5-7.

 滑稽な光景に見えるけれど、当人たちは必死で真面目に両腕を振り続け、三人を包んでいる泡は少しず

つ上昇して行った。

 魔術で水の流れなどを変える事は出来ないでも、物理的に肉体をつかって水をかけば、この湖に干渉出

来るということだろうか。

 確かに魔術でも使わなければ、この場の主が居るであろう湖底までは辿り着けないだろうし。物理的に

泳いで移動する事まで禁じてしまっては、周囲に居た主の眷属か少なくとも仲間であろう生物まで締め出

してしまう事になる。

 そしてそれ以前に、湖の主まで湖中を移動できない事にもなってしまうだろう。

 そう考えれば、水棲生物なら無害に近い結界を張る事が、何ら不思議な事では無く。むしろ当然である

ように思えた。

 クワイエル、エルナ、戦士の三名は何とか湖面まで泡を上昇させ、大地へと帰還した。彼らを包んでい

た泡は役目を終えて弾け、湖中へと消える。

「やれやれ、何とか戻れましたね」

 腕だけで浮力を生み出すのは相当な疲労を伴う事らしい。三名とも極度に疲労しており、結局何も調査

出来なかったという精神的疲労も伴う事で、心身ともに疲れ果ててしまったようだ。

「ともかく戻って来られて何よりです。・・・・・湖中で何か見付かりましたか」

 疲れている彼らには申し訳無いと思いながら、好奇心と心配心を抑えきれずにリーダーが問う。

 クワイエルは暫く深呼吸を繰り返した後、のんびりと答えた。

「いえ、解った事と言えば、ここには変化を抑制する魔術がかけられている、その事くらいでした」

 それからクワイエルは地上に残った仲間達に湖中での出来事を話し始めた。

「ではずっと泡の中で待っていたのですか、あれほど長い間・・・・」

 詳しく話を聞くにつれ、リーダーは少しばかり呆れてしまった。

 正直というか素直というのか、それとも忍耐力があるというのか。

 クワイエル達が感じている程には時間は経っておらず、せいぜい数時間といった所なのだが。しかしよ

くもまあ何も解らない湖中で、何もせずにじっと待っていられたもの。

 それを彼が真面目に話すので何やらおかしくなり、悪いとは思いつつも地上に残っていた仲間達は少し

ばかり笑ってしまった。

「ただこれで解った事があります」

 クワイエル自身もつられたように笑いながら告げる。

「少なくとも、この場の主は我々に危害を加えようという気はないようです。この湖まで安全に来られた

事もそうですし、簡単に湖中から逃れられた事もそうです。危害を加える意志がもしあったならば、私達

はおそらく永遠に湖中に捕らわれていたでしょう」

「確かに」

 リーダー達も頷く。

「こちらも何も起こる兆しはありませんでした。何かする気があるならば、我々を排除するつもりならば、

いつでも出来たはず。少なくとも我々を見逃してくれるつもりなのでしょう」

「はい、おそらくこちらが手出しをしない限り、あちらは何もしてこないと思います。だとすれば、私達

に出来る事はただ一つ。少し残念ですが、大人しくこの場を去る事にしましょう。また時間が経てばどう

なるか解りませんが。少なくとも、現時点では人間と関わりを持とうとは思われて無いようですから、そ

の気持を尊重する方が良いでしょう」

 全員が再びその言葉に頷いた。

 あれだけ意気込んでおき、あれだけ準備したのだから、彼らも悔しくないわけではないだろう。けれど

も、それは全て人間側の都合であり。自分たちは単なる侵入者、余所者であるからには、望まれない以上、

いつまでもこの場に居てはいけない。

 レムーヴァの住人が本気で敵意を持てば、人間などは軽々と消し飛ばされてしまう。この場の主にせよ、

鬼人にせよ、フィヨルスヴィズにせよ、人間は彼らの温情と友情によってこの大陸に居る事を許されてい

ると考えて間違いはない。

 言わば居候の身。理由は解らないものの、どうやらこの大陸を探索する事は望まれているようだが。だ

からといって傍若無人に振舞うわけにはいかない。

 優しくされているのならば、それ以上の礼儀と温情を返すべき。

 クワイエル達は一晩体を休め、湖から去る事を決めたのだった。 


 夜が深まった頃、不思議な気配で目が覚めた。

 日はまだ顔を見せていない。真っ暗であり、何か物音がした訳でも、何者かが動いた事によって振動が

起きた訳でもない。

 それでもクワイエルは一人目を覚ました。

 見張り役のエルナも寝てしまっているようだ。しかしその事に何ら不審を覚えない。その時はそれで自

然だと思い、実際そうなっていて当然だった。

 そこに悪意がないのが解ったから、不安が浮ぶ事も無かった。

 クワイエルの精神を撫でるように気配が触れ、彼はそちらへと顔を向ける。湖の方である。

 そこには長大な白い竜、そう表現するしかない、大きな胴と頭部が湖面から出ており、その瞳が彼を見

ている。いつからかは知らないが、じっと、静かに彼を見ていたのだろう。

 それが何者であるかはすぐに理解出来た。この湖の主としか考えられない。

 でも何故、今更姿を現したのか。

 クワイエル達が引き上げる今になって、何故主の方から会いに来てくれたのだろう。

「貴方は・・・・」

「私はスヴァンフヴィード、白き者と呼ばれています」

 白竜はゆっくりと頭部をクワイエルの顔先にまで近づけた。

 彼女の体からは仄かな芳香が漂う。その香りは精神を安定させる働きがあるようだ。クワイエルの心も

すっと楽になり、余計なモノを抜いて、素直に話し合う事が出来た。

「私は、この湖付近に居る者達は、争いを好みません。そして干渉される事も欲していません。私達はこ

のままここで静かに変りなく暮らす事、それだけを望んで、望んでいました・・・」

「はい」

「ですが、いつまでもそうする事は不可能になるように思います。今はまだ解りませんが、おそらくそう

遠くない未来に。・・・・この大陸は変化を欲しています。そして貴方達が現れた。すでに変化が訪れて

いる以上、私達も選択を強いられる事になりましょう」

「・・・・・・」

 クワイエルは彼女が何の事を言っているのか、はっきり言ってしまうと、まったく解らない。そしてそ

れがどういう事なのかも検討がつかなかった。

 辛うじて理解出来たのは、彼ら人間がこの大陸に来た事で何かが変りつつある、それだけである。

 白竜を見詰める。彼女の目は静かでやわらかで、彼らを非難しているようには思えない。ただ、その瞳

にはどこか諦めのようなモノを感じた。年老いた隠者のような諦めを。

「私達は変わらなければならない。フィヨルスヴィズが変化を受け入れたように、私達も受け入れなけれ

ばなりません。ゆっくりと些細な変化から」

「フィヨルスヴィズ・・・・」

「はい。私達は変わるのでしょう。そしてそれを受け入れます、私達も、いずれは・・・」

「いずれは?」

「ええ、いずれは、です。今ではありません。ですから、もう暫く、もう少しの間だけ、私達を放ってお

いてもらいたいのです」

「なるほど・・・」

 クワイエルは考えた。しかし答えるべき言葉は初めから一つしかない。

「解りました。我々はその時まで、決してここに足を踏み入れません」

「ありがとう」

 白竜はそれだけを言い残すと、ゆっくりと湖へとその姿を消した。

 夢だったのではないか。ふと、そんな風に思った。けれど、すぐにこれは現実なのだと、自分の心にあ

る絶対的な何かがその疑問を打ち消す。

 これは夢ではない。

「変化の必要。そして我々がここに来た、いや招かれた。そしてその理由。フィヨルスヴィズも確か似た

ような事を言っていた・・・。その答えを求める為には、やはり進むしかない、か」

 クワイエルは手持ちの地図に明確に進入禁止の文字を入れ、後は再び目を閉じて横になった。

 朝全員が起きると、彼らは予定通り即座に湖を離れた。そして一度報告を兼ね、ハールの塔まで戻る事

に決めると、来た道を急いで戻り始めたのである。




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