9-6.

 魔力波の圧力は耐え難く、一歩一歩踏みしめるように進む度、精神的肉体的疲労を与えられる。

 まるでそれ自体が熱を持っているようにすら感じられ、四方八方から網のように波が襲い来る。

 明らかに拒まれている。それともこれが平常なのだろうか。当たり前のようにこれほどの魔力波を垂れ

流しながら、当たり前に生きていられる、それは一体どのような存在なのだろう。

 大樹フレースヴェルグが生き続ける為に、あれ程膨大な魔力を必要としていたのに、それを軽く上回る

魔力が、当たり前のように放出されている。

 またしても、レムーヴァに対する認識を改めなければならない事態に直面した。

 もう笑うしかない程に、この大陸は人の想像を越えている。

 確かなのは、この奥に居るだろう存在が、もし人間と鬼人に敵意を向ければ、その瞬間に一挙に滅ぼさ

れてしまうだろうという事だった。

 フィヨルスヴィズに救援を頼むという手もあるが、多分その前に滅ぼされてしまう。それに例え助力を

得られたとして、人知を超える二者の戦いを前にして、人や鬼人が平気でいられるとは思えない。

 もしかしたら、その時がこの世の終わりではないだろうか。

 純粋に強大な力と力がぶつかり合う。それこそが滅び。

 人から見れば、どちらも神である。守護神、破壊神、名前などはどうでもいい。どちらも抗えない力を

持っている。

 そんな力を浴び続けて、平気でいられる方がおかしい。

 クワイエルでさえ、相手の力量が推測(といっても、強過ぎてまったく検討も付かないという答えだが)

出来た以上、もう良いのではないかと弱気になる。いや、冷静に還される。

 これ以上進んでも、クワイエル達に何も出来る事は無い。

 相手も彼らが近づいている事は、とうに気付いているはずだった。勿論、この魔力波で苦しんでいる事

も。それでも情け容赦ないと云う事は、帰れ、という意味ではないだろうか。

 いや、多分人間と鬼人など、どうでもいいのだ。そういう可能性の方が高いと思える。

 ここに居るだろう存在は、全く意識していない。だからこそ変化無く、いつも通りにしている。それを

苦痛と思うのは、人間と鬼人の事情であって、この存在の問題ではない。弱い者が悪いのだ。弱いくせに

進む愚か者が悪いのである。

 誰にも、何にも悪意無く。ただあるがままに、自分のままに存在している。そう言った方が近いように

思えるのだ。この存在は、ただそこに居るだけ。勝手に現れて、勝手に困っているクワイエル達の方が、

おかしい。

 それでもクワイエルの興味は消えない。いくら理性で考え、現状の無謀さ、愚かさを理解しても、最後

には好奇心の方が勝ってしまう。

 だから歩みは止まらない。もう誰も口を開くことすら無くなってきたが、ただクワイエル達の誰もに、

この先を見たいという想いがあった。

 半ば意地になっていたのかもしれないが、強引に考えると、必要性が無い事もない。

 膨大な魔力波は心身に変調をきたすが、それに耐えられれば魔力波が干渉し合い、低い方が高い方へと

引き上げられてしまう効果がある。強い魔力波は、帯びる者の魔力を増大させる。

 この先には、必ずや大いなる力を持った存在が、数限りなく居るはず。だとすれば、少しでも今、それ

に耐えられる魔力を身に付ける必要があるのではないだろうか。

 その為の試練だと考えれば、確かにこれは必要不可欠である。

 力弱い者は、先へ進む権利を与えられない。須く、そうなのだ。

 勿論、無謀である事に、何ら変わりは無く。これも無理矢理こじつけたように感じられるのだけれど。



 クワイエル達の意気を挫く瞬間が訪れた。いや、意気を挫かれたというよりは、文字通り吹き飛ばされ

てしまった。

 森に変化が訪れ、開けた場所に出たかと思うと、突如身に受けている魔力波の量が数倍に増し、クワイ

エル達はまるで暴風を浴びたように、視界の果てまで飛ばされてしまったのである。

 おそらくそれは、そこに居た存在の呼吸の一吹きにも足りない力。しかしそれだけで彼らは圧倒される。

何もかもを粉々に砕かれる。

「・・・・・・・く、ここは・・・」

 クワイエルが気付いた時、そこは野営のテントの中で。寝かされた身体に、未だ痺れのような魔力波の

痕跡が強く残っていた。

 側にはユルグとレイプトが同じように寝かされている。

 ゆっくりと目を上げると、そこにはハーヴィの疲れきった表情があった。

「気付いたか」

「・・・ここは」

「解らぬ。おそらく支配地の入り口まで圧し戻されたのだろう。戯れか、それともあれが通常の力なのか

は解らぬが、今のままでは辿り着けそうにないな。開けた場所に出、遮蔽物が無くなった途端、我々は抵

抗する一切の力を失った。そう推測している」

 声も疲れきっており、いつものような覇気が、ハーヴィには感じられなかった。

 彼とても、まったく歯が立たなかったのだろう。

「・・・・・交代します。貴方も休んで下さい」

「すまない」

 ハーヴィは遠慮する事無く、すぐさま寝床へ入る。それは初めてクワイエルが見る姿で、どれだけ疲労

しているのかが、察せられた。

 ハーヴィでさえこうだとすると、とてもの事、この先へ踏み入れる事は出来そうにない。

 しかしこのまま引き返すのだけは納得いかない。例え卑小なる存在でも、簡単に諦める訳にはいかない

のだ。例えそれがとても個人的な事情だったとしても、門前払いのまま逃げ帰るのは悔しい。

 折角迎え入れてくれたレムーヴァに対しても、それはとても失礼な事に思えた。

「こうなれば、時間をかけるしか、ないか」

 クワイエルは考えた末、強引だが、非常に魔術師らしい決意を固めた。彼は決して諦めない、しぶとく

考える。あの黒き脂ぎった昆虫の如く、迷惑な事に、精神だけは誰よりも強固だったのである。



「暫くの間、この付近で宿営したいと思います」

 クワイエルは、この魔力波に無理にでも慣らそうと考えた。

 この膨大な魔力波に、現時点では対抗出来そうもない。魔術を使って尚、耐えられない力。しかしそれ

を逆に言えば、自身の魔力を高める為の、絶好の機会。

 この先を進むには、必要であると、彼は判断した。

 ここに住まう存在が、この大陸で最も強い魔力保持者である可能性もあるけれど。そう考えるよりは、

ここから先はこれくらいが当たり前になると考える方が、より自然である。

 これは試練だった。人がこの先に進む為の、必ず乗り越えるべき、更に進む事を許される為の試練。

 何個目かの、関門なのだ。

「・・・・、よかろう」

 ハーヴィはその考えを承認し、ユルグとレイプトもそれに倣った。エルナにも、異存は無い。

 むしろ望む所だった。人を除けば、おそらくこの大陸で最弱の部類に入るだろう事は、鬼人達もとうに

理解している。そしてそうだからこそ、力無き人間達と、共に歩むべき道があるのだという事も。

 例えばフィヨルスヴィズがいくら協力的でも、これほどの力量差があると、もうとても同胞とは呼べな

い。友人ではなく師か父、いや現神(あらがみ)と呼んでしまってもいい。そこに対等な関係は、真なる

意味では、決して築けないだろう。

 だから弱さにも協調性という恩恵があるが、しかし鬼人としてはそれに甘んじていたくない。彼らも自

身と住まう地を守りたい、守る力が欲しいという願望がある。だからこそ、鎖国めいた事を止め、外界へ

と乗り出した。冒険心に火をつけた。

 鬼人もまた、人と求める所は同じ。

 勿論、その求め方は同じではないが、二者の利害と友好関係に、さしたる影響はない。どちらも協力し

合う事が最善だと、そう考えている(レムーヴァ外の人間を除いて)。

 それに何よりも、悔しい。退く事しか考えられなかった自分が、鬼人達も情けない。

 だからこそ、この壁を乗り越えたい。圧倒的な魔力差を、せめて側に行き、会話できるくらいには埋め

たい。

 問題から決して目を背けず、常に打破して進む。それが鬼人の考え方。一度撤退するのも、次に乗り越

える為。クワイエルと考え方はほぼ同じ。反対する理由は、鬼人にも無かった。

 こういう時に止めるのがエルナの役目なのだが、彼女もすっかりクワイエルに毒せられ、すっかり乗り

気になっている。憂うべき事に、率先して準備を始めていた。

 身体を温める火、それを守る囲い。後は食料と水。これだけあれば生活出来るだろう。道具もあるし、

今までもずっと野営していたのだから、準備に困る事も無い。

 エルナとユルグに下準備を任せると、クワイエル、ハーヴィ、レイプトはそれぞれ三方に別れ、周囲の

探索に出かけた。

 一番魔力の高い(魔力波への抵抗力が強い)ハーヴィが身体に負担をかけすぎないよう、段階的な野営

場所を定める為、再び奥へ行き。クワイエルとレイプトがそれぞれ水や食料、後は役に立ちそうな物の回

収に付近を探る。

 猛獣の心配は要らないだろう。居るだけで体力が削ぎ落とされるような場所に、好んで近づくようなの

は、魔術師くらいのものだ。

 一番心配なのは、強大な力持つ存在が、クワイエル達を煩(うるさ)がらないか、という事だが。これ

はもう祈るしかない。



 クワイエル達はこうして準備を終え、食事をし。今日は疲れも残っているから、ここまでにして、見張

りを立てて睡眠をとる事にした。

 明日から我慢比べのような強行が始まる。もしかしたら、安眠できるのは今日が最後かもしれない。警

戒を怠る事は無かったが、彼らはいつも以上に休息に気を付けていた。

 正直な所、皆怖い。最悪、誰か発狂してしまうかもしれないし、衰弱死させられるという可能性もある。

耐え切れず、魔力そのものに分解させられてしまう事もあるだろう。

 それでも彼らは進む。使命感や必要からではなく、彼ら自身がそれを望むから進む。そして彼らが心か

らそれを望んでいる限り、精神に強く影響される魔力は、最大限に高まってくれるだろう。

 それもまた、ルーンの祝福である。

 諦めない限り、ルーンは常に微笑みかける。種族、物質非物質問わず、須くあらゆる存在に、微笑みか

けてくれる。




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