5-8.

 白竜の湖を出発し、彼女の眷属の住まう湿地帯を抜け、森の手前まで順調に移動した後、クワイエルは

ふと足を止めた。

 考え込む風でじっと黙って目をつぶり、そのまま少しの時間が流れる。

 仲間達もすでにそういった彼の突飛な行動には慣れていて、文句も言わずにじっと黙って待っていた。

クワイエルは無意味に押し黙るような男ではないし、彼を皆信頼しているのだろう。

 事実、彼はこれまで無意味に立ち止まるような事はしなかった。そして何があっても切り抜けてきた。

 その点は贔屓目に見なくても、充分に評価できる。だからこそこうして、言ってみれば探索の全てを任

されているのだ。

「やはり、迂回した方が良いでしょう」

 そして思考の後、ようやく発した第一声はそのようなものだった。

 つまりはこの森を避け、東西どちらかを回ってハールの塔へと戻ろうと、そう言っている。このままこ

の森を通るのは危険と判断したのだろうか。

「未知の異種族の事ですね」

 いつものようにリーダーが確認をとる。

 彼の言う未知の異種族とは、以前ここを通る時に彼らを監視しつつも、森を出るまでずっと見守ってて

くれた存在の事だろう。智恵もあり、何かしらの意思を持つ存在。残念ながら声しか聴く事はなかったが、

彼、或いは彼らには感謝している。

 彼らが何を考えて行動しているのかまでは解らないが、それでも恩を仇で返したくはなく。そう考えれ

ば、彼らの森に意味も無く踏み入れるのはよした方が良いに決まっている。

 地図にもすでに進入禁止と書いてあった。

 クワイエルはそれを言っているのだろう。

 簡単な決断に思えるが、クワイエル達の目的がこの大陸の探索にある以上、未知を未知のまま放ってお

くという事は、なかなかに決断の難しい事なのである。

「はい、危険な生物も居るようですし、私達も今はまだここを通る事は避けましょう」

 その言葉に皆も頷く。

 単にクワイエルの言葉が最もだという事以外に、誰もがフレースヴェルグの二の舞になる事を恐れてい

る、という事もあるのだろう。あれも結局は無理に進んだせいで、まんまと罠にはまったのだと言えるの

だから。

 この大陸では常以上に考えなしに進む事を控えなければならない。

 慎重と冷静さこそが、探索に最も必要なものであり。これは冒険者としての基本でもある。危険な時、

困難な時こそ人は基礎基本へと立ち返らなければならない。冒険者への訓戒としてある有名な言葉を、皆

は今思い返していた。

 フレースヴェルグの時は何とか窮地を脱せたものの、幸運が二度続くとは思えない。それに結果として

フィヨルスヴィズが力を貸してくれたから全てが解決出来たのであって、人間だけでは、クワイエル達だ

けでは、おそらく解決出来なかったろう。

 人間など塵芥のような存在だと、常に覚えておかなければならない。

 危険に飛び込む事は、その心が勇気であれ無謀であれ、どちらも危険である事に変りは無いのだ。

「西へ向いましょう」

 東へはまだまだ森が続いているのが見えたが、西の彼方には地形が変化していくのが見える。

 どこからどこまでが危険地帯か解らない以上、極力森は避けるべきだろう。それに西側にはフィヨルス

ヴィズの泉がある。おそらく彼の近くに住もうなどと思う輩はいないはず。危険な猛獣などが存在する可

能性も低い。

 それは同様に力ある存在であるスヴァンフヴィードの泉の近くが、驚くほど静かであった事を思えば、

容易に察せられた。

 こうしてクワイエル達はまず、森の切れ目を見つけるべく、森に沿って西へと移動を開始し始めた。 


 数日進んだだろうか。ようやく森が切れ、平坦な大地が顔を覗かせた。ここを更に西へ進めば海にでる

のだろう。

 どうやら大陸の中央から東部にかけて、全般的に森が広がっているようだ。

 それに比べ、西部は高低差の多い地形や乾いた大地が目立つ。雨量が少ないのか、そこに住む何者かの

好みがそうであるのか、それは解らないが。ともかく西部は他に比べて目に見えて地形の変化が激しい。

 どちらが本来のレムーヴァなのかは解らないが、どちらかが手を加えられたという事だけは解る。

 しかしまだまだ人間はレムーヴァの全貌を見た訳ではない。推測するのは時期尚早かもしれない。

 ともかくクワイエル達は地道に探索を続け、地図を記し続けながら、南へ南へと進路を変えた。

 このまま行けばフィヨルスヴィズの泉まで大地が続いているに違いない。ハールの塔から白竜の湖まで

かかった時間を考えれば、そう遠くはないはず。そう思えば、一体自分達はどれだけの距離を踏破出来た

のだろう。

 この大陸を全て探索する。それは途方も無く気長な事だと、今更ながら思えた。

 東西の距離を考えれば、それほど大きくは無いと思えるのだけれど。細長い大陸である可能性、また今

まで通ってきた地が大陸の先端に過ぎないという可能性もある。

 だが同時に、もうすぐそこに果てがあるのだという可能性も否定できない。

 便宜上大陸と呼んでいるが。そもそもこの地がどれだけの広さを持っているのかも解らない。

 クワイエルは一歩一歩進む度にそんな事を思ったりもするが、しかし悲観しているようには見えない。

 何故なら彼は、果て無き道を単に途方も無い道のりとではなく、多くの未知が待つ、祝福すべき道だと

考えているからだ。

 魔術師というものがどういう存在なのか、ここからも解るというもの。

 知的探究心、それだけを満たす為に彼らは生きているのかもしれない。

 その多くはルーンの解明に向っているけれど、本当は何でも良いのだろう。ただその欲求を満たす対象

さえあれば。

 その点この大陸は魔術師の欲求を満たすに足る全てを兼ね備えていた。

 まだまだ移住者、来訪者は少ないが。他大陸にもクワイエル、ハール、マン神殿神官長、マーデュス、

達の地道な努力と成果が伝わっていて、レムーヴァへと訪れる者も少しずつだが増えているらしい。

 その内探索隊の規模も増すだろう。

 神殿や特定の国家の介入もあるかもしれない。

 それにより新たな問題も増えるだろうが、確実にこの大陸は狭くなる。

 当初は国家や神殿の介入を皆嫌っていたのだが。この大陸が探索されるに従い、とても今のままでは手

が回らない事を納得するしかなかった。

 窓口を広げ、より多くの人間の協力を願う必要がある。

 かといって急激に増加させてしまえば、人が増えれば、増加するだろう問題に対処しきれなくなる可能

性がある。少しずつ大きくしていくしかないし。他大陸の人間たちに、このレムーヴァがどういう場所な

のかを理解してもらわなければならない。

 考えなければならない事は無数にある。

 しかし広く協力を求めなければならない。そういう時期に来ている事は確かだ。

 クワイエルはその事をハール達首脳部と相談してみよう。今そのように考えていた。

 そしてそういう長期的な案の他に、即戦力と出来るような案も考えていた。

 クワイエルがこの大陸に来て最も大きく感じた事、それは個人の限界であり。その事が今切実に人間達

の間に圧しかかっているのを感じている。 

 変わるべき時は、まず人間の方に訪れているのかもしれない。




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