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 クワイエルはギルギスト港に居る。

 問題となっていた塔の件を片付けた後、このレムーヴァの情勢を良く理解する為に、マーデュスに厄介

になりながら情報収集しているのである。

 ようするに当面の目的を果たし、今は小康状態であると言えた。

 塔主のハールの研究にも力を貸し、また彼から魔術を教わってもいるようだ。そしてそれをギルギスト

改善の為に使おうともしている。

 何しろ多少乱暴に建設した港町である。生活環境の不備等々、身近な問題も山積みされていたのだ。

 その為マン神殿が中心となって、この機会に一挙に環境問題を解決し、しっかりと地盤を固めようとし

ている。やはり拠点がきちんとしていなければ、未開大陸の開発などは出来ようも無いだろう。

 これからは塔以上に難解な問題が立ち塞がるに違いないのだから。

 クワイエルが神殿から受けた依頼も、レムーヴァの調査、と言う大雑把な内容であるから、それを遂行

するにはまだまだ膨大な時間が必要となる。その膨大な時間を過ごすこのギルギストの環境を少しでも整

える事は、彼にとってもマイナスでは無いだろう。

「まずはこの大陸の果てを見極める事ですな」

 以前この件に付いて、マーデュスはクワイエルへとそう助言した。

「つまりは地図を作れと言う事では無いですかな」

 彼はその時ふと思いついたように、そうも言った。

 未開大陸レムーヴァの調査、それはつまり未開を未開で無くす事。それには地図を作り、この大陸を明

らかにする事が最も相応しいのでは無いかと。

 それはこの大陸を虱潰しに探索する事であり、同時に終わりが途方も無く先に見えない事でもあったの

だが。当のクワイエルはと言えば、

「なるほど、確かにそれならば神殿も納得するに違いありません」

 と言う風に、いつもの如く平然と(少なくとも見た目には)頷いただけであった。

 或いは先が見えな過ぎて、彼自身も良く解っていなかったのかも知れないが。ともかくクワイエルは目

標が定まった事に、酷く満足したようだった。

 そしてハールから魔術を学ぶ事にも、彼は同じように満足している。

 魔術を学ぶと言っても、勿論神殿でやるように魔術の構成の組上げ方などなど、そんな事を一から教わ

っている訳では無い。

 魔術と言うのはルーンの組み合わせ、構成によって発現する効果が変わり。魔術師の力量と言うのはそ

の魔術の制御の巧みさにあり。その力量さえ確かならば、後はその魔術の創造法(想像法と言い換えても

良い)さえ教われば、誰でも使えるモノなのである。

 そう言う意味で、ある特定の個人だけ使える魔術と言うのは存在しない。

 そして力量の点で言えば、クワイエルは充分にハールの魔術を行使するに足りており。後はその魔術の

発想法などを教えて貰えれば、練習次第ですぐにでも使えるようになるようであった。

 ハールもクワイエルの力量に満足し、新たな魔術の開発に協力を求めている程である。

 そう考えれば、ハールから学ぶ、では無く。ハールと共に学ぶ、と言った方が適当かも知れない。

 そしてある程度の魔術をマスターしたクワイエルは、その実践練習がてら拠点となるこのギルギストの

機能を向上すべく、今は活動している訳だ。

 具体的にはマン神殿の神官に魔術を教えたり、実際に魔術を使って飲み水の確保や食料の保存に力を尽

くしている。

 勿論その間にもマーデュスが先頭になり、レムーヴァの開発、開拓も、ゆっくりではあるが日々確実に

進んでいる。

 こうして地道ではあるが、全ての事は順調に運んでいるように見えた。



 そんなある日の朝、クワイエルは急にハールに呼び出された。

 勿論今までにも何度となくハールから呼ばれているのだが。今回は少し趣が違ったのだ。

 とにもかくにも急いで来てくれとの事で、クワイエルは着替えだけを済ませ、マーデュスへ行き先を告

げると足早にハールの家へと向った。ハールは彼の塔に居る事も多いが、それだと色々と不便な事も多い

為、近頃は神殿が提供したギルギストの住居に居る事が多い。

 新築したばかりの新しい家で、広さもあり、研究などをするにも都合が良いように作られている。

 ハールはあまり人の多い賑やかな場所は得意では無かったのだが。住めば都と言う言葉もあるように、

長年の一人住いで人恋しくなっている事も手伝ってか、今では割とそこでの暮らしにも慣れているようだ。

 その家はクワイエルが厄介になっているマーデュス宅から程近い。急げば数分もかからないだろう。

 しかしこんな急に呼ばれた事はかつてない事でもあり、一体何事かとクワイエルは珍しく走りながら考

え込んでいる。まあ珍しくと言うよりは、彼ぐらいしかこんな器用な事は出来ようもないのだが。

「もしかしたらあの件で・・。いや、あれはもう解決したはず。ならあちらの件だろうか・・・」

 何しろこの大陸では問題が山積みで、考えれば考える程心当たりが次々に出てくる始末。その内のどれ

なのか、或いはまったく別の何かであるのか、まったくもって見当も付かない。

 とにかく急ぎに急ぎ、未だ未舗装の目立つ道を駆けに駆けて、ようやくハール宅へと辿り着き。その勢

いのまま盛大に屋内へとノックの音を響かせた。

 するとドアの向こうからも慌しい足音が響き、その音とまるで力比べでもするように、勢い良くこちら

へとドアが開け放たれてしまった。危うくクワイエルはそのドアに弾き飛ばされてしまう所であり、流石

の彼も肝を冷やしたと思われる(勿論、表情には出ていない)。

「おお、来ていただけたか。しかしあんまりノックが激しいので、私も何が来たかと暫し焦ったよ」

 開け放たれた空間の向こうには白髪頭のハールが居た。顔が少し強張っている所を見ると、彼も先程の

ノックの大きさには肝を冷やす思いであったようだ。また何か新たな厄介事が起こったのかと、そのよう

に思ったのだろう。

 何しろハールがここに来て以来、引切り無しに相談事を持った来訪者が訪れている。神殿からの者であ

ったり、冒険者の類からの者とその種類は様々だが、問題の大小は別にしても全てが厄介事であるには変

わりは無い。

 彼は別に神殿やギルギストの民達の相談役などになった覚えはないのだから。

 しかしなんだかんだ言って心根の優しい老人のようで、どんな相談にも出来る限りの答えを与えている

らしい。その優しさが更にこの災難を助長しているのだが、それを言っては彼が可哀相と言うものだ。

「とにかく入ってくれ。中で話そう」

「はい」

 クワイエルは言われたままに室内へ入り、今度は静かにドアを閉めた。

 反省はきっちりやる方らしい。

「一体何があったのです。急いで来いとは、なかなか穏やかな話ではありませんね」

「うむ、なるべく早く解決したい事なのでな。君には申し訳なかったが、とにかく急いで来るよう伝えて

もらった。事の重大さを解ってもらう為にも・・・。しかし脅かして本当にすまなかった」

 ハールはそう言うと深く頭を下げた。彼もこういう事に大しては真面目なタイプのようである。この二

人の魔術師は、歳さえ違わなければ案外そっくりな人間なのかも知れない。

「何しろ、どうやら面倒なモンスターの巣を発見してしまったようなのだよ・・・」

 ハールは溜息をついた。

 レムーヴァの名物とも言える雑多のモンスターの群、しかも事あろうにまともにその巣の一つにぶち当

たり、探索隊の大部分に大きな被害をもたらしてしまったらしい。 

 モンスターと人間が呼ぶ猛獣達も所詮は生物であり、それを考えればいずれはその住処に当たるのも当

然な話であったのだが、それがどうもただの巣では無い様なのだ。

 探索隊の生き残りから聞いた話によれば、そこから出て来たのは今まで見た事も無いタイプで、どうも

その行動に組織性を感じたとの事だ。今までギルギスト近辺で見た魔獣どもと違い、集団で動き、集団で

行動出来るという事は、そのモンスター達の知性の高さも察せられる。

 ようするに人類の歴史に度々多大な脅威となってきた、新たな他種族に出会ったと言う事だ。

 更に厄介な事に、その中にはルーン魔術すら行使する種族も少なく無かったと言う歴史もある。この新

種族がもし魔術の使い手であれば、恐るべき障害となる事は明白であるだろう。

 そしてこの手の種族と争うと言う事は、他の猛獣達とのように単純な個と個の縄張り争い程度ではなく。

この大陸の覇権をかけた戦争になると言う事でもあった。

 その苛烈さはこの種族の規模によるが、彼らも自らの生活があるから、どれだけ小規模であっても、簡

単に人間に屈しようとはすまい。そして全面戦争となれば、どれほどの規模でも恐るべき損害を受ける事

は避けられない。

「なるほど・・・、これは問題中の問題ですね・・・」

「うむ、そこで取り合えずどのような種で、どのような考えを持って、どれ程の力を持っているのか、そう

言った事を調査に行かねばならんのだが・・・」

 そこでハールは言葉を区切り、申し訳無さそうにクワイエルの方を見た。

「・・・・解りました。私がその調査を引き受けましょう」

「おお、行ってくれるか。ありがたい」

 クワイエルはようやく自分が呼び出された訳を理解した。考えてみればそう言う調査(或いは外交、最

悪の事態には戦闘も当然考慮される)を行うには、ギルギストにはクワイエル以外に適任となる者はいな

いのである。

 そのような重要な役目を担うには、よほどの力と、その力への信頼が必要なのだが。他にそれ程の力あ

る者と言えば神官長かハールくらいなものであり、彼らはその立場と歳から簡単に動けない。

 そう考えれば、先のハールとの一件でギルギストの民から一目置かれるようになった事や、神殿やマー

デュスとも浅からぬ仲である事からも、クワイエル以外には無く。彼ならばある程度その場その場で独断

をしても、おそらく許されるだろうし。逆に言えば、それくらいの権限がなければ、この役目はとても果

たせるものでは無かった。

 つまりは否応無くクワイエルが行くしか無いのである。

 こうしてクワイエルは再び厄介事に巻き込まれる事となった。そしておそらくこの大陸に居る限り、彼

の受難は続く事になるだろう。

 それを単に仕事と割り切るには、割に合わな過ぎる事柄であった。




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