9-12.

 クワイエル達は巨人の森へ引き返し、巨人を見た例の開けた場所まで戻って来た。

 巨人は相変わらず静座するかのようにして眠り、苔もそこいら中を覆ったままで、泥臭いのに似た特有

の臭いを発している。ぱっと見る限りでは何の変化も知れず、まるでクワイエル達が去ってから、まった

く時間が進んでいないようにも思えた。

 大気に満ちる魔力波の量も変わらない。遮断し和らげる魔術は当然使っていたが、ここに来るとやはり

むっとする程の膨大な魔力を感じ、圧迫感を覚える。

 クワイエル達は体中に纏わり付くような濃厚な魔力に耐え、ゆっくりとした呼吸法で魔力を高めながら、

心が落ち着くのを待った。

「ヘゲル、ニイド  ・・・・  変化を、抑制せよ」

 それから滑り止めの魔術を行使し、滑りやすい窪地へと足を踏み入れる。蟻地獄へ踏み入れる蟻の心境

である。

「くッ」

 やはりよく滑る。滑らせる為の魔術でもかけられているのではないかと思うくらい、まったく捉え所が

無く、摩擦が踏む度にするりするりと抜けて行く。

 恐る恐るゆっくりと進んだが、大して効果はなさそうだ。中心部まで降りるのには、以前と同じく、小

一時間程の時間を有した。

 精神的消耗が激しい。

「・・・・・・、・・・・・」

 しかしどれだけ騒ごうと舌打しようとも、巨人は目を覚まさない。動じる事無く。まるで世界の終わり

までそうであるかのような、どうしようもない無変化、永続性を感じた。

 クワイエル達が無視されているというよりは、この巨人そのものがこの世界から隔離されているのでは

ないかと、そんな風に感じられる。

 生まれ出でてからずっとこのままであったと言われても、きっとこの巨人を一度でも見た者なら、疑わ

ずに納得するだろう。

「ふむ」

 驚いた仲間が止める間もなく、クワイエルは着くや否や、無造作に巨人にまとわりついている苔を払い

始める。無遠慮にむんずと掴み、何の気兼ねも無く投げ捨てるように取り除いている。

 その度に拳が当る事もあるのだが、巨人は相変わらず目覚めない。

 初めは心配そうに見ていた仲間達も苔掃除に参加し、クワイエル達は何を考えたのか、巨人に付着して

いた苔を、欠片も残さず、全て掃除してしまった。

 そして巨人も最後まで静かに座したまま、それを受け容れていた。



「綺麗になりましたね。いえ、初め見た時から、ずっと気になっていたのです」

 クワイエルが清々しそうにそう言うからには、特にその事に何か意味を感じた訳ではなく、単純に綺麗

にしてあげたかったのと、巨人自身をもっと良く見たい為らしかった。

 仲間達はその事に苦笑したけれど、もう慣れているのと、さっぱりして何となく気分が良いのとで、満

足していた。

 苔を剥がすと綺麗な材質の金属部分が現れ、光に照らされると、思っていたよりも輝きを発する。

 しかしそれも通常の反射光ではなく、巨人に照り返される光はどこか淡く優しく。物事をゆったりと包

むように、まるで光自体も眠るかのように、静かである。

 こうしてじっくり見ても、首の無い突き出た頭部以外は人と大差なく、ひょっとしたら人もこの巨人も、

そして鬼人や他の種も、皆同じ一つの何かを本にして形作られているのではないかと、そんな風に思えて

くる。

 それとも単にこの世界で暮しやすい形態が、この姿であったという結果論でしかないのだろうか。

 まあ、それはそれとして。とにかくこの巨人はでかい。小人を見ている分、余計に大きく見える。

 大きさを比較すれば、丁度一般的な二階建ての家くらいの大きさになるだろうか。案外ほっそりしてい

る為に、立てばそこまでの横幅は無いかもしれないが、こうじて座していると圧迫感を感じるくらいの幅

はある。

 試しに軽く叩いてみると、軽く高い金属音が響いた。中が空洞になっている可能性が考えられる。その

空洞に、あれだけの魔力が詰まっているのだろうか。それならこれだけ垂れ流していても、変わらず無尽

蔵に湧いてくる魔力にも、納得できるような気がする。

「ブシッ! ブシッ!」

 突然巨人がくしゃみをした。今まで以上に強い魔力波が突風のように二度吹き荒れ、クワイエル達は体

内の生命そのものが消し飛ばされるように感じ、自分という存在そのものが消されてしまうという恐怖心

を味わった。

 もし魔力への耐性が上がっていなければ、このくしゃみで一瞬にして蹴散らされていただろう。

「ブシッッ! ブシッッ!」

 くしゃみは続く。クワイエル達は寄り添うように身を寄せ、お互いの意識を高める事で、自己の崩壊、

つまりは生命、魔力の崩壊を防ごうとした。そして四人の魔力を結集し、防護壁を張るようにして、あり

ったけの魔力を全身から放出する。

 詠唱や構成をする暇が無い為、乱暴にも魔力をそのまま放出して、魔術の代用とした。魔術の原理は魔

力の放出、具現化である為、簡単な魔術ならばこうする事でも行使できる。だが荒い分、無駄も多く、効

果が落ちる上に疲労も多い。

 これは気合や声というような、最も原始的な魔術である。しかしこれでは力を有効に使えない為、わざ

わざ魔術という方法を編み出した。

 だからこのままだと長時間は持たない。

「ふぁぁあああああああああッ」

 何度くしゃみを繰り返しただろう。ようやく落ち着いたのか巨人は一つだけ大きな欠伸をし、体を広げ

て大きく伸びをすると、ぱっちりとのんびりした瞳を開き、不思議そうにこう言った。

「ナンだ客人かい。早う起こせば良かったモノを」

 吹き荒れていた魔力波も、いつの間にかぴたりと止んでいた。



 巨人は寝惚けた顔をしながら、こちらをじっと眺めている。

 珍しいのだろう、瞳の奥には好奇心らしき光も見える。

 居心地の良い扱いではなかったが、こちらも遠慮無しに(主にクワイエルが)散々やっていたから、こ

ちらだけが文句を言う訳にはいかない。

「しかしワシは何でここに居るのか」

 暫くどうして良いか解らず、手持ち無沙汰にお互い観察しあっていたが。問いかけるでもなく、呟くよ

うに巨人が零した言葉に、すかさずクワイエルが食い付いた。

「貴方は随分眠っておられたようです」

「何、眠っていたとな、このワシが。馬鹿な事を言う。ワシは眠りなど必要とせぬ。我がカラダをミヨ。

ワシに眠りは要らぬ。眠らせるような肉体は持ち合わせてオランのでな」

「しかし貴方は確かに寝ていました」

「寝る訳がナイトイウに」

 巨人もよほど頑固らしく、寝たの寝てないのと繰り返し、結局その騒ぎが半時程も続いた。子供でもこ

こまで引っ張るような事はしないが、巨人は時間の感覚が人とは違うのかもしれない。

 どちらにしても、それに付き合えるクワイエルの方は、余計におかしい事になるが、それは置いておく

事にする。

「ならば何故、貴方は私達に気付かなかったのですか。貴方ほどの力があれば、解らないはずはない。そ

れに寝ていないというなら、今まで貴方は何をしていたのです」

 二人は散々言い争っていたが、しかしクワイエルがころりと一転するようにしてそう言うと、巨人もこ

ろりと表情を変えて。

「ウンム、確かにそれには一利アルワ」

 と、頷き。その後は何だか解らない内に、いつの間にか意気投合してしまっていた。多分、波長が合っ

てしまったのだろう。

 ハーヴィ達はその間黙っていたが、それは遠慮しているというよりは、もう付いていけていないと言っ

た感じで、どちらかといえば呆れたような表情を浮かべていた。

 見事なまでに呼吸を合わせ、今まで旅をしてきたが。流石の彼らにも、クワイエルのこういうどうしよ

うもない部分にだけは、まだ付いて行けないらしい。しかしだからこそ常識のある者と云う事で、そこだ

けは彼らも死守すべきだろう。

 クワイエルが一人ならまだ使い道があるとしても。これが二人三人となると、もう本当にどうしようも

なくなってしまうからだ。

「フムフム、なるほど。ナラ、この苔が悪さしていたのだろうよ。微弱だが、確固とした力を感じるワイ。

誰の仕業かシラヌガ、ようもやってくれた。そういえば、何だか緑っぽいのがフエタナと、ワシも感じて

いたのだ。シテヤラレタワ!」

 巨人はその大きな手で付近の苔を払い、吐息と共に吐き出すその凄まじい魔力波で付近の苔を一掃する

と、苛立たしげにヤラレタヤラレタと呟きながら、再びクワイエルの方へ瞳を向けた。

「オヌシタチはワシの恩人という訳だ。歓迎しよう。しかしまあ、折角来たのだ、ツイデニ頼みを聞いて

イケ。ワシはこの苔の犯人を捜さねばナラン。是非ともそれに協力してもらいたいノダ。勿論、礼はする

ぞ。こう見えても、ワシは太っ腹と言われとる。心配スルナ、タブン、大丈夫ダ」

 そして巨人は豪快に笑った。それは腹立ち紛れとも、心底楽しんでいるようにも見えたけれど。もしか

したら、単に暇を持て余しただけだったのかもしれない。

 どれだけ眠っていたのかは解らないが、身体に何の支障も無いようだし。この調子なら永遠に眠ってい

ても、まったく問題は無かったように思える。

 肉体とは違い。動かさないと固まってしまうような事も無いようだ。

 ただ一つ問題があるとすれば。

「ぬおッ! ナンだ、この森は!!」

 などと目覚めて大分経ってから、やっと気付いていた事だった。

 巨人の仕業でなければ、これは誰の仕業なのか、そしてどういう意味があるのか。そしてこれだけ巨人

が鈍いとなると、何だか色んな所で苦労させられそうな気がする。

 とは言え、クワイエルならば、そんな苦労も面白がってやり遂げそうであるし。実際彼は、そんな巨人

を見て、実に楽しそうに微笑んでいたのである。

 それを見、仲間達も仕方なく、苦笑いを浮かべるより他になかった。

 今更巨人の頼みを断る訳にもいかないだろうし。




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