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 クワイエルとエルナがハールの塔に着いた時には、すでに主要な者は集まっていて。少し休息した後、

彼らは一路大樹フレースヴェルグの森へと向った。

 ざっと名を挙げれば、クワイエル、エルナ、ハール、ハーヴィ、マーデュス、クワイエルの仲間達、鬼

人族の魔術師達、マン神殿の神官達と言ったそうそうたる顔ぶれである。

 鬼人の族長、マン神殿の神官長などはその場を離れる訳にはいかない為、今ここには居ない。彼らも魔

術に精通するからには、当然フィヨルスヴィズの魔術に興味はあると思われるが。彼らには最高位者とし

ての役割があり、軽々しく居場所を離れる訳にはいかないのだろう。

 組織の上に立つと言う事は、それだけ身動きが重くなるという事かもしれない。制約の上に権力が成り

立っている、と言う事だろうか。

 人数は多かったが、かといって一行はほとんど話す事は無く、静かで少し重苦しいくらいの雰囲気が漂

っていた。恐るべき飢餓樹、フレースヴェルグ。その凄まじいまでの魔力と影響力を思うと、かのフィヨ

ルスヴィズの力でさえ、果たして通用するのかどうか。

 量り難き強大なる力だからこそ、彼らにはこの二者が対峙すればどうなるか、そしてその結果一体どう

いう事になるのかが、見当も付かない。

 何か話せば、そこから不安が零れ出てしまいそうで。そして零れ出てしまえば、その不安が現実になっ

てしまうかのようで。

 そう言った想いが皆の口を閉ざしているのだろう。

 この中では一番魔力に長けてるハーヴィですら、強張った表情をしていた。魔力が高いだけに、より敏

感にフレースヴェルグの力を感じられるからかも知れない。

 流石のクワイエルも余裕が無く見え、エルナは側で心配そうな目を向けている。

 クワイエルの仲間達も同様で、あまり見ぬ彼の顔色に、恐れにも似た気持を少なからず抱いているよう

だ。それだけ彼らはクワイエルを信頼しているのだろう。安心も不安も彼と共に在る。

 マーデュスは覚悟しているらしく。ただ黙々と歩いていた。

 彼は魔術師ではないから、元々こう言う件に関してはクワイエルと神官長に一任していた。任せたから

には、当然腹を括っている。言ってみれば、神官長の代役として来ているようなもので、ある意味さっぱ

りとした顔をしていた。

 それは諦めではなく、覚悟からくる爽やかさだろう。

 神官達や鬼人達はどうか。中には多少ここに来たのを後悔している者が居るようだが、その心はほぼ代

表者たるハールやハーヴィに委ねてしまっているようにも見える。

 とにかく共通しているのは、誰もが半ば諦めにも似た気持で居ると言う事だろうか。

 どれだけ悩んでも、どれだけ努力しようとしても、事態は彼らの手の内を離れている。人間と鬼人の魔

力ではとてもフレースヴェルグには敵わないのだから、考えるだけきっと無駄なのだ。

 それを理解しているから、後はもう待つしかない。黙って結果を待つしかない。

 そうして黙したまま進んで行くと、突如彼らの前に、フィヨルスヴィズの巨体が降り立った。彼はゆっ

くりと人間と鬼人を眺め、それから豪快に笑う。

「フハハハハハハ、こうして見れば、なかなかに面白き眺め。しかしその顔はいかんな。その顔はいかん。

折角来たのだ、もう少し嬉しそうな顔をしてもらいたいものよ。・・・まあ良い、では参ろうか」

 その言葉にクワイエルが驚く。

「行くとは、まさかあの大樹の側へですか? しかしこの森を通り抜けるには・・・・」

「心配する必要は無い。私が側まで連れて行こう。今回の事は、全て私に任せておけ」

 フィヨルスヴィズが巨体を一揺すりすると、クワイエル達は瞬間的に揺らめく魔力場に包まれ、意識が

ふわりと浮き上がり。気が付いてみると、目の前にはあの大樹の姿があったのだった。


 口々に声を立て、慌てる人々、それをフィヨルスヴィズが制す。

「心配する必要は無い。結界はすでに打ち消しておいた」

 言われて見れば身体に何の違和感も苦しみも感じない。常と同じであり、空気感も何もかも、クワイエ

ル達が来た時とはまるで違っていた。そこには平然と森の風景だけがある。

 そのせいか、大樹の姿も小さく弱って見えた。

「そうか、結界が消えたと言う事は!」

 クワイエルが興奮して叫ぶ。

「そう。すでにエネルギーの供給器官は用を為さず、フレースヴェルグは弱体の一途を辿っておる。突然

の事に対処出来ず、混乱しておるようだ」

「し、しかしあれだけの結界を!?」

 フィヨルスヴィズは高らかに笑う。

「フハハハハハ、汝らがあまりにも遅いので、その間にやってしまった。何しろ時間が経てば経つ程面倒

になる奴だからな、一番の見せ場だったが、まあ勘弁してくれ」

 人々は呆然と黙り込むしかなかった。

 しかし考えてみれば、このフィヨルスヴィズもあれだけの結界を滝周辺に張っているのである。この大

樹の結界を打ち消す事が出来たとしても、何ら不思議は無い。

 それに大樹が己の成長のみに心を配っているからには、邪魔されること無く魔術に集中出来たはず。フ

ィヨルスヴィズのような存在にとってみれば、案外容易い相手だったのかも知れない。

「元々結界を創るのは私の得意とする所、さほど労せずに解体出来た。フレースヴェルグはやはり防衛も

攻撃も何も考えていなかったようだ。ただ純粋に己の成長のみを望み、それだけを今生きる意味として行

い続ける。それは我らも同じ、生命を持つ者が皆望む道。ただこやつは少しやり過ぎた」

 それを聞けば、誰しも大樹に同情心が湧かないでも無い。この一本の樹は、もう一人の自分のようなも

のではないかと、そんな風にも思える。

 自分の成長のみを考えると言うなら、世界中に踏み入れ、こんな辺境の大陸まで手を伸ばしている人間

達も、同じではないだろうか。

 その規模が違っただけで、そこに他者を容れる余裕が無かっただけで、やってる事は皆変らない。

 ただ一つだけ思う事はある。

「しかし、それでは皆が此処に来た意味が・・・」

 クワイエルが皆の気持を代弁した。

 そう、確かにこの大樹を間近に見ると言うだけでも、それだけでも十分興味深い事柄だ。しかし元々こ

れだけの人数が集まったのは、フィヨルスヴィズの力を見る為では無かったか。

 脅威が取り除かれ、万歳万歳ではあるけれど、どうにも納得出来ない部分がある。

 何の為に急いで集まったのか。

「だから勘弁しろと言っている。ま、少しだけなら見せられぬ事もない。最後の仕上げが残っておるから

な。まあ、見ておれ」

 そう言うとフィヨルスヴィズは不意に三対の腕を大きく掲げ、高らかに叫んだ。

「フレースヴェルグ、ヴェクスト、スヴェヴンガウン!!」

 声が轟くや否や、突如空間がぐにゃりと歪んだように見え、大樹が魔力の光に包まれると、まるで大地

に吸い込まれるように、見る間に縮んでいく。そうして風船がしぼむように一気に縮小すると、影のよう

に残っていた大樹の輪郭と残像が、強く発光して弾け飛んだ。

 後には小さな木に還った大樹と、穏やかな風だけが残る。

 眠りに誘われそうな心地よい風と、それに静かに吹かれる何の変哲も無い木だけがそこに在った。

「これでこやつは死に果てるまで眠ったまま、もう二度とフレースヴェルグなどと呼ばれる事はあるまい」

 そして再び人々を眩暈が襲ったかと思うと、景色がいつの間にか変っており、気付くと彼らは出発前と

同じくハールの塔前の広場に居た。

 呆気にとられてあたふたと辺りを見回すと、何処からかフィヨルスヴィズの声が響いて来る。

「あの木はもう放って置いてやってくれ、あのまま眠らせてやるのがよい。では小さき者達よ、奥へと進

むがよい。この大陸の果てまでな。そしてなるべく我らの手を煩わせぬよう、多くのモノを学ぶのだ。第

二のフレースヴェルグにならぬよう、多くのモノを学ぶが良い。あくまでも、己が力で」

 余韻が頭から消えていく。彼も彼の居場所に帰ったのだろう。

 人々は深く頭を垂れた。偉大なる者、多くを知る者の助力に、深い深い感謝を込めて。




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