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 フィヨルスヴィズの滝壺以外、特に目に付く物はこの近辺には無いように思える。

 あれだけの魔力を持った者である。知っている者も知らない者も、あまり近くに住みたくは無いのかも

知れない。とにかく圧倒的過ぎる。畏怖を通り越しているのだ。

 それとも、この大陸にはあのような存在が、当たり前のように生まれているのだろうか。

 そして圧倒的な存在達が、それぞれにテリトリーを作り、お互いに干渉し合わないようにでもしている

のだろうか。

 いや、やはりあの多くを知る者は特異な存在に思える。わざわざあの一帯を閉ざさなければならないよ

うな存在など、無数に居ればこの大陸はとうに滅んでいるだろうし。その中には大きな野心を持つ者も出

るだろうから、今まで人間がその存在を知らずに居られるとは考えられない。

 フィヨルスヴィズはあの結界内に居なければ、隣大陸まで届きそうな程の膨大な魔力を持っているのだ

から。

 その気になれば、おそらく出来ない事などあるまい。正に人から見れば神と同等の力を持つ存在。

 彼に会った余波は今もメンバー全員の胸に残っていた。

 普段は無口な全員が、それぞれああでも無いこうでも無いとフィヨルスヴィズとその言葉の見解を、頻

りに口にしている事からもそれが知れる。

 変わらないのはクワイエル一人だけであろう。

 しかしその彼もじっと何事かを考えているように、あれからほとんど口も聞かず。真一文字にその口を

閉ざしている。

 それを心配そうに軽装の剣士が覗いていたが、メンバーの誰もが思考の邪魔をしないようにと、クワイ

エルに言葉をかける事は最低限に止めていた。

 勿論付近の探索を疎かにしてはいない。

 別に不思議な存在や物を探すのが仕事では無く。レムーヴァを探索するのが仕事なのだ。それは疎かに

出来ない。彼らも一流の冒険者である。仕事は誠実にこなす。

 例えフィヨルスヴィズの付近に他の生物の影が少なくとも、それで放って置く訳にはいかない。それこ

そ本末転倒と言うものだろう。

 ただ、段差も多く高低差のある地形の為、少しの道のりが途方も無い労力と時間を強いる場合も多く、

地図はなかなか埋まらなかった。

 それでも懸命に足と手を動かし、大体滝壺周辺のマップが埋まった頃。次の区域へ足を伸ばす前に、ク

ワイエルはある事を決意したようだ。

「もう一度あの滝壺に向われるのですか?」

 軽装の剣士が驚いて思わず声を上げた。

「はい。どうも気になっている事がありまして・・・・」

 クワイエルはいつもの表情に見えるが、何処か遠慮しているような印象を受ける。

 フィヨルスヴィズと会う事は、それだけで苦痛を伴う事なのである。そしてその言葉が珍しく歯切れ悪

いのは、おそらくまだ自信と言うか、その行動に確固としたモノが無いからなのだろう。

 平たく言えば、勘、の段階なのである。

 もし行ったとしても、成果があるかどうか解らない。そんな所に言わば自分の我侭で行かせようと言う

のだから、クワイエルには本来我慢出来ない事なのだろう。

 この青年は平素、何か重要な意味、か、確固たる自信、が無ければ、こう言う風に突発的に行動しよう

とはしないのだ。そしてやるとしても、出来る限り綿密に準備と計画を立てる。

 だがこの場合、自信も無ければあの膨大な魔力の前に対応する術も無い。

 だから流石に心苦しいのだろう。しかしそれでも自分の直感はそれを強いている。

「ならば行くべきでしょう」

 リーダー役の盗賊が間髪入れず頷いた。

「貴方の勘は外れる事が少ない。貴方は自分の直感に従うべきです」

 そして確固とした自信と共に言う。

 メンバーの誰もがそれに頷く。クワイエル自身以上に彼らはクワイエルを信頼しているのだろう。

 実際、彼の直感に助けられた事や、後に役立った事は多い。

「解りました。行きましょう。少々危険ですが、対処法にと少し考えてた事があります。おそらくさほど

の効果は無いでしょうが、それを試すのにも良い機会かも知れません。後々の為にも」

 こうして一行は、もう一度フィヨルスヴィズと会う事を決めたのだった。

 勿論彼は会う事を拒むまい。拒まれてると感じるのは、人間の身体が脆弱だからである。

 彼が結界を張ったのも、半分は他者への労りからかも知れない。


 フィヨルスヴィズの結界内に入ると、すぐに魔力波が身を震わすように伝わって来た。

 前と変わらず、おそらく彼が居る限りそれは変わらないのだろう。

 空気が纏わり付くように感じ、ある意味湿気にも似た感触を伴う。わざわざ地図に進入禁止と書き入れ

無くても、おそらく誰もここに立ち入りたいとは思わないだろう。少なくとも、人間に関して言う限り。

 クワイエルは先ほどからじっと立ち止まり、眉根を寄せて精神と魔力を高めようとしていた。

 ルーン魔術を己の限界まで行使しようとする時、このような精神集中を行う。この時は周りの事がまっ

たく目にも耳にも入らず、その全てを内に向ける為、言わば五感を閉じた状態になり、外部からの危険に

対して非常に脆くなる。

 その時間も術者の力量が高ければ高いほど長くなり、行うには護衛者の存在が必須である。

 先ほど言っていた対処法を行うつもりなのだろうか。

 なるほど、魔力に対するには魔力を使うしかない。しかしこれほど強大な魔力を前に、一体人間一人程

度の魔力でどれほど対抗出来ると言うのだろう。

 魔術の素人でもそれくらいは解る。だからメンバーは期待しつつも不安な表情を消す事は出来なかった。

人間の力で対抗しようと思う方が、初めから無理な話なのだ。クワイエルが悪い訳では無い。

「イング、豊穣であり実りと成就を司る神よ・・・、どうか私にお力を・・・・」

 勿論クワイエル自身もそれは解っている。どころか、彼が一番その危うさと儚さを理解しているだろう。

珍しく神に助けを乞う為か、祈りの言葉も聞こえた。

「マン・ウル・エオズ・・・ナウシズ・エオ・ウィン・・・ギュフ、・・・我らに・大いなる・加護を・・

・苦難を・防ぐ・喜びを・・・どうか与え賜え!」

 その瞬間、全員が身がふっと軽くなるのを感じた。

 比喩ではない。実際に何かから保護されたかのように、あの息も詰まるかのような緊迫感と圧迫感が、

すっと弛(ゆる)んだのである。

「・・・・今の私では、これが、限界です・・・」

 そしてクワイエルがぐったりとその場に倒れ込む。

 慌てて剣士が助け起すが、クワイエルの額には大粒の汗が滲み、その表情は何十kmも走り抜けた後のよ

うであった。青白く、生気がまるで感じられない。正しく全ての力を使い果たしたのだろう。

 剣士はふと、この人は冥府の淵でも覗いて来たのではないかと思った。

「ありがとう・・・。暫く休ませて下さい、すみません」

 立ち上がるのが精一杯らしく、とても歩ける状態では無かったので、リーダ役の言葉に従い、一行は暫く

休息を取る事にした。

 今まで踏破した道のりを考えれば、クワイエルが魔術を使う使わないに関わらず、皆の身体は悲鳴を上

げていたように思える。クワイエルは無理を嫌うが、それでもこの大陸の環境は、人間にはそれほど優し

くは無いのである。

 焦りは禁物であり、休息こそ最も尊ぶべきモノであった。

「一体どんな魔術を?」

 軽装の剣士がクワイエルに尋ねる。

 純粋な好奇心と言うよりは、彼への心配から何をしたのか知りたかっただけなのだろう。それに魔術師

はこう言った知的な話しを好む。好きな事を話して居れば、気も休まると言うものだ。

「はい・・・。正確には、魔術とは少し違うのかも知れません・・。言って見れば祈りでしょうか・・、

私だけではとてもフィヨルスヴィズの魔力に・・抗しようはありません。ですから・・・、神の助力を乞

う祈りを捧げてみたのです。成功率は低く、祈りが届いたからといって・・・それでどうなるかも解りま

せんが・・。どうやら、上手くいった・・ようですね・・・、フゥ・・」

 クワイエルは言い終わると、大儀そうに息を吐いた。まだ長時間話すには体力が足らないらしい。しか

しその表情には輝きが戻り、祈りが届いた事に少年のような喜びを見せている。

 正に彼は喜びと加護を賜ったのだ。

 剣士はふと彼の指輪に不可思議な光が灯っているような気がしたが、いつの間にかそれは消えていた。

クワイエルも気付かないようだったので、気のせいかと剣士は目を擦り、そのまま忘れた。

 そんな事よりも、クワイエルが元気になったくれた事の方が重要である。

「魔術の可能性、いや原点への回帰と言えるかも知れません」

 どうやらクワイエルはあの後もずっと呟いていたようである。それは考えを纏める為の独り言のような

モノであり、あまり他者が気にする必要は無いものだ。

 それでも剣士は細かに聞き取り、一々相槌を打った。その表情は綻(ほころ)んでいる。

 元々人間のルーン魔術とは神への祈りから始まったもので、純粋な祭祀であり信仰でもあった。そう、

鬼人達がしているように、魔術とは神聖なモノで、魔術師とは本来は真の意味で神官であったのだ。

 それがいつの頃からか、単純な技術になってしまったのだが。神への、ルーンへの祈りこそが魔術の正

統であると言える。クワイエルの言う原点への回帰とは、おそらくその事を言っているのだろう。

 ともかく彼らは不可視な加護に身を包み、身に触れる魔力を抑える事が出来たようだ。

 これでフィヨルスヴィズともゆるりと話が出来るだろう。最も、それはこの多くを知る者の気が向けば、

の話しではあるが。彼は偉大な力ある者にありがちな、気まぐれな面を多く持つ者である。 




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