7-4.

 白い存在はこちらの言葉へ呼応するかのように、全身を細かく蠢動させている。

 しかしその気持ちがクワイエルには理解出来ない。まったく未知であり、何かが確かに届いているのは

感じるのだけれど、何が言いたいのかが解らない。

 或いは単に相手も戸惑っているだけなのだろうか。例えルーンで理解できる力があったとしても、未知

なる存在に対してはどうしても戸惑ってしまう可能性はある。

 何を思い、考えているのかを理解出来たとしても、人間の考え方そのものが理解出来ないという可能性

も、当然考えられた。

 クワイエルはどうしたものかと考えているが、その間も体の方は勝手に白い存在へと近付いている。

 それに気付き、慌ててゆったりと円を描くような動きに変え、敵対心の無い事を示す為、両手を上げて

くるくると移動してみたが。それよりも、まずこの移動そのものを止める方が賢明かもしれない。

 クワイエルはようやくその事に思い至り、相手を驚かせないよう、小さな声で詠唱した。

「ラド、イーサ   ・・・・・   前進を、静止せよ」

 クワイエルの身体が淡く輝き、動力が抜け落ちてしまったかのように、反動も無くすっと止まる。

 白い存在はこの一連の動きさえ、初めから予測していたかのように、微動だにしていない。心の動きが

ある程度読めているのだろうか。

 それでも未だ意思疎通が出来ないというのは、伝心手段が苦手なのかもしれない。フィヨルスヴィズの

ように、誰も彼もがある程度社交的とは限らない。もし内向的な性格を持ち合わせているのであれば、言

いたいけれども伝えられない、という場合もあっておかしくはない。

 未知の存在であるからには、未知の伝心手段を使っていると考える方が自然とも思え。そもそも相手が

何とかしてくれるだろうという心が、弱さへの甘えともいえる。人はもっと謙虚になり、努力するべきだ。

 人間は確かにこの大陸では最弱の力しか持たない。それ故か大抵の種族は人間に対して、言ってみれば

世話をやいてくれるように思う。しかしだからといって、いつもいつもお世話を期待するようでは、その

思いやりに対しての裏切りだとは言えないだろうか。

 レムーヴァで生きるには、あらゆる存在の協力が必要である。しかしだからこそ、まずはこちらから誠

意を見せなければならないはずだ。クワイエルは知らず知らず傲慢になっていた自分を恥じた。

 理解してもらいたければ、まず自分の方から理解するよう努める。それが当たり前の事だろう。

「マンナズ、ギフ、エオル、ダエグ   ・・・・・   我らの、関係に、祝福されし、認識を」

 クワイエルの想いがこもった魔術が、空間を少しだけ和らげる。そして彼の心と身体を安からな想いが

包み、確かに繋がりが深まった事を感じた。

 理解出来ないのではなく、こうして理解しようとする姿勢が大事だと思える。

 白い存在が身動ぎする度、その振動から確かにその意志が伝わってくる。今までそれを感じ取れなかっ

た自分の方が、今では不可思議に思えた。彼らはこれだけ伝えていてくれたのに、何故自分はそれを感じ

取れなかったのだろう。

 それは他者に期待し、自分の心を閉じていたせいではないだろうか。

 心地よい振動がクワイエルの心を揺らす。

 伝心の媒体となるのは振動であるようだ。彼らは振動に乗せて全てを伝えるらしい。

 そう、彼らだ。白い存在は個体ではなかった。無数の数え切れぬ小さな生物が集い、形を成している存

在。一つに見えたのはそれだけ深く繋がり合っているからだった。そしてだからこそ、あれだけ膨大な魔

力を、精密に行使する事が出来たのだろう。

 神に匹敵する力を持っていたのではなく。神に匹敵する力を、全てが協力し合う事で、生み出していた

のである。

 フィヨルスヴィズですら凌ぐはずだ。無数の存在が少しずつ分担する事で、途方も無い力を現出する。

どれほど力在る存在でも、個の力ではとても及ばない。集合の力の前には揺らいでしまうだろう。

 しかもその集っている存在一人一人が、鬼人と同等かそれ以上の力を持っているとなれば、それはもう

途方も無い。

 クワイエルはそれだけの力が合わさり、それだけの心が合わさって尚、行使された魔術に一点の翳りも

不安定さも見えない事に、改めて驚きと、大いなる敬意を感じた。

 もし人が同じように力を合わせる事が出来るなら、いやすべての種がこのように力を合わせられたのな

ら、もうそれだけで無限の力と英知を得られ、初めてルーンを真に理解し、究極であるブランクルーンを

得る事すら出来るのではないか。

 或いはそうする事でしか、神ならぬ存在にルーンを理解する事は出来ないのかもしれない。

 だがクワイエルですら、そうする事は不可能だと思えた。少なくとも人間は、白い存在達のように純粋

に力を合わせる事は出来ないと思える。例え合わせたとしても、必ず歪みが生れる。そして歪みが生れれ

ば、きっと取り返しの付かない失敗を犯す事になるだろう。

 クワイエルは涙が出てくるのを抑えられなかった。

 人間という存在を情けなく思ったのではない。これほどに見事に芸術的、神秘的なまでに合わさってい

る姿に、素直に感動していたのである。

 彼らは極小の存在にして、最も神に近き生命なのだ。  



 彼らはラーズスヴィズ、古き言葉で、賢明な決定をする者、を意味する、ラーズスヴィズと名乗った。

勿論、人間の言葉に翻訳してくれたのに違いない。

 彼ら一人一人の名でもあり、一つになった種全体を現す名でもある。彼らは一人でありながら、全てで

一つの存在であった。それぞれに意志があり、思考があるものの、全体として常に一つとして行動する。

 方針を決めるのは単純な多数決。決まった方針には一切異議を唱えず、全てが一つとして協力し合うの

が彼らのやり方である。

 個人個人の思惑などは、彼らにとってどうでも良い事なのだろう。どのみち彼らは一つであり、やる事

も一つ、皆初めから一つとして考えているのだから、自然とそう云う事になる。

 失敗したり、間違えたり、そういう事も良くあるそうだが、それもまた気にしていないようだ。ただ多

数が望むままに行動する。

 人間のやり方と大きく見ればさほど違いはないが、純度というのか、決意の大きさがまったく違う。こ

こまでやってしまった方が、かえってすっきりするのかもしれない。

 完全に一つであれば、互いの利害も関係無いのだろう。ただ全体としての繁栄を考え、それが自らの繁

栄でもある。そして純度が高く、二心無く素直に協力し合うからこそ、彼らは無限大の力を発揮している。

極端とも思えるが、これも一つの究極の形。正に全てを合わせ超越したブランクルーンと同じ発想ではな

かろうか。

 幸い、彼らも人に大して敵愾心を抱いていないようである。或いは興味が無いのかもしれない。

 地上、地下という基本的な生活の場所からしてまったく違うし、ある程度の妥協は必要だけれども、共

存する事は他の種よりも楽だと思える。

 ラーズスヴィズも人間が気付かないならそのままにしておき、よほど自分たちに不利益な事が起こらな

い限りは、こうしてひっそりと地下に居るつもりだったらしい。

 強大なるが故に、他者と深く関わりたがらない。何でも出来るからこそ何もしない。そういう傾向はフ

ィヨルスヴィズと同様に、彼らも持ち合わせていた。

 鬼人の事も考えれば、この大陸の民達は、お互いにお互いの居場所を作り、それぞれに独立して生活を

営み、共通して他種にほとんど関わらない傾向があるように思う。

 フレースヴェルグのような例外はあるけれども、大体の種は余計な干渉を控えている。

 だからこそこうして様々な種が、しかも強大な力を持つ者達が、当たり前のように一つの大陸だけで住

み分けられたのだろう。無関心無干渉こそが争いや混乱を起こさない、最上の手段であるとも云えそうだ。

 ようするに人は好奇心によって、自ら災厄を招いていると考えられる。

 だがその好奇心があるからこそ、こうして種と種を繋ぐ事も出来るから、一概にどちらが良いとも言え

ない。それは各々が選択するしかなさそうだ。勿論、どう言い繕っても、人間の好奇心は強過ぎるのだけ

れども。

 幸い、ラーズスヴィズは人間との接触を楽しんでくれている風だった。もしかしたら好奇心が無い訳で

はなく、単に今までそれを敢えて刺激しようとはしなかったのかもしれない。

 これもまた鬼人達と同じ、と云う事は何か原因があるのかもしれず。レムーヴァの謎を解く鍵になる可

能性もあり、クワイエルはその疑問を心に残しておく事にしたのだった。



 ラーズスヴィズとの話し合いの末、地上の通行は認めるが、無遠慮に地下に来る事は止める事と、決め

られた範囲内に移住するのを止める事が定められた。

 自分の領域をお互いに尊重し合う、それこそがこの大陸に生きる為に最も大切な事だと理解していたク

ワイエルは、その言葉に一個の反論もなく、即座に承諾した。

 ラーズスヴィズを怒らせるのは得策ではなかったし、そもそもここは彼らの地なのだから、人間がとや

かく言う権利は初めから無い。

 通行権を得られただけでも幸いだろう。クワイエルは深く礼を述べ、長居しようとせず、そのまま地上

へと帰って行った。会合が成功に終わり、彼は心からほっとしている。

 ラーズスヴィズはいつまでもそこに居て、まるで睡眠をとっているようにも見えた。闖入者のおかげで、

少々疲れてしまったのかもしれない。

 しかしふと考えてみると、常に多数決で意志を示すと云う事は、今も少数ながら人間反対派が同居して

いる事になる。と云う事は、常に賛成しながら常に反対し、常に反対しながら賛成している、という事に

なるのだろう。

 つまりは絶対的な賛成も、絶対的な反対も無いと云う事で、その力関係が永劫に変わらなければ良いの

だが。もし、もしそれが変わったとしても、彼らは何の躊躇(ちゅうちょ)もせず変心するのではないだ

ろうか。

 クワイエルはそこまで彼らが無責任ではないだろうと思いながらも、その恐怖を拭い去る事が出来なか

った。言い表しにくいが、何か決定的な危うさを秘めている種なのかもしれない。

 だが考えてみれば、フィヨルスヴィズにせよ、鬼人にせよ、今のままの関係が続けられる保証はどこに

も無く。これからの人間次第で、いくらでも関係が変わる可能性はあった。

 人は現状に甘えていてはいけない。関係は全て、結んでからが重要なのだと、改めて思わされた。




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