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クワイエルの目を見張るような活躍と、ハールや神官長、そしてマーデュスの援助によって、あっと言 う間に鬼人達と国交が結ばれ。一月経たぬ間に基本的な施設や法などが出来、基本的な形が出来上がって 行った。 これで人間は強力な同盟者を得た訳だが、これはレムーヴァに居る者だけで決められた事であり、いず れは各国の間に論争と確執をもたらす原因になる可能性もある。 皆が皆、この鬼人族に好意を持つとも思えず、依然爆弾を抱えたような形ではあったが。取り合えず、 神殿だけでも了承を得られたので、当面は大した問題は起こらないだろう。 例え鬼人の力が魅力的だとは言え、それだけではレムーヴァに食指を伸ばそうなどと思う国は無いだろ うし、そのような余力が各国共に無いからだ。それが今現在、大勢力の内神殿のみがレムーヴァに関わっ ている理由でもある。 一介の商人に過ぎないマーデュスだけが今の所それらの利益を独占している訳で、それを危惧する声も 上がったとか言う話しも聞こえて来ていたが。それはマーデュスの多大なる神殿への協力と彼自身の努力 を考えれば、まったくもって正統な報酬であると、マン神殿が便宜を図る事で解決したそうだ。 今まで無関心だったくせに、利益が見込めたからと言って今更マーデュスにその利益を放棄しろなどと、 それはあまりにも身勝手と言うものだろう。各国、各神殿とも、それは重々解っているから、さほど強硬 な反対も出来なかったと見える。 それにマン神殿は最も親しまれ、信者も多く、神殿内の勢力図を見ても上から数えた方が早いと言う位 置なので、その力を恐れたとも言えよう。 このようにレムーヴァ以外の地でも、それぞれが身勝手な論争を巻き起こしていたのだが、勿論クワイ エル達にはそれは関係が無いし、多分興味も無いに違いない。 未開大陸の開拓に来る者などは夢追い人には違いないが、だからこそ利益などよりも純粋に鬼人達との 出会いを喜んだのである。ようやく心強い同胞を得る事が出来たのだと。 そしてクワイエルは今も鬼人の集落に居た。
「やっと目途が付いた感じかな」 クワイエルは大使館に一室と、更に鬼人側からも家を一軒与えられていた。この一月の間に彼がして来 た事は、それほど両方の側から敬意と賞賛を得るに相応しい事だったのである。 元々考え方の基本と基準が違う種族であるからには、まず意志の疎通が出来るまでに長い時間を必要と する。そして鬼人が人の言語を覚える必要もあり、これにも多少の時間はかかった。 それからクワイエルが先導者のようになって鬼人の理解を留学生に深めさせ、更に鬼人達との友好を深 めるべく努力をし。その中でも鬼人側からも留学生を募り、交換留学の形にまで持って行った事は、御互 いの親交を深める上で、将来にまで多くの恩恵をもたらすに違いない。 一つの懸念であったハールも、大使として常在する事に多少難色を示しつつも同意し、今は同じくこの 集落に住んで居る。 彼は主に鬼人達との条約を考えたり、彼らの知識を活用する事に没頭し、今では鬼人達の信仰から思考 法までもをほぼ理解する事が出来ているようだ。 そしてここに設置された留学生達の宿舎の責任者も兼任し、言わば校長か学園長のような立場にもなっ ている。つまりハールはこの地での人類の代表であり、また全ての留学生の師でもあると言う事だ。 ハールの魔術は鬼人達にとっても珍しいモノが多く、驚嘆すべき事に、鬼人の魔術師からも師事したい と言う者が出ているらしい。人間の影響によって、鬼人達も生活環境を気にし始めているようである。 その為、彼は多忙を極めているが、今の境遇にも満足しているようだ。魔術師にとって、未知な知識を 得、また弟子を多く持つ事は、これも一つの到達点と言えるだろう。 そしてその成果も順調となれば、忙しさよりも楽しみの方が上回るのを、誰もが納得出来よう。 「そろそろ本来の任務に戻らないといけないかな」 クワイエルは考え事をしながら、大使館の一室より窓越しに外の景色を眺めている。 目の前の机には無数の書類が積まれ、ほぼ全てが整理されていた。これは彼の仕事は片付いたと言う事 だろうか。まだ多少残っているようだが、それも今日中には仕上げられる程度である。 それに大使館には有能な人材が送られ、また育っているのだから、彼らに任しても問題無いだろう。 クワイエル個人の考えでは、そろそろ全てを任せても問題なく運営出来るだろう、と見込んでもいる。 今までの努力は確実に実り、大げさに言えば、ここだけでも一個の政府として運営出来るとまで思っているのだ。 この集落と鬼人達からはまだまだ得る物が多いに違いない。 もしずっとここに留まる事が出来るとしたら、これ以上に素晴らしい事も無いが。しかし彼にはやるべ き事があり、また責任感も強い方である。そしてその任務の困難さを考えれば、居心地が良いといつまで も時を過ごしている訳には行かなかった。 「よし、明日出立しよう」 幸い旅のメンバーはいつでも集められる所に居る。いますぐでも発とうとすれば出来るのだが、それま でに挨拶と準備を済ませなければならない。鬼人達にもしっかり礼を言っておくべきであろう。 クワイエルは決断と行動が早い。考えがまとまると、すぐに私室から出て行った。
前に述べたように、ハールも忙しい。今はサポートとして彼に弟子入りした鬼人達が付いているから、 当初程の慌しさは消えたようであるが。それでもゆっくりしている時間がほとんど無い程に忙しい。 老骨に鞭打って必死にやってくれたハールに対して、もう人間達は足を向けては寝られないだろう。彼 は鬼人と人間の橋渡し役の中でも、間違い無く中核となる存在であり、ともすればクワイエル以上に鬼人 達から尊敬を受ける存在になっている。 忍耐強く、人類の中でも数える程しかいない知識の持ち主と思われる彼は、尊敬を得るに相応しい人物 であるだろう。 「そろそろ、私は出立しようと思います」 「また君は唐突に言ってくれるものだ」 しかしそんなハールも、流石にクワイエルの言葉を聞いて困惑したようだ。 何しろいきなり来たと思えばこれである。吃驚する暇も無い。 だが彼もクワイエルとの付き合いは短くは無い、その言葉を素直に理解し、即座に思考を切り替えた。 確かにクワイエルは言葉足らずの面があるが、常に考えた末の行動を示し、決して無謀な事や無責任な事 はしない男である。 そしてそうであるからこそ、クワイエルは人から好意を持たれ、ハールからも全幅の信頼を得ているの だろう。 「確かにそろそろ頃合かも知れないな。まだ幾許かの問題もあるが、それも時間があれば誰でも解決出来 そうな事だけだ。これは確かに頃合かも知れない」 ハールは何度も自分に言い聞かせるように頷いた。その間に必要な準備などを考えているに違いない。 彼の頭は良く回り、時間を誰よりも有意義に使っている。 「はい、明日に出立しようと思いますので、よろしくお願い致します」 「うむ、承認しよう。鬼人の方にも挨拶を忘れぬようにな」 それを聞くなり、クワイエルはしっかりと頷き、後は颯爽と姿を消した。 良く知らない者が見れば、なんて落ち着きの無い奴だ、と思った事だろう。いや実際、彼は落ち着きと は無縁の人間なのかも知れないが。 ハールは慣れたもので、驚きもせずにそんな彼を見送ったのだった。
大使館から外に出ると、木漏れ日が待ちかねたかのように、一斉に身体に降り注いで来る。 鬼人達の集落では、太陽と森林の恵みが驚く程強いように思う。まるでここにだけ太陽が余計に力強く 光を注いでいるかのように、この地にだけ特別な木々が生まれるかのように、まさに聖地と呼ぶに相応し い場所である。 おそらくここには何某かの力が働いているに違いない。いずれ時間があれば、ここをゆっくり調べて見 たいものだと、クワイエルは思う。 自分がハールくらいの年齢になった時、長い長い任務と慌しい生活に別れを告げる事が、もし出来たと したら。ここ以上に隠居住まいに適した土地は無いだろうと思う。他大陸を見ても、ここ以上に素晴らし い土地となると、数える程も無いだろう。 彼は背伸びを一つすると、歌でも歌いそうな顔で歩き始めた。 鬼人に挨拶となれば、当然それは族長と日頃から世話になってきた魔術師達にする事になる。 クワイエルは前方に見える大きなドームへと急いだ。
ドーム内は荘厳で如何にも静かである。それはいつも変わらない。静寂を乱す事は決して出来ないので ある。例え誰であろうとも。 ここは信仰の対象だけで無く、ルーン魔術の研究施設も兼ねている。ルーンが紛う事無き神の力である からには、それも当然の事と言えよう。 族長はいつもと同じように、このドームの中心部となる最初の部屋に居た。 まるで夢を見るかのような光の帯の中、この神殿と一体化したかのような神聖さと荘厳さを持ち、静か に来訪者を見ている。つまりはクワイエルの目を。 側に近付くと族長は重々しく礼の姿勢を取った。しかも人間式の礼であり、そこからもクワイエルへの 友情が見えるようだ。 族長は人間との交流を喜び、今では一番の人間の保護者となっている。この関係を築けたのはクワイエ ルの努力と、そしてハーヴィの補佐に負う所が大きい。ようするに族長はこの人間の若者を、いたく気に 入っているのである。 「私は明日、この地を出ようと思います」 「左様か・・・、そろそろ来るでは無いかとは思っておった。今までの貴殿の尽力、皆に変わり礼を言わ せてもらおう。本当に感謝している」 族長はゆったりと頭を垂れた。他の者が見れば、おそらく度肝を抜かれる光景であったろう。 「いえ、こちらこそ、本当にお世話になりました。また面白い話でも持って、お邪魔させていただきたい と思います。その時は仕事抜きでゆっくり滞在したいですね」 「その時を楽しみにしている」 二人は穏やかに微笑み合い、それから静かに礼を交し合った。 「餞別と言うのだったか。貴殿には感謝の意を込めて、この品を贈呈致したい」 族長は何やら高貴な、と言う形容詞の相応しい箱を開け、そこから一つの指輪を取り出した。人間用に 作ったのか、作り直したのか、丁度クワイエルの指に合いそうなサイズである。 「これは?」 「これにはルーンの加護が秘められている。長年この聖地にて祝福を受けた指輪である、貴殿の困難な道 のりをきっと助けてくれるだろう。そして貴殿をきっと護ってくれよう」 「ありがとうございます・・・」 クワイエルは素直に受け取り、後は黙ってそのままドームを辞した。 別れの言葉から長居するのも、贈り物を受け取らないのも、鬼人に対して最大の非礼となるからだ。 「ルーンのご加護あらん事を」 颯爽と去るクワイエルを、族長は人間式の言葉で見送る。彼がこんな事を言うのも、あのような大切な 品を贈るのも、おそらくこの時が最初で最後であるだろう。 そして族長が言うように、クワイエルはルーンの加護と共にある。 |