4-1.

 体調は万全では無いようだ。

 クワイエルの足取りは以前よりは重い。

 しかしその表情は喜びに満ち、またこのパーティで探索を続けられる事が嬉しくて仕方が無いらしい。

 その顔を見て、ハールと神官長は改めて羨望を覚えたものだった。だが彼ら二人には他の役目がある。

近い内にそれぞれの職場に戻るだろう。顔色も大分良くなっている。

 クワイエル一行は一路北を目指した。

 北西部に道が付けられたのだから、折角ならその先に進みたいと思うのが人情と言うものなのだが。や

はり一部分だけ先端が伸びるようにして探索するのでは無く、扇状に虱潰しに探索して行く方が後々便利

になると思われる。

 そうなると北東、北西、と来た今、ハールの塔から見て真北に当たる、中央部の探索をするのが妥当に

なるのだ。

 中央方面はどうやら平地が続いているらしい。鬼人の集落付近と同じように、果て無く森が続いている

と言った印象だろうか。少なくとも、視界の先にも山などの起伏した地形は見えない。

 ひょっとしたら、このレムーヴァは元来はそう言った地形なのかも知れない。

 北西部は高低差が大きく、真に踏破困難な道のりだったが。それはフィヨルスヴィズが生み出した地形

なのでは無いだろうか。

 だからあの地点だけ、今思えば不自然な程に大地が隆起していたのではないか。

 まるで余計な干渉を拒んでいるかのように。

 逆に考えれば、そう言った特異な地形がある場所には、フィヨルスヴィズのような驚異的な力を持った

種が居る可能性が高いと言う事になる。以後注意を払う必要があるだろう。

 かと言って、平地が続くからまったく安全とも言えない。

 例えば、鬼人達は地形をほとんど変えて無かった。

 地形を変えるなどは、種族の好みに大きく起因すると思われる。だから一概にこうだとも言えないのだ

ろう。ようするに、行って見なければ解らないと言う事である。

「百聞は一見に如かず。百考も夢想を抜けず」

「何ですか、それは?」

 クワイエルの一人言にエルナが素早く反応した。

 彼女はまるでクワイエルの言葉を一字一句もらさず記憶するかのように、いつも彼の言動に注意を払っ

ている。クワイエルが冗談半分に、そんなにいつも真剣に観察していたら疲れるだろう、と苦笑して言っ

た程に彼女は真剣だった。

 師弟の絆を結んだからには、師の言葉の一字一句も忘れまいとでも考えているのかも知れない。元々真

面目な性格が、師弟と言う関係に変る事によって、より生真面目になったのだろうか。

 しかしクワイエルも常に意味のある言動をしている訳でも無いから、流石にこれには少し困っていた。

まあ、可愛げのある真面目さと言える程度で、そうしつこく迫って来たりはしないから黙認してはいるの

だが。下手な事が言えないと言うのは、どうにも窮屈である。

 これは師弟になってまだ日が浅いからかも知れない。師弟と言うのは結んだから、はい師弟ってモノで

も無いのだろう。やはりどんなモノでも、関係を結ぶのには時間がかかる。そう言ったモノが心情的な要

素が強い以上は、慣れと言うものが必要なのだと考えられる。

「百の事を聞いても、一度その物を見るには及ばない。百度その事を考えても、やはり予想は予想、実際

はどうなのかは解らない。ようするにやってみるまで解らない。それに実際接するまでは解らない。そう

言った意味の格言です」

「なるほど」

 エルナは心から感心しているようである。

 こう言う風に真面目に話を聞いてくれると言うのは、悪くは無い。それどころか、魔術師にとっては最

上の聞き手だろう。魔術師はウンチク好きでもある。

 ただ、度が過ぎないようにしてくれ、と言う事なのだ。しかし本人が真面目なだけに、なかなかそう言

う事は言い難い。真面目にするなとも言えないし、気楽にしろと言っても難しいだろう。

 やはり時間が解決するのを待つしか無いのか。

「このまま何事も無く進めれば良いのですが」

 クワイエルは森日を浴びながら、危なげなく穏やかに探索行が続けば良いと祈っていた。

 未知との遭遇が至福とは言え、こうも心身ともに疲労する事が続いてはたまらない。たまにはのんびり

しないと、人間と言うモノは耐えられないものなのだろう。

 森は穏やかに、そんな彼の疲労を癒してくれるように思えた。

 動物は元々海から出でたと考えられているが、或いは森から生まれたのでは無いか。そう思えるほど、

木々の中と言うのは安らげる場所である。

 森林を緑の海と言う人も居るが、クワイエルは今ならその気持が解るような気がしていた。


 歩くスピードは依然速く無い。未だクワイエルの体が強行に耐えられないからだが、それはそれで悪い

事だけでは無かった。

 進む速度が遅いと言う事は、それだけ周囲に注意を払えると言う事でもある。目的が探索だけに、これ

は逆に長所の方が光ると言えるだろう。だからこそクワイエルは病み上がりの体で、押して探索行を再開

させたのかも知れない。

 これが短所だけであれば、彼が如何に退屈に感じていたとしても、ただ過ぎて行く時間に焦燥を感じた

としても、決して無理強いする事は無かっただろう。

 そして森も依然続いている。

 何処までも続き、果ては見えない。ここに居ると、まるで世界が森で覆われてしまったかのような錯覚

を受ける。だが退屈では無い、森は静寂に包まれて居るように見えて、実は無数の営みが、密やかにだが

行われているのである。

 森の中では何者も用心深く、注意を凝らして見なければ解らないだけなのだ。

 木の葉が落ちれば、その下に身を隠そうと移動する生物も居る。求める木を探しながら、森中を優雅に

歩く動物も居る。その動物を狙う動物、又は植物が居るのかも知れない。

 静寂に見えて、まるで時間が止まっているように、ただ風だけがゆるやかに吹いているように見えて、

その中には驚くほど多くの営みが行われているのだ。いつも、どの時間でも。本来、森と言うものはそう

言う場である。

 日差しが朽ちてきた。

 刺さるような直天からの日差しは揺らぎ、今は僅かに地の果て上方にて、穏やかに輝いている。

 つまりは日暮れが近い。

「今日はこの辺りで休みましょう」

 少し開けたような、手頃な場所があったので、クワイエルはそう提案した。

 メンバーにも異論無く、夜前が一番危険である事もあって、即座に野宿の準備を始める。手馴れたもの

で、小一時間もせずに、彼らは焚き火の前で夕食を摂って居た。

 献立は薬草と茸のスープである。栄養を摂取するのに、スープと言う物ほど便利な料理は無い。暖かく、

スープの中に栄養素が溶け込んでいる。喉も潤い、心まで暖まるような感じである。

 すでに日は落ちつつあった。

 僅かに地の端から覗いているようだが、森中からはすでに見えない。薄暗く、朱に染まった空だけが時

刻を示していた。

 何が居るか解らないので、野宿の時は当然交代で見張りを置く。

 今まで無事に来られたからと言って、これからも無事であるとは限らない。むしろ今まで無事であった

からこそ、これからに益々気を付けなければならない。油断こそ、冒険者の天敵である。

 書悪の根源は、些細な油断にあると、先達は後輩達を戒めて来た。

 折角の助言を活かさない手は無い。

 今クワイエル一人起きており、焚き火の側で周囲を観察している。

 雇い主ではあるが、だからと言って全てを任せて自分だけ楽をする訳にはいかない。そんな事では信頼

と言うモノはとても築けない。そして信頼されない人間などは、結局何をやっても駄目になるものだ。

 クワイエルはそう言う事を考えている訳では無く、多分に性格故に対等にしているのだが。何故それを

するかと言えば、やはりそうする方が良いと思うからだろう。根本的な違いは無い。

 他者を思いやる心と言うのは、礼節や気使いと言うモノは、本来自らの為にやるモノでもある。それを

忘れ、他者の為、貴方の為だと言うのは傲慢であり、余計なお節介と言うものだろう。

 勿論、常に自らの為にやれと言う意味では無い。その行為の、その思考の、深奥を知れと言う事である。

「どうもおかしい・・・」

 クワイエルは悩んでいた。勿論、自分の為とか何とかと言う悩みでは無い。

 では何を、と言えば。今まで何も起こらなかった事である。いや、何も起こらなかったでは無く、何者

とも出会わなかった、であろうか。

 これだけの大きな森である。当然無数の生物が生息しているはずだ。だが、今までそう言った者の気配

すら感じなかった。勿論小さな虫などは見たのだが、それでも虫程度のモノであり、所謂小動物にすら出

会わなかった。

 いくら森の生物は用心深いと言っても、これはどう考えてもおかしい。

 このように食料に満ち、住み易そうな地に、動物の姿が見えない等と、どうして納得出来るだろうか。

 確かに良い森だ。心が安らぐ。

 しかし何処かおかしい。何かが妙なのだ。拭いきれない違和感を感じている。

「・・・・ここには何かがある。そして私達はすでにそれに関わってしまっている・・・」

 それなのに、クワイエル達に何か変化が起こっている訳では無い。皆クワイエルを除けば健康そのもの

だし、不審な気配や殺気を感じた事も無い。穏やかそのものである。

 だからこそ余計に不安に思う。一体この森には何が隠されているのだろう。そして誰がその意図を我々

から隠しているのだろうか。

 或いは我々が気付かないだけなのか。

「ともかく、様子を見るしかないか・・・」

 クワイエルはぼんやりと空を見上げた。

 空は星々の光に穿たれ、常と同じく静かに運行を繰り返しているようであった。




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