4-4.

 呼吸が楽になった。

 それはつまり自由に身体を動かせるようになったと言う事。呼吸し酸素を取り込む事で、人間は蓄えた

力を燃焼させ、初めて活動エネルギーへと変換する事が出来る。

 そしてそれは驚く程持続時間の短いエネルギーであり、その為人は絶えずエネルギーを生み出す事を強

いられる。或いは生命を保つと言う事だけで、膨大なエネルギーを消耗すると言う事なのだろうか。

 依然警戒を強め、魔力を高め、周囲を密に見回し続けている。

 此処に辿り着き、そんな事を何度繰り返しただろうか。しかし何一つこの場には起こっていない。

 変らず全てを育む魔力で満ち溢れ、その恩恵をこの場に居る全ての存在が余す者無く受けていた。今は

まだクワイエルとエルナが回復しているのみであるが、このまま何事も起こらなければ、他のメンバーも

すぐに全快するだろう。

 現に彼らの顔色は、むしろ森に踏み入れる前よりも良くなっているように見える。正に平穏な休息時間

である。

 酸素も溢れんばかりに在る。まるでこの大陸中の空気がここに集まり、全てを浄化して送り出している

のではないかと思える程、ここには濃密な酸素が満ちていた。

 ようするに酸素を消費する動物が、長い間この場所には居なかったと言う事だろうか。

「そうか・・・そうなのか」

 ふとクワイエルは気付く。ここに罠を張った者が侵入者に鉄槌を下すべく、今か今かと待ち構えて居る

のだと、当初は思っていた。だからこそこうして警戒心を高め、魔術を編む準備を整えて居るのだが。そ

れをする事は不要だったのだ。

 何故ならば、ここに待ち構えて居た者は確かに居るが。その者は侵入者に対して無力なのだ。

 いや、無力であるしか無いと言い変えた方が正確だろうか。

「もう心配する必要はありません。ここに居る限り、こちらに手出しは出来ないようです」

 クワイエルは仲間に告げ、自らも緊張を解いた。それから彼らに休んでいるように言い、自分は探索す

る為に奥へと向う。安全だとは解ったが、疑問はまだ無数に残っている。

「私も御一緒させて下さい」

 エルナがそう申し出たので、同行を許した。彼女にとっても、良い経験になるだろう。

「何故ここは安全だと考えられたのです?」

 そうして暫く二人で進むと、待っていたようにエルナが問うてきた。まるでここからは二人の、つまり

は師弟だけの時間だとでも宣言するように。

 こう言う場合はクワイエルも頷き、考えをまとめた後に素直に答えてやっていた。

 クワイエルは元々秘密主義とは無縁なのだが。エルナを思いやってか、それとも魔術師でない自分達が

ずけずけと質問するのは非礼だと考えているのか、他の仲間達は魔術に関わる質問や重大事には触れない

ようにしている。

 もしかすれば、深く知る事を恐れているのかも知れない。

 魔術師は大抵講釈好きなものだが。かと言って、知る知らないを選択する事は非常に大切な事であるの

で、クワイエルも無理にそう言った話をしようとはしない。

 だからクワイエルとしても、こうしてエルナと魔術に関して話し合える機会は楽しみな事なのである。

「ここに待ち構えて居た者。それはこの大樹だとしか思えない。魔力を持つと言われる木は、実際他大陸

でも多く目撃されてるし、色んな逸話もあるんだ。木や草花にも意志と言うものがあり、その意志が生命

力と交われば、人と同じ様に魔術が生まれる。だからこれだけの大樹なら、あれだけ途方も無い結界を創

る事もきっと不可能ではないと思う」

 二人は草で覆われた大地を進み、苔むした岩を登る。

 此処には落ち葉や朽ちた石も無く。全てが生命力に満ちていた。

「だけれど流石にこれだけの結界を維持するのは大変だし、この中心部には外とは相反する結界が張られ

ている。これは途方も無い事なんだよ。相反するモノを繋ぐと言う事は、それはつまり全てを司るブラン

クルーンの力に近いと言う事になるから。

 だからそんな事をするくらいなら、フィヨルスヴィズのように地形を変えて閉じ篭るか。侵入者を片っ

端から排除する結界を張る方が容易い。なら何故それをしないのか。或いはしないのでは無くて、出来な

いのではないか。その理由は解らないけれど、そうとしか考えられない」

 大樹が間近に迫る。

「ようするに、この大樹はここに来る事は望んでいないが、ここに近付く事は望んでいる。今まで何も起

こらない事を考えると、その事だけに全魔力を使い続けているんだろう。だからここは安全と言う事にな

るんだよ。これ以上余計な魔力を使おうとすれば、多分この結界は崩壊し、この大樹は生きられなくなる

か、或いはその力の大部分を失う事になるだろうから。

 これだけ大きな魔力を制御し続ける事は、この大樹にしても物凄く危うい事なんじゃないかな」

 二人は大樹を見上げた。空に吸い込まれるように聳え立つその先は、いくら翼があったとしても、おそ

らく見る事は出来ないのだろう。

「なるほど・・・・。あ、でもそれではまだ何も解らないって事ですよね」

「ああ、だからそれをこれから調べようと思ってね。それが解決しなければ、多分この場所からも出られ

ないだろうから」

「あ!」

 エルナは今まで気付かなかった自分を恥じた。確かに此処は安全でも、一歩外へと踏み出せばまたあの

苦痛が待っているのだ。言って見れば、彼らはこの場所に閉じ込められたようなものなのだと。


 クワイエルは大樹へと慎重に触れ、確かめるように軽く叩いたり、少し擦ってみたりしている。

 エルナは辺りを警戒する。

 例え安全だと解っていても、やっぱり何か怖い。それに他者を攻撃出来るのは、何も魔力に限った事で

は無く。考えてみれば護衛者がいないとも言えないではないか。

 クワイエルは護衛者の存在を否定しているようだが、エルナはどうにも不安でならない。

 あの太い幹から何か出てくるかも知れない。あの無数にある枝の上に何かが居るかも知れない。あの木

の葉ですら何が張り付いているか解ったものではない。

 それでも彼女はクワイエルと共に居る事が、まるで義務であるかのように恐る恐る彼の後に続いた。

 一つには魔術師が必ず持つ、強い好奇心にも動かされているのかも知れない。

 大樹へ近付けば近付く程、空間に満ちた魔力が桁外れに増大していくのを感じる。まるで実体化でもし

たかのように、魔力がねっとりと身体を拭っては抜ける。そしてその度に自らの中に新たな力が満ちるの

を感じた。

 しかし流石にここまでの生命力となると、良い加減溢れて身体が弾けてしまいそうだ。

 御馳走を食べ過ぎた時のように、少々うんざりもする。

 これはこれで生命体にとっては毒なのではないだろうか。そしてこれほどのエネルギーを常に消費し続

けているとすれば、この大樹は生きてるだけで他の生物にとっては有害でしか無いのかも知れない。

 もしこの大地の生命力が限られてるとすれば、この大樹一個を生かすだけで涸れ果ててしまうのではな

いだろうか。

 それなのに大地にも大気にも消費されるはずの膨大な生命力が満ち満ちている。一体何処からやってく

るのだろう。

 生命力も魔力も生命体から生み出されるとは言え、所詮それも他のエネルギーを魔力と言う形に変えて

いるだけに過ぎない。つまりは変える事で大地から大気から、或いは他の生物から摂取しているエネルギ

ーを消費している事になる。

 生命体が無限のエネルギーを持っていると言う事では、決して無い。確かに生命体は生命力の塊である

に違いないが、それはいつか尽きてしまう。

 ならばそのエネルギーを一体何処から摂取していると言うのだろう。根を張り、葉を広げている事から

考えると、他の植物と同じく天と大地から得ているのには違いない。しかしそれだけでは無いはずだ。そ

れだけでここまで途方も無い大きさに育てる訳が無い。

 それともこの森の先には、一歩越えれば後は全て砂漠か荒地でも広がっているのだろうか。この大樹に

喰い尽くされた残骸として。

「うーん」

 足下に生える苔や草に触れてみたが、やはり瑞々しく、そしてありふれた植物のように感じた。この植

物達だって、天と大地から来るエネルギーを消費しているはずなのに、こんな大樹が側に居て、何故枯れ

てしまわないのだろう。

 緑豊かとは良く言われ、こうして大樹を根にして森が広がっていく場所も少なくは無いが。それは自然

のままの場所に限っての事であり、この場で言えば不自然極まりない。それに緑が育つと言うのならば、

この大樹一本だけが途方も無く大きいのもおかしい。

 何故他の木々や草花は他の場所と変らないのか、いやむしろ小さくは無いだろうか。

 解らない。まったく見当が付かない。

 クワイエルを見ると、彼も黙々と調査を続けている。何か聞きたかったのだが、こう言う場合は下手に

話かけない方がいい。何か解れば、彼の方から話してくれるはずだ。それまでに話しかければ、きっと彼

の邪魔になる。

 それに弟子だからと言って、お荷物ばかりになっていられない。エルナはクワイエルの手助けがしたか

った。しかしどうも自分は一度も彼の役に立てた気がしないのである。自分は未熟過ぎる。

「今魔術師らしき者は、私一人しかいないのに」

 今この場所にハールか神官長でも居れば、クワイエルはどれだけ助かったか知れない。だが今ここに居

る中に、彼と彼女の他には魔術を知る者はいない。少なくとも彼女の知る中にはいない。

 彼女しかサポート出来ないのに、そのエルナと言えばこうして手持ち無沙汰のようにぼんやり考えてい

るのがせいぜいであった。

 悔しいがそれが現実である。

 ならばせめて自分が思った事を、全てクワイエルに伝えようと思った。今のエルナには同じ物を他者か

ら見ただけと言う程度の情報を伝える程度しか出来無いが、それでも何もせずに悔むよりはまだ良いと思

ったのだ。

 エルナは頃合を見て、クワイエルへと近付いた。空間の生命力の密度が、また跳ね上がった気がする。




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