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 森は静寂を乱さない。フィヨルスヴィスの時とは違い、比喩的な意味で、である。

 まったく動きと言うか、動物の気配を感じないように、依然思える。

 数日歩き回っている計算になるのだが、それでも未だ小動物の姿すら見えないのは不自然だろう。

 とは言え、何か問題が起きている訳では無い。

 時間だけは穏やかに過ぎていく。平和そのものと言って良いかも知れない。

 だがそんな平和な中にも、不可解に思える事はある。森の木々が、どうも風で動くにしては不自然な

くらいに大げさなような、そんな気もするのだ。

 気のせいであれば良いのだが、まるで木自身が動いているかのような錯覚すら受けなくもない。

 しかしそれは何も根っこをすっぽ抜いて、すたすたと歩き回るなんて事では無く。襲いかかってくる

ような事も無いから、不自然に思いながらも捨て置いていた。

 それとは逆に、この森に守られて居るかのような気持を抱きつつある自分も居る。

 この森は我々に優しい。そんな気持になっている自分が。

 確かにおかしい。でも優しい。何とも不思議な森だ。

「どうもこの森はおかしいですね」

 リーダー格の盗賊風の男が辺りを見回しながら呟いた。

 賛同するように、メンバー一人一人が次々に頷きを返す。

 数日も歩いていれば、いくら鈍感な者でも気付きそうなものである。手練の冒険者ともなれば、とう

にこのおかしさに、気付いていても変ではない。今まで黙っていたのは、確信を得るのを待っていたの

かも知れない。

 彼らは慎重であり、簡単に物事を断定しない。それが冒険者として生きて来た、彼らなりの知恵であ

り、生き抜く秘訣なのだろう。

 それにクワイエルを除けば、誰もが長い付き合いであるようで、今更余計な事を言わなくても連携は

取れるように感じる。今敢えて口を開いたのは、ようするにこれに関して話し合う為であるようだ。

 クワイエルもそう言う流れは理解している。

「ええ、私達の常識から考えると、つまりは我々が知ってる他の森と比べると、この森はまったく異な

っているように思います。しかし魔力的にも、単純に感覚的にも、私は悪意を感じません。それどころ

か、我々を守ってくれているようにも思うのです」

 クワイエルの言葉に、先と同じように皆が次々に賛同した。

 悪意を感じないからこそ、今まで話題にしなかったとも言えるのだろう。

 やはり皆が皆、この森から何らかの優しさ、恩恵を感じているようなのだ。空気は澄み、葉や枝の積

もる大地は柔らかで歩き易い。何よりもこの空間に安らぎを覚える。

 だからこそ、余計に不思議であった。

「これだけ良い空間であるのに、何故動物の姿が見えないのでしょうか。どうもおかしく思います。こ

れがこの森が意識的に動物を嫌ってると言うのならともかく。我々を守るようにしているなんて、どう

考えてもおかしい」

 リーダーが疑問をぶつける。

 こう言う話し合いの場では、大抵リーダー格の盗賊とクワイエルの二人が話す事が多い。それに対し

て、他のメンバーが要所要所で納得いかない疑問をぶつける、と言った形式だろうか。

 この一行は妙に堅苦しいと言うか、形式ばった気真面目な所があるようだ。ひょっとすると、これは

クワイエルの影響かも知れない。

「はい、疑問はそこに尽きますね。何か訳があるに違いなく、探索するにはその点を明瞭にしなければ

なりません。ですが、今の所は答えを導き出す材料が乏しいのです。私もこんな話は聞いた事がありま

せんから、今はまだ解らないと言うしかありません」

「そうですか・・・」

 皆クワイエルの返答に気落ちした様子も無く、個々にしかめ面を作って考え始めた。

 しかし誰も答えを見出せなかったらしく、暫く経つとそのまま自然に食事の用意をし始め、野営の準

備に取りかかった。解らない事はいくら考えても仕方が無い。解る材料を得るまでは、かえって何も考

えない方が良いのかも知れない。

 ともかく進むしかないだろう。何事にも中心となるモノがあり、必ず理由がある。そこを見付けない

限り、決して何も判明しないのだから。

 森が拒んでいないと言うのなら、いずれは辿り着けるはず。考えるのはそれからでも遅くないし。そ

れからでも充分である。


 森が深くなる。

 木々の密集度が増し、昼でも薄暗いまでになって来たと言う事だ。

 もうかなりの距離を歩いているように思えるのだが、依然終わりが見えない。どれだけ歩いたのかも

検討が付かず、特徴の無い風景が続くので、方角を見失えれば即座に迷ってしまいそうだ。

 もしかしたら、この森はレムーヴァの果てまで続いているのだろうか。

「一休みしましょう」

 座り易そうな開けた場所を見つけたので、一時休息を取る事にした。不思議と身体の疲労は溜まって

いないのだが、こうも終わりが見えないのでは気疲れしてしまう。

 そして一行は木陰で暫し黙想した後、再び歩き始めた。

 先日話し合って以来、彼らはあまり口を開いていない。別段話したくないと言う事は無いのだが、ど

うも静寂を乱すようで余計な言葉を吐くのは憚られる。森の中はそんな雰囲気になって来ている。

 相変わらず優しいのだが、それに少し厳しさと違和感が加わってきたように感じてもいた。こういう

時は得てして不穏な事が起きるものだ。或いはそれを警戒しているから、口数が減っているのかも知れ

ない。

 クワイエルは不思議な魔力波を感じ始めていた。

 気を抜けば飲み込まれ、一体化してしまう程の影響力を感じる。とても大きな魔力の波。

 皆が感じている妙な厳しさはどうやらこれが原因らしいのだが、この魔力波が何を意味しているのか

は解らない。クワイエル達を拒んでいる訳では無いのは確かだが。

「ソーン、ラド、テュール、マン ・・・・・ 耐え、続ける、意志を、我らに」

 クワイエルは何度か祈るように詠唱していた。

 小さな声でさりげなくやってはいるが、ルーン魔術である事に違いは無い。魔力波の影響力が強くな

って来ているから、それを緩和する為に詠唱しているのだが、どうもその効果がすぐに消えてしまうよ

うに思えてならない。

 おかしいと思って何度か唱えているのだが、やはりそれは変らなかった。何度やってもすぐに打ち消

されてしまう。

 同じ魔術を何度も唱えると言うのはあまりある事では無いので、心配をかけまいとし、彼はさりげな

く小声でやっているのだろう。

「それだけこの魔力波が強いと言う事だろうか・・・」

 何でも考えれば解ると言うような事でも無いのだが。それでも考え込まざるを得ない程に、これは不

可思議な事であった。ひょっとしたら、ルーンを打ち消す為の魔力波なのだろうか。

 しかし防衛の為にしては、この魔力波は強過ぎる。まるであらゆる魔力を打ち消すかのような、そん

な暴力的な強さを感じた。

 胸騒ぎが強くなる。

 クワイエルの何かが、この魔力波は危険だと、そう断言しているのだ。

 だから繰り返し繰り返しルーンを唱えている。大きな魔術であるので消耗も激しいが、途切れさせる

のは消耗する以上に危険だと感じる。しかしそれも焼け石に水、すでに影響を大きく受けているようだ。

 構成する魔術も、何故か消極的な魔術へと変ってきている。

 勿論意識して変えている訳では無い。元々は魔力波を弾く魔術だったのが、防ぐだけになり、そして

今では耐える魔術へと変っている。だんだんと受身と言うべきか、そう言う心境になってきているのだ

ろう。魔術にはその時の気持ちが深く関係する。

 それはつまりは、彼自身の心が諦めへと、段階を得て、傾いている事を意味するのだろう。

「このままでは打ち消されてしまうかも知れない・・・」

 自分の意志、積極性、そう言ったモノが徐々に失われて行くような、現に失われているような、そん

な気がした。言葉を発さなくなっているのは、もしかすればそれが原因なのでは無いか。

 危険だ。そう感じるが、かと言って今更引き返すの遅い。今からでは魔力波から遠ざかる前に、クワ

イエルの魔力と彼ら一行の抵抗力が尽きてしまうだろう。

 すでに限界に近いのは、皆の物言わぬ無表情な顔を見れば確かだ。

 それに歩を返すと言う事程消極的な、諦めの気持も無いのかも知れない。諦めの気持、それを持って

はいけないと、またクワイエルの中の何かが警告している。直感、閃き、説明出来無いが心の内にある、

信頼出来るモノ達が一様にそう言っていた。

 ならば進もう。

 返さずただ前に進む。それだけでも人の意志を絶やさずに済む。

「これからは休息は出来るだけ控え、夜を徹して歩きます。良いですね」

 クワイエルの言葉に、メンバーは疲れているようであったが、それでもしっかりと頷いた。長年鍛え

られた彼らの精神力は、或いは魔術師に匹敵するものがある。

 そしてその精神力こそが力であり、魔力でもある。魔力こそが万物を形作るモノなのだ。魔力が強い

と言う事は、自分自身の意志が強いと言う事でもあった。人と言う意識、自分と言う意識、そう言った

意志が人を人にし、自分を自分にしている。

 即ち、魔力が万物を形作る。

 魔術とは他者への干渉であり、他者へ干渉出来ると言う事は、それだけ自らが、個が強いと言う事で

あるのだろう。他者を自分の支配下におけるくらい、干渉力、個としての意識が強いと言う事だ。

 その干渉力がルーンと呼ばれるモノなのかも知れない。強すぎる干渉力こそが。

「行きましょう」

 自らを鼓舞すべく、クワイエルは再度言葉を発した。あくまでも前向きに、積極的に。 




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