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 無気力、怠惰、そう言った感情に近いモノのみがクワイエルの中を流れている。

 まるで血液が流れ栄養を運ぶかのようにそのような感情が運ばれ、その度に全身の運動力とでも言うべ

きか、身体を動かそうとする意志が希薄になっていく。

 最早歩くのでさえ億劫になり、気を抜けば、声に出して皆を叱咤し続けてなければ、まるで寝起きの寝

台の中のように、そのまま深い眠りへと落ちて行きそうな気がする。

 歩き難くなってきた地形も、その気持を助長していた。

 木々の数もいよいよ増え、森が深いと言うよりは、最早密集していると言った方が良いくらいだ。

 不規則に並んだ木々は、不規則だからこそ自然に生まれたように思えるが。しかしどうも違和感を覚え

る。一本一本がバラバラならばともかく、不思議な事に数本の木が狭い区画に生え集まり、更にその木塊

が見渡す限り密集して生えているのだ。

 本来ならば、どの木も日を一杯に浴びる為に、極めて自然に適度な間隔を空けて植物は生える。たまに

近い場所に生えたとしても、どちらか一方の木だけが大きくは育ち、片方は枯れ落ちる事になる。

 これを人に見立てれば、何とも哀れな話になるのだが。自然と言うモノは本来、そういうモノなのだろ

う。弱肉強食は何も動物に限った事では無い。

 一つ一つの個体がお互いの生命力を競い合い、結果として強い方が残っていく。病人よりも健康体の方

が長生き出来るように、老人よりも子供の方が長生きが出来るように、それは極めて自然な事。

 その自然の摂理から考えれば、明らかにこの光景はおかしい。まるで草で覆われるように、大地が木で

埋まっている。こんな事をすれば、日当り以前に大地が枯れ果ててしまうはずだ。

 しかしどの木も青々と繁っている。

 どの木もどの木も大きさの差こそあれ、等しく健康に見え、生命力で溢れそうなのだ。

 まるで大地や太陽の力を必要としないかのように。

「これは一体どう言う事だろう・・・・」

 自然の状態で無いと言う事は、必ず何某かの力が働いているはずである。とすれば、それは何の力なの

だろう。

 だが考えよう、考えようとしても、何故か頭が回らない。すべてがどうでも良くなっているのだろうか。

観察しようにも目を動かす事さえ苦痛だった。そんな事を悠長に考えている時では無い。

「テュール・エフ・・・・強き・意志を」

 気を振り絞り、必死にルーンを唱えた。

 力は衰え、二文字のルーンを使うのさえ精一杯となり、魔術の構成を編み上げる事が不可能なくらいに

頭が働かない。おそらくそれはもう魔術と言うよりは、ただの叫びだっただろう。

 それでも必死に声を発す。

 前進する意志を失えば、ルーンの護りが無ければ、おそらく全てを失ってしまう。そんな気がする。

 ともすれば進む事を拒否しようとする手足を無理矢理に動かし、密集した木々の間を縫うように抜けて

行く。木々で身体を支えなければ、おそらくとうに這って進んでいただろう。それ程の疲労感が襲い来る。

「頑張って進みましょう」

「・・・・は・・・はい」

 背後からは微かな返事。だがありがたい事に、どうやらまだ全員が歩みを止めていないようだ。そう長

くは持たないとしても、共に進む仲間が居ると言うだけで力になってくれる。

 クワイエルの頭には、いつ止まるか、いつ諦めるのか、そればかりが浮んでいた。一人だけではとうに

諦めていたかも知れない。

 負ける訳にはいかない。何者であろうと、そんな声に屈するものか。その信念、いや意地と言うべきモ

ノがあればこそ。皆を置いて自分だけが屈する訳にはいかない、皆の為にも自分一人が諦める訳にはいか

ない、そう言う責任感にも似たモノがあればこそ、今進んでいられるのだろう。

 こんな辺境大陸まで、全てを投げ打ってでも命を賭けてでも訪れた者達である。その意地と負けん気だ

けならば、おそらくどの人間よりも優れている。それが幸いした。意地だけが、最後に人間を動かす事が

出来る力となる。

 魔力を振り絞れ。自己を際限無く膨らませろ。自分自身と言う存在を信じ、強く念じるのだ。

 必死に自分を叱咤しながら、どれくらい進んだのだろう。密集し、薄暗くなっていた森の中に、一筋の

光が差し込んで見えた。まるでそこに太陽があるかのように、その微かな光が大きく思えたのだ。

 終わりが見えれば力が湧き上がる。クワイエル達は必死にその光を目指して進んだ。

「ここは・・・・」

 そこには光が降り注ぎ、抜けるような天と、それに並び立つような大樹が一本だけ生えていた。

 大樹の足下には小さな池がある。深い緑の中に、その池だけが青く異彩を放っていた。 


 それは途方も無く大きな樹である。

 大地から生えていると言うよりも、いっそ空を貫いているとだけ言った方が、より適切な表現に思える

程、その樹は大きく、高く、枝は四方に繁り、葉も木漏れ日が出来ないくらいみっしりと群集し、その場

に気高く存在していた。

 その樹は支配者である。

 この場に居る限り、何処までも、何処からも、大樹を阻むモノは決して無く。抗い難い存在として、堂

々と存在している。

 絶対的なまでにこの場に君臨している。一体樹齢は如何ほどになるのだろうか。見当も付きそうが無か

った。あのハールの塔ですら、この樹の前では霞んで消えてしまう。

 生命力も当然絶大であるだろう。現に大樹から溢れるように流れる魔力を、ひしひしと感じさせられた。

 しかしその魔力こそが、クワイエル達を苦しめていた張本人だと気付くのには暫くかかった。何故なら

ば、今は彼らを打ち消そうとしていた魔力が、逆に彼らを癒してくれているようだったからだ。

 同一の魔力が、まったく正反対の効果を及ぼしている。

 即ち、育てよう、伸ばそう、と。

 考えて見れば、こちらの方が本来の使われ方なのかも知れない。そうでなければ、とてもこんな大樹に

育つ事は無いだろう。まったく自然にこうなる事は在り得ない、とまでは言えないものの。単純に自然の

脅威でまとめるには、途方も無い大きさである。

 こうして魔力の源は付き止めたが。ならば何故、あのような結界を張っていたのだろうか。

 正反対の使い方をするには、それだけ余剰の魔力を使う。あれだけ広域に展開する魔術ともなれば、目

的も無く気分で使うには、いくらなんでも消耗が激し過ぎる。それならばその分の魔力を、こうして自ら

を育てる為に使った方が良いに決まっているではないか。

 しかも結界と言っても、侵入者を防ぐようなモノでは無い。どころか、明らかに誘っていた。生命にと

って健やかな環境、穏やかな風に新鮮な空気、食料も豊富そうだ。そしてあの心地よさ。あれは決して侵

入者を拒んではいなかった。

 とすると、考えられるのは・・・・。

「ここは何なのでしょう・・・」

 不意に聴こえた声に振り返ると、エルナが不思議そうに辺りを観察していた。

 他のメンバーは疲労の限界に達したのか、地面に座りこんで居る。エルナは魔力が高い分、彼らよりも

疲労が少なくて済んだのだろう。或いはこの場の魔力を得、クワイエルと同じように疲労が回復したのか

も知れない。

 通常自然界に満ちる魔力を借りる(つまりは吸収する)事は難しい。よほど熟練の魔術師か神官で無け

れば、おそらくは不可能だろう。人間も自然の一部であるとは言え、所詮は他者の魔力を借りるので、当

然扱いが難しく、最悪の場合には術者の体内で暴発してしまう恐れすらある。

 しかしこれ程生命を活性化する魔力、これ程までに大きな魔力ともなれば別だ。フィヨルスヴィズの時

のように、大き過ぎる魔力と言うのは、それだけで万物に干渉するモノなのだ。

 だから当然のように、クワイエル達を癒し、生命を活性化させる。そしてそれはより強大な魔力を持つ

者程、顕著な効果が出るのである。

 それは恩恵として受け取り。ともかく、クワイエルは気を引き締め、魔力を高め始めた。大樹の力を逆

に利用出来れば、自分の限界を一つも二つも超えた力を発揮出来るかも知れない。

「解らないけれど、どうやらフィヨルスヴィズの時のようにはいかないようだ」

「?」

 エルナは不思議そうにクワイエルを見詰めたが、彼の強張った顔を見て、改めて警戒心を強めた。

 おそらく彼女も悟ったのだろう。

 拒まず、されど深い進入は好まない。それはつまり、罠、と言う事だと。

 何の為かは解らないが、どちらにしてもこの大樹は、誰かがこの場に入り込む事までは望んでいない。

それはこの場に近付くにつれ、侵入者を阻む結界がより強まって行った事からも解る。

 招かれざる進入者なのだ、我々は。  




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