8-5.

 数月かけて奮闘し、苦情処理、後処理などを一通り終わらせる事が出来、クワイエルはエルナと共に休

暇を取る事にした。

 あまりクワイエル達が働いていると、今度は新参者達が休めなくなると言われてしまうと、もう断る事

は出来ない。

 クワイエルは休む事を知らない。放っておくと、倒れるまで働きかねないので、自然と周囲の人間が気

をかけるようになっている。

 そのせいで、働く期間が長ければ長い程、彼らの視線に自覚の有る無しを問わず、無言の重みが増して

いく。クワイエルとしても、それにはちょっと耐えられない。素直に休むしかなかった。

 しかしクワイエルはどこまでもクワイエル。折角だからと彼がエルナに提案したのは、何と魔術修行。

これでは休暇ではなくて、合宿になってしまうではないか。

 それでも、休暇をどう使おうと本人の勝手。悔しいが、誰にも止めるべき理由はなかった。

 むしろ正当とも云える。何故ならば、クワイエルは今まで、満足に修行をつけてなかったからである。

 師弟関係を結んでからも、満足に修行を積ませる事が出来ず、探索自体が修行ともいえなくはなかった

が、あまりにもクワイエルは教えなさすぎた。

 エルナの方も師弟とはこんなもので、師に一つ一つ教えを乞うのではなく、師から盗み、自身で努力す

るものだと理解してしまい。文句や不満一つ言わなかったようだが、本来はそういうものではない。

 実際に、そういう修行方法も有用で、弟子としての心構えには涙が出る思いなのだけれども。それだけ

なら師弟関係というものが、これほど深い結び付きになる事は無かっただろう。

 人それぞれ、師もそれぞれ、特に魔術師は偏屈者が多いとしても、師弟関係を結べば話は別。師弟は親

兄弟にも等しい関係。師は自身の全てを秘奥までもを受け渡すと決めたからこそ、初めて弟子として受け

入れるものであり、全てを教える責任がある。

 弟子には厳しくなるが、その分親身になって教えた。ありとあらゆる事を教え、まるで自分を弟子の中

に容れてしまうかのように、余す事無く教えてきたのだ。

 それが本来の師弟関係で、ただの教師と生徒ではない。

 それなのにクワイエルは、ほとんど教えていない。エルナはまだ、彼の半分も与えられていないだろう。

 勿論教える時間と余裕が充分では無かったけれども、それにしても教えなさすぎた。その点に付いては、

クワイエルの師といえるハールからも、よくよく言い聞かせていた事である。

 ハールとしても、あまりにもエルナが不憫で、素直で優しい彼女を娘のように思っている彼としては、

同じく息子のように思っているクワイエルだからこそ、余計に一言物申したい気分になるのだろう。

 クワイエルも重々それを承知し、だからこそ今この時にこそ、と思ったのだろう。

 だから今更止める事は出来ない。

 しかし、それを考えても、まだ他にやりようがあったのではないだろうか。流石はクワイエル、偏屈魔

術師すら唸らせる、真性の魔術師である彼には、そういう機微はまったく通用しないらしい。

 それに対し、エルナも反論するどころか、素直に喜んでしまうものだから、余計に不憫である。

 らしいと言えば、確かにそうなのだけれど、納得と感情とはまた別の話。

 ハールと神官長が今ここに居たなら、きっとはらはらと涙を零した事だろう。

 二人は修行場としてハールの塔を丸々借り受け、邪魔にならないよう、そして邪魔されないよう、万全

の体勢で臨んだ。

 場違いなくらい、他の建築物とその建設規模が違うこの塔へ一度入ってしまえば、もはや誰も内部を窺

い知る事は出来なくなる。

 分厚い扉に分厚い錠が落ちれば、もうそこは地上に閉ざされた異界の地、何が起こってもおかしくない。

 食料品や飲料もみっしりと買い集め、二人は一週間の間、決してここを出ない事を誓った。

 別にそんな事をわざわざ誓う必要はないし、頼まれてもクワイエルに敢えて関わろうとする者もいない

のに、彼らは意地になって誓った。誓って忘れ物を思い出し、誓っては忘れ物を思い出しで、結局は五回

も宣誓しなおしたものの、それでも意地になって二人はそれを誓ったのである。

 馬鹿である。愚かである。しかしそれこそが魔術師。実にエルナも魔術師らしくなったもの、真に嘆か

わしい。

 それもこれもクワイエルの弟子になってしまったからである。

 止めておけば良いのに、人は人生に一度や二度はやってしまうのである。それが若さとも、魔が差した

とも言うけれど。人は決してそんなものに負けてはいけない。

 人よ、心を強くあれ。止めておけば良い事は、やはり止めておくべきだ。

 しかしもうやってしまった後であれば、仕方ない。受け入れて、精一杯努力するしかない。



 ハールの塔内は静けさに支配され、ハールの魔術によって新鮮な空気が循環しているけれども、それだ

けに寂しさが漂っている。

 ハールがここに居る時間は、時を追う毎に減っていく。彼は鬼人の集落に居る事が多く、後はギルギス

トに居るか、神殿で神官長と話しているか、商館でマーデュスと話しているか、とにかく多忙極まり、こ

の塔は主人の帰りを常に待っている状態だった。

 クワイエル、エルナが入ると、塔が喜びに身動ぎしたような錯覚を覚えたが、それもすぐに鎮まった。

 おそらく期待外れの人物が来たからだろう。塔にとっての主人は、この世でハールただ一人、例えその

弟子が来ても、(もしあるとしても)塔の心が休まる事は無い。

 しかし塔が客人を冷遇する事は無い。何故ならば、今はもう、この塔は誰に対しても閉じていないから

である。ハールは塔門を開放し、静けさか広い空間が必要な者に、資格を問わず貸している。

 あまり利用者はいないが、それでもこの塔は便利と言えば便利である。

 規模が大きく、段々邪魔になってきているけれど。防音衝撃吸収に優れたこの空間は、様々な利用価値

がある。特に学者や魔術師にとって、この空間は何よりもありがたい。

 だから今のように一週間空くというのは、珍しい事だった。

 クワイエルがこの塔を丸々借り受けたのは、わざわざハールが彼らの休暇に合わせて、この塔を用意し

てくれていたからである。

 その為に断ったり、利用時期を遅らせてもらった者が居る。そうまでして用意してくれているのである

から、クワイエルとしてはその好意を邪険に扱いたくはなかった。

 ハールの好意がありがたく、そしてそれを無駄にするには、あまりにも非道に思えたのだ。

 おかしな事に、義理堅さも併せ持つクワイエルには、初めから断るという選択肢が無く。或いはそれも

見越して、ハールは準備していたのかもしれない。

 せめて二人(主にエルナの為)を静かな空間で過ごさせてやりたいと。

 実に涙ぐましい親心ではないか。勿論、当の二人には、そんな考えなど、想像する事も出来なかったが。

 塔に入ってすぐ、二人は用意していた道具や食料などの整理にとりかかった。これをきちんとしておか

ないと、後々面倒が増えてしまう。引越し後の片付けは、何よりも先にしておくものだ。

 面倒は面倒のまま、いつまでも消えないのだから、早くやっておく方が自分にとっても一番いい。これ

はしっかり者のエルナの考えである。

 塔内には食料貯蔵庫や保存設備があるから、例え一月や二月篭った所で、腐ったり虫がわいたりする事

は無い。おそらくハール自身がそういう事で色々と苦労し、工夫したのだろう。

 魔術道具やその他の小物大物はクワイエルが担当し、食料と衣服はエルナが担当する事になった。

 ようするにクワイエルが運搬、エルナが家事を担当する。

 勿論、これも言い出したのはエルナの方で、クワイエルはまったく頓着してなかった。エルナもそれな

らそれで良かったのだが、何となく気恥ずかしくもあって、役立つ所も見せねばという想いもあり、敢え

て言っておいたのだろう。

 あくまでも師弟関係だと考えながらも、やはり女として色々と考えるのが自然。彼女もこんな師を持っ

た為に、気苦労が多くなってしまった。

 クワイエルも意識して当然だと思えるのだが。常人の感性を、この男に期待する方が無駄である。むし

ろ意識以前の問題で、そこまで考えが至らないという可能性もある。彼はただ、師弟という関係だけを、

真面目に考えているという可能性が高い。

 もし彼に感性、意識などという心があるようなら、この二人はもう少しましな関係になっていた、かも

しれない、かもしれない。そこはクワイエルであるから、断定する事は危険だろう。

 クワイエルは不気味なくらい真面目で、ある意味誠実な男であり、評価されながらも、別の意味では罵

倒されるべき人物である。

 だからこそ魔術師。そうであるからこそ魔術師。常人の理解など及ぶところではなく、予想しても必ず

外れる。しかし今度も外れるだろうと思っていると、不思議と当ってしまう。そんな存在なのだ。

 作り物でも冗談でもなく、素のまま、自然に変わり者という存在は、大体がそんな感じなのだろう。

 エルナが魔術師らしくないのは、彼女が今までは剣士としてやってきたからか。冒険者には次があると

いう保証が無く。奥手先手はあるものの、男女とも大抵は情熱的らしい。それは感情が豊富と云う事で、

幸いにもエルナはまだ、クワイエルやハールのように枯れてはいない。

 だからどうなのかといえば、やっぱりどうにもならないけれども、とにかくこうして二人の共同修行生

活が始まったのだった。

 勿論修行は、初日からみっしりと行なわれる。それがクワイエル方式。




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