9-8.

 朝日で目が覚め、例の巨人を見上げてみたが。巨人は昨日と同じ姿勢のまま、まるでその姿に彫られて

生まれたかのように、動きらしい動きをしていない。

 目の前でクワイエル達が野営しているというのに、咎(とが)めるどころか気付く様子さえなかった。

「相変わらず、か」

 クワイエルの隣りで、ハーヴィが不思議そうに眺めている。他の三名は朝食の準備にとりかかっている

ようだ。皆クワイエルに毒され、このくらいでは大して反応しなくなってしまっているのだろう。

 マイペースなのは良い事だが、もう少し何とかした方が良いのでは無いか、とも思わないではない。

 でもそれを言うなら、巨人も似たようなものか。微かに動く頭部以外、巨人はほとんど動く気配がない。

全身が苔に覆われている事を考えれば、ずっと昔からそうしていたように見える。

 とすれば、今まで寝ていた者が今突然起きだすと考えるよりも、このまま眠り続けている可能性の方が、

高くなるだろう。それがいつかは解らないが、こうまでして起きない以上、巨人が目覚める為には、巨人

自身の起きる意志なり、何かきっかけが必要なのだ。

 この状態が人で云うただの睡眠なのか、はたまた何かの為に、その時が来るまで目覚めないのかは解ら

ないが。力ある存在相手に、クワイエル達がきっかけを与える事は無理だろう。

 蟻が山をひっくり返すのは、不可能なのである。

「正直、少しほっとしました」

 クワイエルは素直な感想をもらした。彼としても恐怖心はある。

 しかし今起きないと云う事は、少なくとも巨人は人に敵意を抱いていないのだろうし。まあ、真相は

起きてみなければ解らないとしても、積極的に排除するような意志が無いのなら、何とか共存出来る可能

性もあるだろう。

 なら、それだけで良かった。問題を先延ばしにしているような気もするが、今は巨人を待つしかない。

 ただ、きっかけを与えられない以上、ここにいつまで居ても仕方が無い。

 少々勿体無い気がしたが、この地の静寂をこれ以上乱さぬよう、早めに去る事を決めた。

 こうしてまた一つ、地図に進入禁止地点が増えるのだが、居候の身としては、ここに居られるだけで満

足する方が賢明というものだ。

 おかしな欲は持つべきではない。

 クワイエル達は食事を摂って休息した後、滑りやすい地面に苦労しながらも、来た方向と反対方面に向

けて懸命に進み、一昼夜かけてようやくこの地を離れる事が出来たのだった。



 巨人を一先ず置いて。クワイエル達はゆっくりとした足取りに戻し、レイプトを先頭にした陣形を保ち、

ハーヴィとクワイエルが周囲に気を配りながら、一歩一歩踏み固めるようにして、未開の地を再び進み始

めた。

 常人ならストレスで狂いそうになるくらい慎重で、注意深い歩みであったが、この五名は当たり前のよ

うにそれをこなす。ユルグとレイプトも、よほど訓練を積んでいるのだろう。経験豊富な他三名の足を引

っ張るような事をせず、巨人に出会った時も平然と(内面はどうあれ、外面はそう見えた)受け止め、騒

ぐ事も慌てる事もなかった。

 ハーヴィの人選は的を射ていたと云える。

 進む方角は北。あまり動いては迷ってしまうので、なるべく真北を目指している。出来れば中央、東部

の森林地帯を避け、見渡しの良い西部の荒野地帯を、海岸線に沿って進みたい。

 西部を進んでも、先程のように力ある者が好きに地形を変えている事があり、あまり当てにはならない

かもしれないが。まあ、海という目印があるだけましであった。

 いざとなれば魔術を使って、遠方を見通す事も出来るし、方角も調べられる。魔術が使えない場合でも、

星や太陽など、参考に出来る物は色々とあった。

 西と東の果てに海があると思えば、地図も修正しやすい。

 目印となる物が一点だけだと心細いが、二点以上あるとそれらを照らし合わせる事が出来、修正するの

も大分楽になる。

 方角が突然狂ってしまったり、視界を歪められてしまう可能性などなど、心配な点は多々あるけれども。

一々心配していては仕方ないので、細かい事には開き直っている。

 恐れていても仕方が無い。ある程度の開き直りは、何をするにしても必要だと思える。



 巨人の森を過ぎても、辺り一面に森林が続いていた。あの荒涼とした地形が嘘のように、ここには緑

が覆い繁っている。

 この時点でもう当てが外れているが、諦めるしかない。

 相変わらずちぐはぐとした造形で、無理矢理木々を埋め込んだような、そういう気持が薄れる事も無

い。おそらくこの一帯にもあの巨人の手が加わっているのだろう。理由は解らないが、こうする事に何

かしらの意味があるに違いない。

 それを証明するかのように、巨人のいる中央部から離れれば離れる程、植物の数が目に見えて減り、例

のゆっくりとした速度で半日も歩かない内に、元の荒涼とした地形に戻ってしまった。

 当然、身に浴びる魔力波の強さも減少している。あの場所で生活した後では、かえって物足りないくら

いの魔力密度で、この大陸では奥へ行けば行く程、確かに大地に秘める魔力は強くなるけれども、一変し

たと感じるような急激な変化が、頻繁(ひんぱん)にある訳ではないようだ。

 この大陸自体、急激な変化を嫌うのかもしれない。この地に住まうほとんどの種がそうであるように、

大陸自身もまたそうであると考えても、おかしくはない。

 元の荒野に戻った事で、高低差のある地形が多くなり、労力も増したが、クワイエル達も慣れているの

で、さほど苦労していない様子だ。

 しかし進むにつれて、次第にある変化が見えてきた。

 それは目立った変化ではなかったが、明らかに異常で、そこに何者かの意図を感じる。もしかしたら自

然発生した可能性もあるが、やはりそう考えるよりも、魔術によって造られた地形であると、そう仮定し

ておく方が無難だと思う。

 クワイエルとハーヴィは足を止めてしゃがみ、それを摘み上げ、しげしげと眺めた。

 それはいわゆる苔で、ざらざらとした触感に、特有の泥臭さを持つ。土と雨のにおいがし、不快ではな

いが、あまり長い間嗅いでいたいとは思わない。

 その苔が、辺り一面をぎっしりと覆っている。

 良く観察してみると、それはあの巨人の所にあった苔と同じ物だと云う事が解った。珍しい種類には見

えないが、かといって個性が無い訳ではない。あれだけ厄介な目に遭わされたのだから、忘れろという方

が無理な話で、しっかりと見覚えがある。

 他の植物は相変わらずまばらで、この苔だけが異常繁殖している理由が、魔術以外には説明出来ない。

 良く見ると、先に行けば行くほど苔の密度が増しているようだ。大きな魔力波は感じないので、おそら

く結界が張られているのだろう。

 こうも目立つ変化をほったらかしにしている以上、別に人見知りと言う訳ではないようだが。人嫌い、

という可能性は十分にある。注意が必要だ。

「珍しい苔ではないが、こうなると異常だな」

「ええ、何だか厚みもありますし。苔というよりは地面ですね、これは」

 ハーヴィの疑問にクワイエルが相槌を打つ。

 何度か踏み締め、足先で削ってみたりしたが、案外に深くまで苔は続いている。何層にも何層にも覆わ

れ、苔で一つの地層を造るかのように、その苔は見た目よりも遥かに積もっている。

 全部掘り返して見たい衝動が一時襲ったが、流石のクワイエルもそこまではしないようだ。

「とにかく進みましょう」

「そうだな」

 ここでいつまでも苔を見詰めていても仕方が無いので、何か新たな反応があるまで、このまま進んでみ

る事にした。

 クワイエル達は再びゆっくりと歩み始める。

 この地の主人に、敵意をもたれない事を祈りながら。

 彼らの祈りは、常にそれである。




BACKEXITNEXT