17-8.

 北上を続けていくとまたふと嫌な気配を感じた。例の暗闇に似た陰鬱なもので、暗闇のような影響力は

無いようなのに、何故かそれよりもずっと濃く感じる。

 黒々としたどうしようもなく重い物が胸を圧迫し、頭をぐっと押さえつける。

「どうしましょうか」

 珍しくクワイエルが皆に問うた。

 明らかな危険が目前に迫っている。今の段階では即死に到るような脅威ではないが、そうなる可能性は

充分にある。

 進むか避けるべきか。クワイエルとしても独断するには事が大き過ぎると考えたのだろう。

 彼も多少はまともになったという事か。

「うむ、ここは避けるべきなのだろうが・・・」

 返すハーヴィの方も珍しく歯切れが悪い。

 最奥を目指すのであれば、この程度の脅威はこれからも当たり前のように現れ続ける。それを全て避ける

のは不可能だ。ならばできる限り立ち向かい力を付けるべきなのではないか。

 彼にもそういう迷いがあるのだろう。

 他の仲間も似たような顔を並べ、どっち付かずの答えを求めているかのような不似合いな表情を浮かべ

ていた。

 それを見ていて面倒に思ったのか。それともらしくないと考えたのか。

「行ける所まで行って見ましょう」

 クワイエルが力強く述べた。

 皆もそれを待っていたかのように頷く。

 誰もがらしくないのは、先程の暗闇の影響から完全に脱していないせいかもしれない。あれがそういう

魔術であれば、好奇心だけで抗うのにも限度がある。

「待てよ」

 そこまで考えてふと気付く。

 魔術師の持つ好奇心が人間にある感情の中で最も大きく強いものだとしても、レムーヴァの種の魔術に

かかって臆病になるくらいで済んでいる。これは明らかにおかしい事だ。

「もしかしたら、魔術に対抗しようという意志すら持たない者に対して創られた術、なのかもしれない」

 石や草木といった我々とは別種の思考をしているだろう存在。もしくはルーンを認識するに至らない存

在。そういう対象に向けて編まれた魔術であるならば、クワイエル達がその程度で済んでいる事にも納得

できる。

 例えれば虫除け程度の力。殺傷力はなく、ただ嫌な気分にさせて追い払うだけの魔術。

「我々は羽虫のようなものという事だ」

 解ってはいるが、改めて思い知らされると少し思う所がある。悔しいとかそういう感情ではなく。先へ

進むのが途方も無く思え、らしくなく進むのを迷ったのも本当に暗闇の効果のせいだったのかという迷い

が浮かぶ。

 本当は自分が恐れているのではないか。

 レムーヴァとクワイエル達の間にはどうしようもない差がある。鬼人でさえ、それに違いは無い。

「いや、それこそ喜ぶべき事」

 クワイエルは再び心を奮い立たせた。

 未知を知り、圧倒的な力を見る。その為に全てを捨ててまでこの大陸にきたのではないか。今それが目

の前にあるというのに、恐がっているなんて勿体無い。

「楽しむべきなんだ」

 一通り考えて一巡したのか、心が元のように前向きになっているのに気付く。

 これは自然に人間に備わった自浄作用のようなものであり、生き延びる知恵であるのだろう。

 落ち着いた所で皆の顔を見ると、彼らも同じ表情をしていた。こういう所でも気が合うのが魔術師らしい。



 三日くらい進んだ頃だろうか。ようやくそれを目にする事ができた。

 何とも言えない重苦しさの正体。それは黒い黒い大きな塔だった。重力そのものであるかのように重く、

黒い。ブラックホールを塔にすれば丁度こんな感じになるのだろう。

 ただ自分の重みで沈んでしまうようではなく、しっかりと立っている。黒塔は黒塔として在り続け、歪

みもしなければ、落ちもしない。強大でありながら、存在は安定している。

 本来は不安定であるべきものを無理矢理固定してしまったかのような禍々しさだが、違和感はしない。

「・・・・・・・」

 クワイエルが懐かしそうに黒塔を仰ぎ見る。

 黒塔自体に見覚えはないが、この規模、存在感、思い出す物がある。

 ハールの塔だ。

 黒塔の創造主も細かい事は考えず、ただ自分の力の全てをぶつけるように、魔術を無造作に、強力に、

大雑把に、そして丁寧に編んだのかもしれない。

 仲間達も感慨深いものがあるようだ。

 ここに居る誰もがハールとは強い繋がりがある。そしてハールと言えば巨大な塔なのだ。思い出さない

方がおかしい。

 ただし同じ巨大な塔ではあっても、ハールの塔とは根本的に違う。そこに秘められた魔力の差ではなく。

目的や意味が根本的に違う。うっかり親近感を持ってしまうのは危険だ。

「・・・・・行きましょう」

 五分くらい黒塔を仰ぎ見た後、クワイエルは何事かを吹っ切るように大股で歩き始めた。

 仲間達も無言でそれに従う。

 重苦しいが耐えられない程ではなく、進んでもその重苦しさは安定しており、のっぺりと広がっている。

不気味だが、それ以上のものは感じない。嫌悪感を受けるが、悪意、殺意までは感じない。

 これも虫除け程度の意味しかないのだろうか。

 邪魔な存在など無造作に滅ぼしてしまえる力があるのに、何を遠慮しているのだろう。こんな魔術を創

ってまで、その存在を許しておく理由があるのだろうか。

「特に何も無いようですが」

 黒塔に近付いても反応は無い。ある種の寂しささえ感じてしまうくらい、放って置かれている。

 しかしそれこそが罠かもしれないと思い直し、念の為ゲルに探ってもらう事にした。

 出発する前に彼女へ重みの影響を聞いてみると、確かに全てが重苦しく感じられるものの、行動を邪魔

する程強いものではないようだ。陰鬱な気持ちにはなるが、それ以上ではない。クワイエル達と共通して

いる。

 もしかしたら、この魔術も一定の強さで働くのかもしれない。

 一定の力が加わるという意味ではなく。受ける存在の魔力に応じて一定の割合の負荷がかかるとでもい

うような。

 そうする事の理由は解らないが。クワイエル達には理解できない理由でも、その種にとっては重大な理

由である事は多い。

「では、お願いします」

 ゲルが軽やかな音を立てて周囲を探り始める。

 黒塔を中心にして縦横無尽に空間を駆け回る。飛んでいるというより、駆けている感じだ。見ていると

勢いよく走る姿が思い浮かんでくる。

 クワイエル達も少しは彼女を理解できてきたという事か。それとも彼女がクワイエル達に合わせられる

ようになってきたという事なのか。

 解らないが、良い傾向である。

 ゲルは黒塔をぐるぐる回った後、静かにクワイエル達の側に下りてきた。

 心なしか音が小さくなっているような気がする。疲れたのだろうか。

「!!!!!!!!!!」

 彼女が言うには、確かにそれほどきつい重みではないのだが、絶え間なくかかり続けるので思っていた

以上に体力を削られてしまうらしい。

 丁度油断してしまう重みというか、もう少しいけると錯覚しやすくなっているようだ。

 だとすれば考えていたような虫除けではなく。力有る者を狙って創られた結界という事になる。

「ありがとうございます」

 ゲルに礼を言ってしばらく休むように伝えると、彼女は素直にそれに従った。かなり消耗しているようだ。

 この地はクワイエル達だけで行動する方がいいかもしれない。彼らの弱さがここでは救いになる。

「行きましょう」

 珍しくクワイエルが先導する。レイプトには悪いと思ったが、今回ばかりは自分の方が適任だろう。鬼

人よりも魔力が小さく、ハーヴィに次いで魔力の扱いが上手いクワイエルが一番消耗が少なくて済むからだ。

 レイプトはクワイエルの次に位置し、周囲を探る。ただしいつもよりも距離を取っている。これを話し

合いもせずに自然にやってのけるのだから、チームワークも格段に成長しているようだ。

 進んでも進んでも圧迫感と重みは変わらない。いつも変わらず締め付けてくるが、その強さは変わらない。

「これなら耐えられる。だが本当にこれだけなのだろうか」

 自問する。

 自答はできない。

 でもそれでいい。余計な事を考えない事も魔力に抗する力になる。

 今は閉じればいい。考えるのはここを抜けてからでも遅くはないのだから。



 黒塔に手を触れられる距離までやってきた。これだけ近付いても身に受ける重みは変わらない。慣れも

しないが、耐えられなくもない。

 例えるなら水中で身体を動かしている時の重みか。疲れはするが、動けなくなる程ではない。

「・・・・・・・・・・・・」

 手でレイプト達を遠ざけさせる。距離に意味はないのだろうが、気分だけでも変わるなら小さくない力

になる。ルーン魔術は心と頭で用いる。気分の力もまた大きい。

「さて、どうしたものか」

 いつもなら何も言わなくても触るのに、この重みの中だとどうしても消極的になってしまう。

「・・・・・・・・・・・」

 答えは出ない。いや、初めからクワイエル達には存在しない。

 だから考えれば考えるだけ自分を縛ってしまう。これは悪い傾向だった。

「よし」

 クワイエルは考える前に思いっきり手を突き出し、黒塔に掌底(しょうてい)をかました。それはもう

触れるというようなものではなく、明らかに攻撃的な行動だったが、黒塔はゆるぎもしない。

 彼自身にも何ももたらさなかった。痛みも喜びもそこには無く。掌にあったのはただ硬いように重いと

いう一定した感覚のみ。

 そこには重さだけが存在していた。全てが重さというもので形作られ、接触する全てのものに重みだけ

を与える。

 掌を握り拳に変え、何度か塔壁を叩く。少しずつ力を込め、最後には手が赤くなるまで強く叩いてみた

が、返ってくるものは一定で、揺るぎようの無い重さだけが感じられる。

「・・・・取り合えず、触れてどうにかなるような事はないようだ」

 再び掌に戻し、塔壁にぺたりと貼り付けたまましばらく待つ。

 一分。二分。三分。

 何も起こらない。何も変わらない。それもまた一定だ。

「変化を嫌うというよりは、恐れているかのような・・・・」

 何に対してなのかは解らないが、これだけ徹底していると病的にも感じられてくる。

 それから30分程触れながら叩きながら周囲を移動してみたが、何事も無く時間だけが過ぎた。



 仲間達の許に戻り、話し合いながら黒塔に色々とやってみたが、何も起こりそうに無い。仕方ないので

このままここで眠ってしまう事にした。

 以前もそうして暗い重みを切り抜けた。今回は黒塔がそばに在るので意味が無いように思えるが、クワ

イエル達は気だるさのせいか、深く考える事を避けるようになっているようだ。

 一晩くらいの時間休んだが、幸いにも彼らにとって不都合な事は起こらなかった。全ては何も変わらず

一定であり、一定の重みだけがかかり続けている。

 この場所に入った瞬間に安全であれば永遠に一定して安全。危険なら永遠に一定して危険。そんな気が

してくる。

 それならゲルが何も感じ取れなくても不思議ではない。彼女は音の反射、もしくは発せられている音、

振動から情報を受け取る。正確には物が起こす振動ではなく、魔力そのものの振動なのだが、そういう風

に考える方がクワイエル達には理解しやすい。

 この場の全てが一定であるなら何も感じ取れなくて当然だ。

「ふうむ」

 クワイエルの推論にハーヴィが溜息をもらす。否定しように材料が無いし、何となく筋が通っているよ

うにも聞こえる。

 エルナ、ユルグ、レイプトも反論しなかった。彼らは無駄に言葉を重ねるような真似はしない。

 意外に思われるかもしれないが、魔術師が議論好きというのは間違いだ。確かに魔術師は自分の推論を

述べる事は好きだが、それらを戦わせる事は無意味だと考えている者の方が多い。

 そんな事をしている暇があるのなら実証すべきであるし。それが出来ず、初めから答えの出ない議論で

時間を潰すくらいなら寝ている方がまだましという訳だ。

 その点、神官よりも魔術師の方が現実的な物の見方をしている。

 だからおしゃべりではあっても人嫌いとか、そういう妙な印象をもたれるのかもしれない。

 面倒な生き物である。

「さて、どうしましょうか」

 クワイエルの問いに皆考え込んだ。

 どうにもならない事ははっきりしている。素直に諦めて立ち去るべきだが、何となく足が重く、頭も上

手く働かない。

 それはこの重みの影響もあるのかもしれない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 結局、うやむやな気持ちのまま、もう一日様子を見ようという事になった。



 一日過ぎたが何も起こらない。黒塔は黒塔のまま在り続けている。

 それでも離れたくないのが不思議だが、さすがに諦める事にした。全てが一定であり続けるのなら、何

をしても無意味という事になる。抗いも肯定も意味が無い。ここに居ても時間と心を消耗するだけだ。

「行きましょう」

 クワイエルは断固とした気持ちで宣言し、何かを考える前に足を進めた。

 この場所で救いがあるとすれば、行動の決定権は自分にあるという事である。全てが一定であっても、

時間が止まるとか、思考が止まるとかいう事はない。感じるものは感じるし、行動できる事は行動できる。

 一定であるというより、一定であろうとさせると言う方があっているのかもしれない。

 留まろうとはするが、抜け出せない訳ではない。

「・・・・・・・・・・・・」

 踏み出した後は無言のまま北上を続けた。これと言って何も無い時は北上する、という決まり事が彼ら

を助けてくれた。

 迷わない。それは魔術への効果的な対抗手段の一つである。

 重みは三日程急いだ所でぷっつりと消えてしまった。

 安堵して腰を下ろすと、持ち前の好奇心が復活する。その勢いのまま可能性や気付いた事をまくし立て

るように喋り合ったのは、重みが取れた反動というものだったのかもしれない。

 回復したゲルにも相談してみたが、彼女にもどうにもできないというか、対処法が解らないそうだ。残

念だが、それで諦めがついた。

 すっきりとした心持で北上を再開する。

 一定で変わらないというのは安心だし、とても良い事だと思うが、彼らには物足りない。

 危険でも変化のある世界がいい。

 彼らは心の底からそう思ったという。




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