8-6.

 クワイエルは懸命に教えた。自分の持てる限りの、そしてこのレムーヴァで得た全てをも、余す所なく

エルナへと伝授した。

 一週間という時間は決して長く無いが。今ではクワイエルもエルナも人類を代表出来る程の魔力を持つ、

その二人なら短くはなかった。

 修行と言っても格闘技のように肉体をぶつけあうのではなく、数学や物理のように机に向うのでもない。

 そういう事も基礎練習として行なっているが、魔術の修練において最も大切なのは、魔力の制御とルー

ンの構成の仕方、つまりは想像力である。

 思考を練磨するのに時間は要らない。悟る時は瞬間にして悟る。それが人間の頭脳。

 訓練も難しいものではない。むしろごく当たり前の事を、当たり前に伝える事が大事だった。

 想像力の訓練とは、その想像の幅を広める為に、きっかけとなる知識や経験を与える事をいう。しかし

あまり偏っているものや、すでに答えを出しているようなものを与えれば、逆に想像力を狭め、その思考

に小さな限界を築いてしまう。

 つまりは、全てを簡略に、漠然とでもなく、困難でもない。ごくごく当たり前の事を、素直に、自分の

言葉で、相手に伝える事が重要だった。

 その点クワイエルは教え方が上手かった。いや、結果的に上手かった。

 文字通り教えるのが巧みである、という意味ではなく。彼の考え方はある意味極端で、正に魔術師とい

った考え方。しかしそれを魔術師見習いとも言うべきエルナに、そのままの言葉で伝えようとすれば、自

然と感覚的に理解するしかなくなる。

 言葉は良く解らない部分が多いけれども、確かに情熱は伝わってくるというのが、クワイエルの教え方。

となると、エルナがその熱意に押され、何とか理解しよう、してやろうという気持ちになる。その事がこ

の場合は良い具合に作用して、理解として伝わると、そう云う事だ。

 下手だからこそ上手いというのか、無茶苦茶だからこそ整合性が生まれるというのか、そういうおかし

なおかしな授業になのだが。魔術に関してだけをいうなら、それはとても身になる授業だったのである。

 何しろ、魔術やら魔力やらルーンやら、それ自体が、未だほとんど解明されていないモノなのだから。

初めから理論とか理知的とか、そういう事は不可能なのだろう。

 エルナの察しが良い事と、機転が効く事も幸いした。クワイエルとエルナ、この二人がかみ合わさる事

によって、初めて効果的な授業が生まれたのである。

 でもそれが教えるという事。教える側と教えられる側、どちらか一方だけを見ていては、決して上手く

いかない。双方通じ合い、補いあって、初めてそれは上手くいく。ただ聞いているだけでも、ただ話して

いるだけでも、何も伝わらない。

 上手く伝わった事に気をよくしたクワイエルは、自分だけではなく、ハールや他種族から教えられた事

をもエルナへと教える事にした。

 こちらの方は知識と考え方が主なので、教えるに苦労はなかったようだ。エルナは常にクワイエルに付

き従っていたから、彼の言葉を記憶で補える。むしろエルナの方が、クワイエルよりも深奥まで理解して

いるのではないかと、そんな風に感じられるくらいである。

 いやそもそも、クワイエルがまともな言葉として、要点のある文章を述べられた事の方に、正直言うと、

素直に驚いてしまう。

 彼に対しては失礼だけれども、ああ、本当に解ってたんだなと、そんな風な気持ちになる。

 もし彼を知る人がこの場に居れば、エルナ以外はそんな風に考えたろうと思う。エルナは師として素直

に敬っていたから、聞けば怒るかもしれないが。それが世間一般のクワイエルに対する、素直な想いであ

るだろう。

 クワイエルは魔術師でさえ、理解し難い所がある。他種族と気が合うのも、彼自身にどこか異質さを感

じるからかもしれない。

 勿論、人間という範疇に、容れられない程ではないけれども。この師弟関係を結べたのは、エルナより

も、クワイエルの方に良かったのだろうと思う。

 理解し合える存在というのは、大切で、なかなか得られない存在なのだから。

 始終一緒に居るだけでなく、お互いの意志や考え方を伝え、ある意味共有した事で、二人の親密さも深

まっている。

 この塔篭りによって、言葉や立場としてではなく、心から、本当の意味での師弟になれた。

 今まではどこかよそよそしさが残っていた部分も薄れ、明らかな繋がりを、それも強い繋がりを、この

二人の間に感じる。

 こうして最終日を迎えるまでに、予定以上の行程を終える事が出来、クワイエルは最後の一日を休息日

として、エルナへの褒美と感謝の意味を込めて、ゆっくり過ごす事に決めたのだった。

 正直な所、彼も少し疲れたのかもしれない。



 止せば良いのに、最後くらいはと、クワイエルが食事を作る事を申し出。エルナには簡単な後片付けを

お願いして、今も孤軍奮闘している。

 クワイエルは器用な所がある男だが、一つの事に集中しすぎるというのだろうか。こちらをすればあち

らを忘れ、あちらを思えばこちらを忘れ、といった感じで、工程の多い料理などになると、いかにも頼り

ない。

 そのおかげで、エルナは休ませてもらうどころか、むしろ大いに心配で疲れさせられる事になったのだ

が。その気持ちだけは嬉しかった。あくまでも気持ちだけだけれども。

 どういう料理を作っているのか知らないが、クワイエルは朝からずっと厨房に篭っている。

 おかげでエルナも朝に昨夜の残り物を食べただけで、昼を抜かしたままだ。夕食の時間もとうに過ぎ、

このままでは夜食になってしまいかねない。

 エルナも空腹ばかりはどうしようもできなくて、先ほどからお腹を鳴らしては、一人恥ずかしさに赤く

俯いている。例えクワイエルには聴こえなくても、例え聴こえても何とも思われなくても、女性としては

恥ずかしいはず。

 クワイエルにそのような機微を察してもらうのは無理としても、これでは目的とは正反対の結果に終っ

てしまいそうで、心配になる。

 人の良いエルナだから、師弟というある種絶対的な関係を気にし、まだ我慢してもらえているが。一般

の人ならば、とうに腹を立てて、一人で食べてしまっていると思う。

 それ以前に、とうにこの塔を出て行っているかもしれない。いや、確実に出て行っている。

 まあ、そうなっても、クワイエルには何を怒っているのか、まったく検討も付かないで、馬鹿な顔をし

ながら、食事が出来たと探し伝えるのだろうが。

 ともかく、そういう訳で、エルナは手持ち無沙汰なまま、お腹の鳴るのを気にしつつ、クワイエルの料

理の心配までしていなければならない。これは相当な苦痛だったと思う。

 それでも彼女は文句一つ言わず、素直に心配の視線を、壁越しに送り続けた。

 その気持ちが伝わったのかどうか。クワイエルの調理時間はとうとう夜中にまで達してしまい。出来上

がった時は、いつもならとっくに寝ている時間だった。

 クワイエルは勿論、そんな事にはまったく気付いていない様子で、満面の笑みを見せながら、湯気の立

つ器を運び、エルナの前へと差し出した。

 それは何の変哲も無いスープで、スプーンですくうと、どろりとした物が程よく残り、かき混ぜる度に

その下に眠っていた良い匂いが、彼女に空腹を耐えられなくさせた。

 食べられるのは、食べられるらしい。

「どうぞ召し上がれ」

 クワイエルはエルナの鳴ったお腹に気付く事無く、いつも通りの、でも笑顔が三割くらい増している顔

で料理を勧め。自分もやっと空腹に気付いたようにハッと我に返り、忙しなく食器を動かして、その出来

栄えを味わっていく。

「美味しい!」

「良い味です」

 二人は同じ顔で叫んだ。

 そのスープはとにかく色んな物を、形がなくなり溶け合うまで煮込んだスープで、凝った味付けとか、

見栄えの良さもないけれど、時間と誠意だけはたっぷり詰まっていて、空腹時や病気の時に食べるには、

まったく最適な代物。

 体の隅々まで栄養が行き渡るような、生きるという事の幸せを噛み締める事が出来るような、そういう

素朴でも本当の意味で贅沢な食事だったのである。

 エルナはそれを実に美味しそうに、クワイエルは懐かしそうに食べた。

「これは私が子供の頃、良く作ってもらった、思い出の料理なのです」

 クワイエルは普段とはまた違ったとても優しい眼差しで、話し出す。

 いつもは自分の事など滅多に話さない彼が、実に楽しそうに、多分彼の一番大切だろう思い出を語り、

一番大事だった料理をご馳走してくれた。エルナは目の奥が熱くなるのを耐えながら、嬉しそうに何度も

頷きながら、その話を聞き、楽しい夜が更けていく。

 たったそれだけの事だったが、エルナがようやくクワイエルの本当の家族になれたようで、心から幸せ

を感じていた。

 この一週間は、二人にとって、多分最も大事な時間だったに違いない。

 エルナの術者として力量も、確実に増している。今日この時が、二人にとっての新たなる始まり。この

スープのように、二人は一つに調和していた。

 大陸に住む者にとっても、これは真に喜ばしい。ここにクワイエル専門官、エルナ、が誕生した。

 彼女を生贄に差し出すようで心苦しいが、本人もそれを望んでいるのだから、それはそれで良いのだろ

う。気の毒ではあるが、幸せとは各々異なっているのだから、これで良いのだ。多分。




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