7-5.

 地上へ出るとすでに日は完全に落ち、辺りは夜闇に包まれていた。

 それでも月明かりと星明りのような僅かな光でさえ、今のクワイエルの目には少し痛く、暫く満足に目

を開けることも出来なかった。地上はなんて明るいのだろう。地上には常に光が満ち満ちている。本当の

闇などは、この世界に存在していない。

 気流に流されるかのように、目の痛みは徐々に消えていったが。そうするといつの間にかしていた耳鳴

りが、痛みに代わるように目立ってくる。それほど酷くは無いが、軽いから良いと云うものでもない。

 ルーンに守られていてこれなのだから、地下の生物はよほど丈夫に作られているのだろう。或いは地上、

地下と移動さえしなければ、まったく問題ない事なのだろうか。

 何にせよ、その耳鳴りも次第に薄れ、消えていった。人も弱くはない。

 気持ちが落ち着くのを待ち、ルーンを解いて魔術の構成を消す。やはり自然のままが一番良かった。

 周囲を見渡しても、エルナ達の居る気配を感じない。距離感が失していた為に気付けなかったが、随分

仲間達から離れてしまっていたらしい。

 身体を慣らす為、暫くその場に座り、深呼吸する。

 耳鳴りが消えると、今度は地上のあまりの静けさにぞっとした。空気中と地中での音の伝わり難さの違

いでしかないとしても、何とここは静かな場所なのだろう。

「さて、戻りましょうか」

 なんとはなしに独り言を洩らし、クワイエルは詠唱し始める。

 寂しかったのか、掛け声のようなものだったのか、それは彼自身にも解らない。

「マン、ギフ、ラグ   ・・・・・ 我を、仲間達へと、導け」

 心の中に仲間達の顔を思い浮かべ、彼らへと繋がる道を思い浮かべる。

 瞬間的にルーンは変貌を遂げ、一筋の不自然な光が夜闇を貫いた。

 その先に彼らは居るはずだ。しかしなんと簡単に魔術を使えるようになったのだろう。三文字のルーン、

それだけでも以前なら確かな疲労感を覚えていたというのに、今ではまったくそれを感じない。

 まるで想像力が広がったかのような、思考出来る容量が増えたかのような。

 失敗しているのではないかという不安も無い。それは単なる自信ではなく、確信、事実であった。確か

にクワイエルは成長している。例え、それがこの大陸に住む全ての種に、変わらず遠く及ばないとしても。

 人の成長などつまらないものなのか。それともこの差にこそ、何かしらの意味合いが含まれているのだ

ろうか。

 クワイエルは頭を一つ振ると、ゆっくりと光の先へと歩き出した。

 この魔術のおかげで仲間達にも自分が無事である事が伝わっているはず。急ぐ必要はない。ラーズスヴ

ィズを驚かさないよう、静かに進もう。

 地下へは人が思っている以上に、良く伝わるのだから。


 クワイエルは無事仲間と合流を果し、ラーズスヴィズとの会合の結果を伝え、話し合った後、一先ずイ

アールまで戻る事を決めた。そこに居る魔術師、神官の力を借りれば遠話を楽に行なえるし、良い報告は

一刻でも早く伝えたかったからだ。

 新たな種との出会いは誰にとっても嬉しい。ハーヴィの隊が出来て以来、その発見調査速度が多いに増

したとはいえ、それで喜びが損じる事はない。嬉しい事はいつでも喜ばしく、重なれば重なるほどその喜

びは大きくなる。

 それは当たり前の事だった。

 ラーズスヴィズ程ではなくとも、人は確かに心を共有しあえる。そしてそれこそが、相互理解へと繋が

り、全ての希望へも繋がると思える。

 クワイエルは人間を愛していた。興味以上の感情を抱いている。

 魔術師も好奇心だけしか持っていない訳ではない。

 人は人を愛するが故に、共に暮らし生きてゆける。

 方針が決まればぐずぐずしている理由は無かった。一夜休んだ後、クワイエル達は元気良くイアールへ

と向かったのである。


 ハールや神官長は地下にも種が居たという事にいたく興味を覚えたようで、遠話でなければそのまま昼

夜問わず話し続けていたかもしれない程、大いに話し合った。おかげで魔術師や神官は皆へとへとになり、

少しの間立つ事さえ出来なかったくらいだ。

 しかし彼らの疲労はそれだけは済まない。

 ハール達との話し合いの末、ラーズスヴィズの地を通行禁止にする事は不可能だが、それを制限し、そ

の地で争いを起こす事を厳重に禁じる事が定められ。クワイエルが中心となって、動員できるだけの魔術

師と神官を伴い、その地全体に静寂の魔術をかける事になったのである。

 詳しく説明すれば、大地から地下へ振動が伝わる事を著しく制限し、緩和させる魔術。これによって多

少走り回っても、地下へ音や振動が響く事はほとんど無くなるはずだ。

 敢えて完全に振動を打ち消す魔術を使わなかったのは、ラーズスヴィズ達は音と振動とともに生きてい

るのだから、それが突然消える、或いは極端に減少するような事になれば、逆に居心地の悪い思いをさせ

てしまうかもしれないと、考慮したからである。

 歩く足音程度なら、かえって聴こえた方が安心すると云うものだろう。

 勿論、ラーズスヴィズの力をもってすれば、そのような事を解決する事は簡単である。しかし出来るだ

け彼らに余計な迷惑をかける事は避けたい。完全に迷惑を防ぐのは不可能であるとしても、人はラーズス

ヴィズの温情に報いるべく、常に最善を、そして完全を目指さなければならない。

 それが責任であり、義務であるとクワイエル達は判断した。

 ただその分魔術の構成が難しく、数十人もの魔力を合わせてさえ、大変な労力を伴う魔術となってしま

う。魔術師、神官達には大変な労力をかけてしまう事になったが、それでもそうする事を嫌がる者達はい

なかった。

 むしろ嬉々としてそれに向い、なるほどこんな辺境の大陸まで来るはずだと、クワイエル達も改めて納

得したものである。

 良い感情があれば、その分魔力が増大する。そしてクワイエルとエルナが中心となって、より多くの負

担を受け持ち、何とか魔術を成功させる事が出来た。

 しかしやはり相当な負担がかかったらしく、相当な数の魔術師、神官が寝込んでしまったらしい。

 イアールに居る人間は新規に大陸を訪れた者が多く、この大陸から受ける恩恵を、あまり受けていなか

った事も、その一因に考えられる。

 不思議な事に、レムーヴァに居るだけでも魔力が増大していく。レムーヴァに満ちる魔力が、他大陸と

は比べものにならないからだ。

 クワイエルはこうして比較対象を見つけた事により、皮肉にも人間だけを考えれば、途方も無く自身の

魔力が増大している事を知らされ。或いはこの差異がこの大陸に居る者と、それ以外の地に住む者との間

に、何かしらの波紋を投げかける事になるかもしれないと、不安を覚えた。

 基準がこの大陸に則していた為に、今まで何とも思っていなかったのだが。確かに人間のみで考えると、

今の自分達は化物染みていると考えられない事もない。

 現にここへ来て間もない者は、皆が当たり前に高い魔力を有している事に、驚きと若干の恐怖を覚える

そうだ。何しろ一般の人間でさえ、魔術師や神官に匹敵する魔力を宿していたのだから、それは当然の感

情なのだろう。

 折角他国や様々な機関との交渉が、それなりにでも上手くいくようになっているのに、これではまた諍

(いさか)いの種が増える事となる恐れがある。

 そして一番問題なのが、この地で魔力が増幅された事で、この地に住む者が傲慢になりはしないかと云

う事だ。

 この大陸に居る限り、この大陸にだけ目を向けている間は良いけれど。もし人が己の力の増大に気付き、

他大陸の人間達と比べ始めたとすれば・・・・。

 それともこれはこの大陸に居続けるからこそ起こる現象で、この地を離れさえしてしまえば、いずれ元

の魔力に戻ってしまうのだろうか。・・・・これは一度調べてみなければならない。

 ともかく、静寂の魔術と名付けられた魔術は成功した(それに伴い、このラーズスヴィズの住処を静寂

の大地と呼ぶ事になる)。今はそれを喜ぶべきだろう。

 考えなければならない事は増える一方だとしても、クワイエルに出来る事といえば、一つ一つ出来る事

をやっておく以外には無く。今ここでしかめ面していても始まらない。

 考える事だ。成功を喜びながら、同時に大いに考える事が必要だ。

 人とレムーヴァ、その間を取り持つ為には、未だどこかに決定的な何かが欠けているのだろう。

 しかしそれで諦めてしまうのには早過ぎる。まだまだ人には希望が残されているはずだ。少なくとも、

そう思って努力し続けるしかない。

 クワイエルが諦める訳にはいかないのである。




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