3-2.

 滝音は途切れる事無く続いている。

 一体どれ程昔から、一体どれだけの水が流れて来たのか。考えるだけでも途方も無く、当たり前にそこ

に在る自然と言うモノの、理解以上の大きさを感じさせる。

 辺りは水滴で潤され、自然に満ち溢れて居た。大地は丈の低い草花で埋まり、鮮やかな緑を始め目も覚

めるような色彩が広がっている。この窪地のように崖に囲まれた一体には、他の場所のような深い森は無かった。

 首を回せば、四方八方全てが見渡せる。大きな動物も居ない。居るのは先ほどから耳に優しい音色を奏

でている小鳥達だけ。平穏、その言葉が相応しい。

 あの障壁を越えて、まるで別世界のような光景がそこに在った。

 美しい。

 しかしそれ以上に感じるモノがある。まるで物体が圧迫しているかのように、それは濃厚に感じられた。

即ち、魔力、である。

 魔術師で無い魔力の少なき人間にも、はっきりと解る濃密な魔力。滝に近付く度、驚くほどそれを感じ

た。先ほどまではほとんど何も感じなかったのに、ある距離まで近付くと、突然現れたかと思い違えてし

まうくらい、急激にそれは現れたのである。

「おそらく魔力を隠す魔術がかけられているのでしょう。ですが、それでいくら隠そうともあの距離まで

が限度だと言う事。つまりは魔術で抑えられないくらい、圧倒的な魔力を持っていると思われます。私が

考えるに・・・、これ程の力を持った方は、人間には居ないでしょう。例え最高の力を持つ大神官であろうとも」

 警戒するように言ったクワイエルの声も、心なしか震えているように感じる。

 鬼人族遭遇時以上の緊張感に、彼の仲間も自然警戒心を強めた。何しろ自分達ですら、これ程魔力を身

近に感じたのは初めてだった。まるで自分自身が魔術師になったかのような錯覚を受ける。そう思えるく

らいに、圧倒的な魔力が存在していた。

 しかしなんなのだろうか、このレムーヴァと言う大陸は。これでは最強の生物達のオンパレードでは無

いか。普通に考えれば、これはありえる事ではない。不自然である。

 そのような事を思いながら、一行は滝壺へと着いた。

 この中に魔力場の原因が居る事は確かである。赤子でも解ると思えるくらい、目に映るくらいにそれは

圧倒的なのだから。誰が考えても、中心はここであろう。

 じっと滝壺を眺めるだけで、異様な疲労感を覚えた。

 共に居るだけで疲労を覚えるような力など、それではまるで神ではないか。少なくとも人間の許容量を

超えて居る事は確かである。だとすれば、このままここに居て良いのだろうか。

 いや、それ程の力ならば、何をしても結果は変わらないのだろう。

 突如魔力の濃さが更に増すのを感じた。

 慌てて滝壺に目を凝らす。するとその奥、つまり滝壺の奥、から何かが上がってくるのが見えた。

 こちらは現実である。確かに水よりも青く、空よりも蒼い何かが浮上して来る。夥(おびただ)しい魔

力と共に。

「これはこれは変わったお客様だ。我が名はフィヨルスヴィズ、多くを知る者フィヨルスヴィスと呼ばれ

ておる。歓迎するぞ、新しき者達よ」

 奥から出て来た者は、まるで初めからそこに居たかのように、高らかにそう言った。

 驚くべき事に、水面が揺らぐ事も、音がする事も無かった。自然にそこに居る。


 その者をどう言えば良いだろうか。

 単純に羅列するなら。丸みを帯びた大きな身体に六本の腕と長い尻尾が付いている。口は蛇のように裂

け、頭部から四本の角が生え。そして何よりも驚くべき事に人間の言葉を話すのだ。

 体長は5mはあるだろう。体皮は全て青い。

 凶悪にも見える面相だが、不思議とその目は穏やかで、敵対心どころかむしろ興味深そうにこちらを観

察しているように思える。

 その身体から発せられる魔力は強大無比で、まるで魔力の海の中に居るようである。

 だがそんな事では無い。敢えて言えるとすれば、居辛いのだ。そう、とても一緒には居られない、そん

な感じを受ける。

 人間とは根本的に異なる者なのだと。

 鬼人の時とは異なり、どうしようも無い違和感があった。

 砂漠に積もる雪のような、そんな光景を思い抱かせる。

「私はクワイエルと申します」

 何にしても会話して来たのだから、こちらも返答しなければならない。そしてこういう時に話をするの

はクワイエルの役目である。だが流石の彼も、今は汗ばんでいるように見えた。ともすればかき消されそ

うな自分を必死で抑え、青白い顔で絞り出すように言葉を紡いでいる。

「クワイエル、クワイエルか。なるほどそう名乗るのであれば、汝をクワイエルと呼ばせてもらおう。し

て私に何か用でもあるのかな」

 フィヨルスヴィズは鷹揚に応えた。その度に魔力の海が揺らぐ。

 たかが人の身ではこの揺らぎは耐え難いものがあるだろう。

「いえ、貴方を知って尋ねた訳ではありません。偶然ここを通りかかったのです。突然訪れる御無礼をお

許し下さい、多くを知る者よ」

「否。気にする事は無い。私の下に訪問者は少なく無いのだよ。そして訪問者と話をする事は、私にとっ

てこれ以上無い楽しみなのだ。特に汝らのような新しき者とは」

 そしてフィヨルスヴィズは大口を開けて、何かを発した。それは突風のように辺りを駆け巡る。

 表情から察するに、どうやら笑ったようである。

「私を知らぬとあれば、まずは教えてやらねばなるまい。私はこの大陸と共に生まれ、この大陸と共に生

きて来た者。故にこの大陸で最も古き者であり、それ故に多くを知る者と呼ばれる。私は歓迎するぞ、新

しき者よ。ただし、我が居場所を荒らす事は許さぬがな」

 そして彼は再び大きく口を開いた。

 ともかくこの強大な存在には、まったく敵意が無いようである。少なくとも、彼の寝所を荒さ無ければ。

「汝らは偶然とは言え私の下に訪れた。これも何かの縁・・・否、偶然ならばこそこれも神々のお導きだ

ろうて。ならば一つ面白い事を話してやろうか」

「面白い事、ですか」

 クワイエルは好奇心に満ちた目で問い返す。

「うむ。汝らはこの大陸に、何故私のような、汝らの言葉で言えば異種族が居ると思う? しかも汝らか

らすれば強大に見える力を持つ者ばかり。この大陸の生態系は汝らの知識を覆す物だろうて」

「はい、その通りです。私達はここに来て、在り得ない程多くの未知と遭遇致しました。この最果ての大

陸には不思議が満ちております。それでいて鬼人や貴方のように、我々を閉ざそうと為さらぬ方も多く。

我々は果たして拒まれていたのか、それとも今招かれているのか」

「うむ、うむ。ん、はて鬼人とな・・・・おお、そうか。それはボルギーの事か」

 フィヨルスヴィズは頷いた後、不意に首を傾げながらも何やら納得したようである。

「ボルギー?」

「うむ、汝らが鬼人と呼ぶ者達。私はボルギーと呼んでいる。特に意味は無く、私が呼びやすかったから

なのだが。まあ、汝らが気にする事ではないの。ともかく、汝の言った通りの事よ。何だ解っていたのか、

つまらんのう」

「それはどう言う・・・」

「招かれざるか、招かれたのか。そう言う事よ。ここにはルーンが満ち満ちておる。だからルーンに恵ま

れた者が数多く誕生するのだろうて。そして全てが全て、汝らに敵する者では無い。それを決めるのは、

多くは汝らの側に選択権がある。それを忘れずにな。ここは神々に最も近い場所、レムーヴァである」

 多くを知る者はそう言うと、大きく息を吸った。

「どうやら喋り過ぎたようだ。疲れた故、私は休む。また何かあれば来るが良い。クワイエルよ、汝の指

輪、それを大切にな。ではさらば」

 フィヨルスヴィズは気が済んだのか、現れた時と同じように、唐突に滝壺へとその姿を消した。

 今度もあれだけの巨体が沈んだにも関わらず、滝壺が乱される事は無かった。勿論滝が落ちる度に多く

の波紋が生まれていたが、フィヨルスヴィズ自身が水面を揺らす事は無かったのである。

「・・・・ここは無闇に訪れない方が良いでしょうね。敵意は無くても、彼の魔力は我々には大き過ぎま

す。私達も早く離れなければ」

 滝壺を崖の麓まで急いで離れ、地面に腰を下す。そうすると、改めてどれだけ疲労していたのかが解っ

た。座ったまま立てないのである。それどころか指一本動かすにも苦痛だった。

 クワイエルは大きく深呼吸すると、地図に大きく進入禁止の文字を記した。

 フィヨルスヴィズの言葉を全て理解出来た訳では無いが、今は深く考える力も無い。只管に休んだ。




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