9-5.

 全ての魔力が高まっている。

 それを平然と受け止められる程に、当たり前にこの地から発する魔力は強く、濃い。

 その魔力には多少むらがあるのだが、強い地点になると湿気のように身体に絡みついてくる。もう実体

としての魔力があると言って良いほどに、ここに満ちる魔力は膨大だった。

「妙だ」

 レムーヴァは奥へ進めば進むほど、魔力が増す為、他の者は訝(いぶか)しがりながらも、こういうも

のなのだろうかと、疑問を疑問として納得する材料が無かったのだが。ハーヴィのみはこの異変を異変と

して察し、注意を促した。

 彼はこことは別の場所になるが、同じくらい奥まで進んだ事があるそうだ。前に探索隊を組んでいた時、

一度だけ、どれだけ深奥まで進めるのか、興味本位に試してしまった事があるらしい。

 思慮深いハーヴィがそのような事をしたとは、クワイエル達にとって驚きだったが。ハーヴィもやはり

魔術師、魔力に関する好奇心は人並み外れて強い。別に奥に行ってはいけないという法も無い為に、その

誘惑には耐えられなかったのだろう。

 何よりも慎重な確実さを重んじるハーヴィとしては、あまり人に知られたくないから黙っていたが。実

は今居る場所よりも、もう少し奥にまで達した事があり。その時はここまでの魔力を感じなかったそうな

のだ。

「まさか、それでは」

「そう、かのフィヨルスヴィズに近い力を持つ者が、この付近に居るということだ。あの軽挙が今になっ

て役立つ事になるとは思わなかったが、これもルーンのお導きか」

「しかし結界が張られていないようですが」

「クワイエル、力ある者が、全て彼のようであるとは限らない」

「確かに」

 クワイエルは素直に疑問を捨て、改めて魔力を探った。

 色んな存在が居て、色んな考えを持っている。それはとうに学んできた事だ。どうやら神経を使いすぎ

て、逆に鈍感になってしまっていた。

 深呼吸をし、迂闊(うかつ)な自分の心に活を入れる。

 しかしあまりにも強い魔力波のせいで、心を平常にして精神を集中させても、それがどこから来ている

のか、どれほどの力を秘めているのか、ほとんど解らない。

 濃い塩水になると、どちらがどれだけ濃いのか判別出来ないように。大き過ぎる力もまた、どれだけ大

きいかと云う事を、限られた感覚では、詳しく判別する事が出来ない。

 一の力しか無い者にとって、千も万も等しく大きな力なのである。

 それはハーヴィにとっても同様らしく、彼の力をしても、測り知れないようであった。

 この力の持ち主が危険なのか、協力的なのか、それともまるで人間や鬼人には興味が無いのか、そうい

う心情も伝わってこない。

 この膨大な魔力波は、ただその存在より垂れ流されているようなものであって、特定の誰かに向けられ

たモノでも、何かの意志があって放出しているモノでもない。人が呼吸をするように、自然に流れ出した

力であって、そこからは何の意図も汲み取る事は出来ないのである。

 ようするに一度の呼吸量が大きいとしか、言いようがない。

「このままでは耐えられぬか」

 ハーヴィが精神を集中し、詠唱を始める。鬼人の魔術は神への祈りそのものである。

「!!!!!! !!!! !!! マン、ウル、エオズ ・・・ ナウシズ、エオ、ウィン ・・・ ギ

ュフ !!!!!! !!! !!!!!」

 刹那(せつな)、身体と精神を圧迫するようだった膨大な魔力が弱まり、ふっと全てが軽くなったよう

に、その場に居た者達は感じた。

 ハーヴィが魔力波を緩和する魔術を行使したのだろう。解りやすく言うと、呼吸がとても楽になった。

 彼くらいの魔力の持ち主になれば、如何に膨大な魔力波が相手でも、半減以下にまで遮る事が出来る。

 それは長い修練と鍛えられた精神力の賜物(たまもの)であるが。何より、その真摯(しんし)な信仰

心に寄って、鬼人は実力以上の魔術を行使する事が出来るのである。

 クワイエルもルーンへ祈りを捧げる事により、実力以上の魔術を成功させた事があるが。年季がある分

だけ、鬼人は人の数倍にも達する強大な魔力を、平然と扱う事が出来るのである。

 だが半減して尚、この魔力は、浴びるだけで身体が変調をきたす程に重い。フィヨルスヴィズはまだ自

身が魔力の放出を抑え、周囲への影響を考慮していたから、クワイエルの魔術でも何とかなったが。この

魔力波の持ち主は、まったく周囲への影響を考えていない。ハーヴィの魔術でも、抑える事は難しい。

「どうする。退くのも恥ではないが」

 だからこそ、ハーヴィでさえ躊躇(ちゅうちょ)したのだが。

「行きましょう」

 クワイエルはあっさりと答えを出し、迷う事無く進んで行く。変わり者具合と好奇心の高さでは、やは

り人間の魔術師の方に分があるようだ。それとも、クワイエル自身が特殊なのだろうか。



 密度は益々濃くなり、すでに魔力波そのものが固形物であるかのようで、風か雪でも掻き分けて進むよ

うに、移動するだけで疲労が募る。

 まるでルーンがそこに実体化しているかのようだ。何もせずに魔術が完成し、その場に実体として存在

し続けている。

 そう思えるほどに、この力は強く、弱き者にとっては毒でしかない。

 フィヨルスヴィズも、本来はこのくらいの魔力を発するのだろうか。或いはもっと強大かもしれない。

だとすると、初めて出会った想像を越える力の持ち主が、フィヨルスヴィズであった事を、彼らは幸運と

思わなければならない。

 もしフィヨルスヴィズではなく、今感じている存在が、あの滝のある地に居たとしたら。きっとその存

在が何もしなくとも、人は勝手に圧迫され、この大陸から撤退するしかなかったはずだ。

 それは別に罪ではない。むしろフィヨルスヴィズのように、周囲にあれだけ配慮している方が、特異な

存在である。

 例えこのレムーヴァの種の大多数が、己の地に固執し、その場に安楽と住む事だけを望む傾向があると

しても、それは周囲に配慮する事と同義ではない。むしろ遠慮なくする方が自然で、そういう意味でいえ

ば、まさにこの力の持ち主は、大樹フレースヴェルグにも似た、レムーヴァらしい存在であると云える。

 しかしそれにしてもこの力は強過ぎる。無意味に放出しているからか、色んな意味で無意味に強い。余

計にやりきれなくなる。

「やはり、引き返すべきではないか」

 ハーヴィでさえ、何度そう思っただろう。

 しかしクワイエルが先頭に立ち、無言でひたすらに進み続ける以上、退く訳にはいかない。個人的に彼

を気に入ってもいるし、強い力を持つ者が、より弱き者を守るべきだという思想もある。

 そして何よりも、ハーヴィ自身が知りたい。この先に誰が居るのか。強すぎる力とはいえ、そこから敵

意を感じている訳ではない以上、確かめてから退いても、遅くはないはずだ。そんな風に考えてしまう。

 他の三名も同様で、夥(おびただ)しい魔力波に閉口しながらも、我慢してクワイエルに続く。

 自身も興味があるからこそ、頑張れるのだろう。

 ユルグとレイプトのかく汗の量が気になったが、この程度でへたばるようであれば、そもそもレムーヴ

ァ探索など出来まい。これもまた良い試練だろう。

 ハーヴィは彼らの為にその汗を無視した。耐えられないなら、それまでの事だ。

 守ってやろうとも思うが、それに甘えるようなら、その資格は無い。

 耐えて進んでいると、この魔力波に相応しい、奇妙な景観が増えてきた。

 進めば進むほど木の本数が増す。いや、木だけではない。あらゆる植物が密生し、しかもその種類に一

貫性が無く。まるで何処かからそこへ無理矢理植えつけたように、ばらばらな光景が、ただ密集して広が

っている。

 植物に当る日光とか、雨とか、地から得る養分だとか、相応しい気候だとか、そんなものは初めから気

にしていない。

 ただそこに植えられ、そこで生きる事を義務付けられた。そんな感じである。

 そういう様で枯れないのだから、何かしらの魔術がかかっているのだろう。気の毒だが、彼らは十二分

にこのままで生きていける。

 これほどの力があれば、細かい事などは端から関係がない。創造神のように、やりたい放題、規制など

はほとんど無いはずだ。

 自然にとっては迷惑かもしれないが、問題なく生きられるのだから、それはそれで満足するべきかもし

れない。いや、満足に生きられるからこそ、それを不満に思うのだろうか。

 何にせよ。

「あまりいい光景ではないな」

 ハーヴィの言葉にユルグ、レイプトが頷く。

 鬼人もそれなりには植物を尊重している。勿論、あの聖地さえあれば、そこに何が生えようと大して気

にしないが。彼らも美術的景観としての好みはあるし、別に植物が嫌いな訳ではない。むしろ色んな恩恵

を与えてくれる、ありがたい存在だと考えている。

 だから正直言って、彼らから見ても、この景色は胸糞が悪くなるのである。

 ハーヴィは珍しく、不機嫌になりながら進んでいた。

 ひょっとしたらそれも、この魔力波の圧迫のせいかもしれなかったが。




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