9-7.

 クワイエル達はなんと一月余りもの間、その地で生活を続けた。

 その間も大陸内外では様々に情勢が変化していたが、ここではいちいち列挙する事を止める。ようする

に仲良くなったり悪くなったりと、いつも通りの事を繰り返しているだけだ。

 レムーヴァ政府は、もうそんな事に干渉する事を止めている。レムーヴァ内ではいつも通りの地道で懸

命な生活と開発が営まれ、まるで情勢から切り離されているかのように、ゆったりとした世界が広がって

いる。

 外では様々な対立や欲望が嵐のように吹き荒れているのだが、レムーヴァは何処吹く風とばかり半ば無

視している格好である。

 クワイエル達もそのような情勢とは無縁で、地道な努力に励み、ゆっくりではあるが着実な進歩が見ら

れ。少しずつだが確実に奥へ奥へと進んでいた。

 そして彼らは今、前回抵抗も出来ず吹き飛ばされてしまった、例の森の途切れる場所にまで着き、さあ

行かんとばかりの状態にある。

 皆の顔から不安が全て取り除かれた訳では無いが、今度こそはという自信もある。

 この地に吹き荒れる魔力波が余りにも強すぎる為か、或いは今までに人知を超えるような力と当たり前

に遭遇してきた為か、思っていたよりも適応するまでに日数がかからなかった。

 鬼人達はまあ良いとしても、クワイエルとエルナも彼らと変わらない適応能力を示したのには、驚かさ

れる。適応力だけで言えば、二人は鬼人と同等だと云う事で、これは驚くべき事だ。

 一月の間この地で今までに無かった苦楽を共にした事により、皆の中には大きな信頼関係が結ばれてい

る。新参のユルグとレイプトも、今では千年の知己ででもあるかのように、このパーティに馴染んでいた。

 そしてこの二人は、はっきりとパーティ内での自分達の役割、居場所を悟ったようである。

 準備にも怠り無し。例え恐怖心が完全に拭えなくても、迷いは無い。

「さて、いよいよだが。皆、準備は良いな」

 ハーヴィの言葉に皆が頷く。

 それを見、彼は承認するように強く頷くと、早速精神を統一し、神々へ祈りを捧げる準備をして後、朗

々とした声を発した。

「!!!!!! !!!! !!! マン、ウル、エオズ ・・・ ナウシズ、エオ、ウィン ・・・ ギュフ

 !!!!!! !!! !!!!!」

 周囲に満ちている魔力波を物ともせず、ハーヴィの魔力ははっきりと自己を保ち、乱れなく魔術が完成

していく。そう、すでにここまでならば、魔術の力無しに、彼らは当たり前に存在する事が出来る。

 やはり浴びる魔力が高ければ高いほど、他者の魔力を高める力は強くなるようだ。勿論それにも限界が

あるだろうし、下手すれば生命を失う事にもなるが。覚悟さえすれば、悪くない強化手段かもしれない。

 幸い、クワイエル達は全員この苦行とも呼べる行為を、完全に乗り越えている。今までの経験と修練が

あってこそだが、彼らの意志の強さもとんでもないものだ。

 ハーヴィの行使した魔術も見事としか言えない。瞬時に一切の魔力波を閉ざし、今まで呆れるくらいに

浴びせられ続けていた魔力波が、今はもうそよ風にも感じなくなっている。

「ここまで高まるものか・・・・」

 ハーヴィも今更ながら、自分の魔力の成長に驚いている。一月程度でここまで引き上げられるならば、

魔力の海に押し潰されるような想いをしてまで、必死に頑張ってきたかいもあったというものだ。

「では行くぞ」

 ハーヴィを先頭にし、レイプト、クワイエル、エルナ、ユルグの順に続く。

 開けた場所へ一歩踏み入れた途端、一陣の風が吹いた。思わず皆が身体を強張らせる。しかしそれは前

の時とは違い、彼らを後退りさせる程の力は無く。確かに強風に逆らい続けるようで辛いが、その気にな

れば進めない程ではなかった。

 ハーヴィは一つ頷き、しかし確かめるように慎重に、ゆっくりとゆっくりと歩を進めていく。

 体感だけで計算すると、この開けた場所は、森の中の十倍近い魔力波が吹き荒れていると思える。

 前回、無残に吹き飛ばされてしまったはずだ。今でも呼吸し辛いくらいなのだから、この地に適応する

前では、まったく歯が立たなかったのも頷ける。

 まったく呆れる程の魔力で、パーティ内で一番魔力が高いだろうハーヴィさえ、うんざりした。

 これで平常なのだから、今でも先に居る存在がその気になれば、彼らは逆らうどころか、その場に居る

事すら出来ないだろう。下手すれば大陸の果て、いや、海を越えるまで吹き飛ばされてしまう可能性すら

あった。

 先程自分の成長に喜んだのも、今はただただ恥ずかしい。この世には、何という差があるのだろうか。

「皆、大丈夫か」

 他のメンバーは一斉に頷く。幸い、表情にもあまり疲れを感じない。この分なら、どうにか進む事は出

来そうだ。

「行ける所まで、行きましょう」

「無論だ、行こう」

 クワイエルの声に励まされ、ハーヴィは一息入れて進み直す。

 その歩みは力強さを増し、戸惑いももう消えていた。彼らは変わらず恐れず進んで行く。



 そこには岩が在った。

 ぽっかりと空いたような大きな窪地の中に、非常に大きな岩だけが在った。

 もっさりとした無骨な塊で、何も主張せず、ただあるがままにそこに居、そこに居て何事もなさず。そ

れだけの為の、景観としての何か。

 平たく引き伸ばされたような形で、鍛冶とかで金槌で叩く時に下に置く、台のような物に似ている。そ

の大岩が、凹レンズのようにゆるやかにへこむ窪地の中心に置かれ、その上に一体の巨人が座っている。

 岩に負けず劣らず無骨で無造作に創られた脚を組み、肘掛のように積まれた小岩に肘を突き、拳を丁度

人でいう顎(あご)の部分に当てている。

 ただ人と違うのは、首という物が無く、両肩の真ん中辺りから、頭部がぐっと突き出している事である。

 それはまるで後ろから身体を突き破って出てきたかのようで、何となくアンバランスでありながら、そ

こ以外に置き場が無いといった、奇妙な絶妙さがある。

 突き出た頭とバランスを取る為か、背中がくるりと丸く猫背になっていて、座っていても丸まっている

のがはっきりと解る。

 瞳は眠そうに閉じており、時折欠伸と共に開くものの、何かを見ているという感じは全くしない。

 欠伸の度、ゆるやかに開かれる口から強い魔力波が吹き荒れ、あの強い嵐のような力の正体が、単なる

欠伸であった事に気付く。

 何とも、呆れて物が言えない。悪意も何も感じないはずだ。この存在からしてみれば、単に口を開け、

怠惰な吐息を漏らしていただけで、初めから何をする意志も、こちらを認識してさえいないのだから、感

情が籠もっているはずがない。

 ハーヴィは辺りを調べ、他に興味を惹くべきモノや危険を感じないのを確認すると。クワイエルを中心

とした隊形に戻し、ゆっくりとその存在の許へ、即ち窪地の中心部へと向った。

「うわッ!?」

「むッ!」

 窪地に踏み入れた瞬間、何故だかクワイエルが滑り落ちそうになり。すぐ後ろに居たレイプトが慌てて

掴み、ハーヴィがそのレイプトの肩を掴み、奮闘してやっとの思いでクワイエルを引き摺り上げる。

 一段落してから、落ち着いて窪地を調べてみると。その窪地の表面は土ではなく、何かとても硬い金属

のような物で全面が覆われているようだった。そしてその上を苔のような植物が覆い、クワイエルはそれ

に脚を取られたと言う訳だ。

 金属の表面は摩擦がほとんど無く、つるりと指を弾き流す。これでは苔のような植物が無くても、多分

同じ結果になっていただろう。

「ヘゲル、ニイド  ・・・・  変化を、抑制せよ」

 クワイエルは少し考えた後、足元の変化を抑える魔術を行使した。

 二つのルーンを使う簡単な魔術だったが、それでも滑り止めとしては充分だろう。この地の主人も、何

も防衛手段としてこうしているようではないようで、魔術が使われている気配は無い。

 単にクワイエルが勝手に滑っただけで、表面を金属化する事に何の意味があるのかは知らないが、罠と

いう訳では無さそうだった。

「では、行きます」

 クワイエルは今度はゆっくりと脚を踏み出した。いつものようではなく、なるべく地面と平行に重心を

落すようにする。こうすれば少しだけ滑りにくくなる。

 もっとも、この斜面では効果があるとは思えない。まあ、そこは気持ちの問題である。

 彼らは慎重に進んだ。変化を抑制して尚、この窪地は大変に滑りやすい。覆っている苔もすぐに剥がれ、

足下を固めるどころか、余計に滑りやすくなる。

 小一時間もかけて、ようやく中心部まで降りる事が出来た。

 巨人の間近に来たが、目覚めようとする気配は無い。先ほどと同じく、怠惰な溜息と寝息を繰り返すば

かりで、微かに動く頭部を除けば、彫像そのものに見える。

 折角だから暫く観察してみる事にした。

 岩とばかり思っていたが、どうやらこの存在も何かの金属で出来ている。表面はつるつる滑り、案外綺

麗な直線で出来ているようだ。窪地の表面と同じく、全身を何かの苔で覆われているが、その材質は窪地

を覆っている物とも、巨人が座している大岩ともまったく違う。

 ただし、色は濃い灰色のような、よくこの地でも見かける石や岩と大差ない。こうして目立つ位置に座

っていなければ、その大きさを除けば、見分けが付かなかったろう。

 後は取り立てて目立った部分は無い。外面からは、無闇に硬そうだ、以外に大した事は解らなかった。

 そのまま立って待っていたが、一向に起きる気配が無いので、仕方なくクワイエル達は、この場で野営

の準備を始める。

 とても失礼な気もするが、何となく今はそういう大胆不敵な気分だったのである。それにもう一度窪地

を登る元気は、今の彼らには無かった。




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