ない。

 魔術で何とかできれば良いのだが、力が足りない。この中で一番魔術に長けているだろうハーヴィですら、この場所に来

ると赤子のようなものだ。

 同じ大陸に生まれた生物でこれ程の差があるのは、鬼人がまだ比較的若い種で、この大陸から発せられる無限にも及ぶ魔

力に触れた年数が短いせいなのか。或いは単純に奥に行けば行くほど大地から発せられる魔力量が増しているせいなのか。

 よく解らないが、この大陸に住まう種族の中で、色んな意味で最も人間に近い種が鬼人という事なのだろう。

 つまりはこの大陸から発せられる魔力の影響が少ないほどクワイエル達に似ているという事になる。もしそれが本当だと

したら、それは・・・・。

「ハーヴィ師」

「どうした、レイプト」

「いえ、今あそこに何か見えたような」

 レイプトの言葉で我に返る。

 彼はこのパーティの中で最も観察力が鋭い。何か感じたのであれば、気のせいではないだろう。

「何か淡い光のような。いえ、光は光なんですが、何と言うか光の揺らぎのような・・・・。上手く言えないですが、少し

違ったんです」

「ふうむ・・・」

 珍しく歯切れ悪い言い方なのは確信できていないからだろう。

 しばらく眺めていたが、レイプトの言うような光はどこにも見えない。

「・・・・このまま待ってもしかたあるまい。行ってみよう」

 ハーヴィの言葉に皆頷く。

 移動は石板を繋げてその上を進む事にしたが、全員が一度に行くのは危険なのでレイプトとユルグを先行させる。

 この二人は若く、身体能力に優れる。石板の上を身軽に進むにはぴったりだ。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 二人は無言で一つ頷き合い、創られた石板の上をするすると影のように進んだ。うっかり余所見すると見失ってしまいそ

うな素早さだ。

 クワイエルは感嘆しつつ、水面に目を移す。

 二人の事はハーヴィに任せ、彼自身は水面に起こる波紋と石板の動きに注視した。

 理由は解らない。ただそうするべきであるし、そうしなければならないと感じた。

 こういう直感は信用した方がいいと経験から解っている。

「・・・・おかしいな」

 すぐにおかしな点に気が付いた。

 水面の生じる波紋、そして石板に起こる反発力にむらがあるのだ。

 中には全く生じていない箇所まである。結界に穴でもあいているのだろうか。

 その穴から水中に潜れるかもしれないと考えたが、レイプト達が乗る石板が安定している事を考えると穴は大きくない。

 これだけではどうしようもない。

 諦めきれず更に注意深く見ていると、石板に乗った瞬間に反発力が強まるのを確認できた。

 それだけではなく、反発力が強まった瞬間にさざなみが発生している。

 もしかしたら滝は水面に力を加え、さざなみを発生させる為にあるのかもしれない。

 そこまで考えた所でハーヴィ達に仮説を話してみる事にした。証拠はないし、間違っている可能性もあるが、解った事は

できる限り全員で共有しておく方がいい。

 クワイエルもその程度の事は考えられるようになってきたようだ。驚くべき進歩である。

 皆で話し合い、意見を交換したが、解決策は見えてこない。

 この地の事はまだ何も解っていない。

 そもそも水中と呼べる程の奥行きがこの下にあるのかも解らない。水面を通り抜けられてもすぐ足が付くかもしれないし、

単に地表を僅かな水が覆っているだけという事も考えられる。

 そんな事に何の意味があるのかは知らないが、考え方そのものが違う種にクワイエル達の言う意味などを求めても仕方が

ない。

 そうこうしている内にレイプト達は目的地まで着いたようで、しきりに辺りを探っている姿が確認できた。

 しばらく待っても危険な兆候はなさそうなので、クワイエル達は二人に追いつくべく速度を上げる事にした。



 レイプトが違和感を感じた場所には葉っぱが数枚浮かんでいた。この葉が光を乱反射させ、それに違和感を覚えたのだ

ろうか。

 興味深いが、今はそれよりも何故ここにだけ葉っぱが数枚浮いているのか、という疑問の方が大きい。

 確かに付近に木々が生えているのだから、それが飛んできたと考えるのは無理のない考えかもしれない。

 でもそれなら他の場所にも葉が落ちているはずだ。偶然という事も考えられるが、やはり違和感を受ける。

 念の為に遠視の魔術をかけて周囲を探り、その上で滝つぼ全体を探ってみたが、他の場所には葉っぱどころかちり一つ

落ちている様子はない。

 しばらく悩んだ後、試しに水面に浮かぶ葉を一枚つかんでみると、簡単に取り上げる事ができた。裏、表と丹念に調べ

見たが、ごくごくありふれた葉で、秘密があるようでもない。

 色、匂い、共に違和感なく。今までも無数に見てきた葉と同じ葉に見えた。

 他の葉も似たような感じで、取り立ててこうという部分がない。なんでもなく水面に浮かんでいる。

「取りこし苦労でしたか」

 レイプトが残念そうに葉を水面に落とした。

 すると葉は乱れなくぴたりと収まり、まるで吸い付くかのように静かに水面へ降り立った。

 クワイエルはそれを見て何か思い付いたのか。もう一度取り上げて落とす、取り上げて落とす、を二度、三度、五度、

六度と確かめるように繰り返した。

「やはり、反発しない」

 言われてみれば確かに反発力が働いていない。例え軽い軽い葉一枚でも、この水面に落ちて平気で居られるはずがない

のに。

 偶然穴の空いている場所に落ちたと考えるのは、あまりにも出来過ぎている。

「この葉はいただいておきましょう」

 クワイエルはもう一度取り上げた葉を丁寧に布で包んだ。何かの手がかりになるかもしれない。

 その後しばらく様子をうかがっていたが、何が起こるようでもないので、滝つぼの方まで行って見る事にした。



 滝つぼに近づくとさざなみが強まるだろうと考えていたのだが、実際にはほとんど変わっていない。滝つぼから波立って

いるのは確かだが、さざなみに強弱はなく、全体に均等に広がっていくようだ。

 「この滝も見せかけだけのものかもしれないな」

 ハーヴィがふと思い付いたように呟く。

 その可能性も無いとは言えない。

 ゆっくり調べたい所だが、他に手がかりになりそうなものは見えないし、このまま居てもおそらく何も解らないだろう。

 解らない事にこだわるよりも、先に進んで一つでも多く未知を体験した方がいい。残念だが、放置して進む事にした。

 滝の上に戻るのは楽だった。水面の反発力を利用し、地上まで跳んでいけばいい。泡を創って飛び跳ねれば事足りた。

 ひょっとしたら、もう二度とこの場所から離れる事ができなくなってしまうのではないだろうか。などという心配も取り

こし苦労だったようだ。この地の種も他種族には興味無いのだろう。

 或いはこの地にはもう誰も住んでいないのか。

 進路は北。地形はクワイエル達が自然の森と考えているいつもの風景。この森林地帯に居る間は少し気楽で居られる。食

料も水も見付ける事ができるし、大きな危険は無いだろうからだ。

 今までそうであったからといって、これからもそうである保証はないが。それでもこれからもこの場所だけは安全で居心

地のいい空間であり続けてくれるような気がする。

 特に理由なくそう思ったのは、何かを感じ取っていたのか。それとも自分がそう思いたいだけだったのか。

 解らないが、深く考えない事にしよう。

 クワイエル達はゆっくりとだが確実に進んで行く。



 しばらく歩くと違和感を抑えられなくなってきた。

 突然発生したものではなく、少し前から感じていたものだ。それが今強くなり、気にしないではいられない程になった。

 原因ははっきりしている。

 葉っぱである。滝つぼから拾った葉。あれが細かく振動しており、どうやらその振動が滝つぼから離れれば離れる程強く

なっていくようなのだ。

 滝つぼに捨てに戻るのが賢明だろうが、何となく勿体無い。悩んだ結果、振動を抑える魔術を使い、行ける所まで持って

行こう、という事になった。

 限界になったら燃やすなりして破棄する。試しに一枚燃やしてみたが、枯れ葉のように良く燃え、一瞬で黒焦げになって

ぱらぱらと風化してしまった。燃えた時点で振動も消えていたから安心だ。この葉は簡単に処分できる。

 この葉っぱ自体は見た目同様ありふれたものなのかもしれない。それがたまたまか、何者かの意図であの場所に置かれ、

さざなみに身を浸す事でその力を得た。

 こう言えばもっともらしいように聞こえる。

 だからそういう事にしておいた。

 一応振動葉という名をつけておいたが、すぐに忘れるかもしれない。

 でももし覚えていられたなら、何かの時に役立ってくれるだろう。

 そんな風に思えた。



 葉事件が解決して三日程進むと再び地形に変化が現れ始めた。

 今度は突然ではない。徐々に、そう徐々に凍りついていった。それは一見ガラス化したようにも思える。寒くない氷で覆

われ、その氷は基本的に透明である。

 冷たくはないが触ると溶けてしまうので確かに凍っているのだろう。

 溶けて現れた部分は枯れていると表現すれば良いのか。水分が失われてぱさぱさにしおれている。植物も鉱物も生物も干

からびる一歩手前というのか、水分が綺麗に失われてしまう。

 視界の全ての物が凍っていた。そのほとんどは今までに見た事がなく、これからも見る機会が無いものも含まれている。

楽しい眺めなので、気付いてからは絶対に手を触れず、保存しておこうと取り決めた。

 未知を保存する事には、時に未知を解く以上の価値がある。

 残念な事に他種族には出会えなかった。凍り地帯も一日と続かず、一度離れるともうどこにあったのかすら解らなくなった。

 一応地図に位置を載せておいたが、もう二度と辿り着けない可能性も高い。せめてサンプルとしてあの不思議な氷を持っ

て帰れれば良かったのだが、触れるとすぐに融けてしまうからどうしようもない。

 あの場所そのものが人目に触れる事を嫌っている。そんな気もする。

 氷地帯の事は忘れて更に二日進むと、今度は一面霜に覆われている場所に出た。

 ここもそんなには広くないようだ。数時間も歩けば出られるだろう。

 霜にも先程の氷同様冷たさを感じなかった。触れればすぐに溶けるのも一緒だ。

 同じ種によって創られた地形と考えるべきか。でもそれなら少し距離が空いているのが気になる。

 クワイエル達が進む二日という距離は一般の人間のそれではない。凍り地帯と霜地帯の範囲が広くない事を考えると、

この距離は少しおかしい。

 そんな風に疑問を抱きながら進んでいると、とうとう出会ってしまった。

 背丈はクワイエルの膝あたりまで、大きくても50cmはないだろう。色合いは全体的に白で、表面がもふもふした毛のよ

うなもので覆われている。一目で雪男だと解った。その背丈さえ除けば雪男というイメージにぴったりで、一度考えると

そう思うしかなくなるほどそういう姿をしている。

 知性があるのかないのか、表情の無い目でじっとこちらを見詰めている。そのしぐさにある種の愛嬌がなければ、不気

味に思ったかもしれない。

「もうし、もう・・・・あッ」

 クワイエルがいつもの如く話しかけようとした所、小雪男は溶けるようにどこかへ消えてしまった。

 あまりにも速い動きだったので、しばし呆然とさせられる。

 歩いたり走ったりといった風ではない。瞬間移動というのが一番近い。

「警戒させてしまったのでしょうか」

「かもしれんな。とすれば何かしら行動に出てくるはずだ」

「では向こうの出方待ちという事で」

「うむ、それでいこう」

 クワイエルとハーヴィの見解は一致した。それはつまり決定事項という事である。

 本来ならさっさと逃げた方がいいのだろうが、二人にその選択肢は無かったようだ。

 すでに術中に落ちていたという事なのだろう。




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