3-4

 フィヨルスヴィズは簡単に応じてくれた。彼が自分で言っているように、確かに話好きな所があるよう

だ。クワイエル達が今、人間にしては高度な魔術を使っている事にも興味を持ったのか、頻りに感心して

もいた。

「ふむふむ、神の力を借りたと申すか。道理で完全な力を示している。流石にここまでの魔術となれば、

人間達には手が余ろう。しかしそう言う使い方もあったとは、面白い、面白い」

 クワイエルの行使した祈りは紛う事無き力を発揮し、彼らをフィヨルスヴィズの魔力から篤く保護して

くれている。それでもやはりあの圧迫感はどうしても拭い去れないのだが、この場に当たり前のように立

って居られる事だけでも、正に奇跡のような事だ。

 押し潰されそうな程の魔力は、彼らの体までは届いていない。

 フィヨルスヴィズもそのおかげで多少抑える為に割いていた力を和らげる事が出来、前よりは気を楽に

して話せるらしく、機嫌は前よりも尚良かった。

 先の時でも、フィヨルスヴィズは限界まで放出する力場を抑える努力はしていてくれたらしい。信じら

れない事だが、クワイエルの予想よりも、更に一歩も二歩も飛び抜けた力を持っていたようだ。

「自分の力を遥かに超えた存在の力を、推し量ろうなどとするのがそもそも間違っているのだよ」

 それを聞いてフィヨルスヴィズはそう言い。心からの笑いを漏らす。

 そう言われてみれば、それは至極当然の事であるので、クワイエルも微笑した。どの道、遥か次元の異

なる力の話しである事は同じなので、笑うしか無かったのかも知れない。

「それで話しとは何かの。わざわざ危険を冒してまでもわしに会いに来るとは、よほど確信に満ちた事だ

と推測されるが」

 一頻り笑った後、何処かからかう様に彼は言った。単純な興味を越えて、このクワイエル一行と言う人

間達を面白く、また興味深く思っているのかも知れない。

 こう言うちょっとおかしく好ましい者達とは、なかなか出会えるものではない、と。

「はい、前に貴方はここを訪れる者は少なく無いと仰いました。それはもしかすれば、この近くに私達の

知らぬ種族が居ると言う事では無いでしょうか」

「なるほど、確かにそう言った。意外に細かい事を覚えておるのだな」

 再びフィヨルスヴィズは笑う。

 その度に魔力場が揺らぐので、前よりもそれが強く濃い事もあり、まるで世界がカーテンに映る景色の

ように複雑に揺らいで見えた。不可思議な色のカーテンの中に。

「汝らならば良いだろう。教えて進ぜよう。確かにこの近くには汝らの知らぬ種族がおる。とても小さく

臆病な種族である為、滅多に他の生物の前に姿を現す事は無いが、善良で優しい小さき者達よ。もしかす

れば、汝らが認識できなかっただけで、すでに会っているかも知れぬ。気配も魔力もその辺の虫か何かと

間違える程度に隠しておるから、気が付かぬのも無理は無いの」

「その方達と私達は話しが出来るでしょうか?」

 するとフィヨルスヴィズは何かを考えるかのように暫くの間口を閉じ、魔力場も静寂に包まれた。

「うむ、出来る事は出来る。だが、無理に会わない方が良いだろうて。彼らは何処にでも居る。生活圏が

広いからの。だからその意志があれば、とうに彼らから会いに来ていただろう。それが無いと言う事は、

会う必要性を彼らが感じていないと言う事だ。それは良くも悪くも、今のままでさして問題が無いと言う

事でもある。ならばそっとしておいた方が賢明だろうて」

「・・・・解りました。それではそのようにさせていただきます。でもいずれは、楽しく話してみたいも

のですね」

 クワイエルは微笑む。彼は純粋な知的好奇心の塊でもあり、ただ未知の存在に会える事だけでも嬉しい

のだ。もしかすれば、彼がこの大陸に来るのを選んだのも、そこに大きな理由があるのかも知れない。

 大抵の魔術師はそう言った好奇心で出来ているかのような者ばかりだが、クワイエルはその中でもその

傾向が強いように思える。いや、この大陸に渡って来るような人間は、おそらく多かれ少なかれそのよう

な人間ばかりなのかも知れない。

 好奇心と夢、それが無ければこんな秘境までやって来ようとは、初めから考えないだろう。それは功名

心や金銭欲を越えた、単純な好奇心と探究心である。

「うむ、いずれは向こうから顔を出すだろうて。臆病な種族だからの、あまりこちらから突付かぬ方が良

いのだ。他種族に会いたいと言うのなら、他にも数多く居るであろう。他に気掛かりでも無ければ、汝ら

はこのまま進むが良い。わしの知る限りでは、この付近には特に目に付く事は無い。いや、わしがそうし

て来たと言った方が良いかの。では用は済んだな、・・・・さらばだ」

 そしてフィヨルスヴィズは前と同じように静かに滝壺の底へと消えて行った。

 後には濃厚な魔力の残影が在るのみである。

 彼はこの一帯を治める存在なのでは無いか。そのような考えが、ふとクワイエルの脳裏を過った。

 ともかく、彼がそう言うのであれば、この辺りには問題は無いのだろう。

 不安の晴れたクワイエルの顔は、まだ疲れが濃く彩っていたものの、とても健やかな表情に見えた。


 フィヨルスヴィズの言っていた通り、それからの探索行は時間はかかったものの、大した問題も無く過

ぎた。今までの道のりを考えれば、それは驚くほど容易く気の楽な行程で、逆に順調過ぎてメンバー全員

が落ち着かなくなるくらいなものであった。

 しかし体への負担は少なくはない。

 高低差の激しい地形は、とにかく人の身体から体力を奪い、疲労を蓄積させる。

 クワイエルはこのままでは以後の探索にも支障が出るだろうと判断し、一路ハールの塔へと戻る事に決

めたのだった。一度引き返し、まず先に輸送路と言うか、移動する為の道を造らなくてはならない。

 この辺りを治めているであろうフィヨルスヴィズも、彼に迷惑さえかけなければ、ある程度何をやって

も許してくれるとの事だから、そちらへの心配も無用だろう。ただ、彼の領域に近付き過ぎないようにし

なければならない。そこは深く注意しなければ。

 そして今クワイエルはハールの塔に居る。

 ハールも鬼人の集落から呼び寄せた。ある程度鬼人との関係は落ち着いて居るし、頼りになる人材も育

ちつつある今、ハールにも少しだけ自由が戻っている。長期間離れる事は無理なのだが、暫くの間ならば

何とかなるだろう。

 しかしそんな一段落付いた所にこの要請、流石に申し訳なく思う。とは言え、人の手でまともにこの道

造りをしようとすれば、一体何ヶ月、下手をすれば何年かかるかも解らない。つまりは魔術で行うしか無

い訳で、そうなるとハールの存在は必須である。

 ギルギストからマン神殿の神官長を呼び寄せた事からも、事の大きさは解るだろうか。

 確かに単純な道を付けるだけならば、精巧なアクセサリを作るよりも、例えその規模が大きくても、か

えって楽なのだが。それでも森を切り開き、地形を変え、道を造るなどとなると、流石に一人で出来る作

業では無かった。

 そんな事をすれば、おそらく魔力を使い尽くして、真夏の野菜のように萎びてしまうだろう。或いはか

らからのミイラになってしまう。

 フィヨルスヴィズくらいの魔力があれば、その程度は容易いのだろうが。こちらは人間である。人間が

やるとなると、やはり途方も無い大事業となってしまうのだ。

「お久しぶりですな。苦労されているようですが、その甲斐はありましたかな」

 神官長は相変わらず敏捷な印象を受けた。表情も生き生きとしており、老齢には辛い行程だったろうが、

それもまったく苦にしていないようである。

 おそらく彼としても楽しいのだろう。楽しみは時に人を強靭にも、偉大にもする。

 それに、発見。これ程人の好奇心を満たすモノも、また乾かすモノも無いだろう。

「はい、皆のおかげで何とかやっていけてますし。それに進めば進む程未知との体験があるのです。これ

ほど楽しい思いをしたのは、初めてかも知れません」

 聞かなくても、クワイエルの顔を見れば一目瞭然である。

 彼の顔には疲れなど見えず、それどころか益々元気になっていくように思えた。まるで体内に無限のエ

ネルギーがあるかのようだ。

 自分も昔はそうだったのかなと、ふと神官長は思った。

「若者だけに楽しませるのは面白くないですな。やっと仕事が来たと思えば、事務やこんな魔術仕事ばか

り。なかなか歳を取るのも損なもの」

 ハールの視線がクワイエルの顔に触れ、羨望にも似た眼差しに変る。

 彼も後二十年くらい若ければ、もっと前線で働けたかも知れない。経験を積んだおかげで今のような大

仕事が出来るとは言え、やはり自らが出かけて未知との遭遇を体験したいと言う思いは、どうしても残る。

 老いては引っ込むのが生物の定めであるし、あまり年寄りがでしゃばるとろくな事にならないのは重々

承知なのだが。それでも好奇心と言うのは、なかなか老いないモノであるらしい。

「いやいや、私達は充分に楽しみましたよ。この辺で若い者に譲ってやるのも良いでしょう。子や孫達が

育って行き、一喜一憂する姿を眺めるのも、それはそれでおつなものですよ」

 神官長は穏やかに言った。

 そのくせ久しぶりの力の見せ所に、乗り気なのはむしろハールよりも神官長の方なのである。前線に出

たい気持も、ひょっとすれば彼の方が大きいかも知れない。口と心は別物、そう言う事なのだろう。

 或いはその言葉はクワイエルへの助け舟だったのだろうか。長年神殿に居た事もあり、ハールよりも人

間の些細な感情に対しては、彼の方が格段に深く精通していると思われる。

 神官長になるまでには、数え切れない程の苦労もあったろう。

「ふむ、では老骨に鞭打ってやりましょうかな」

「ええ、やりましょうか」

「よろしくお願い致します」

 暫く談笑した後、三人は話を切り上げ、魔術行使への準備に入った。

 かなり大きな魔術になり、しかも一度や二度の行使では済まない。段階を置いて正確に魔術を行う、そ

れは想像を絶する疲労をもたらす。老骨に鞭を打つ、その言葉は文字通りの意味であったのだ。

 どの顔も怖いくらいに引き締まっている。

 魔術は半端な気持と力量で使えるモノでは無い。神の力は万能で無限で、そしてそれを超えて何よりも

怖ろしい力である。




BACKEXITNEXT