5-2.

 一日、二日、相変わらず何かの気配はするものの、まるで襲ってくる様子は無かった。用心してゆっく

り進んでいるから、思うように距離は進めていない事が、被害と言えば被害だったが。元々急ぎの旅では

ないから、特に支障がある訳ではない。

 それよりも、監視するように付きまとっている何者かに興味がある。

 一体何者なのだろう。どうやら確固とした意思があるようだが、異種族だろうか、それとも単に賢い獣

だろうか。未知な獣もこの大陸には多く、まるで検討がつかない。

 姿、形、声、そしてその動作や仕草、そういったモノを見なければ、今のままでは何も予測が出来なか

った。判断材料がまったく無い。

 未知、不可思議との遭遇。それがこの大陸を探索する上で、最も困難な事なのだが。同時に、一番興味

深い時間でもあった。これほど人間の探究心をくすぐってくれるモノは他に無いと思える。

 危険ではあったが、一番有意義かつ楽しみな時間である。

 勿論、喜んでいる暇はないが。

「キーーーッ、キーーーーッ」

 鳴声がした。

 それは監視者の発した声なのだろうか。それとも他の生物の声だろうか。

 クワイエル達が知っている中では、このような声は鳥に多い。けたたましいと言うべきか、細い管から

張り裂けんばかりに音を出すのに似ている。

 もし人がこんな声を出せば、喉が張り裂けてしまうかもしれない。

 たかだか鳴声一つ、けれどそれだけでも新鮮で興味深く、未知と言うだけで面白いものだ。

 そう思えるくらい余裕が出てきたと言う事もある。

 クワイエルは安堵していた。流石に二日も経てば罠の心配は要らないだろう。

 だがひょっとしたら、それこそが油断させる為の罠であり。この状況は彼らに誘導されているとも言え、

最後の最後に大きな落とし穴が待ってる可能性が無いではない。

 狩人と言うのは、どの種でも非常に用心深く、それ以上に気の長いものだ。

 しかし何だかクワイエルには、彼らが監視しているというよりは、護ってくれてるように思えた。危険

な場所を通らないように、彼らが導いてくれているかのように。

 その行為に、悪意を感じなかったのだ。魔力波も感じない。

 感じるモノと言えば、ただここが自然の森である事、それだけだった。

「ケーーーーッ、ケーーーッ」

 再び声がした。今度は少し違う。会話なのか合図なのか、それは解らないが、何か焦りのような感情も

感じられた。まるで何かに驚いたかのような・・・・。

「皆、伏せて」

 リーダー格の盗賊が突然発した声に、慌てて皆がその場にしゃがみ込む。腰を低くして、辺りを伺うと、

少し先をがさがさと何やら大きな物体が移動していくのが見えた。草むらの揺れ方で、何となく大きさは

察せられる。

 巨体。ただそれだけの事でも、他者にとっては脅威になる。しかも未知である。こんなに怖ろしい瞬間

は無い。この時ばかりは好奇心も何も無く、ここに居る事をただただ後悔してしまう。

「キーーーーーッ、キーーーーッ」

 そのまま息を潜めていると、また何処かから声が聴こえた。見回すと、先ほどの巨体は何処へとなく去

って行ったようである。もう足音も聴こえないし、不自然に揺れる草も見えない。

 クワイエル達は立ち上がり、互いの無事を確認すると、再び歩き始めた。

 すると周囲にある気配も再び動き出す。付かず離れず、一定の距離を保ちながら。

「やはり護ってくれてるのでしょうか」

 クワイエルが独り言のように問う。

「確かに、私もそんな気がしてきました」

 リーダーがいつもの癖で応えた。

 あの鳴声、偶然にしては出来すぎている。二度目のは止まれで、一度目と三度目のは進めと言う意味な

のではないだろうか。即ち、警戒と安全を教えてくれているのではないか。

 そう考えると、この場所が今までよりもより危険である事が察せられる。今まではこんな鳴声はしなか

ったし、声に焦りも感じなかった。

 一行は互いに目を見合わせ、警戒を強める。

「ともかくご好意をお受けして、進ませてもらいましょう。此処は危険区域みたいですし、悩むのは後に

した方が良いようです」

「私もそれに賛成です」

 方針を決めた一行は、後は黙って辺りを注意深く観察しながら進んで行った。勿論いつ鳴声が聴こえて

も良いように、聴覚も研ぎ澄ましている。 


 あれから何度か警戒を促すらしき鳴声が聴こえ、その度に極度の緊張を強いられたものの、どうにか災

難に遭遇せずに進めている。神経は消耗するものの、それだけの被害と言えばそれだけでしかなかった。

未開地の旅だけに、充分に順風満帆と言えるだろう。

「キーーーーーッ、キキーーーーーッッ」

 そして鳴声の頻度が再び低くなってから暫くして、一度今までよりも更に甲高い鳴声が響いたかと思う

と、周囲にあった気配が消え、それ以降は一度として鳴声を聴く事はなくなった。

 油断せずに依然注意深く進んだが、何事か起こる気配も最早なかった。どうやら安全区域に達したらし

い。周囲の気配が消えたのも、ここまで来れば安全と言う事なのだろうか。

「クワイエルさん、森の切れ目が」

 指差すリーダーの先を見ると、森の果てから光が大きく差し込むのが見える。距離にして一キロあるか

ないか。無限に続くかと思えた森の終わり、終着点ではないものの、一つの到達点にはなるだろう。

「やはり私達を保護していてくれたようですね」

 クワイエルは振り返り、今は感じない森の何者かに対し、深い感謝の念を送った。届くか届かないかは

解らないが、ともかくも何か感謝の意を示したかったのだろう。

 しかしそうした後、少し不満な陰を彼は表情に浮かべた。彼は意味の無い事はあまり好まないし、やる

事はやれるだけやるタイプである。

「ありがとうございました!」

 届いたか届かないか解らない念を送っただけでは、やはり飽き足らなかったのだろう。突如大声で礼を

述べると、彼は森に向って深く一礼をした。

 慌てて仲間達もそれに習う。勿論、沈黙を守ったままであったが。

 森で大声を出すのは、あまり褒められた行為ではない。

 それから森に住む者にも使えそうな、或いは食べられそうな物を気持ばかり置くと、再度森の出口を振

り返り、前へと進み始めたのだった。

「彼らはどうするのですか?」

 そんないつも通りのクワイエルを追いながら、リーダーが問う。

 今の状況は新たな種族と交流を持つ格好の機会である。相手に敵意が無いなら尚更の事、この機会を逃

す手はないのではないか、そういう意味の問いなのだろう。

 しかしクワイエルは首を横へとゆっくりと振る。

「そっとして置きましょう。その気持が相手にあればいつでも出来たはず。それでも接触する意志が見え

なかったと言う事は、彼らは我々に関わる事を望んでないのでしょう。親切を仇で返すような事はしたく

ありません。彼らの気が変れば別ですが、先ほどの森には極力触れないようにした方が良いと考えます」

 そう言うとクワイエルは自作の地図を取り出し、新たに書き込まれていた森に大きく進入禁止の文字を

書いた。その横に小さな文字で、その理由も忘れないように書き足しておく。

 森の地図は細部まで探索出来なかったから、大雑把なままであるが、これも仕方が無いだろう。

 確かにこの大陸をくまなく探索する事が唯一史上の目的なのだが。かといって元々この場所に住んでい

た者達の暮らしを、相手がこちらに完全に敵意を持たない限りは、なるべく乱したくない。それが今のク

ワイエルの方針であり、この地に居る人間の総意であるとも言える。

 好奇心は疼くとしても、こちらが侵略者、無断侵入者である以上、あまり身勝手な行いは慎むべきであ

る。勿論それさえも人間の勝手な願いなのだが、何も思いやらないよりは良いはずだ。

 真に虫のいい話だけれど、何とかこの大陸に受け入れてもらい、出来れば他の種族と共存したい。

 ここを人間だけの領土にしたいとは、これだけ色んな種に手助けされているのだから、もう誰も思って

はいないだろう。それにそうしようと思っても、滅ぼされるのは人間の方である。この大陸の種は、一様

に強過ぎる。

 敵対するなどはとんでもない。

 この大陸に居ない人間の思惑は別になるとしても、少なくともこの地に居る人間は共存を望み、出来れ

ば全ての種が同じ種であるように暮らしたいと考えている。

 勿論、フィヨルスヴィズのように孤高を望むのであれば、それも尊重する。 

 ただ、そうとは言っても、やはりどんな者達がこの森に居たのか、それを知りたい気持は大きい。リー

ダーが問うたのも、ある意味全員の気持を代弁したとも言える。

 しかしクワイエルは進んだ。自身にも起こっているだろう誘惑を振り払うように。

 他者への尊重、友好はまずそこから始まる。無理も無理強いもしてはいけない。させてもいけない。

「まだまだ先は長いのです。私達に出来る範囲で調べていきましょう」

「了解しました」

 皆頷き、その後は素直にクワイエルに従った。

 そうして一行はこの危険な自然のままの森を抜けたのだった。




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