7-3.

 仲間達とも随分離れてしまったような気がする。地中に居ると地上での距離感が狂い、正確な距離が解

らなくなってしまう。ここは地上とはまったく別の空間だった。

 音が異様に響くのにも慣れず、なにやら掴み所がない。上下の区別もいつの間にか消えてしまっている

ように感じる。それでも透視を利用し、何とか場所を特定しながら、少しずつ進んでいる。

 見上げれば地上が見えるから助かっているが、これがもっと深くとなると一体どうなる事か。

 地中で頼りになるのは音だけだった。

 しかしその音自体がまた、クワイエルを困惑させる。四方八方から聴こえてくるように感じる音達が、

クワイエルの様々な器官を狂わせるのである。暗闇のせいで感覚が妙に鋭敏になり、その鋭敏さが今は少

し恨めしい。

 この場に長く生息すると云う事は、予想以上に難しく、怖ろしい事かもしれない。

 生きる場所というのは、クワイエルが思っていた以上に、慣れを必要とするものらしい。

 地中に住む者の視覚が衰えるのは、それがさほど必要ではないという以上に、それがあると無用の恐怖

を生み出すからだろうか。音だけで全てを知る術を学ぶ必要がありそうだ。

 しかし今のクワイエルにはそんな技術は無く、透視に頼らざるをえない。ともかく必死で見渡している。

 今の所不自然な魔力も不自然な物も感じていないが、ここは自然なままで充分奇異に値する場所だった。

 それでも辛抱強く探索し続けた。一体どれくらい潜っているのだろう。もう仲間からの物音も判別出来

なくなっている。かなりの距離を離れたのか、それとも仲間達が静かにしているだけなのか。

 相変わらず状況は同じで、こうも目立った変化がないと。まるで何も無い広大な空間の中を、目的も無

しに浮遊しているかのような錯覚を受ける。

 ただ気になる事が無いわけではない。

 少しだけ違和感を感じている事がある。

 もっと深くから、僅かながら振動のようなものが送られて来ている。それは極小の振動で、だからこそ

今まで気付かず見過ごしてきたのだろう。この地中に慣れた今だからこそ感じ取れる、小さな小さな、し

かし確かな振動だった。

 それだけに集中すると、確かに身に当るのを感じる。

 大海をゆったりとうねるように、それは僅かで、しかし優雅で雄大な、天翔ける竜のような振動。

 そしてその振動に混じるように、ゆったりとした魔力波も感じた。極小にして、何者にも干渉されない、

強固な波。それはただ一つの決定的な何かなのだろう。大地そのものすら上回りかねない、何者にも犯し

がたい確かな力。

 小さいが確かな力。それは今までにクワイエルが感じてきたのとは、毛色の違った力だった。

 波長が違うとでも言えば良いのか、その魔力はそれ自体の何かが違う。だからこそ他の魔力にも干渉さ

れず、全てに遍く行き渡るかのような、強固な現象を起こせるのだろう。

 これは興味深いモノだった。

 クワイエルはそこに何者かの意図を明確に感じ取り、はっきりと確かめるべく、進路を更に下層へと向

け、ゆっくりと潜って行った。

 怖くもあったが、この振動に沿う事で道案内役になってくれるはず。結局は好奇心か使命感の方が恐怖

心に勝ったようだ。



 大地は天空と同様、何処までも果てがないかのように続き。例の魔力は深くなればなるほど、より力強

く感じられるような気がする。

 多分力の強弱は変わらないのだろうが、そのうねりの強さというのか、激しさというのか、そういうモ

ノが違うのだろう。力の密度が違うとでもいえば良いだろうか。

 クワイエルの身体もためらいなく通り抜け、それはまるで天に届かんとでもするように、上へ上へと浸

透していく。

 しかし地上ではその魔力を感じなかった事を思うと、この魔力波は大地を媒介としているのだろう。

 魔力はそれ自体がルーンと呼ばれる神の力に由来し、それ自身が力であるからには、媒体などはまった

く必要としない。そう考えると、これ自体がなにがしかの力ではなく、現象として生み出された魔術らし

い事が予測される。

 例えれば、魔力波に似せた魔術。何が目的で、これにどういった意味があるのかは解らないが、どちら

にしてもその興味深さに変わりはない。

 これを上手く利用出来れば、画期的な通信手段となるかもしれない。何しろこのレムーヴァも、他の大

陸間でさえも、全てはこの大地で繋がっている。そこを他の魔力に干渉されずに繋げられるのならば、こ

の大地が在る限り、人は何処に居ても誰とでも、確実に通信する手段を得られる可能性がある。

 だがそこまでの高度な魔術を、人間が操れるかどうかはまた別問題で、手放しに喜んでいいものかどうか。

 この大地を浸る魔術は相当純度の高い、高度という言葉も生易しいくらいに、高等な魔術である。フィ

ヨルスヴィズのような強大さは感じないけれども、おそるべき精密さと巧みさを感じるのだ。もしかした

らルーン神に匹敵する使い手かもしれない。

 この構成は生命構築に似た美しさを感じる。ある意味完全な魔術である。

 単に魔力が大きいよりも、より畏怖すべきだろう相手だ。

 クワイエルは慣れぬ環境でともすれば弛みがちな心を、今一度確固として引き締めた。



 深みへと進むにつれ、圧迫するような感覚を感じ始めた。

 物質の隙間に潜り込む魔術を使っている為に感じとれなかったのかもしれないが、おそらく何かしらの

結界が張ってあったのだろう。そうでなければ急激に状況が変化した事に説明がつかない。

 或いは地底から発している波を利用し、巧妙に隠されていたのだろうか。そしてその為にこそ、この不

可思議な大地を浸透する魔術が生み出されたのか。

 クワイエルは恐怖を感じていた。ただ同時に喜びも感じている。強大な存在に会う事に慣れる事など出

来ようがなく、今も身が弾けそうなくらいの魔力に圧倒されているが、それでも大きな喜びを感じる。

 よくよく彼は魔術師なのだろう。根っからの芯からの魔術師なのだ。

 クワイエルは恐怖し、圧倒されながらも、その存在の方へと進路を向ける。自動で進んでいる事が、大

いに助かった。どれだけ恐怖しても、どれだけ圧倒されても、勝手にそちらへと向かっていくのだから、

そう言う意味では便利ともいえる。

 勿論、それを可能にしているのは、類稀なる彼自身の精神力、いや好奇心の賜物だろう。

 身に感じる魔力は増し続け、今はもうはっきりとその存在を感じていた。

 クワイエルはそちらへと視線を向ける。そろそろ見えてくるはずだ。さてどんな姿をしているのか、大

きいのか、それとも小さいのだろうか。未知への探究心が彼を奮わせる。

 まず長細い体が見えた。色は白系統だろうか、陽光を浴びてない為に、真っ白になっている。

 次に解ったのはその大きさ、いや長さと言う方が正しい。どこまで見ても果てがなく、まるでこの大地

全てを覆うかのように、視界いっぱいにそれは続いていた。

 そして丁度クワイエルと真正面に向き合うように、頭らしき部分がこちらを向いている。

 目や耳やそういった器官は見た目には解らなかった。のっぺらぼうのようにその顔には何もついておら

ず、つるりとして綺麗なものに見える。

 ミミズのようにも思えたが、ではミミズかといえばそうとも言えない。ようするに白くて細長い存在、

それが強烈な魔力波を放ち、この空間全てを支配している。

 息苦しさが増すが、しかしクワイエルもこれまでに様々な存在と出会い、これ以上の魔力波とも幾度と

なく遭遇している。苦しくても、耐えられない程ではない。

 彼は、そして仲間達は強くなっていたのである。人間なら居るだけで消し飛ばされそうな魔力波でも、

今の彼らならば耐えられるだろう。彼らは人の限界を一歩超えていたのかもしれない。

 躊躇なく近付く侵入者に、この場の主も驚いたろうが、同時に興味も持っているようだ。動かずに待っ

ていてくれるのは、おそらくその為だろう。敵意は初めから無かった。この存在からは美しく構成された

ルーン、それしか感じなかったのだ。

 ルーンは生命力であると同時に、その存在そのものでもある。その者の意志を具現化したものであるか

らには、当然その者の意志が強く宿り、またそのルーンを見ればその存在そのものさえも、理解出来る。

 そういう意味でルーンだけでも生物は解り合えるはずなのだが、人はまだそこまで到達していない。或

いはそれだけの力が元々備わっていないのかもしれない。

 だからこそルーンを真似て言葉を創ったのだろう。ルーンそのものを使いこなせないが為に。

 けれどこの主程の力があれば、ある程度はルーンだけで解るはず。そして解るからこそ、こうして待っ

ていてくれるのだろう。相手の力に甘える事になってしまうが、それがあるからこそ、こうして未知なる

存在と接触出来るとも言えた。

 全ての存在はルーンから生み出された。それはつまり、全ての存在はルーンで繋がっていると云う事で

ある。だからこそ解り合える可能性があるし、こうして接触する事も出来る。

 クワイエルはルーンに心から感謝した。

 しかし可能性は可能性、友好的になるか敵対するか、全てはクワイエルの態度次第。

 相手と自分に今敵意が無いからといって、危機を脱した訳ではない。そして初めて会う人間であるから

には、クワイエルは自然人間代表と云う事になる。責任感と好奇心、緊張感が身の内でせめぎ合った。

「私の名はクワイエル」

 彼はまず自らを知らせる事から始めた。

 危機感の中でもマイペース、それが魔術師の真髄である。




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