6-7.

 イアールンヴィズ、クワイエルが監督して造り出された街はそう名付けられた。

 古き言葉で、鉄の森、原初の森を意味し、人と人ならざる者との境界に在ったとされる神秘なる場。

 船、航海という技術を取り入れ、新たなる門出の意味と、更なる未知が待っているだろう教訓を込め、

この港町はそう名付けられた。

 ギルギストのように新しき言葉でなく、わざわざ古き言葉を用いたのは、このレムーヴァという大陸

への畏敬の念と配慮がそうさせたのだろう。共存の意味を込めて。

 新しき来訪者、つまりは人間と、古くから居る者、この大陸に住まう種、との間を結ぶ思いを込め、

古き言葉は使われた。

 それだけ当初よりも人の考え方が変わってきていると云う事であり、それだけこの大陸を知る事が出

来ていると云う事でもある。

 ただ多少長く感じるので、徐々に短く略され、今ではイアール、イアール港などと呼ばれているようだ。

 クワイエル達の航海は多少風雨にさらされたものの、嵐という規模のものとは出会わず、まず順調に

過ぎた。船の強度も大いに航海を助けてくれ、建造技術の進歩も証明してくれている。

 必要という事以上に、人の技術と発想を育てるモノはないのだろう。

 この航海の間に、新たなる協力者達の事を多少は知る事も出来た。

 魔術師、冒険者、冒険商人、そういった夢を追う者達。学者、学生のような研究者達。後は神官が少

々といったところか。レムーヴァに住まう人の縮図といった風で、実際の比率も丁度このくらいだろう

事が面白い。

 人柄も神官長やマーデュスが選んだだけあって、しっかりした者達ばかりのようだ。

 二人とも公私混同するような人物ではなく、それだけに反感を買う事も多いだろうが、本当にありが

たい事だ。下手に無用の人材を入れると、瞬時に組織そのものが崩壊してしまう事例も多い。神官長と

マーデュスが道理の解る人物であった事を、人は誇り、感謝すべきである。

 イアール港ではクワイエルのパーティメンバーが出迎えてくれた。皆懐かしそうな笑みを浮べ、嬉し

そうに手を振っている。クワイエルも嬉しさを隠しきれない様子で、その気持を惜しむような事はなか

った。

 港自体も随分成長し、見違えるくらい大きく、設備も整っている。

 接岸した船はすぐに造船所へ回され、整備、或いは改修されて、次の出航までに余計な時間を取られ

る事は無い。

 流れるようなその作業を見ていても、ここに居る者達の熱意が伝わってきた。活気、それ自体がこの

港の成功を示してくれているようで、クワイエルはとても嬉しかった。

 街の方はどうなっているのだろう。この分だと期待が持てる。

 街と港を繋ぐ道は整えられ、便の良いように平らな石が敷き詰められていた。どれも丁寧に削られ、

間にも細かい石や砂が詰められており、これなら道に穴があいて困るような事も、おうとつだらけで苦

労するような事もなくなるだろう。

 ただ石畳は硬く、脚に疲労がたまりやすくなるだろうから、それにも配慮する必要がある。良い靴を

作らなければならないだろうし、車輪にも工夫が必要だろう。後は馬蹄にも気を配ってやらなければ。

 道を歩くだけでも様々な考えが頭を過る。しかしそれもまた、この地が発展している証拠だった。

 徐々に街が近付いてくる。人通りは変わらず賑やか、活気は衰えない。

 街には以前とは比べものにならない程の家屋が建ち、いつの間に来たのかと思うくらい、人口が数倍

に増大しているかのように見えた。

 警備もしっかりとしているのだろう。喧嘩や騒ぎが見える事はなく、皆それぞれに節度を保って行動

している。誰もが夢と希望で一杯で、人と争う暇なんてないような雰囲気とでも云うべきだろうか。

 つかの間であるとしても、とても良い事である。今はこれでいい。

「素晴らしい・・・」

 クワイエルは感嘆した。

 仲間達が自慢げに微笑む。彼らの力あっての成果だ。

「さあ、歓迎の準備が整っていますよ」

 一頻り感心した後、リーダー格の盗賊に案内され、クワイエル達は中心部にある大きな建物に入った。

そこにはたくさんの料理、飲物が並べられ、彼らは喜びと共に大いに旅の疲れを癒したのである。



 クワイエルには選択の幅が増えている。進むも戻るも彼の思い一つでいい。

 探索隊を一時解散した事で、彼の自由は飛躍的に増したとも云える。皮肉と言うべきか怪我の功名と

いうべきか、縛られるものが減っているのである。

 そしてそれはより大きな責任が彼に圧し掛かっていると云う事でもあった。自らの好きに出来ると云

う事は、その結果生じた全てのモノを、彼一人が背負う事になるからだ。

 しかし責任などは初めから数えるのも面倒なほど背負い続けている。レムーヴァに来て以来、人類滅

亡という危機とすら当たり前のように接してきた。フィヨルスヴィズ、フレースヴェルグ、どちらも人

類が滅んでいてもおかしくなかった。

 鬼人に対してもそうである。まともにやり合えば、人間が単独で勝てるような種は、レムーヴァには

いない。彼らの一種でも機嫌を損ねれば、人間のこの大陸での繁栄は、一夜にして灰と化してしまうだ

ろう。だからこそクワイエルは常に最も大きな責任と共に在った。

 今更一つや二つ責任が増えたとしても、彼は一向に気にしない。初めから覚悟をしているのだから、

何が来ても慌てる必要はないのだ。腹を括っている。

 それは自暴自棄でもやけくそでもなく、やはり覚悟と呼ぶべき心だろう。

 クワイエルは透明な笑顔で空を眺めた。

 曇り空からの光は柔らかで、彼の心を落ち着かせる。

 晴天や雨天よりも、何だかはっきりしないようなもやもやしたこの空が、実は一番気に入っているの

かもしれない。

 晴れにも雨にもなる可能性がある。そしてどちらになっても大した差はない。

 雨が降ろうと、晴れようと、大した差がある訳ではないのだ。どちらにしろ、いずれはどちらかにな

り、そしてまたどちらかへと変わる。天候は常に変化する。一方だけであり続ける事は考えられない。

 そう思えばどっちでも良くなる。どちらでも人のやる事は変わらない。天は天、人は人。人は世界の

中心ではなく、世界は人の中心ではない。繋がりが深いが、絶対ではない。

 曇り空のそういう気楽さが、心を和ませてくれる。

 空をぼんやりと眺める時、クワイエルは少しだけ心が軽くなるのを感じるのである。

 次に大地を見る。すると再び心が引き締まってくるのを感じる。大地は力強く、全てを受け止める。

それ故に気高い意志を感じる。

 空は果てが無いが故に広大で虚しく。大地は果てがあるが故に確固としてつまらない。

 空ばかり見ても駄目で、大地ばかり見ても駄目だ。しかもこれに海が加わるのだから、もう何を見て

いいやら解らない。

 しかし結局生命というものは、空と大地と海と、その狭間にある小さな空間で生きている。それがあ

る場所はそれぞれ違うけれども、その大きさに差がある訳ではない。皆ほんの一握りの場所で生きている。

 それが生命の限界だと、自然が示唆しているのだろう。或いは足る事を知れ、それで充分だと、示唆

しているのかもしれない。

 クワイエルもその一握りの場所に居れば、それはそれで幸せだったのかもしれない。けれど彼は進む

事を選んだ。神殿から馬鹿にされているとしか思えない、悪ふざけにも似た依頼を知った時。しかし彼

は進んで受けた。その時から覚悟し、レムーヴァの果てまで進む事を決している。

 それは新しい場所へ逃げ出したかったのかもしれないし。単に好奇心からだったのかもしれない。

 でも理由なんかどうでもいい。自分のやった事、多分それだけが全て。世界に残る自分の全て。

 クワイエルは選択したのだ。

「私とエルナとで、ハーヴィの隊に暫く加えてもらおうと思います」

 一夜明け、朝から唐突に言い出したクワイエルの言葉、しかし彼を良く知る者達は驚かなかった。

 この街で決別した時、その時からクワイエルの真の意図を解っていたのだから。

 彼らもぼんやりとクワイエルの命に従った訳ではない。全ては納得して受けた事。彼らも選択したの

である。

 だからむしろ、自分達がクワイエルの期待に応えられた事が嬉しかった。

 クワイエルがわざわざイアールに仲間達を残したのは、ここを彼らだけで運営出来るかどうか、それ

をテストする為であったのである。

 だから今になって異議なんか言おうとも思わなかった。レムーヴァのこれ以上の探索は、いや多分初

めから、魔術師か神官でなければ力不足だったのだ。

 クワイエルの力も増大し、人間としては或いは桁違いの実力者となっている。この大陸から見れば変

わらぬ卑小な存在でしかないが。人間からみれば、最早魔力無き者は足手まといにしかならない。

 力無き者は彼を縛ってしまうだろう。

「解りました。この地は我々にお任せ下さい」

 仲間達は笑顔で見送る。心を整理する時間は充分にもらった。後は笑って送り出す心のみ。

 クワイエルとエルナは再び北へ向う。レムーヴァの果てを目指して。 




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